第3話 ギルドの評判
カイル君が冒険者になってから数週間。
私たちの『人材斡旋ギルド・適材適所』は、嬉しい悲鳴を上げていた。
「あのう、ここで適職を見てもらえると聞いて……」
「俺の才能も鑑定してくれ!」
開店と同時に、狭い事務所は依頼人で溢れかえっていた。
理由は単純。カイル君だ。
彼はあれから、新人ながら迷宮のミノタウロスの突進を真正面から受け止め、無傷で生還したらしい。
『不動の城塞』。
そんな二つ名までつき始めた彼が、「僕の才能を見つけてくれたのはミシェルさんです!」と宣伝して回ってくれているのだ。
おかげで商売繁盛。
それはいいのだけど……。
「……終わらない」
夜。
私はデスクに積み上がった書類の山を前に、突っ伏していた。
「契約書、登録票、税金の計算、役所への報告書……。もう無理、数字がゲシュタルト崩壊してきた……」
私は元貴族だが、経理関係は壊滅的だ。
そろばんを弾くたびに計算が合わなくなる呪いにかかっている気がする。
「あー、腰が痛え……」
奥のソファで、グレイさんが気だるげに寝転がっていた。
彼は営業時間中、ずっとお茶を飲んで新聞を読んでいただけだ。
たまにクレーマーを無言で睨んで(本人は笑顔のつもり)撃退する係である。
「グレイさん、暇なら手伝ってください……」
「俺は現場担当だ。デスクワークはボスの仕事だろ」
「現場って言っても、今日一歩も外に出てないじゃないですか!」
私は涙目で訴えた。
「このままだと、明日の申請に間に合いません。計算ミスで営業停止になっちゃいます……」
「……ちっ」
グレイさんが舌打ちをした。
嫌々といった様子で体を起こし、のっそりと近づいてくる。
「貸してみろ。どこまでやった?」
「えっと、この収支報告書の、三行目までは合ってるはずで……」
「……嬢ちゃん」
グレイさんは書類を一瞥し、深い深いため息をついた。
「借方が逆だ。あと、減価償却の計算が抜けてる。これじゃ脱税で捕まるぞ」
「ひえっ!?」
「ペンを貸せ」
彼は私の手からペンを奪うと、新しい羊皮紙を広げた。
そこからは、魔法を見ているようだった。
サラサラサラサラ……。
ペンの走る音が、途切れない。
彼の銀色の瞳は書類を高速でスキャンし、右手は別の生き物のように数字を書き連ねていく。
「ここの経費は雑費じゃなく消耗品費だ。税率が変わる」
「この契約書の条文、第5条と第8条が矛盾してる。修正」
「役所の書式が変わったのを忘れてるぞ。旧書式だと受理されん」
速い。そして、異常なほど正確。
私が三時間かかって間違えた書類を、彼は五分で完璧に仕上げていく。
「グレイさん、すごすぎます! あなた、元王宮の書記官か何かですか!?」
「……昔、組織の予算管理をやらされてただけだ」
グレイさんは淡々と答える。
組織? なんの組織だろう。大きな商会かな?
「兵站が狂えば、全部隊が全滅するからな。……計算は命綱だ」
「兵站……?」
言葉のチョイスが物騒だけど、その腕は確かだ。
彼がペンを置いたのは、それからわずか三十分後。
山のような書類が、綺麗に分類され、封筒に収められていた。
「神様……!」
私は思わず彼の手(湿布臭い)を拝んだ。
「事務適性SSSSは伊達じゃないですね! 一生ついていきます!」
「勘弁してくれ。俺は楽がしたいんだ」
グレイさんは肩を回し、ボキボキと音を鳴らした。
その時だ。
ドガンッ!!
入り口のドアが、乱暴に蹴破られた。
「おいおいおい、景気が良さそうじゃねえか!」
怒号と共に店に入ってきたのは、柄の悪い男たち三人組。
派手なスーツを着て、手には鉄パイプや棍棒を持っている。
「ひっ……!」
私は思わず身を縮めた。
「ここのオーナーはどいつだ? 挨拶もなしにシマで商売始めやがって」
真ん中にいる、金歯の男がニヤニヤしながら近づいてくる。
近所でも噂の悪徳周旋屋、『ゴルツ商会』の手下だ。
彼らは自分たちの息がかかっていない店に因縁をつけ、みかじめ料を巻き上げることで有名だった。
「わ、私が店主ですが……」
震える足で前に出ようとすると、スッ、と視界が遮られた。
グレイさんだ。
彼が私の前に立ち、男たちを見下ろしている。
「……なんだテメェ。邪魔だ、どけ」
「閉店時間だ。帰ってくれ」
グレイさんの声は低く、そして冷たかった。
いつもの気だるげな様子はない。
ただ立っているだけなのに、室内の温度が下がった気がする。
「ああん? 舐めてんのかオッサン!」
男の一人が、持っていた鉄パイプをグレイさんの肩に叩きつけた。
ガッ!
