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紅茶店  作者: 方霧
19/21

あおみどりとお喋り

随分長い時間話をした。


雨が降り始めて、あがるまで。


電話越しでも、冥令めいれいとあんなにたくさん話したのは、一体何年振りなのだろう。




『あれ、雨が降り出したね』




雨音がうるさくて、切れ切れにしか聞こえない声で、姉はそう切り出した。

いつもの、ぼんやりした声だった。



「泣いてるのか」



それでも、何となくそう思った。



『…まあね』



ためらいもせず、すぐ答えが返ってきた。



それから間をおかず、本題に入った。

瑪瑙のことだ。


黙って、聞いていた。



病状や現在の状況の詳細を話し終えた後。

くすくすと、苦笑いのような、照れ隠しのような、抑えた笑い声が聞こえた。


「どうしたの」


尋ねると、冥令は上機嫌そうに、ん?と返事をした。


『いいことがあったよ』


「そうか」


おれが納得した声を出すと、先ほどよりも少し落ち着いた声で、姉はまた


『…ん』


と言った。



瑪瑙めのうの病状を聞かされた後は、徐々にだらだらとした会話に入っていった。


『もうね…ずっとべたべたしてるわけ。いやいいんだけどね。いいんだよ?ほんと。仲良いのは。…でもさ。ぼくにとっては片方は姉で、片方は先生なわけでしょ?何とも複雑というかさ。しかもあんなに甘ったるい空気なのに、ぼくが居る時はまだ我慢してる方みたいでさ…』


