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紅茶店  作者: 方霧
12/21

しろ、ひとつ。

数週間前にさかのぼる。





三篠みすずが店に顔を出さなくなって1週間が過ぎようとしていた。

それに重なるように、瑪瑙めのうは衣替えのシーズンも山場、冥令めいれい智者ともひとも急激な気温の低下で風邪が流行ったせいか、3人とも急に忙しくなった。そうして、次第に店で顔を見ることも少なくなっていた。


揺るぎない茶葉への愛ゆえに、紅茶しか出さない店なので、そこまで客が多いわけではなかった。けれど寒くなってきたことで、紅茶店もより賑わい始め、しばらくは4人の足が遠のいていることも気にならなかった。





また十何日かが過ぎた頃、深夜に季節外れの台風が来るということで、暗くなる前にと、早めに店を閉めた。きっちりと戸締りをし、店の窓や扉は内扉までしっかり閉める。

台風対策が整うと、店内の片付けに取り掛かる。食器を洗う音と振り子が往復する音が、静まりかえった店内に漂っていた。


がたがた


がたがた


風が強くなってきたようで、窓や店の扉が震えだした。


ううううーーー  ぅぅうううぅーー


耳を澄ませば、更に外側から暴風の唸り声が聞こえる。

じっと手元を見つめたまま、鍵を全部閉めたかをゆっくり思い返しながら、食器を拭き続ける。音に包まれ、単調作業を続けているせいか、次第に意識がぼうっとしてきた。


がたんっ がたがた


ひと際大きな音を立てて窓が揺れた。

これ以上風が強くなると外を歩くのも大変そうだ。電車も止まるかもしれない。ましてや女一人で夜道は危ない。また送って行かないと姉に怒られるだろう。それとも勝手に、泊るよう言うだろうか。別に構わないが、それだとまた部屋が狭くなる。場所も布団もなさそうだ。…なら急いで帰してしまえばいいか。


「なあ、そろそろ…」


そう言って、ばっ、と顔を上げたが


…店内には誰もいなかった。


顔がかぁっと熱くなる。

なんだこれ、すごく恥ずかしい。そうだった。最近はずっと一人じゃないか。

ああ、一人でよかった…。



がた がたがた



…一人で…よかった。

誰もいないのに、慌てて下へ向き直って、取り繕うように最後のティーカップに取り掛かった。


…一人。


顔を下げ、手元に目線を下げたところで、また頭の中がぼぅっとしてくる。


一人だ。


そういえば、最近会ってないな。姉さんも、めいも、ともも…忙しいし。

それに…



“友達に――”



手が止まった。同時に思考も一時的に停止する。けれどそれも一瞬のことで、またゆるやかに動き出した。

友達ぐらい…。

なってやればよかったかな、とそう思う一方で、どうすれば友達になれるのかをはかりかねた。俺もそこまで交友経験が豊富なわけではない。むしろ20代にしては少ない方じゃないだろうか。寄ってくる人はいても、長く傍に居続けたり、ましてや拒絶しても俺自身を必要としつづけたりする人は、“家族”以外にまずいなかった。自分にそんな存在が現れるなんて、露ほども考えたことはなかった。



“お互いに友達になりたいと思えばその時点で――”



三篠はそう定義していたように思う。

だが、そうは思えなかった。

というよりも、それをどこでどう判断していいものかわかりかねた。

本当に友達になりたいと思っていると、どうしてわかるのだろう。

誤解ならば一方通行のまま。

ならばそれは友達たりえないのではないか。

それとも、それをどちらかが感じられればそれでいいものなのか。

そもそも、なりたいという“友達”の捉え方も、人によって違うではないか。


それを、ああもやすやすと。



“友達に、なりたいんです。”



嬉しかった。


嬉しかったんだ。


あの時、そう言われて、信じられないほど嬉しかった。


けれど、


そう。



――信じられなかった。



すぐ不安が高揚を打ち消した。


どうせまたきみも。


そう言って、どこかにいくのだろう?


気持ちは流れて、どこかに消えていくのだろう?