鈍い音が響く。
「グレイさん!」
私は悲鳴を上げた。
骨が砕けるような音だったのに、グレイさんは眉一つ動かしていなかった。
え、どうして? 服の下に鉄板でも入れているの?
「……肩凝りが酷くてな。ちょうどいいマッサージだ」
「な、なんだコイツ!?」
男たちが狼狽える。
グレイさんは鉄パイプを掴んでいる男の手首を、軽く握った。
パキッ。
乾いた音がした。
「ぎゃああああ!?」
男が悲鳴を上げて鉄パイプを取り落とす。
ただ握っただけに見えたのに、男の手首はあり得ない方向に曲がっているようだった。
「ひ、退け! この店はゴルツ様のシマだぞ! タダで済むと思ってんのか!」
金歯の男がわめき散らすが、その足は震えている。
グレイさんの瞳が、スッと細められたからだ。
「……ゴルツ商会か。覚えた」
その声には、殺気すら通り越した、無機質な「死の宣告」のような響きがあった。
男たちは本能的な恐怖を感じたのか、青ざめた顔で後ずさる。
「こ、今度来た時は店ごと燃やしてやるからな! 覚えとけ!」
男たちは捨て台詞を吐いて、逃げるように去っていった。
嵐が過ぎ去った後のような静寂が戻る。
「グレイさん、大丈夫ですか!?」
私は彼に駆け寄った。
肩を触ろうとすると、彼は「問題ない」と手で制した。
「それより、厄介な連中に目をつけられたな」
「どうしましょう……。警察に相談しても、ゴルツ商会は賄賂を使ってもみ消すって噂ですし……」
私の店なんて、燃やされたらおしまいだ。
せっかく軌道に乗ってきたのに。
不安で押しつぶされそうになる。
すると、グレイさんが上着を羽織り始めた。
「ちょ、どこへ行くんですか!? こんな夜中に外出なんて危ないです!」
「散歩だ」
「散歩って……あいつらが待ち伏せしてるかもしれませんよ!?」
私は彼の袖を掴んで止める。
だが、グレイさんは私の頭にポンと手を置き、諭すように言った。
「心配するな。……書類の不備を、訂正しに行くだけだ」
「不備?」
「ああ。間違った計算は、直さなきゃいけないだろう?」
彼はニヤリと笑うと、音もなく扉を開け、夜の闇へと溶けていった。
◇
翌朝。
私が店を開けると、街が何やら騒がしかった。
新聞配達の少年が、号外を配っている。
「号外! 号外だよ! 悪徳ゴルツ商会、一夜にして壊滅!」
「えっ!?」
私は新聞をひったくるようにして買った。
一面には、手錠をかけられて連行される金歯の男たちの写真。
記事を読んで、私は絶句した。
『昨夜未明、ゴルツ商会の事務所前に、同社の違法取引を記録した裏帳簿、および人身売買の証拠書類一式が山積みにされているのが発見された』
『書類は完璧に整理・分類されており、脱税額まで一円単位で計算済みの報告書が添えられていたとのこと』
『さらに、全ての証拠箇所に「要修正」の赤い付箋が貼られており、警察の捜査の手間を大幅に省いた模様』
「……『要修正』って」
見覚えのある几帳面すぎる仕事ぶり。
私は震える手で新聞を畳んだ。
誰がやったのか、想像がつかないわけがない。
「……おはよう、ボス」
あくびをしながら、グレイさんが二階から降りてきた。
昨日と同じように気だるげな様子だが、その顔は少しスッキリしている。
「グレイさん! 見てくださいこれ! ゴルツ商会が捕まったんです!」
「へえ、そりゃよかったな」
「天罰ですよきっと! 計算高い神様が、不備を直してくれたんですね!」
私はジト目で彼を見上げる。
グレイさんは視線を逸らし、カウンターでコーヒーを淹れ始めた。
「……さあな。神様も、乱雑な帳簿を見るのが我慢ならなかったんじゃないか」
湯気の向こうで、彼が微かに笑った気がした。
私はもう何も聞かないことにした。
ただ、目の前の最強の事務員さんに、心の中で手を合わせた。
これで邪魔者は消えた。
さあ、今日も安心して仕事ができる。
私は晴れやかな気分で、新しい依頼の書類を広げた。
その書類の隅々まで、グレイさんの完璧な修正が入っていることには、もう驚かなかった。




