第19話 総力戦
「……くっ、うぅ……!」
フィーナちゃんの額から、大粒の汗が流れ落ちる。
彼女の手から放たれる白い炎が、風前の灯火のように揺らぎ始めていた。
「頑張って、フィーナちゃん! あと少し! あと少しだから!」
私は彼女の背中を支えながら、必死に声をかけた。
彼女はもう30分近く、全力でグレイさんの体内の毒を焼き続けている。
本来なら魔力枯渇で倒れていてもおかしい。
それでも彼女が立っているのは、ただ「助けたい」という執念だけだ。
「……ミシェル、さん……私、まだ、やれます……!」
彼女は歯を食いしばり、魔力を絞り出す。
しかし、グレイさんの顔色は土気色のままだ。
毒の浸食スピードが速すぎる。
浄化で押し留めるのが限界で、消し去ることはできない。
「まだか……カイルは、まだか……!」
私は通りを見つめた。
約束の30分が過ぎようとしている。
もし彼が間に合わなければ、リズちゃんが準備している触媒も無駄になる。
その様子を、レオナルド皇子が静かに見つめていた。
「……無駄だ」
彼は悲痛な面持ちで首を横に振った。
「あの毒は、魔力を糧にする。……浄化魔法で対抗すればするほど、毒も活性化するイタチごっこだ。君たちは時間を浪費しているだけだ」
「浪費じゃありません!」
私は叫び返した。
「私たちは、繋いでいるんです! 命を! 希望を!」
「希望? 確率論で言えばゼロに等しい。……なぜ諦めない? なぜ、そこまでして彼に尽くす?」
皇子には理解できないのだろう。
システムの一部が壊れたら、新しい部品と交換すればいい。
それが彼の「効率」だから。
「……彼が、私たちを諦めなかったからです」
私はグレイさんの冷たくなりかけた手を握りしめた。
「私たちが『無能』だと言われて、社会から捨てられそうになった時……彼だけは、私たちを信じてくれた。だから今度は、私たちが彼を信じる番なんです!」
皇子がハッとして目を見開く。
その時だった。
ズドォォォォン!!
通りの向こう、石畳が爆ぜる音がした。
何かが、一直線にこちらへ向かってくる。
障害物を避けるのではない。木箱も、看板も、すべて粉砕しながら最短距離を突っ走ってくる「砲弾」のような影。
「どいてえええええええッ!!」
聞き覚えのある絶叫。
次の瞬間、路地のレンガ塀が粉々に砕け散り、砂煙と共に「彼」が飛び込んできた。
「カイル君!」
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ……!」
全身傷だらけ。鎧はボロボロ。
でも、彼の手にはしっかりと握られていた。
氷のように透き通った、一輪の白い花が。
「ミシェルさん……これ……!」
「よくやった! 本当に、よくやったわ!」
私は花を受け取り、地下室の入り口へ走った。
そこでは、リズちゃんが鍋の前で待機していた。
すでに下準備は完璧だ。ドラゴンの肝の代用品である「サラマンダーの油」と、中和剤のベースが煮えたぎっている。
「リズちゃん、これ!」
「……『聖女の涙』……! 状態も完璧です!」
リズちゃんは花を受け取ると、迷わず鍋に投入した。
そして、マドラーを高速で回転させる。
「反応開始……融合……安定化……!」
彼女の目が、青く発光する。
【成分解析眼】。
魔力はない。でも、彼女には見えているのだ。
鍋の中で成分と成分が手を取り合い、猛毒を打ち消す「光」へと変わる、その数式が。
「……今ッ!」
彼女が最後の仕上げに、一滴の水を垂らした。
ボウッ!
