ある日の放課後
「部長、なにしてるんですか」
埃っぽくて狭い部屋でわたしは言う。窓の外では空が色を変え始めていて、西の日が眩しい。
「見て分かんねぇか?食べてんの。うまいよ。少しあげよっか?」
そう言うと部長は食べていたポテトチップスの袋を私に差し出す。
「遠慮しておきます。というかここ部室ですよ。お菓子食べるところじゃないですよ。部長という自覚は持てそうにないので、せめて先輩としての自覚を持ってください」
「うは、いつもどーり、きっついねー。気楽にいこーよ」
そう言うと部長はポテトチップスの袋に手を入れようとする。わたしは素早くそれをかっさらった。
「あ」
「あ、じゃありません。期日、部長が決めたくせに自分で破ってどうするんですか。ほら、はやく」
部長のコロコロ転がる椅子を押して椅子ごと机の前に移動させる。わたしは部長にシャープペンシルを無理やり握らせると、パソコンの前に座った。パソコンの電源を入れて起動させる。
ここは文芸部の部室だ。壁に後付された本棚に入りきらなかった本が、いつ雪崩れるか分からないくらいまで積み上げられている。本が積まれてない床も、印刷ミスした原稿やアイデア探しのための落書き用紙なんかが散らばっていて、床が見えるのは椅子を転がすための通路のみである。副部長の澄香先輩がそろそろ掃除をしたいと嘆いていた。
文化祭は、我ら文芸部員にとって…いや、文化部にとって頼みの綱、命なのである。普段から練習風景が印象的だったり大会に出て成績を残せる運動部と違って、文化部のほとんどは活動の結果が証明されにくい。できるだけ経費を削減したい学校側にとっては格好の餌食になる。だからこそ文芸部は、一般の方や中学生もたくさん来る文化祭で普段よりも部誌を売って、経費削減の防止とともに少しでも稼がなくちゃならない。
だが部長がこれだ。わたしは起動されたパソコンで手直しを始める。部長は今のご時世なのに手書きで原稿をつくる。そのほうがはかどるんだとか言っていた。けれど結局はパソコンで原稿にしなくてはいけないので、毎回一年がパソコンに打ち直す。そんな面倒な役割を、今回はわたしがやることになった。三人という少ない一年の中でじゃんけんをして負けた。もう他の部員は薄情にも帰ってしまった。
「原稿、どのくらいできているんですか」
部長は集中しているようで、聞こえなかったようだ。適当な部長でも、ひとの話はちゃんと聞く。
部長は相変わらずさらさらの黒い髪の毛をゆらして書き続けていた。紙と手、シャープペンシルの芯の擦れる音しか聞こえない。部室は蜂蜜色に輝いていた。西日に照らされた部長の顔は凄く綺麗で、思わすその光景と音に全神経をこらしていた。わたしはそれ以上何も言わなかった。部長ももちろん何も言わない。重苦しい沈黙じゃない沈黙がこの部屋に漂う。
わたしはこの沈黙が嫌いじゃない。
どれぐらい時間が経っていたのだろうか。ふいに部長があ、と言って顔を上げた。わたしはすぐに半回転してパソコンに向き直り、最終チェックのふりをする。今思うと、わたしは何をしていたんだろう。恥ずかしい。
「ねぇ、」
部長がこっちを向く。ばれてないかな。
「なんですか」
うわ、声が固まってる。なんていうか、違和感がある。返事をしないほうがましだったかも。
「ちーちゃんならさ、親にああしなさい、こうしなさいって言われたらどうする?」
「その呼び方やめてください」
「え、いーじゃん、呼びやすいし」
……部長にいくら言っても変えないということは半年間の経験上知っている。だけど、何も言わないのも許可してるようで嫌なのだ。
「どういうことですか?」
部長はたまにいきなり意味が上手く掴めない事をしゃべりだす。真面目な顔で。部長はいつも肝心なところが抜けている。あとでわたしから補足を促せば、ああそうなのか、って納得できる。
「俺の友達は、普通にうざったいからそのまま無視したり反抗したりするって言ってた。だけど女の子はどーなのかなって思って」
「家族とか題材に書いているんですか?」
「うん。俺が書いたら、変?」
そんなことない。わたしがもともと小説を書こうと思ったきっかけは部長だ。部長の書く物語は感情がむき出しで、繊細で綺麗な青春小説だ。温かみがあって、凄く好き。それに部長はたぶん、才能がある。そんな部長が、家族をテーマに書く。ぴったりだと思う。読んでみたいって思う。けど、わたしは素直じゃなくって、そんなこと言えない天邪鬼だから、
「変じゃないです」
こんなことしか言えないんだ。だけど部長は、
「そっか」
って言って笑ってくれるから、わたしも嬉しくなれるんだ。
「わたし、女の子代表できるような性格じゃないですが」
「俺よりは、わかるでしょ?ほら、はやく」
急かされて、わたしは頭の中で思い浮かべる。
部屋でゲームしてるわたし。お母さんが部屋に入ってくる。そしてなにやってるの、勉強はしたの、部屋を片付けなさい、とどなる。うーむ。