期待しない事が、唯一の救いだった。



そんなにきれいなんだから、引く手あまただろうね。

誰もに望まれるのだろうね。

きっとこの店には迷い込んだだけで。

ふらふらと、また声のする方へさまよって行くのだろうね。



ならばいつものように。


一期一会の、客と同様に。


まるでもてなすかのように。



距離を置かせたのは、ただの嫉妬と羨望だった。



そう思ってからは鬱陶しいばかりだった。

どうせいなくなるならはやく消えてほしかった。

そんな不確かな存在など、別に欲しくはなかった。

“友達”になんて、なりたくなかった。



びゅぉぉおおお…


激しくなった風がより強く鳴いている。

ふと気がつくと、手に持ったカップは完全に乾いていた。布巾と一緒にいったん棚に置く。

乾燥機に置いてあった受け皿を重ね、食器棚に収めながら、再び空想にふけゆく。



人に囲まれていると思っていたのに。

驚くべきことに、容姿も内面もきれいな彼女に、友達はいなかった。

すぐさま嫉妬と羨望がかすんだ自分に、いよいよ嫌気がさした。

なにもかも、うまくいかない。



なぜ来るの。あんなに冷たくしたのにどうして消えないの。

ひどい事を言った。ひどい事を思った。ひどい態度を取った。

俺はどうすればいいの。

この罪はぬぐえるの。

もう許されたの。

もう赦されることはないの。


どうすればいいの。



“はくと、さん…!”



いつだったか、目覚めたとき、そこに三篠が居た。

掴んだものが温かな人の腕で。

最初に見えたものが俺をおもってくれる人の顔で。

どれだけ、心が救われたろう。


あれからあの悪夢をみていない。


そういえば、目覚めてからは何も言えなくて、御礼すらしていなかった。

お茶を持ってきてくれて、それから、汗を――



かっ、と今度は耳まで熱くなった。


なんであのとき、平気で背中の汗を拭いてもらえたんだろう…。改めて考えると、どうしようもなくだらしなかった。ひどく恥ずかしい。


ふるふると、頭を振るう。気持ちを切り替えるために深呼吸して、仕上げに流しを拭き始めると、冥令の言葉がふいに浮かんだ。



綺麗なひとに八つ当たりするのは、もうよしなよ?



…やっぱり本心では、俺のことを格好良いなんて思ってないんじゃないか。

“中の中”なんかじゃないって、否定してくれればよかったのに。


そんな子供じみた考えを抱いた。


…今になって、はたと気がつく。

冥令は“そんなこと問題じゃない”と伝えたかったのではないか。



今なら、少しくらい優しい言葉がかけられる気がする。いつもより優しい気持ちで、紅茶を入れられる気がする。厭味もなく、心からの笑顔を向けられる気がする。

本気で消えて欲しい。とは、もう思えなかった。


まだ間に合うのだろうか。


それなら俺は、きみと――



冥令の言葉で決意した次の日、三篠は店に現れなかった。


出会ってから初めて、会わなかった日だった。


折角態度を改めようと思ったのに、出鼻をくじかれた気分だ。仕方がない。とっておきの茶葉があと少しだから、今夜みんなで飲もうと思ったのに。


今夜は瑪瑙も来られないみたいだから、またみんなが揃ったときにしよう。焦ることはない。


芳しい夜を想い描いて、うっすらとほほ笑んだ。

そこにいた冥令と智者には何も言わず、そっと、ほとんど空の紅茶の缶を、棚の奥へと仕舞った。



次の日は急病患者が出たらしく、診察と病院の手配に奔走して、智者が来なかった。瑪瑙にも立て続けに大量注文の応対と処理と作業の激務が襲ったらしく、冥令もまた、薬が足りなくなったから調合してくる、と早めに帰って行った。


それきり、ぱったりみんなこなくなった。



急に冷えた日、寒かったから仕舞っていた紅茶を、みな飲んでしまった。香りが飛んでしまっていたから、飲んでしまって正解だと思った。茶葉を全て淹れてしまったせいか、濃すぎて、少し苦かった。




がたんっ がたがたん ばたんっ


騒音で我に帰る。台風は着実に近づいてきているようだった。

いつの間にか店はピカピカになっていた。

なんだか疲れてしまって、その日は早めに床についた。





台風も過ぎさった良い天気の午後、久々に智者が現れた。三篠と朝早く公園で出会ったらしく、話をしたと言っていた。三篠が仕事をしていたと聞いて驚いた。


ほっとした。



どこへなりとも、さっさと消えればいいのに。



三篠が初めて来なかった日の、前の晩。いらいらして、特にきつい言葉を浴びせた気がする。

しれっとした顔をしていたけれど、そのせいでついに来なくなったのかもしれないと、内心で恐れていた。愛想が尽きて、もう友達は3人で十分だと、俺に見切りをつけたのではないかと。


