しろを追って
けっしてストーカーとかではない。
ただ、気がついたらこんなところに着いてしまっただけで。
そろそろ日も暮れようという頃、電車に乗った。
問題は、次の次の駅だった。
私の目の前で扉が開く。たった一人、ホームに立っていた人が歩み寄る。
夕陽に輝く滑らかで艶やかな、灰色交じりの白髪をもつその人に、車両の誰もが目を奪われたに違いない。
…少なくとも私は二度見した。
ロマンスグレーかと思っていたのに、顔を見ると若い男性だった。
しかもゴーグル型のサングラスをしている。レンズは濃いオレンジ色だ。
服装は真っ白のシャツに黒いスラックスというまともなもので、頭部とのギャップがありすぎて逆に似合っていた。
地方であるこの辺り周辺にはそぐわない風貌ではある。ゆえに目立つ。
その人は、目の前の車両がみちみちの満車であるにもかかわらず、しれっと乗り込んできた。
扉際に立っていた私の目の前に立つと、扉側にくるりと向き直った。
少し見上げると、目の前に見事な白髪。
綺麗だった。
見惚れたまま、白髪を追って電車を降りる。
改札を抜け、見慣れない街に出る。住宅街へ入る交差点の少し手前で、彼は足を止め、脇にあった店の中へと姿を消した。
そこでやっと、私は我に返った。
無意識とは怖い。
我が家は先ほど降りた駅から五つ先の終点よりさらに向こうだ。切符代が惜しい。
なんにせよ、ここまで来てしまったのだから仕方がない。このまま帰るのももったいない。
白髪が消えた店を眺めた。小さい店だ。看板には「Re~dnow~dnal」と筆記体で書かれた横に、一回り小さい字で「紅茶店」と書いてあった。
「紅茶…?」
喫茶店ではなく、紅茶店か。
やはり無意識に、私は扉の取っ手に手を掛けていた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥にそびえる棚に向かいながら、エプロンの紐を結んでいる店員さんが、囁くように迎え入れてくれた。
白髪だ。
こんな奇抜な頭髪が何人もいては、この店に危機感を感じなければなるまい。しかし背格好からして、どうやらさっきの人のようだった。
「こんにちは」
私はそう答えた。店員は緩慢にこちらを振り向く。
サングラスは黒色の、シックなものに変わっていた。
「どうぞ」
彼は目の前のカウンター席を勧めた。
足の高い椅子で、座ると足が微かに浮いた。
黒革の冊子を無言で手渡される。表紙を見ると「Menu」と書いてあった。
…
ディンブラ
…
アッサム
ダージリン
…
アールグレイ
…
…
私に分かる種類の茶葉はそれぐらいで、後は知らない名前ばかりだった。
どうやらブレンドしたものもあるらしい。お茶にこんなにも種類があったものか。
一行ずつお茶の説明が書き添えてはあるが、いまいち想像しづらい。
悩みあぐねんでいると、白髪サングラスが静かに聞いた。
「甘いものはお好きですか」
「あ、かなり好きです」
「ミルクとストレートでは」
「ううん……ミルクティーが好きです」
「…微量のお酒が入っても?」
「お酒?…ああ、はい。お酒は好きです」
「…かしこまりました。少しお待ちください」
それきり、黙ってしまった。
なんだろう。
…今の質問で、お茶を決めてくれたのだろうか。
お勧めがあるならそれに越したことはないので、私はメニューを閉じ、静かに待つことにした。
右手には先ほど入ってきた扉がある。扉の小窓と、扉の右側の窓から赤みが強くなった夕陽が差し込む。
耳を澄ますと、店員さんが動く音に混じって、ヒグラシの鳴き声がどこからか聞こえる。
秋も深まってきたな。
後ろを見る。
カウンター席の背後には三つ、四人がけ用の席が壁際に並んでいた。
店も店内の調度品も、ほとんどが木製だ。カンテラが吊るされたような照明も、なんだか趣がある。
…いや、今の表現に趣はないかもしれない。…「吊るされた」ってなに。
他の良い表現を探していると、良い香りがしてきた。
「お待たせいたしました」
目の前に、陶器のティーカップが置かれた。
湯気と共に芳しい茶葉の香りが立ち上る。
「アイリッシュモルトでございます」
…?
良くわからないがお茶の名前か何かだろう。
お礼を言って、一口飲む。
「うわ」
思わず叫ぶと、白髪が驚いたようにこちらを向いた。
「…っごい…」
無言のままサングラスの位置を直し、何かを言おうと口を開きかけた。
「…美味しいですねこれ」
ガタンッ
躓いたのか、白髪店員はこちら側に倒れこんできた。
「そっ、それはよかった」
顔を上げると、ひきつったように微笑みながら、店員はそういった。
表情が変だ。感動しただけだが、私は何かおかしい事を言っただろうか。
再びずれたサングラスを直す様を見守り、紅茶を飲む。
「あ、初めまして」
私はそこで、思い出したようにそう言った。
よれたエプロンを直しながら、彼はその言葉に、不思議そうに首を傾げた。
「私はみすずといいます。漢数字のさんに、しのだけのしので、三篠」
サングラスの向こうにあるだろう瞳を見つめながら、私は言う。
「あなたと友達になりたいです」
過度に首を傾げたまま、彼は固まった。
「ははは」
首の位置を直すと、彼は笑った。
「突然ですね」
自然な笑顔になった。
「僕は、はくと。かしわに、かきつばたの左側で柏杜」
柏杜はサングラスを外した。
日は落ちた。光加減のせいではない。
確かに、その虹彩は赤かった。
「また、来て下さい。お話をしましょう」
にっこりと笑う。
美しい。まるで人間ではないかのようだ。
「そうして、友達になりましょう」
私は笑い返した。幸せだ。
もう一口、紅茶を飲む。
ああ、温かい。