冥令は瑪瑙と先生のくだりになると、堰を切ったように喋りだした。

普段どちらかというと無口な彼女にしては、とても珍しい。

…と、おれ以外の誰かがこの場に居たら思うだろう。


「…大変そうだな」


『まあ…そこまで大げさなものでも…ないんだけどね』


あらかた話し終えた冥令は、少し疲れた声でそう言った。


それから


“家”の話をし


それから


学生時代の話をし


それから――



柏杜はくとと、

三篠みすずの話をした。



すずちゃんか…

すずちゃんね…



と呟く声がした。


『ともくんは、いいの?』


唐突に、双子の片割れは訊いた。


「んー…」


意図するところは、すぐに分かった。


『…』


「…」


おれは。


すぐには、答えを返せなかった。


「そうだな…」




ザアアア…




雨が窓にぶつかる音がした。


風があるのだ。


ガラスが、がたがたと鳴った。



左後ろにある窓に目を向けると、ガラスに張り付いていた木の葉が、流されて、攫われていくところだった。


視線を、室内に戻す。


そうして、しばらく考えてみた。


柏杜の面影が濃く残る部屋を見渡しながら。



冥令は、黙って返事を待っていた。



「ん、いいんだよ」


けれど、今まで何回も考えたのと同様に


思考のたどり着く先が


変わることはなかった。



「おれは、選べないから」



選ぶほどには、想えないから。


きっと。


彼女のことも。


『…』


「でも、きっと、あの二人は、お互いを選んだんだろう」


偶然ではなくて。


在家ありいえ三篠は、望んで、この店まで、赤城あかぎ柏杜に会いに来たんだから」


迷い込んだのではなく、

穴に落ちたのでもなく、


己の意思で。


閉鎖的なおれ達の世界に、踏み込んできたのだ。

招かれても、いないのに。


「…ふっ」


迷惑な話だ。


自然と、笑みがこぼれた。

おれが笑うと、姉は、んー、と軽く唸った。


『それでいいの?後悔しない?』


「しないな。それでいいと思えるうちは…このままでいい。このままがいい」


『んー…』


少し考える風に、電話越しで、また短く唸った。


『そうかなあ。まあ、ともくんがそういうならいいけど…』


まだ、何か言いたげな様子だ。


「なんだ?」


珍しく言い淀んでいる先を、やんわりと促す。


『ん、んーと』


少し悩んで、ぼんやりした声は言った。


『ともくんらしくないなと思って』


…。


「…は?」


どこが。


「…」


驚いた。

なんだろう。

返事に困る。


「…どこが」


わからないので、聞いてみた。

答えは、すぐに返ってきた。


『自分で、選んでるところが』


二人との関係を。


しれっと返されて、また驚いて黙ってしまった。



そうか。



最近、柏杜ばかりが変わっているように感じていたが…


おれも

変わったのかもしれない。


おれも、


冥令も、瑪瑙も。


そして、もしかしたら


おれ達の滞っていた世界を変えた、三篠自身さえも。



「あ。そうそう聞いて。さっき病院の受付の前通ったんだけど…」


「…ああ」


会話はまた、淀むことなく流れていった。




あの時。


柏杜の店の前で。


距離が測れずに、おれが、店に入るのを躊躇っていた時。


もしあのとき、背中を押されなければ。


あるいは


冥令が店を訪れた時、柏杜しかいなければ。


瑪瑙が三篠を気に入らなければ。


紅茶店に全員揃うなんて、ありえなかったかも知れない。




とりとめもない世間話に話が流れていく中で、そんな考えが頭をよぎった。





・・・



・・






ぽす ぽす ぽす




「…」




とす とす とす




襖を軽く叩く音がする。



智者ともひと?」



呼びかける声で、意識が戻った。


「…ん」


ここは―――柏杜のベッドか。


階下に降りて、二人に瑪瑙の話をして、寝室に戻って…

電話の内容を思い返しているうちに、いつの間にか寝ていたらしい。

ベッドに肘をつき、サイドテーブルの上を探る。


「…おう」


眼鏡をかけて寝惚けた声で応えると、そろそろと襖が開いた。

三篠が半分だけ顔を見せた。


「…なんだよ」


右目で、じっとみてくる。


「入れよ。こええよ」


「…いいの?起してしまったのなら…」


「いいから」


言いながら、中途半端な状態から体を起す。掛け布団を腹の位置まで下ろして、膝を立てて座った。

やっと全身を現した碧眼は、部屋に入ると襖を閉めた。足音なく近寄り、おれの足先に腰を下ろす。

場所をあけるため、おれは胡坐をかいた。

それに気がついた三篠は、わざわざ距離を詰める。俺が足を少しでも延ばせば、布団越しながら、三篠の体にぶつかってしまう。


…結構至近距離じゃないか。


なんでこんな近づくんだ。


おれとは対照的に、三篠の方は現在の位置で落ち着いたようだ。

お互いにしばし無言。


「で」


おれが切り出した。


「どうした?…柏杜は」


「…二言目には柏杜柏杜て。…ちょいと過保護すぎやしませんか智者さんよ」


冷めた目で見てくる三篠。

おれから視線を外すと、遠い目をした。


「柏杜さんは、突然出て行ってしまわれた…」


「え。出て行ったって…どこへ」


昨日の出来事が頭をかすめて、胸がざわめく。

焦ってすかさず問い詰めたおれを、また冷めた目でちろりと見て、小さくため息を吐いた。


「さあ…。突然行ってきますって言って、サングラスとニット帽を装備して…あっという間に」


訊く暇はなかったということだろう。


柏杜は瑪瑙と似て、思い立ったらわき目もふらず、すぐに行動するところがある。

なんとなく納得できた。

一瞬、またどこかへ消えてしまったのかとはらはらしたが、行ってきますと言い置いて出て行ったのなら、そのうち帰ってくるだろう。だったら、それまで待っていればいい。特に気にする事もない。

三篠も何かしら感づいているのか、特に心配している様子はなかった。


病院か。


はたと思いついた。

多分、きっと、そうだ。


「そうか…それで?」


「うん?」


おれが訊いたのに、訊き返される。

三篠はきょとんとした顔でおれを見つめ返してくる。

大きな碧い目は、湖面よりも澄んでいる。


「だから、なんか用があって来たんだろ?…なんだ?」


「…」


また冷たい目で睨まれている。

今度は理由がわからなかった。

なんだっていうんだ。


「またそういう…。用がないなら出て行けとでも言わんばかりだね?智者」


「な……そうは言ってねえだろ。被害者妄想だ」


「そのように聞こえましたよ」


慇懃に言って、わざわざ腕を伸ばすと俺の胸の辺りをぺしぺしと叩いた。

ぎょっとして、思わず身をひく。


ていうか結構痛かった。


「…さっきからなんだその変な口調は。つうか病人を叩くなよ」


三篠はやれやれと肩をすくめ、はあ…とあからさまに深いため息を吐いた。

…意味がわからない。

…意味がわからない上にいちいち気に障る…。


ん?


そこでふと思い至る。


…ということは。

そういう風に言うということは、用もないのにおれのところへ来てくれたと

そういうことになるのか…?


