第2話 パン屋志望の少年は、どう見ても重戦士です
グレイさんを拾ってから数日が経った。
埃と蜘蛛の巣にまみれていた廃倉庫は、劇的な変貌を遂げていた。
「……すごすぎる」
私は一階の事務所スペースを見渡して、ため息をついた。
磨き上げられた床板。
脚が折れていたはずの椅子は、継ぎ目すら分からないほど完璧に接合されている。
ガタついていた窓枠は補強され、隙間風一つ入らない。
これ、全部グレイさんの仕業だ。
「グレイさん、あなた本当にただの事務員ですか? 職人ギルドに喧嘩売れますよ」
カウンターの奥で、気だるげに新聞を読んでいるおじさまに声をかける。
彼は髭を綺麗に剃り、私が古着屋で見繕った白いシャツと黒ベストを着ていた。
黙っていれば、どこかの知的な老紳士か、ベテランの執事に見える。
……まあ、腰には湿布を貼っているし、新聞の切り抜きは「安売り情報」だけど。
「あん? 別に大したことはしてない」
グレイさんは面倒くさそうにページを捲った。
「椅子の脚は添え木して固めただけだ。現地の廃材で寝床を確保するのは、まあ……昔よくやった」
「現地ってどこですか。戦場ですか」
「さあな」
彼は煙に巻くが、鑑定で見えた【家事:SS】は本物だった。
彼のおかげで、今日から胸を張って営業できる。
表には看板も出した。
『人材斡旋ギルド・適材適所』。
――あなたの本当の輝く場所、見つけます。
「さあ、記念すべき最初のお客様は誰かしら!」
私はエプロンの紐をギュッと締め直し、入り口を見つめた。
立地は最悪。でも、手書きのビラは市場で配った。一人くらいは……。
カランコロン。
控えめなドアベルが鳴った。
「い、いらっしゃいませ!」
入ってきたのは、おどおどとした様子の少年だった。
年齢は十五歳くらい。
痩せっぽちで猫背、サイズの合わない服を着ている。
目元は赤く、今にも泣き出しそうだ。
「あの、ここ……仕事を紹介してくれるって、ビラを……」
消え入りそうな声。
私はすぐに営業スマイルを浮かべ、彼を手前の椅子に案内した。
「ええ、ようこそ! ギルドマスターのミシェルです。どうぞ掛けて」
少年は、壊れ物を扱うように慎重に椅子に座った。
グレイさんが無言で温かいお茶を出す。
「ひっ、あ、ありがとうごじゃいます……」
少年がお茶を受け取ろうとした時だ。
カチャ、カチャカチャ……。
カップとソーサーが触れ合い、小刻みに震えている。
緊張しているのだろうか?
「それで、相談というのは?」
私が聞くと、少年――カイル君は、膝の上で拳を握りしめた。
「ぼ、僕、パン屋になりたいんです!」
「パン屋さん、ですか」
「はい! 子供の頃からの夢で……焼きたてのパンで、みんなを笑顔にしたくて……。でも、どこの店も雇ってくれなくて。三軒回って、全部半日でクビになりました」
カイル君は涙目で訴える。
「『お前がいると店が壊れる』って……。僕、不器用だけど、パンが大好きなんです! お願いします、どこか雇ってくれる店を紹介してください!」
切実な願いだった。
平和なパン屋への憧れ。それは彼の優しい性格の表れだろう。
私は頷き、彼に許可を求める。
「分かりました。では、カイル君の『適性』を見せてもらってもいいかしら? 私の目は、あなたの隠れた才能を見抜くことができるの」
「て、適性……? はい、お願いします」
彼は素直に目を閉じた。
私は深呼吸をして、いつものフレームを指で作る。
もし適性があれば、調理系の「暖色」か、職人系の「緑色」が見えるはず。
「――【鑑定】」
スキル発動。
世界の色が反転する。
カイル君の体から浮かび上がる光を見る。
(……あ)
私は息を呑んだ。
そこに「暖色」も「緑」もなかった。
パン職人の適性を示す輝きは、限りなく透明に近い、くすんだ灰色。
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【対象:カイル】
適性職業:
パン職人:E(破壊的)
接客:D
計算:D
重戦士:S
物理耐性:A+
筋力潜在値:S(制御不能)
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(うそ……)
灰色の奥に、燃え上がるような「深紅」と、硬質な「鋼色」が渦巻いている。
それは、最前線で敵の攻撃を一身に受け止める、鉄壁の守護者の輝き。
重戦士。
しかも、Sランク。
このひょろひょろの、カップを持つ手すら震えている少年が?
私は鑑定を解除し、こめかみを押さえた。
これは……伝えにくい。
パンで人を笑顔にしたい少年に、「あなたは盾として殴られるのが向いています」なんて。
「あ、あの……ミシェルさん?」
カイル君が不安そうに私を見る。
その時、ピシッ、という小さな音がした。
彼が握りしめていたティーカップに、ヒビが入っている。
「あっ……!」
「カイル君、落ち着いて」
「ご、ごめんなさい! またやっちゃった……!」
彼は慌ててカップを置こうとしたが、焦りで指に力が入りすぎたらしい。
バリンッ!