鍋から金色の蒸気が上がり、液体が透き通った蒼色に変化した。
「できました……! 特製解毒ポーション・改!」
「急いで!」
私たちは出来たてのポーションを持って、グレイさんの元へ駆け戻った。
「フィーナちゃん、浄化を解いて!」
「は、はいッ!」
フィーナちゃんが手を離すと同時に、毒の紫煙が勢いを増す。
グレイさんの体が痙攣する。
一刻の猶予もない。
「グレイさん、飲んで! お願い!」
私は彼の口をこじ開け、蒼い液体を流し込んだ。
飲み込んで。お願い、生きて。
ドクン。
グレイさんの喉が動いた。
次の瞬間。
ジュウゥゥゥ……。
彼の体から上がっていた紫色の煙が、急速に色が薄れ、白くなっていく。
毒が中和されていく音だ。
顔色が、土気色から、少しずつ赤みを取り戻していく。
浅く、早かった呼吸が、深く、穏やかなものへと変わる。
「……はぁ……」
グレイさんが、大きく息を吐いた。
そして、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「……ボス……?」
「グレイさん……!」
「……すげぇ味だ……。カイルの靴下の煮汁かと思ったぞ……」
「馬鹿……っ! 馬鹿……!」
私は彼に抱きつき、泣き崩れた。
生きてる。
憎まれ口が叩けるなら、もう大丈夫だ。
周りを見れば、カイル君が地面に大の字になって息を切らし、フィーナちゃんがへたり込んで安堵の涙を流している。
リズちゃんは、空になった小瓶を抱きしめて震えている。
勝った。
私たちは、死神に勝ったのだ。
「……信じられない」
呆然とした声がした。
レオナルド皇子だ。
彼は、生き返ったグレイさんと、ボロボロになった私たちを交互に見ていた。
「たった30分だぞ……? 帝国の研究所ですら一週間かかる解析と調合を……魔力も持たない少女と、壁を壊すしか能がない少年と、小娘たちが……成し遂げたというのか?」
皇子の声が震えている。
それは恐怖ではない。
彼が信じてきた「システムによる管理」という絶対の真理が、新しい理論によって覆されたことへの、知的な衝撃。
「言ったはずです、殿下」
私は涙を拭い、皇子に向き直った。
「これが『適材適所』です。……誰かに強制された仕事じゃなく、誰かを想って動く仕事は、あなたの計算よりも速くて強いんです」
「……」
「あなたは感情を『ノイズ』だと言いました。でも、違う。……『心』こそが、システムの限界を超えるためのエネルギーなんです!」
皇子は何も言い返せなかった。
彼はグレイさんを見た。
かつて「廃棄すべき破壊者」と呼んだ男が、今は仲間たちに囲まれ、穏やかな顔で笑っている。
その光景は、どんなに効率化された帝国の都市よりも、強固な「組織」に見えたのだろう。
「……私の、負けだ」
皇子は静かに呟いた。
「信頼というパラメータを計算に入れていなかった。……個人の想いが、システムを凌駕する。その可能性を、君たちは証明してみせた」
彼は帽子を取り、私たちに深く一礼した。
それは皇族としての形式的なものではなく、敗者としての、潔い敬意だった。
「素晴らしい組織だ、ミシェル嬢。……君を引き抜こうとした私が、愚かだった」
皇子は踵を返した。
もう、私を連れ去ろうという気配はない。
彼は去り際に、拘束された衛兵隊長を冷たく見下ろした。
「連れて行け。……そして、我が国の技術(毒)を悪用した罪、王国の司法に委ねる。我々は一切の干渉をしない」
それは、帝国としての謝罪と、不可侵の約束だった。
魔導車両が去っていく。
路地には、心地よい春の風が吹き抜けた。
「……いてて。あばらが折れてるかもしれん」
グレイさんが顔をしかめて起き上がろうとする。
「動かないでください! 絶対安静です!」
「へいへい。……まったく、人使いの荒いボスだ」
彼は苦笑しながら、私の頭に手を置いた。
その手はまだ震えていたけれど、確かに温かかった。
「……ありがとな。お前らがいてくれて、助かった」
その言葉に、私たちは全員で顔を見合わせ、そして笑い合った。
泥だらけで、汗まみれで、最高にカッコ悪い私たち。
でも、今の私たちは、きっと世界で一番強いチームだ。