「まあ…用はあるといえばあるのかな…」


三篠は正面やや上に視線を漂わせながら、浮いている足をぱたぱたさせた。


「あんじゃねえか…」


がく、っと

首を落とした。


がっかりなどしていない。

していない。断じて。


「なんとなく、ちょっと話がしたかっただけなんだけどね…それが用といえるかどうか」


「話?」


「まあ、特にこれといって話したい事も無いんだけどね。なんでもいいの」


「なんだそれは」


確かに用があるとはいえないのかもしれない。

それはそれでまた嬉しい気もしたが、上げたり下げたり弄ばれたせいで、どっちつかずの感情をどうしたものか、もう訳がわからなくなってしまった。

更にこんなことで喜ぶべきかどうか悶々としている自分にも気がついて、軽く頭を抱えた。


「しかし智者には気づかいってものが足りないね」


腕を組むと、偉そうな口調で三篠が語りだした。


「はあ?いや少なくともお前には言われたくねえよ。病人を叩く奴に気づかいを語られたくはねえよ」


「そんなので本当に彼女居たの?」


「どうしてそうなった!全く関係ねえだろ」


「…いやあ、あるでしょう。智者よ…女性を大切にしない美男子は、幸せにはなれないよ…?」


「お前はいったいどこのスナックのママだよ!」


世の中の酸いも甘いも経験した者が言うならわかるが、こいつとはほぼ同い年だ。

そこでまたあからさまにため息を吐かれ、しょうがない奴だという目で見られた。

完全に馬鹿にした顔をしている。

ここまで腹立たしい表情は他に見たことがない。


何が言いたいんだ…?


気づかってくれているのか?


なんにせよ、これ以上話を進めても、面白い方に転がるとは思えない。


…話の展開を変えよう。


「もう、おれの事はいいだろ。たまにはお前の事も話せよ」


「え」


突然振られた言葉に、意外だ、とでもいうように目を丸くする。


「でも、私はこの前も相談に乗ってもらったばかりで…」


ごにょごにょと歯切れが悪い。


この前?

…ああ、公園でばったり会った時のことか。

そんなの、気にしなくていいのに。


そう言えばあの時、公園のベンチでは普通に隣に座ったな…。

距離でいえば今より近かったな…。

…そうだった。近いだのなんだの、その程度のことは今更気にすることもなかった。


と、思考がすぐに散らばる頭を、軽く振る。


「ん、まあ、相談でもいいけど、そうじゃなくて、もっと基礎的な、お前自身の事だよ。家族とか…仕事も趣味も。よく考えたら何も知らねえと思って」


「…趣味というなら私も、智者の趣味は知らないけど」


「だからおれの事はいいんだって」


おれの言葉に、何故だか拗ねた顔をする。

上目遣いに見てくるから、おれは思わず目を逸らした。


「うん、わかった。…っていっても、特に話すことないなあ」


三篠の方も顔の向きを正面に直した。部屋を見るともなしに眺めながら、そうだなあ…と呟いている。

内心胸を撫で下ろし、逸らしていた顔を元に戻すと、思案顔の、明らかに日本人とは違う造りをした横顔を見つめた。


窓から差す陽は僅かにオレンジ色を帯びている。


そのどこか神々しい色彩を放つ光を浴びた、三篠の横顔は。


はっとするほど、美しかった。


肌の白さ

長い睫毛

透き通った瞳…


驚くほど細く、滑らかな金髪に、無意識に手が伸びた。


ひとふさ手に取るも、当人は気づいていない。

まだ頭を悩ませている。

指に絡むこの髪の毛を掴んで引き寄せたいが、それでは気づかれてしまうだろう。

掌で遊ばせたまま、そっと手を引くと、絹糸のような髪はさらさらと指から滑り落ちた。


自らの膝の上に手を戻して我に返る。



…。



…だから。



おれは。



いったい。




何をやってるんだあああああ!!!!!




「…あっ、そうだ!なにか訊きたい事あったら訊いてよ。大概答えるから」


三篠が振り向く。


「大概なのか。…面倒臭くなっただけだろうお前」


そのときのおれは、自分でも驚くほど表面を平静に保っていた。

そうだなあ、と考えながら、必死で荒ぶる内面を鎮めた。


「…そういやあ柏杜とは何か話をしたんじゃないのか?自分の事。その辺から――」


喋りながら三篠の顔を見ると

また目を丸くしていた。


「…」


固まっていた。


「なんだよ、どうした」


瞬きもしないので、怖くなっておそるおそる尋ねる。

目が本当に合ってるのかすら不安になる。


「いや、そう言われてみると何も話してない」


「はあ?」


あんなにべったりなのに?


…いや


そう見えているだけなのか?


「そうか…。まだ何も話してないんだね…」


三篠はおれから意識を外すと、独り言をこぼした。

心がどこかへ抜けて行ったようだ。

折角目が合っていたのに、またどこか焦点がずれて、何も映していない目になった。


「そうか…」


声を掛ける事も出来ず、ぼんやりし始めた三篠を、しばらく黙って見つめていた。



静かになった部屋の窓を


夕暮れの冷たい風が、またがたがたと揺らしていた。

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