「わたしのこと考えてるから言っているっていうのは分かってるんですけど、怒鳴らなくってもいいじゃんって思います。初めのうちは我慢して聞いてるふりとかするけど、だんだんいらいらしちゃって、関係ないでしょ、って言っちゃうと思います」
「え、以外。ちーちゃんって割と普通な反応するんだね」
「…普通の反応以外に何があるんですか」
「………ヤケ食い?」
真面目に答えないでほしい。つっこんだのに。
「わたしはそんなキャラに見えるんですか」
「面白そうなことしそうだとは思うけど」
「部長にとってヤケ食いは面白いんですか」
「うん」
即答。部長のツボはよく分からない。
「ねぇ、ポテチー」
「書き終わりましたか?」
「ポテチないと死ぬー」
「そのくらいじゃ死んだりしません。書き終わりましたか?」
「……うん」
部長にしては珍しい。いつもは部室でうんうんうなって時間かかって書いてるのに。返事が遅いから確実に終わってないと思ってた。
「じゃ、原稿と交換です」
…どっちが先輩なんだろうか。
部長がおとなしく原稿を渡してくれたので、わたしはポテトチップスを返す。夕日は半分以上沈んでいた。
「ちーちゃんまだ残る?」
「はい。一日じゃ終わらないと思うので、明日で終わるぐらいにはやっていこうかと」
パソコンに向き直った。さっきの静寂はまるで嘘のようで、部室内にはキーボードを叩く音とポテトチップスをぽりぽり食べる音がした。夕焼けにはまるで似合わない音。
やっぱり部長の話は凄い。声には出さないけれど。
「ねぇねぇ、トマトってどう思う?」
「最高です」
部長はやっぱり頭のネジが何本か飛んでいるのだろうか。どうしていきなりトマトになったのか分からない。部長は本当に分からない人だ。
「え。俺、あんまし好きじゃないんだけど」
じゃあ話振るなよ。
「なんか汁っぽくって嫌じゃない?」
「大好きです。そこがいいんじゃないですか。サラダでドレッシングかけて食べると最高ですよ、ほんとに」
「ちーちゃんが語るなんてめずらしー。トマト好き?」
「最高です」
「最近食べてないなー」
「リコピン不足になりますよ。そんな髪の毛してるくせに。世の中って理不尽ですよね。部長女子より絶対綺麗ですもん。あ、声に出したらいらいらしてきました。あ―――、悔しいです」
「褒めてるの?貶してるの?」
「どっちもです」
「……喜ぶべきか悲しむべきか」
「ノーリアクションでどうですか」
「俺がリアクションないとか怖くない?」
「部長の中で部長自身がどういうキャラになってるんですか…」
「最高のキャラ」
「わたしの中ではとっても変わった人、なんですが」
「まじで」
「はい」
「即答かい。切ねー」
「とりあえずこれくらいだったら明日できるかな」
「あ、スルーだ。完璧にスルーされた。結構傷つくんだよそれ。知ってた?」
「部長はそんな繊細な神経してませんから」
「俺かなり繊細だよ。ガラスのハートだよ」
「そろそろ帰ろうかな」
「スルーパートツー。でも俺もう傷つかないよ。免疫ばっちり」
部長と非常にどうでもいい話をしながらだったのに思ったよりも進んだ。
「俺も帰ろー」
そういえば、部長は何でここにいたんだろう。打ち直しさせるのなんていつものことだし、気にしなくてもいいのに。
「部長、何で残ってたんですか」
「ポテチ食べ終わるまでいようかなーって思って」
うそつき。途中から食べる音しなくなったの聞こえてた。部長はこういうところ、気を使いすぎだ。簡単に分かるような嘘をついて。
「ちーちゃん家三坂北のほうだよね?」
「何で知ってるんですか」
「部長だから」
「部長とかそういう名のつくものになるだけで人のプライバシーを除けるようになるだなんてなんて悲しい世の中でしょう」
「怒んないでー。悪用はしてないよー」
「怒ってませんー」
「チャリ通?」
「チャリ通ー」
「じゃあ途中まで一緒帰ろー」
「いーですよー」
「三坂北のどこだっけー?」
「ご自分で調べてみてください部長さんー」
「調べる」
「え、まじですか」
「えーっと、あ、あっちの山かなー」
「……帰りますよー」
「え、あ、あったあった」
「つくづくタイミングには恵まれてますね部長―」
「タイミング以外にもたくさんあるでしょー?あ、西浦かー」
すぐには返せなかった。確かにたくさんある。くそ、悔しい。仮にも先輩だけど、でもやっぱ悔しい。
自転車置き場に移動する。九月のこの時期はまだまだ夏の勢いを保っていて暑かった。
部長と並んで自転車を走らせる。生ぬるい風が頬に当たるのを感じた。
「ちーちゃん」
「なんですかー」
「そういえはさっきから気になってたんだけど」
「はいー?」
「そのしゃべり方、ぜっっっっっったい俺の真似てるでしょ。敬語と混ざって絶妙にアンパランスだよ」
「…………どーでしょーかー…」
放課後は、明日も訪れる。
初作品です。
コメディーと青春をうまく混ぜることができればいいな、と思ってます。
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