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紅茶店  作者: 方霧
10/21

あかに差す翳


新作をさっそくハンガーにかけていると、入口にかけられたビーズのすだれがしゃらりと鳴った。

店員の一人が、すだれの隙間からひょいと顔を出した。


「店長。10番の、水戸様のパターンが仕上がりました」


「はーい。すぐ行くわね」


微笑みかけると、店員も笑顔を返した。頭を引っ込めて、ぱたぱたと作業室へ戻って行った。階段を上る音が廊下に響く。開店前なので、店の方は静かだ。二階の作業室では、店員たちがデザインについて話し合い、きゃあきゃあと元気にはしゃいでいる。真下に位置する、この保管室まで聞こえるのだから、その声は店の裏手中に響いているに違いない。店員はみな若い子ばかりで、連日残業だというのに元気が有り余っているようだ。

時々、なんだかそれがとても羨ましく思える。


ふふ、と笑みをこぼして部屋を出ようと扉へ歩き出した。


待たせちゃかわいそうね、急がなくちゃ…


のれんを手で掻き分けた


その時


「……っぁ…!」


刺すような痛みが体を突き抜けた。

息をのむ。


「…っつぅ…」


思わず、その場にうずくまった。

波を打つように痛みが押し寄せる。

耐えようと、強く目を閉じる。脂汗がこめかみを伝っていく。


痛みが強すぎて、他に何も感じなくなった。


周りには誰もいないようだ。

大丈夫。

まだ、誰にも気づかれていない。


最近はおさまっていたのに…


「大丈夫…大丈夫…」


瑪瑙めのうは壁に頭をもたせかけながら、音も光も消えた無人の廊下で、一人呟いた。





***





ばたんっ


隣人の帰宅を知らせる音が部屋に響いて、目が覚めた。

布団から顔を出して、カーテン越しに外を確認する。まだ暗そうだ。


手を伸ばし、時計をこちらに向けた。

短針が四と五の間に存在している事を確認した時点で、すぐさま体の全ての部位を布団の中へ収めた。


…ぼくの睡眠を妨害しやがって…。


理不尽な復讐を胸に誓い、再び夢の中に誘われていった。




はーるーこーおーろーおーのー…



荒城の月で、現実に呼び戻された。


顔をあげて、今度は布団の隙間から時間を確認する。短針が丁度九のところで大人しくしていた。

カーテン越しに差す日の光が眩しい。

目ざまし時計の隣で、ぶるぶると震えている携帯を手に取り、開く。


…めーぐーるーさーかーずー…ぱかっ


「ん、すずだ」


…かーげーさー…ぽちっ


「…えっ。あ、あの…めいさん、ですか」


すずの声だ。


「ん。おはよう。なあに?」


慌てている様子が電話越しに伝わる。

ぼくがくすくすと笑っていると、三篠みすずが恐る恐る話し始めた。


「…実は」


「はあい」


「お付き合いして欲しくて」



……


「…はい?」


「…その、行きたいと思うお店の場所がわからないので、お時間がある時に、よかったら教えて欲しいなと…」


ああ、そういうことか。


「ん、いいよ。…今日なら夕方から仕事する予定だから…うん、そうだ。今からうちおいでよ?」


えっ、と息をのむ様子がうかがえる。くすくすと笑いが漏れてしまう。


「いいんですか」


「もちろん。えーといまどこ?」


最寄りの駅にいるというから、道順だけ教える。

…とはいえ、並木道をまっすぐ歩けばすぐだ。


「…そう。そのあたりで、一階と二階で四つしか部屋が無いアパート、ここしかないからすぐわかるよ。二階ね。二つ扉があるからその…」


誓った復讐が、胸の奥底できらりと光った。


「右側」





***





「うぁー…死ぬ」


シャワーを浴び終え、頭をタオルでガシガシと拭く。

昨晩診察を終えて家に帰ったのが12時。

夜中の3時に電話があって、帰ったのが5時。


現在6時前。

本日の睡眠時間、約1時間半。

ちなみに昨日は間が悪く、一睡もしていなかった。


9時間は寝たい…いや、7時間でも良い…


もはや眼鏡をつける気力もなかった。

なんとか下着と寝巻用の半ズボンだけ履いたところで力尽きた。

まだ残暑も厳しいし、秋とはいえ、上着ぐらい着なくても風邪はひかないだろう。

日は完全に昇っていた。

ベッドに倒れこむ。


ぼすっ


「…布だぁ…ああ、愛おしい…」


今日は夕方、冥令めいれいに来週分の処方箋を渡す約束だ。

それまで寝られる。



極上の笑顔で、眠りの世界へ落ちていった。




…はーるのーうらーぁらーぁのー…



花で覚醒した。

体はそのままに、腕だけ伸ばして携帯電話を手に取る。



…のーぼりーくだーぁりーぃのー…ぱかっ



「…んだよ。めいかよ」



かーいのーしずーくもーは…ぽちっ



「あい…」


「おは。ははっ…死人みたいな声。あとでそっち行くから。それだけ。じゃね」


一方的に切られ、待ち受け画面には9時過ぎを知らせる液晶が残された。



ぼふっ



枕に突っ伏す。

もう一度落ちた。






…ピンポーン



…。



…ピンポーン



…。



…ピン



…。



ポーン…



だあああああああああ!!!


