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紅茶店  作者: 方霧
9/21

あおむらさきの語らい

しばらく紅茶店には行かなかった。


新しく本を執筆することにしたからだ。

…といっても、書き溜めていたものがあったので、それを編集するだけで、主な作業は大体終わりだ。


「今までのも、いまだ売れ行き好調ですよ」


編集担当の人に言ってもらえてほっとする。最終確認も済み、あとは全て彼女に任せておけば、無事出版となる…はずだ。


「じゃあ、あとはよろしくお願いします」


深く頭を下げると、彼女も慌ててお辞儀を返してくれた。頭を上げるとニコニコと両手を振られる。


「いいえ!こちらこそ、また、よろしくお願いしますね。在家ありいえ先生」


もう一度軽くお辞儀をして、事務所の扉を閉めた。

階段を降りながら、フードを目深にかぶり直す。

降り切った所で、ふと紅茶店に思いを馳せた。みんな元気だろうか。まだ友達じゃない柏杜はくとさんは。私の唯一の、三人の友達は。

瑪瑙めのうとは、あの日の朝、店頭で入れ違いに会ったきりだ。


あの日、店につくと同時に、瑪瑙が店から出てきた。

以下回想。





「あら、おはよう。三篠みすずちゃん」


にこにこと声を掛けてくれた彼女の顔色は良くなかった。


「おはようございます。…お出かけですか?」


「ええ。自分の店とはいえ、やっぱり出勤はしないとね。しかもさっき電話で呼ばれちゃって、急がないといけないの。…あら、そのスカート早速着てくれて嬉しいわ。昨日よりもっと素敵ね」


昨日二着目のスカートを戴いたので早速身に着けてきた。今日はスカートに合わせて、上も比較的可愛いのを選んできたつもりだったから、そう言われると照れるとともに嬉しい。もちろんフードは外せないが。


「ありがとうございます。…そういえば、瑪瑙さんのお店って、何屋さんなんですか?」


瑪瑙は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに元の優しい笑顔に戻った。


「洋装屋よ。あたしがデザインした服を売っているの。…だから」


す、と長くて細い指で、私が着ているスカートを指す。


「それも、私がデザインしたのよ。今度店に来てね。もっと良いの、見繕ってあげるから」


洋服を売るだけじゃない。そのひとに合った洋服をデザインをするのが主な店なのよ、と瑪瑙は自慢げに微笑んだ。少し頬に赤みが差してきた気もするが、依然肌は青白く、健康そうにはあまりみえなかった。


「顔色が優れないようですけど、大丈夫ですか?」


心配になって尋ねると、困ったような笑顔を返された。


「朝はいつもこうなの。すぐに良くなるわ。…最近ちょっと疲れちゃったみたいで治りが遅いだけ…」


休んだ方が良いのではと何度か勧めたが、ありがとう大丈夫と笑顔で受け流されてしまった。


「そうだ、それより…」


そのまま話の流れを変えられる。


「カウンターの奥に扉があるから、二階に上がっていてくれない?そこで、柏杜が寝てるから」


それを聞いて私は首を傾げる。


「いいんですか?いかにも嫌がりそうですけど」


瑪瑙は苦笑をこぼす。


「あなたが思ってるほど、あの子はあなたを嫌ってないわ。大丈夫。それに、何より寝起きのあの子には誰かがついててあげた方が良いの」


表情が曇る。


「ここニ、三日止まって、悪化してるって分かったから…」


「悪化…?柏杜さん、どこか悪いんですか?」


不安になって訊くと、瑪瑙は顎に人差し指をあてて、少し考えるような仕草をした。


「病気とかではないんだけど…。どこが悪いかと聞かれると…。夢見が悪い…?そうねえ…」


ぶつぶつしていたかとおもうと、ぱっと、思いついたように私を見た。


「寝起きが悪いの」


「…」


それからお茶のある場所、タオルのある場所などを次々と教えられた。時計を確認して、焦るでもなく「急がなきゃ」と言った瑪瑙と別れ、お言葉に甘えて、居住空間にあがらせてもらうことにした。

階段の半ば程で異変に気がついた。

荒い息遣いが聞こえる。

音をたてないように急いで駆け上がると、柏杜さんがうなされていた。尋常ではない汗が出ている。


「は、柏杜さん…!」


あわてて駆け寄って側に腰を下ろした。身悶えるように、体を右へ左へと反転させている。


「…うぅ…あああ…」


何か、言葉にならない声を出している。


「柏杜さん!」


「…血、ち、が……ぁ」


夢見が悪いとか、そういうレベルじゃない。


血…?


