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紅茶店  作者: 方霧
8/21

しろの夢、きみどりの蟠り

その女性は微笑んでいる。


上から顔をのぞきこまれているが、逆光で顔が見えない。


でも優しい笑顔を浮かべている事と、俺が、そのひとの事が大好きだということだけはわかる。


木漏れ日が差す中、寝そべっている芝生と、暖かな木々の香りに包まれている。


きもちがいい。


そのひとは、俺に向かって両手を差し出した。


俺も嬉しくなって両手をさしのべた。


途端、周囲が暗転した。


そのひとは病院のベッドの上で激しく咳をしている。


とても苦しそうだ。背中を撫でてあげたいと思う。


けれど透明な壁に遮られて近づけない。ここからでは辛そうな背中しか見えない。


ひと際大きく、上体を折り曲げた。体が咳に合わせて揺れている。


突然動きが止まった。


良かった。咳がおさまったのか。俺はうれしくなる。


もっとよく、そのひとの様子を見ようと、右へ左へと動きながら目を凝らす。



真っ赤


手が真っ赤だ


服も


口も


シーツも


ベッドも全部


「…っ…あ…あああああ」


目が逸らせない。


なんだ。これは、なんだ。


どさっと、何かが倒れこむ音がする。


ぎょっとして足元を見ると、別の誰かが倒れている。


畳が血で染まっている。


そのひとのても、くちもあかい。


あかい


「ああああああああああああ」


がくがくと、足が震える。俺には何も出来ない。俺は何をすれば。


ふいに、どこかから呼ばれた。


すがるように、叫びながら、無理やりそちらへ顔を向けた。






「…ぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


がばっ


「…ぅう…ぅ」


息が詰まる。渇いた喉を無理やり嚥下させた。

息をする。息をする。


はあ  はあ  …  はあ


熱い。体が熱い。手で額の汗を拭う。鬱陶しい前髪を掻きあげた。


混濁していた意識がはっきりしてくる。夢を見ていたのだ。ここはいつもの部屋だ。飛び起きたから、今布団の上で上体を起こしているのだ。

自分に言い聞かせるように、状況をひとつひとつ確認しながら把握していく。

左手を見つめると、かすかに震えていた。じっとりと汗ばんで、気味が悪いほど冷たい。

そこで右手の存在に思い至る。右手は、勝手に何かをきつく掴んでいた。

何を掴んでいるのか、確認しようと右手を目の前へ持ちあげる。


掴んでいたのは、誰かの白くて細い腕だった。


一瞬ぎょっとしたが、その腕には続きがあった。視線を移す。

指先と自分の手が掴んでいる手首から、肘、二の腕、肩…


肩に淡く光る、色素の薄い髪。少し長めの前髪。歪んだ眉。若干曇った大きな碧眼。


「はくと、さん?」


赤くて薄い唇が動く。視界の下の方を掠めるスカートも赤色だ。夢で見たものとは違う赤さに安堵する。

深く息を吸って、吐いた。気持ちが鎮まっていく。


と。


我に返った。


「!!」


ばっ、と掴んでいた腕を放す。囚われた小さな手は、おもむろに持ち主の元へ帰って行った。


「お茶、持ってきます。瑪瑙めのうさんが場所を教えてくれたので」


自由になった三篠みすずは、特に怯んだ様子もなく、そう告げるが早いか部屋を出て、階下へ降りていった。宙に浮いたままの右手を握りしめて、静かに胸の上に置く。夢のせいか、鼓動がどくどくと力強く打ち続けている。しばらく静まりそうもない。

ようやく、この場に招かれざる客が居る事の違和感に気がつく。


時計を見るともう開店時間間際だった。


ゆっくりと、意識を遡らせる。そういえば、三篠は昨夜、明日は朝から来る、と言っていた。彼女が店に来た時、丁度出勤するために店を出る瑪瑙と出くわして、瑪瑙が上へあげたのだろう。


部屋に上がられたからといって、特に嫌だったわけでもない。それよりも、そう結論づいたことにすっきりして、再び体を横たえた。気持ちを落ち着かせようと、もう一度ゆっくり息を吸って、吐いた。