がばっと身を起こし、のろのろとベッドから降りる。


だれだおれの眠りをさまたげる奴は許さねえ空気読め!!


手に持ったままの携帯で時間を確認すると、さっき起きてから40分かそこらしか経っていなかった。

上半身が裸のままだったので上着を手に取る。そこで、ふと思いとどまる。


さっきの電話から推測するに、おそらくめいだ。

ならこのままでも問題ない。

多分夕食の残り物を持ってきたとかどうとかだろう。さっさと用を済ませて、このままもう一度寝よう。

上着を、その場に落とした。


ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん…



やたらしつこく鳴っていたが、突然静かになった。

緩慢な動作で玄関に歩み寄り、ゆっくりとドアノブに手を掛ける。


がちゃ


「めい、いちいち鳴らさなくても勝手に入れば良…」


「…え」


「…」


手に携帯を持って。


「…え…っと。…あ、おはよう智者」


「…」


それを耳に当てて。


「眼鏡は?…あ、寝起き?…えっと、寒くない?」


「…――――ッ!!!!」


三篠がそこに立っていた。



ばたーーーんっ



勢いよく扉を閉めた。


「…え?」


…混乱して、現状が整理できない。頭が真っ白だ。


いずれにせよ、眠気はすべて吹っ飛んでしまった。


扉に背をつけて、ずるずるとその場に座り込む。

両手で自分の腕を抱くと、肌がひやりと冷えていた。

体の中は、今こんなに熱いのに――


「あ、もしもし。めいさん?」


扉越しに三篠の声がする。どうやら冥令に電話をかけようとしていたところだったらしい。

次第に、思考が冷静さを取り戻していく。


「あの…智者ともひとが出たんですけど。…え?間違えた?…ああ、左ですか」


足音が遠ざかる。

思い至る。


「あいつか!!」


新手のいやがらせか…!

…いつもわけのわからない事で逆恨みするから…今回もきっとそうなのだろう。


心臓がまだばくばくとうるさい。気持ちが落ち着かず、無意識に髪の毛をいじっていた。猫っ毛のふわふわした地毛を撫でつける。きつい寝癖がついている。はねる髪を、何度も何度も押さえつける。

金属の扉に、じかに触れていた背中が熱を奪われ続けていた事に、そこでようやく気がついた。


眼鏡が無くとも、ぼんやりとなら見えるから誰かは分かった。

だが、表情までは見えなかった。


唐突に頭の内部が熱を発し、かあっと顔が熱くなった。

なぜだか、無性に恥ずかしかった。


「…服、着よ」


先ほど手に取った上着をたたみ、ハンガーからよそいきの服をひきはがした。





***





対処に困る。

さっきから冥令は大笑いし続けていた。


「あっはははっはははは!!!たのしー!!」


なにが。

何度かそう尋ねたが、まるで耳に入っていないようだ。

仕方が無いので、冥令が落ち着くのを待つことにした。駅にいるというのに、まるではばかる様子は無い。

楽しそうな笑い声が、朝のホームにこだまする。


「お前…いい加減にしろよ」


二人の後ろから、智者がむっとした声で抗議した。


「だって…くっ…あは、あっはははは!!」


振り返った冥令は、どうやら完全につぼに入ってしまったようだ。含み笑いにまでおさまりかけていたのに、智者の顔を見た瞬間、弾みがついたようにまた大笑いしだしてしまった。

初めて冥令が笑った姿を見た時は驚いたが、こうしてみると、彼女は笑い上戸なのかもしれなかった。

それにしても、なんでこんなに笑っているのか首をひねるばかりだ。かといって、これ以上声をかけても無駄だろう。

原因を追求しようと記憶を遡る。


そういえば、部屋に招き入れてくれた時からにやにやしていたような気がする。





「いらっしゃい」


無表情ながらに、かすかなにやけ顔をひそませて、冥令は部屋へ迎え入れた。


「お邪魔…します」


初めて友達の家に入るので緊張してしまう。玄関から、まっすぐ進んですぐがリビングだった。とはいえ、バスルームなど以外の部屋はここだけらしく、ベッドも部屋の右端にあった。よくある、一人暮らし用の部屋という感じだ。テレビドラマで見た雰囲気と似ている。