カップの取っ手が粉砕された。
それだけじゃない。彼が体を起こそうとして手をついたテーブルが、ミシッ、と不穏な音を立てる。
「カイル君!」
「ち、違うんです、わざとじゃなくて、僕……!」
パニックになった彼は、立ち上がろうとしてテーブルの端を掴んだ。
「ど、どうしよう、弁償しなきゃ……!」
バキィッ!!
「え?」
凄まじい破壊音が店内に響いた。
厚さ三センチはある頑丈なオーク材のテーブル。
その角が、カイル君の手の形に「へし折れて」いた。
まるで、ビスケットを割るみたいに簡単に。
「…………」
カイル君は、自分の手の中に残った「テーブルの破片」を見て、顔面蒼白になっている。
「あ、あ、あああ……」
「……ねえ、カイル君。パン屋をクビになった理由って、もしかして」
「き、生地を優しく捏ねようとしたら、捏ね鉢が割れちゃって……オーブンの扉も取れちゃって……」
なるほど。
潜在的な筋力Sが、緊張やパニックでリミッター解除されて暴走しているんだ。
普段はおどおどして動きを抑えているけど、焦ると全部壊してしまう。
それではパン屋は務まらない。
「うう、ごめんなさい! 僕なんて生きてるだけで迷惑で……!」
泣きじゃくるカイル君。
私は掛ける言葉を探した。
でも、その前に影が動いた。
「……おい」
それまで空気になっていたグレイさんが、無音でカイル君の背後に立っていた。
カイル君がビクッとして振り返る。
「ひぃっ!?」
「暴れるな。店が崩れる」
グレイさんは、カイル君の肩にポンと手を置いた。
ただそれだけなのに、パニックで震えていたカイル君の体が、スッと落ち着く。
絶妙な力加減で「制止」されたのだ。
「修理の手間が増えたな」
グレイさんは壊れたテーブルを見て、やれやれと溜息をつく。
カイル君が縮こまる。
「ご、ごめんなさい……!」
「安心しろ。請求は出世払いでいい」
「え……?」
「嬢ちゃんの目は正しいぞ、坊主。お前のその馬鹿力、パン屋じゃただの『災害』だが、迷宮なら『才能』だ」
グレイさんは、まるで世間話でもするように淡々と言った。
「いいか。重戦士ってのはな、別に器用に武器を振るう必要はねぇんだ」
「え……そ、そうなんですか?」
「ああ。でかい盾を持って、ただ仲間の前に立っていればいい。お前みたいに頑丈で力がありゃ、突っ込んでくるオークだって片手で止まる」
グレイさんは、カイル君の華奢に見える腕を指差した。
「パン生地みたいに繊細に扱う必要はない。手加減もいらん。向こうから来るのを、ただ全力で受け止めればいいだけだ。……どうだ? 毎日『壊すな』って怒られるより、思い切り力を出して『ありがとう』って言われるほうが、楽だと思わねぇか?」
「……壊しても、いいの?」
「魔物の骨ならな。いくらでもへし折っていい」
カイル君が、自分の手を見つめた。
今まで「呪い」だと思っていたその力が、誰かを守るための「ギフト」になるかもしれない。
「僕……パンで笑顔には、できないけど……」
「魔物から守ってあげれば、みんな笑顔になるわ」
私が引き継ぐ。
力強く、彼の目を見て言った。
「私が保証する。あなたは、誰よりもみんなを守れる、最強の盾になれるわ」
カイル君は、ゴシゴシと涙を拭った。
「……行ってみます。冒険者ギルド」
彼は立ち上がった。
今度は何も壊さないように、慎重に。
でも、その表情からは怯えが消えていた。
「ありがとう、ミシェルさん。……あと、グレイさん」
カイル君は深々と頭を下げ、店を出て行った。
扉を閉める手つきはまだ危なっかしかったけれど、確かに「戦士」の背中だった。
「……ふう」
私は椅子にへたり込んだ。
最初のお客様は、パン屋志望の破壊神だった。
「グレイさん、ナイスフォローでした! あの肩の抑え方、プロっぽかったですよ?」
「……暴れる酔っ払いを止めるのと同じだ」
グレイさんは誤魔化すようにテーブルの破片を拾い上げた。
「それにしても……嬢ちゃんの鑑定眼、恐ろしいな」
「え?」
「一目見ただけで、あいつの『本質』を見抜いた。……筋肉の付き方は誤魔化せても、魂の色までは隠せねぇってことか」
グレイさんが、珍しく真面目な顔で私を見た。
その銀色の瞳に、僅かな光が宿っている。
「良い仕事をしたな、ボス」
ボス。
その響きに、胸が温かくなる。
「……はい! この調子で、次のお客様も幸せにしましょう!」
私は壊れたテーブルを見て、苦笑いした。
修理費のほうが高いかもしれないけど、それでも。
誰かの人生の「正解」を見つけられたなら、安いものだ。
こうして、「適材適所」ギルドの記念すべき第一号案件は、
のちに『不動の城塞』と呼ばれることになる、伝説の重戦士の誕生で幕を開けたのだった。




