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現代知識で無双できる――と思っていた時代が、私にもありました

作者: 海月あお
掲載日:2026/06/03

日本人転生者でありながら、平凡な町の平凡な農家の娘として生まれ変わったことを、アリアナは少しだけ残念に思った。


膨大な資金もない。高い地位もない。人脈といえば、町の自治会長と父が顔見知りだった程度である。


何か使えそうな知識でもあれば良かったのだが、前世の彼女はただの事務職のOLだった。


医者でもない。


研究者でもない。


技術者でもない。


そもそも、前世の記憶自体がかなり曖昧だ。


名前も思い出せないし、どんな人生を送っていたのかもよく覚えていない。


覚えていることといえば、結婚とは縁がなく、恋人もいない、いわゆる『喪女』だったことくらいである。


だから――


よくある現代知識による無双などという夢は、八歳の秋、さつまいもを収穫しながら諦めた。



*****



それから数年が過ぎた。


アリアナは学校へ通いながら家の手伝いをし、相変わらず平凡な毎日を送っていた。


現代知識で無双するという夢はとっくに諦めていたが、だからといって人生に不満があるわけでもない。畑仕事は大変だが、家族は優しい。それなりに楽しい日々だった。


そんなある日の朝。


父が買ってきた新聞を何気なく眺めていたアリアナは、ある見出しに目を留めた。


『伯爵令嬢、農地改革に失敗』


『収穫量激減に領民阿鼻叫喚』


「なにこれ……」


思わず呟く。


記事によれば、その伯爵令嬢は婚約者との顔合わせの席で突然倒れたらしい。そして目を覚ました後、まるで別人のようになった。


婚約を解消し、領地へ戻り、新たな農法や肥料の導入を次々と進めたという。当初は成果を上げていたらしい。


しかし数年後。


農地の疲弊や病害が発生し、領内は深刻な不作に見舞われた。


(あれ?)


アリアナは首を傾げた。どこかで聞いた話のような気がする。


突然倒れる。別人のようになる。妙に進んだ知識を語り始める。


まるで、生まれ変わる前に読んだことのある転生小説のようだった。


まさか、と思う。


けれど――


(もしかして、この人……)


そんな考えが頭をよぎったものの、結局それ以上は分からなかった。


新聞に載るのは結果だけだ。その伯爵令嬢が何を考え、何を目指していたのかまでは書かれていない。


アリアナは最後まで記事を読み、新聞を畳んだ。



*****



春が来た。


畑に種を蒔き、雑草を抜き、雨が降れば空を見上げる。


そんなある日。市場の帰りに買った新聞の片隅に、小さな記事を見つけた。


『男爵家次男、古代遺跡探索へ』


『傭兵数名を伴い出発』


記事によれば、その男は半年ほど前に落馬事故を起こし、一時は生死の境をさまよったらしい。


その後、突然「遺跡には古代文明の技術が眠っている」と言い始めたのだという。


「また?」


思わず呟いた。


記事の続きを読む。本人は強く反対する家族を振り切り、私財を投じて探索隊を結成。


現在も消息不明。


なお男爵家は捜索願を提出したとのこと。


アリアナは新聞を閉じた。


(あぁ……)


なんとなく察した。


きっと彼は、何かを知っているつもりだったのだろう。


けれど。


知っていることと、辿り着けることは別問題である。



*****



冬。


街は聖夜祭の準備で賑わっていた。


雪の降る広場を歩いていると、新聞売りの少年が大声を張り上げる。


「号外! 号外!」


「新薬開発で逮捕者!」


アリアナは思わず足を止めた。嫌な予感がする。受け取った号外を開けば、予感は見事に的中した。


ある薬師が事故の後に突然性格を変え、新薬開発に没頭。画期的な治療薬だと売り出したものの、重篤な副作用が発生。多数の被害者が出た結果、開発禁止処分を受けたらしい。


(薬剤師さんだったのかしら)


記事を読みながら思う。


けれど前世で薬剤師だったとしても、この世界の植物は違う。


材料も違う。


設備も違う。


きっと、思っていたより難しかったのだろう。


雪が静かに降っていた。


アリアナは温かい焼き菓子を一つ買い、家路についた。



*****



その後にも、新聞記事は様々な出来事を伝えてくれた。


ある国では、学園に通う男爵令嬢が突然王太子への猛アピールを始めたらしい。


しかし、その王太子には既に婚約者がいた。


公爵令嬢である。


男爵令嬢はそんなことはお構いなしだったようで、授業中だろうが舞踏会だろうが、とにかく王太子へ熱烈な求愛を続けたという。


その内容は、新聞に載せられる範囲だけでも十分に強烈だった。


学園中の生徒や教師たちが困惑し、婚約者である公爵令嬢は終始静観していたそうだが、最終的には王家が介入。度重なる不敬行為と王家への名誉毀損を理由に、男爵家は取り潰しとなった。