起こそうと、肩に手を伸ばすと


がっ


思い切り手を掴まれた。


「…っつ…」


ぎりぎりと握りしめられて、骨が軋む。

それでも柏杜さんは目を覚ます様子はなく、うなされ続けている。


「あ、あかい…血…。…お、れは…」


「柏杜さん、柏杜さん!起きて下さい!柏杜さん!」


何度も呼びかけると、次第に反応を示し始めた。体の動きも小さくなっていく。


「…ぅ…あ…」


「はく…っ」


突然、柏杜さんは飛び起きた。





ぼんやりしながら歩いていると、目の前を車が通り過ぎた。

びっくりして顔を上げると、今にも赤信号の横断歩道に足を踏み出すところだった。

危ない…。

大人しく信号が変わるのを待つ。

信号を渡り終え、近道するため公園を抜けて駅に向かおうとすると…


「あ」


公園の自販機の前に、見覚えのある紫頭が見えた。


ピッ

ガシャン


飲み物を取り出して振り返った所で、目があった。


「あ」


同じ反応を返された。



公園に設置されたベンチに、智者ともひとと二人で腰かけている。駅近くの割には人気もなく、のどかだ。


「自販機でコーヒーとか、意外と庶民的な…」


「…的もなにも庶民なんだけど。時間なかったからこれは朝飯代わりなの。…てかお前の中でどんなイメージなんだおれは」


本当は特にイメージを持っていたわけではなかったが、私が智者の中でストーカーイメージで定着しているので、私も智者に勝手なイメージを持つことにした。


「グルメ」


「なんで…」


「グルメ成金イメージ」


「だからなんでだよ!…嫌なイメージを加えたいがためだけに“成金”つけただろうお前!!」


その怒鳴り声で思いだしたが、そういえば前回は、智者が怒ったままで別れてしまっていた。何が気に触れたかは今でも分からない。けれど、どうやらその事を引きずってはいないようだ。