部屋の調度品は、全体的に緑を基調としてコーディネートされていた。


「緑色に統一されていて、綺麗ですね」


冥令は苦笑いを浮かべる。


「あ、別に部屋を緑に染めようとしたわけじゃないんだよ?…好きな色のものばっかり揃えてたら、自然に…こんなことにね」


それから着替えると言って、部屋の隅にそびえていたクローゼットをごそごそし始めた。服をいくつか引っ張り出していく。

そのまま着替え始めそうな勢いだったので、なんとなく気を使って後ろを向いた。


「それで?行きたい店ってどこ?」


後ろから、もそもそと動く音と共に冥令の声がした。

音からして、予想通りさっさと着替え始めたようだ。少しだけ首を横に向けて、答えた。


「瑪瑙さんのお店です」


お、と冥令は嬉しそうな声を上げる。


「そういえば最近行ってなかったなー。じゃあもう少しおめかししようかな。…すずと一緒に行けるなんて、楽しそう」


うきうきとそう言われて、思わず照れてしまう。

嬉しい。


「はい、私も楽しみです。それに、きっと瑪瑙さんもめいさんが一緒の方が喜ぶとも思いますし」


冥令が口ずさんでいた鼻歌が、ふつりと止む。


衣擦れの音も止んだ。


…?


ゆっくり後ろを振り向き、ちらと様子を伺う。


「……めい…?」


濃いエメラルドグリーンの、丈が短く、裾が丸い上着を手に持って。


真顔で。


冥令がこちらを見つめていた。

いつもの無表情とは違う。

何かが違う。


…真顔だった。


「そうだよ。すず」


突然肯定された。

何事かと困惑して、何も言えない。


「めい、でいいよ。丁寧語もいらないよ?」


「はい…いや、あ…うん」


にっこりと微笑んだ冥令は、窓からの光を浴びて

とても美しかった。


「そう。瑪瑙にもそうしよう?」


首を傾げ、瑞々しい黒髪がさらりと揺れる。


「友達、なんだから」


きっと何かを感じてくれたのだ。

私の、後ろ向きな言葉の端に。


「…うん、ありがとう」


ともだち。


「ん」


友達。


「…ありがとう」


何事もなかったかのように、冥令は着替えを始めた。


「でも、いきなりだね?なんでまた姉様の店に行こうと思ったの。何しに行くの?」


何から話したものかと、しばし考えをめぐらせる。


「いくつかあるんで…あって。少し前に、瑪瑙さんに店へ来るよういわれて、まだ行ってなかったから。あと…服を買おうと思って」


それはそれで、店に行くなら普通の理由ではある。友人としてであろうと、客としてであろうと。


「ふうん?てっきりすずちゃんは自分で服を買わないタイプだと思ってたな」


上着に合うアクセサリーをあさりながらで、こちらを見ずに言う。


「うん、そう。…だけど、もうパーカーとジーンズをやめようと決めたから」


驚いた顔をして、冥令がこちらを向いた。


「え、なんで」


「あ…智者に言われて、止めた方がいいと気がついて。それに瑪瑙さんの言う通り、ジーンズ以外を着るようになってから、柏杜はくとさんとの心の距離が縮まった気がするし…」


「いや、そこじゃなくて」


それはそれで気になる答えだったけど、と付け足してから、続ける。


「…なんでパーカーとジーンズしかないの」


真顔で聞かれた!


「ほ、他は着る気が無かったから…」


日本に来る以前の服は実家に置きっぱなしにしてある。

驚愕に打ち震える緑色の彼女。


「何考えてるの!い、一着ぐらいはプレゼントしてあげるから、ちゃんと可愛いの揃えなさい!!」


真剣に叱られた!


「ま、それはぼくと姉様が何とかするからいいとして」


流された!


さらりと戻った冥令は、いつの間にかすっかり身支度を整え終わっていた。鍵を持つと、私に外へ出るように促した。

鍵をかけ終わって、私を振り向いた冥令は。

来た時と同様のにやけ顔を、無表情の裏側に潜ませていた。


「智者と言えば、今朝のともくんの反応はどうだった?」


言い終わる頃には、完全に不敵な笑みが表面化していた。





冥令は、私が智者の様子を詳細に語り終わったところで、丁度智者が部屋から出てきて、その顔を見た瞬間大笑いし始めてそのままだ。


その時、良くわからないけど放っておいたら止むだろうと思って、笑い始めた冥令を余所に、どこかにいくのかと智者に尋ねた。


別にどこにも。…目が覚めたからどっか出掛けようと。


それを聞いて大笑いをふつりと消した冥令。二人で彼女を見つめると、「なら責任とってついてきたら」

と言い放ち、再び笑い始めた。

わけがわからなかった。

それから、ひたすら笑っていて取りつく島もないので、どうしようも無いと諦めたのか、智者も後ろからついてきてそのままだ。


…やはり何回記憶を探っても、わからないままだった。

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