記事を読み終えたアリアナは思った。


(きっと恋愛ゲームか何かだったのね)


また、ある時は「国民皆保険」を掲げる文官の話が新聞を賑わせた。


事故の後から人格が変わったその男は、誰もが平等に医療を受けられる制度を提唱したらしい。


理念そのものは立派だった。民衆からの支持もあったという。


だが、問題は金だった。


制度を維持するための財源がない。税収も足りない。病院も足りない。医師も足りない。


結局、その構想は数年で頓挫した。


新聞では大失敗と書かれていたが、アリアナは少しだけ複雑な気持ちになった。


少なくとも、その文官は誰かを救いたかったのだろう。

結果はともかくとして。




この世界には、魔法はない。


魔物もいなければ竜もいない。


邪神もいなければ聖女もいない。


勇者が魔王を倒すこともなければ、神託によって世界が救われることもない。


あるのは人間だけだ。


畑を耕し、家畜を育て、商売をして、恋をして、結婚して、そして歳を取る。


そんな、ごく普通の世界だった。


だからこそアリアナには時々分からなくなる。


このような世界に転生して、彼らは一体、どんな夢を見ようというのだろうか――




*****



「あら?」


コーヒーを一口飲みながら、アリアナは新聞の見出しに目を落とした。


『新進気鋭のデザイナー、新事業に失敗』


「またかしら?」


その言葉は、いつの頃からか癖のように口をついて出るようになっていた。驚きというよりも、確認に近い響きだったかもしれない。


「どうしたんだい?」


この家の主人であるルーカスが、食器を片付けながら顔を上げた。


「ほら、アレよ、アレ。『転生者』の話」


そう言って、アリアナは新聞を指先で軽く整えた。


ルーカスは少しだけ目を細めて笑う。


「ああ、君がよく言っている、『別の世界から生まれ変わってきた』という、あの話かい」


「そう、それよ」


「君も好きだね」


「好きというより……よく目にするだけよ」


この国では、成功談よりも失敗談の方がよほど多い。


いつしか新聞に載る『転生者らしき人物』の話は、一種の娯楽になっていた。


アリアナは再び新聞へ目を落とす。


平民出身のデザイナーが、新しい雑誌を立ち上げようとして失敗したという記事だった。


最初は誰も見たことのない斬新なデザインを発表し、社交界でも一時話題になったらしい。


だが、その国の嗜好にはやや合わなかったようだ。


人々の反応は「奇抜すぎる」「品に欠ける」というものだったという。


やがて方向性を変え、今度は貴族向けのドレス制作に活路を見出した。


一時は成功しかけた。


しかし、長年その分野を支えてきた職人たちの方が市場をよく知っていた。


結果として、勢いは続かなかった。


さらに彼女は、新たにファッション誌の発行を試みたという。


だが、この国は貧しくはないが、豊かでもない。


人々は装飾よりも実用を好む。


その雑誌は、思うように広まらなかったらしい。


(同じ平民出身だから、少し気になっていたのだけれど)


アリアナは新聞をそっと閉じた。


残念、というほど強い感情ではない。


ただ、どこかで応援していた相手が、静かに通り過ぎていったような、そんな感覚だった。


「まぁ、君の面白い『想像の話』はともかくとして、そろそろ準備した方がいいんじゃないか?」


食器を片付け終えたルーカスが、アリアナの方へ視線を向けた。


「あら、もうそんな時間だったかしら?」


アリアナは軽く首を傾げる。


新聞を畳む動作も、どこか慣れたものだった。


「今日は出版社の人が来る日だろう?」


「そうだったわね」


そう言って、アリアナはゆっくりと立ち上がった。


テーブルに残ったコーヒーカップを、夫のルーカスが流しへと運ぶ。


「また新しい話を考えたんだろ? アリアナ『先生』」


「そうよ。今回は渾身の作なんだから、楽しみにしていて」


目の下にわずかな疲れを残しながらも、アリアナは微笑んだ。




この世界には、魔法はない。


魔物もいなければ、竜もいない。


邪神もいなければ、聖女もいない。


勇者が世界を救うこともなければ、神託が降ることもない。


あるのは、人と人の営みだけだ。


ゴシップを娯楽として楽しむ文化があり、それを国中へと伝えるだけの出版力があった。


その意味では、この国は静かに豊かだったのかもしれない。


一本の筆は剣よりも強いと言われる。


だがこの国では、それは誇張ではなかった。


一本のペンは、人々の心を動かし、時に世界の空気すら変えていくのだ。




(――漫画オタクが、私より先に転生していなくて本当に良かったわ)


アリアナは小さく息を吐き、最新作のネームを取りに自室へと向かった。




「ちょっと転生者の皆さん、最近無双しすぎじゃないですか?」と思ったので、こんな話を書いてみました。

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