「…そういえば随分顔見なかったな。もう柏杜は諦めたのか」


ふふん、と嬉しそうに鼻を鳴らす智者。見下すその顔を、半目で睨み返す。


「違うよ。久しぶりに仕事してたから」


「…」


仕事してたんだ…とでも言いたげな、驚いた顔で見られた。


「智者は?仕事中?」


昼休憩には早い時間だ。…もっとも具体的な智者の仕事内容を私は知らない。病院に務める医者なら、あんなに長時間店に入り浸ることなどないはずだ。


「そう。仕事中。今からかかりつけのお宅に定期往診に行くとこ」


決まった場所を持って病人を待つのではなく、家のかかりつけになって、電話が来たらそこに出向くらしい。

アメリカンだ。

いつも持ち歩いている、大きな黒いカバンには医療道具がびっしり入ってるということか。


冥令めいれいは薬剤師だから、薬は冥令に任せてるの」


あいつも医者だったんだけど、サポートのが楽とか言ってこうなったの。と、コーヒーを一口飲んだ。


「へー。智者のくせになんかすごいんだねー」


「感情がこもってねえ!当たり前のように“くせに”をつけるな!」


そうだ、とこれを機に、問いただしてみることにした。


「…智者って褒められると切れるタイプなの?」


いきなりの質問に、顔をしかめる。


「はあ?…なんだいきなり。…いや、どっちかというと冷めるかな」


律義に答えた。

正面を向く。


「最初は褒められるのが嬉しかったけど。でも、同じ事何度も言われるとうんざりしてくるから、高校ぐらいからなんも感じなくなったな」


「褒められ慣れてるって自慢かそれは」


挑発するような言い方をしたが、どこ吹く風とコーヒーを飲んでいる。本心らしい。


「言われ慣れてない褒め方をされればそりゃ照れるし、嬉しいけど。…なんでそんなこと訊くんだ」


缶コーヒーを口から離すと、整った眉をひそませてこちらを見た。


「この前柏杜さんの店で…」


僅かに顔を智者の方へ向け、ゆっくり見つめ返した。座高が違うので、若干上目遣いになる。


「智者が怒って黙ったまま別れたから、気になって」


顔を覗き込むと、背けられた。なんだか状況があの時と似ている。


「なんで怒ったのか原因がわからなくて…って、智者顔赤いけど大丈夫?」


「うるさい。…っち見るな!…ってねぇよ」


語尾が小さくなっていったので聞き取れなかった。顔が向こうを向いているので、唇も表情も読めない。

振り向かせようと、智者の肩に手を置く。


「え、聞こえなかった。なにって?」


肩に置いた手をはじかれたが、今度ははっきりと答えてくれた。


「…怒ってねえっつったの」


「なんだ、良かった」


気のせいだったようだ。きっと光の具合で顔が赤く見えただけだろう。智者が突然黙るのは今更だし、よくあることだ。

ぐいっとコーヒーを全て飲みほし、ようやくこちらを向いた。随分不機嫌そうだ。

いつもの顔だ。

そしてしばらく、眼鏡越しにじっとこちらを見ていたが、空の缶を持っていない方の手で、いきなり私の頭に手を伸ばした。


「…なに…」


思わず身を引く。智者は無言のままだ。

手が頭に触れる。


がっ


フードを掴む。


ばっ


フードをとる。


「…なっ!」


異質な髪の毛が露わになってしまう。慌てて元に戻そうとするが、フードが抑えられたままなのでどうしようもない。智者の手を両手で掴み、外そうともがくが、握りしめている拳が固くて歯が立たない。

抵抗する力を弱めたところで、智者が口を開いた。


「良い事を教えてやる」


手をフードから放し、私の両手をすり抜けて、膝の上に戻した。


「柏杜は、自信なさそうにしている奴が一番嫌いなんだ」


…どく


胸を突く言葉だ。

私もフードから手を離す。涼しい風が、髪をさらった。


「お前は中途半端なんだ」


はあ、と息をついて、智者は前かがみになり、両手を合わせた。


「見られるのが嫌なら黒髪に染めるか。染めるのが嫌ならいっそ晒すか。どっちかにしろ」


紫色の頭髪が、日の光を受けてさらさらと光った。


日本人ではないという証明のようなこの容姿が、人を遠ざけてしまう。

一方で、この髪もこの瞳もこの肌も、祖母から譲り受けた大切なものだ。祖母も自分も否定したくない。


だから生まれ持ったものはそのままに、目立たないよう隠してきた。


でもそれは矛盾だったのかもしれない。

いいわけだったのかもしれない。


寄ってきてくれる人が全くいなかったわけではなかった。彼らが離れて行ったのは、ひとえに私自身のせいだ。自分だけを気にかけて、相手を考えない事ばかり言ってきた。

自分の気持ちを言葉にすることが大事だと教わったが、だからといって、なんでも口にしていいわけではないという事に、独りになってやっと気付いた。

加えて、人目を気にする自意識過剰さ。一挙手一投足に怯える被害妄想の強さ。

見て見ぬ振りして、心のどこかに積っていた。

淀んだ気持ちが渦巻いていた。


自分が分かっていればそれでいいと思っていた。

だけど。

わかっていたつもりだったけれど。


直したつもりで、治ってなかった。


真正面から告げてくれる人も今までいなかった。


だから自棄になっていた。

だから周囲に甘えていたのだ。


どうせ受け止めてもらえないなら。

どんな振る舞いをしても構わないのでないかと。


受け止めないのは、

相手の勝手だと。



ああ。



壁を作っていたのは私だった。



「…なんだよ。急に黙ってんじゃねえ」


隣で窺う様な声がする。



その声を聞いて、じわりと滲む。

ぽろぽろと、温かい気持ちが零れ落ちる。


受け止めてくれていた。


初めてだ。


これが友達なのだろうか。


私ばかり貰っている。


嬉しい気持ちを、貰ってばかりいる。



うつむいていた顔を上げ、隣に顔を向けた。

視界が歪んで良く見えない。

おそらく、ぎょっとした顔で当惑しているだろう智者に、笑いかけた。


「ありがとう」


溢れたものは。


心からの、感謝の気持ちだった。


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