またあの夢だ。昨日血を見たから、いつもより鮮明で、長かった。


血を見たのは三篠のせいだ。


でもそれと同時に、三篠があの悪夢から呼び戻してくれたのだ。


夢から覚めると必ず吐き気に襲われるが、今はそれがない。

寝起きに握りしめていたものが、いつものように布団ではなく、温かな、人の腕だったからだろうか。


「…」


戻ってきた部外者が冷たい緑茶をくれても。家族でも友人でもない、赤の他人である彼女に、水に浸してかたく絞ったタオルで、体の汗を拭いてもらっても。


それでも俺は、


ずっと、



何も言えないままだった。





***





「こんな男のどこがいいの?」


冥令めいれいはいつものように、無感動にそう訊いた。


「どうやったらあんな男の友達になりたいとか思えるの」


具体的に言い直して、首を傾げる。

何と言ったものかと、言葉を探して私は少し頭を傾けた。


「動機は不純ですが、素敵なひとだから、お近づきになりたいと思って」


「だからそこがわからないな。見た目も…どう見たって…平凡な“中の中”の顔。…あ、すずって目、悪い?眼鏡つくるといいよ?」


「…おい。めい、てめえ…柏杜はくとはどっからどう見ても格好良いだろ!!」


心底不可解そうな顔をして質問する冥令に、その隣に座る智者ともひとが咬みついた。


「弟馬鹿の意見は聞いてないよ」


反論は虚しく、姉に一蹴された。


「智者の言う通り、柏杜さんは格好良いんです」


正面からまっすぐ冥令を見つめる。

まあ好みは人それぞれだよね、と冥令は残念そうに呟いた。

そうじゃない、と何とか訴えたいが、何と表現したものか言葉に詰まる。


「なんといいますか…内面から溢れるものが、柏杜さんを格好良くさせてるんです」


「…なんだ。さすがストーカー、わかっているじゃないか」


反論を軽く流された衝撃から復帰した智者は、嬉しそうに、私の意見に賛同した。今更だが、智者の中での私のポジションは、ストーカーとして不動のものとなってしまったようだ。


「…なんでもいいけど、きみたち、それってはくちゃんの顔が“中の中”って認めてるようなものだよ」


「…なんでも良くないからそういう話は当人がいない所でしてくれないか」


カバーをかぶせたポットと、3人分のティーカップをお盆に載せた柏杜さんが、歩み寄るなりそう言った。マルコポーロというらしい紅茶の、良い匂いが香ってくる。


「三篠も、紅茶を飲んだらどこへなりともさっさと消えてくれないかな。店の奢りにしとくから」


今更金払えっていうのも変だしね、とこちらを見もせずさらりと言う。手際良くテーブルにセッティングしていく柏杜さんを横目で見て、冥令はふいに、悪魔的な笑みを浮かべた。


「そういえば、はくちゃんって美形コンプレックスだったよね」


にやにやと意地悪げに笑う冥令。柏杜さんは驚いた目を向けたが、すぐに眉根を寄せ、嫌そうに顔をしかめた。


「なに、突然」


「今、顔の話してたからさ。思い出しちゃって。はくちゃんさ、中学校の時、すっごい美人のクラスメイトが好きだったよね。でも、告白してもいないのに振られたんだよね。目の前でばらされて。その場ではくちゃんを振ったその子のセリフが、『ごめん、わたし、めんくいだから』」


ころころと笑う冥令に反して、訝しむようにしていた柏杜さんの表情は、一瞬で険しいものとなった。


「…何とぼけてんだ。あの時ばらしたの、お前だろう。めい」


どこ吹く風と、冥令はその言葉が聞こえぬかのように振る舞う。


「それで高校入ってその子に彼氏ができたけど、そいつがまた、はくちゃんが大嫌いな奴で、瑪瑙姉様が好きな男だったんだよね。もちろんかなりの美形」


柏杜さんの険しい顔に差す影が濃くなっていく。冥令を睨む眼光は、すでに氷のように冷たくなっていて、こちらを見られてもいないのに、背筋が凍るようだった。


「二人を引き合わせたのもお前だって聞いてるけどな」


しん、と4人がいる場所だけに沈黙が訪れた。隣の席やカウンターの賑やかな声が、まるで遠くの世界で響いているかのようだ。

柏杜さんは両手をテーブルについた状態で、依然冥令をまっすぐに睨んでいる。

睨まれている冥令は目を伏せたまま、口元にはうっすらと笑みを浮かべていた。

斜め前に座る智者と一瞬目が合う。当惑した表情を浮かべていた。いかな双子と幼馴染の喧嘩であれ、彼にも口出しできないようだ。

内容からしても、明らかに二人の鬼門であるように思う。


緊迫した空気の中、唐突に冥令がふう、と息をついた。目は伏せたままだが、顔から笑みが消えた。



「ぼくが姉様にいじわるすると思うの」



今までとは打って変わった、低い、威圧的な声だった。

その変化に、かすかに柏杜さんが怯む。


「あの男の話を姉様から聞いて事前に詳しく調べたんだ。…あれだけ嫌ってたんだから、はくも感づいてたんだろうけど…」


顔を柏杜さんへ向け、鋭く睨み返す。開かれた眼には、怒りと憎悪が宿っているように見えた。

あまりの迫力に、誰も何も言えない。


「…最低な野郎だったよ」


忌々しげな声は唸るようだ。目の前の柏杜さんを殺しかねない形相になっている。


「もっと言うと、はくが好きだったあの女子も、なかなか性根が腐ってたんだよ?…だから君もついでに助けてやったんだ」


怒鳴るのを抑えているのか、かすれ声だ。そのせいでなおさら、冥令の怒りが滲み出ている。


「…ッだれも…!」


柏杜さんが絞り出した声もまた、かすれていた。


「誰も頼んでいないだろう…そんなこと…!」


冥令の方を見てはいない。握りしめた両手はテーブルについて、うつむいたままだ。

はっ!と、嘲るように冥令が笑った。


「なんだ、やっぱりまだ恨んでたんだ。女々しいなあ。…ま、別にぼくを恨むならいくらでも恨めばいい。はくの言う通り、頼まれもしないのに、全部ぼくが自分のためだけに、勝手にやった事なんだから」


