第12話 完璧な皇子の提案
「……おはようございます、ミシェル嬢」
翌朝。
店を開けると、そこには爽やかな笑顔のレオナルド皇子が立っていた。
そして、その背後には無表情な帝国兵がズラリと控えている。
「……おはようございます、殿下。あの、昨日の今日で、またいらしたんですか?」
「ええ。君を説得するには、まず理解から。……というわけで、今日から少し『お手伝い』をさせてもらいますよ」
「は?」
私が呆気にとられている間に、皇子はパチン、と指を鳴らした。
「――配置変更。プランCだ」
その号令一つで、兵士たちが一斉に動き出した。
無言。無駄のない動き。
彼らは待合室のソファや観葉植物、受付カウンターの位置を、流れるように移動させていく。
「ちょ、ちょっと! 勝手に何を!」
私が止めようとすると、皇子が涼しい顔で解説を始めた。
「待合室の動線が悪すぎます。受付から面談ブースへの移動距離を短縮し、かつ依頼人のプライバシーを確保する配置にしました。……これで回転率は30%上がる」
見ると、兵士たちは数分で模様替えを完了し、直立不動に戻っていた。
確かに、広くなった。
客の動線がスムーズになり、無駄がない。
「……おい、勝手に俺の給湯室まで弄るな」
グレイさんが、モップを片手に低い声で唸った。
彼は掃除をするフリをして、常に皇子の背後――護衛兵たちが守りにくい死角に位置取っている。
一触即発の空気。
だが、皇子はその殺気に気づきながらも、優雅に微笑んだ。
「優秀な事務員殿。君の茶葉の保管場所は湿気が多い。……最適な温度管理ができる棚に変えておきましたよ?」
「……チッ」
グレイさんが舌打ちをする。
悔しいけれど、皇子の指摘はいちいち的確だ。
彼の「指揮」の下で、私のギルドは恐ろしいほど効率化されていく。
まるで、最初から決められた歯車のように。
◇
昼下がり。
客足が落ち着いたタイミングで、皇子は私に紅茶を淹れてくれた。
帝国産の高級茶葉。温度も抽出時間も、秒単位で完璧に管理された一杯だ。
「……ミシェル嬢。今日の業務を見ていて確信しました」
皇子は優雅にティーカップを置いた。
「君のやり方は、美しくない」
「……え?」
「非効率だと言っているのです。君は一人ひとり面談し、悩みを聞き、鑑定し、紹介する。……丁寧だが、時間がかかりすぎる」
彼は懐から、青く発光する水晶のようなものを取り出した。
テーブルの上に置くと、空中に複雑な魔法陣のホログラムが投影される。
「これは?」
「私が考案した『適性解析システム』の設計図です」
皇子はホログラムを操作しながら、熱っぽく語り始めた。
「君の『鑑定眼』の波長を解析し、この魔導具に組み込む。そうすれば、君がいなくても、この機械を通すだけで瞬時に適性が判別できる」
「私の目を……機械に?」
「そうです。これを量産し、世界中の役所やギルドに設置する。そうすればどうなると思います?」
彼は両手を広げた。
「君が寝ている間も、食事をしている間も、世界中で『適材適所』が行われる。一日に十人しか救えなかった君が、一瞬で一万人を救えるのです」
一万人。
その数字に、私は息を呑んだ。
「君は優しい人だ。目の前の人が苦しんでいるのを放っておけない。……だが、君の手が届かない場所で、才能を殺されている人間が何億人いると思っている?」
「それは……」
「君がここに留まることは、その何億人を見捨てることと同義だ。……それは罪だと思いませんか?」
皇子の言葉は、鋭いナイフのように私の良心に突き刺さった。
正論だ。
私が一人で頑張るより、システム化したほうが圧倒的に多くの人を救える。
私の「こだわり」なんて、世界規模で見ればただのエゴなのかもしれない。
「……でも、機械に人の心は分かりません」
私は必死に反論を探した。
「適性があっても、本人がやりたくない仕事だったら? 機械はそれを『NO』と言ってくれません」
「感情などノイズです」
皇子は即答した。
その瞳に、迷いはない。
「適性がある仕事をするのが、社会全体の幸福度を最大化する。本人のわがままなど、全体の利益の前では些細なエラーだ。修正すればいい」
「……っ」
違う。
私がやりたいのは、そういうことじゃない。
エラーだなんて。人の心を、バグみたいに言わないで。
でも、彼の提示する「救える人数」という圧倒的な正義の前に、私の言葉はあまりにも無力だった。
「考えてみてください。私と共に来れば、君は『世界を救う女神』になれる」
皇子は私の手を取り、真剣な眼差しで見つめてきた。
その瞳に嘘はない。
彼は本気で、この方法が正しいと信じているのだ。
「……少し、頭を冷やしてきます」
私はいたたまれなくなって、席を立った。
逃げたのだ。
彼の完璧すぎる論理から。
◇
店の裏口を出て、風に当たる。
夕暮れの空が、血のように赤く滲んで見えた。
「……悩んでるのか」
背後から声がした。
グレイさんだ。
彼は壁にもたれかかり、煙草を弄んでいた。
「グレイさん……」
「あいつの言うことは、もっともだ」
グレイさんは空を見上げたまま言った。
「俺みたいな殺し屋と違って、あいつは『造る』側の人間だ。……お前の能力を最大限に活かすなら、帝国の技術力は魅力的だろうな」
「……グレイさんは、私が機械になってもいいと思うんですか?」
「いいや。嫌だね」
彼は即答した。
でも、その声にはいつもの覇気がなかった。
「だが、俺にはお前に『世界を救わせる』なんてデカイことはさせてやれねぇ。……俺ができるのは、せいぜいお前の淹れた茶を飲んで、近所の悪党を追い払うことくらいだ」
グレイさんが、自嘲気味に笑う。
その笑顔が、ひどく寂しそうで、胸が締め付けられた。
彼は最強の事務員だ。
でも、皇子のような「国を動かす権力」や「世界を変える技術」はない。
暴力では解決できない「正義の問いかけ」を前に、彼もまた無力感を感じているのだ。
「……私は」
私は何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
なんて言えばいい?
「世界よりあなたがいい」と言えば、それは彼の言う通り、私が多くの人を見捨てることになるの?
二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
その時だった。
ガシャーン!!
路地裏の奥で、ゴミ箱が倒れる音がした。
「……誰だ」
グレイさんの目が一瞬で鋭くなる。
先ほどまでの弱気な空気は消え、殺気が走る。
彼は私を背に庇い、音のした方へ向き直った。
そこには。
ボロボロの服を着て、泥だらけになった少女が倒れていた。
その手首には、引きちぎられたような金属の輪っか――帝国の紋章が入った「魔導手錠」が嵌められていた。
「た、助けて……」
少女は掠れた声で呟き、意識を失った。
「……ッ、ボス、下がるな!」
グレイさんが叫ぶと同時に、路地の屋根から黒い影が降り立った。
全身を機械的な装甲で覆った兵士だ。
でも、様子がおかしい。
目が赤く発光し、呼吸音が聞こえない。
「……『魔導兵』か」
グレイさんが舌打ちをする。
皇子の言っていた「システム化」。
「感情はノイズ」と言い切る思想の、成れの果て。
兵士は倒れた少女を認識すると、躊躇なく剣を振り上げた。
そこには「迷い」も「慈悲」もない。ただ任務を遂行するだけの機械。
私の迷いを吹き飛ばすような、冷たくて不気味な現実が、今、目の前に現れた。