違うのなら、本気で俺の言葉を気にしなかったのか。


まだ、捨てられたわけではなかったのか。



ますますわからなくなった。

なんなんだ。なんなんだきみは。俺にそこまでしてもらう価値はない。身に余るその思いに、どう応えればいいのかわからない。


俺が。


なんで俺がいらいらしていたか、わかっているのだろうか。


きみのせいでいらいらしていると、わかっているのだろうか。





近況を報告しあっていると、すぐに電話がかかってきて、智者は疲れた顔を更にげっそりとさせた。

ホットレモネードを作ってやると、とても嬉しそうに顔をほころばせた。


三篠も仕事が終わったらしいし、おれもそろそろ仕事がひと段落するから、近いうちにまた来るよ。


“ストーカー”呼びが“三篠”呼びに変化していた。

気がついたけれど、特に何も言わなかった。かすかな疑念は、ほどなくして霧散した。


朗らかに笑って、智者は外へ消えた。

三篠も智者も仕事がひと段落したという。なら、姉さんやめいもそろそろ来るだろうか。

なんだろう、胸がほかほかする。

そわそわして、その日は久々にクッキーを焼いた。お茶請けとして、クッキーが出来あがってから来た客に振る舞った。とても好評で、夕方だったけれど、お土産にと購入したがる客も多く、日が沈むころには全てさばけてしまった。

良いことは、立て続けに起こるものだ。


すぐとは言わずとも、きっと近いうちに皆が集まる。

少し前みたいに。


明日は買い出しに行こう。クッキーの材料と、それから、あのとっておきの紅茶を。





目を疑うというほどではないが。


右手に提げていた荷物を落してしまうぐらいには驚いた。

というよりも、何が起きているのかわからなかった。


楽しそうに笑いあっているようにしか見えなかった。


今まで見たことない、可愛い格好をした三篠。

あれだけ三篠を嫌悪の眼差しで見ていた智者。


何故二人きりで、見つめあって、楽しそうに街中を歩いているのか。

いつのまにあんなに仲良くなったのだろう。

今までずっと二人でいたのだろうか。

あれでは、まるで…


もしかして。


もしかして、この何週間か、一人だったのは俺だけだったんじゃ―――



様々な思いが、刹那に頭を駆け巡った。



「あ」



智者が何か言いながら、駆け寄ってくる。

三篠もその後を追ってくる。


けれど、聞こえない。

もう、何もきこえない。



なにも、わからない。



「柏杜!!」



扉を閉める直前、智者のその声だけが、耳に届いた気がした。





***





「柏杜!?」

「柏杜さん!」


急いで店の扉を開けたが、そこに柏杜さんの姿はなかった。

二人できょろきょろとあたりを見回す。


「おれは2階を見てくるから、お前はここに居ろ」


真剣な顔で、智者は私の方を見た。

切れ長の双眸を見つめ返し、こくりと頷く。

二人で行けば、その間に店から出てしまうかもしれない。

明らかに、尋常ではないほど様子がおかしかったから、なにがあったのかを聞かなければ。

一目散に、店の奥の扉へと掛けていく智者。


ふと、カウンターが目に入った。


智者は階段へ続く扉を乱暴にあけ放つと、階段を一気に駆け上がった。彼が入りきると同時に、反動で扉が閉まり、バタンッと大きな音を立てた。


私は一歩、カウンターへと近づいた。



コツン



ヒールの音が静寂の一階に反響する。自分が出した慣れない音に、少しびくっとした。

打って変わって2階は騒がしく、頭上から、名前を呼んで探し回る音がする。



コツン



気配が、動いた気がした。



コッ コッ コッ コッ コッ …



カウンターの裏手に回って、奥へと進む。

以前、私が怪我をした時に座らされた椅子の横で、さっ、としゃがんだ。


うずくまった柏杜さんが狭いスペースに収まっていた。


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