「…なにもそこまで言ってな」


柏杜さんが口を挟むのを許さず、かぶせるように冥令は続けた。無表情に、灰色交じりの白髪を見つめている。


「ぼくがこんなことで二人に傷ついて欲しくなかったから。二人にはもっとましな人と幸せになって欲しかったから。二人が――」


無表情なはずなのに、泣きそうにみえた。


「だいすきだから」


はっとしたように、柏杜さんは顔を上げた。

少し驚いた顔は赤く、目が少し潤んでいた。困惑した顔の柏杜さんと、僅かに顔を歪ませた冥令の目が合う。


「でもね、あいつらは顔が良いから性格が悪かったんじゃない。中身が歪んでるあいつらが、たまたま容姿に恵まれたってだけなんだから」


柏杜さんは泣きそうな顔のまま、黙っていた。


「整った顔立ちのひとがみんな、性格悪いわけでも、めんくいなわけでも、軽いわけでも、最低なわけでもない」


無感動な声が、徐々に温かさを帯びる。


「はくちゃんも、あの子の顔に惚れたわけじゃなかったんでしょう」



はくとくんて、よんでいい?

あの子は、そう言って笑いかけた。

友達がいなくて、クラスで一人座っていた、俺に――



「ほら」


独り言のような、柏杜さんの消え入りそうな声をとらえて、冥令はにっこりと微笑んだ。


「だから綺麗なひとみんなに、八つ当たりするのは、もうよしなよ?」


いつものように、語尾を上げて、首を傾げた。




「柏杜さんは美形コンプレックスではないですよ」


和やかな空気に水を浴びせるような発言。

そう言いたげな目で、斜め前に座る智者に、すかさず睨まれた。

けれど、私は続けて発言する。


「だってもしそれが本当なら」


三人の目線が、一気に私へ集中した。


「こんなにめいさんや智者と仲良いままでいられるわけないじゃないですか」


三人を見渡す。見つめ返す。


「めいさんも智者も、こんなに美人なのに」


“美人”は女だけに使え!

…とかなんとか智者から突っ込みが入ると思ったのに。


三人とも黙っている。


「…肌も髪の毛も綺麗だし、双子なだけあって二人とも端正な顔ですよね。めいさんは佳人だし、智者は男前ですよね?」


同意を求めてちらとみると、柏杜さんはぽかんとしていた。


「あっははは!」


突然、冥令が大笑いした。いつも感情の見えない風貌だけに珍しい。怒ったところもこんなに笑ったところも、今日初めて見た。親しくなれたようで嬉しくなる。

そこで智者にも目を向けた。

まだ大笑いしている冥令の、その横で智者は――


顔を真っ赤にして、こちらを凝視していた。


思わぬ反応にぎょっとした私と、見開かれた目が合う。

その瞬間すぐに目を逸らされ、何も言わないまま、智者はテーブルにふせてしまった。


…?

なんだ?


怒ったのか?

それで顔が赤かったのだろうか?

今思うと、確かに多少ずれた、空気を読まない発言だったかもしれない。しかも智者の目による制止も振りきってしまった。

でも、怒鳴るならまだしも黙ってしまったし。表情も怒るというよりか驚いていたような…。


ふせったまま微動だにしなくなった智者を見ていると、冥令が椅子から腰を浮かして、正面から手を伸ばしてきた。


「ふふ、ありがとう!すず!いいこだなぁ君は!」


にこにこと上機嫌に、頭をぐりぐりと撫でられた。

撫でられるがままの状態で、もう一度柏杜さんを盗み見ると、つられたものかくすくすと笑っていた。


「…あ」


思わず零した。


それはずっと望んでいた、心からの…

もう一度見たかった、あの時と、同じ笑顔――


「ねえ、ところで」


けれど、突然。

柏杜さんに、偽物の笑顔が張り付いた。

私と冥令は、二人同時に、笑っていない柏杜さんの目を見た。

口だけがにっこりと笑みをかたどっている。


「俺の顔が“中の中”って、どういうことかな」


気にしてたんだ!!


「本当に女々しいな!」


冥令が大声で叫んだ。

その声に驚いて、店内は水を打ったように静まりかえる。

一斉に向けられた客全員の視線を、私たちは浴びることになった。

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