第1話 無能令嬢の追放と、窓際おじさんの採用
「ミシェル・アルレット。君との婚約を破棄する」
侯爵家嫡男、ライオネル様の冷徹な声が響いた。
伯爵家の応接室。空気すら凍りつくような沈黙の中、テーブルに一枚の金属プレートが放り投げられる。
カラン、と乾いた音が鳴った。
私のステータスカードだ。
「君の『鑑定スキル』はバグ持ちの欠陥品だ。そうだろう?」
ライオネル様が、汚いものを見るような目で私を見下ろす。
その背後には、父である伯爵も控えていたが、私と目を合わせようともしない。
「……欠陥ではありません。私には、適性が見えています」
私は拳を握りしめ、精一杯の反論をした。
「適性? ふん、そんな妄想に価値はない」
ライオネル様は侮蔑の色を隠さない。
「私が求めているのは正確な『数値』だ。魔力が8000ある魔導師、筋力がAランクの剣士。それだけが集まれば最強の領地経営ができる。だが君はどうだ? 君が推薦した庭師は、ステータスオールDのゴミだったではないか!」
「彼はDランクですが、植物の生育状態を見抜く『観察眼』は特S級です! 彼を解雇すれば、侯爵家の薬草園は全滅します!」
「黙れ! 結果が出ない者の言い訳など聞きたくもない!」
ドン、とテーブルが叩かれた。
その音と共に、私の最後の希望も砕け散る。
「家への借金は、君を勘当することでチャラにしてやる。感謝したまえ。……今日中にこの屋敷から出て行け」
父が放った言葉は、娘への情など欠片もない事務的な通達だった。
私は唇を噛みしめる。
悔しい。
私の目は、間違っていない。
人は、数値じゃない。
適切な場所に置かれれば、誰もが宝石のように輝けるのに。
「……分かりました。今までお世話になりました」
私は床に落ちたカードを拾わないまま、深く頭を下げた。
これ以上、ここにいる意味はない。
私の価値を数値でしか計れない人たちに、私の人生を消費させるわけにはいかないのだ。
◇
屋敷を追い出されてから、三時間が経った。
空は重たい鉛色の曇天。
私はトランク一つを引きずり、王都の下町、そのさらに奥にある旧市街へたどり着いた。
ドレスは古着屋で売り払い、動きやすい生成りのワンピースとエプロンドレスに着替えている。
手元に残った資金は、宿代一週間分程度。
「……ここね」
目の前にあるのは、蔦が絡まる赤レンガの建物。
亡くなったお婆様が、こっそり私に遺してくれた「元・倉庫」だ。
錆びついた鍵を開け、鉄扉を押し開ける。
ギギーッ……と、廃墟特有の音が鼓膜を揺らす。
「うわ……」
中は酷い有様だった。
埃が雪のように積もり、蜘蛛の巣がカーテンのように垂れ下がっている。
家具は脚の折れた椅子と、木箱がいくつか。
でも、ここが私の新しい城だ。
「……よし。やるわよ、ミシェル」
私は両頬をパンと叩いた。
泣いている暇はない。
私はここで証明するのだ。私の目は節穴じゃないと。
『人材斡旋ギルド』
それが私の新しい夢。
埋もれた才能を見つけ出し、彼らが一番輝く場所へ送り届ける仕事。
「まずは掃除ね。あと、鍵も新しいものに変えないと……」
治安の悪いこの辺りで、女一人暮らしは心細い。
誰か、信頼できる用心棒か従業員がいればいいけれど、雇うお金なんて――。
ため息交じりに外へ出ようとした、その時だった。
「…………水」
足元から、地を這うような呻き声が聞こえた。
「ひゃっ!?」
飛びのいた私の視界に入ったのは、倉庫の壁にもたれかかるようにして倒れている、一人の男性。
泥だらけのシャツに、無精髭。
顔色は土気色で、ピクリとも動かない。
し、死体!?
いや、微かに呼吸している。
「あ、あの! 大丈夫ですか!?」
駆け寄ろうとして、足が止まる。
待って。ここは治安の悪い旧市街。
行き倒れを装った強盗かもしれない。
私は警戒して距離を取り、右手の指で四角いフレームを作った。
職業病だ。まずは相手の情報を確認しないと。
「――【鑑定】」
スキルを発動した瞬間。
世界の色が変わる。
「っ!?」
私は思わず目を細めた。
眩しい。
あまりにも、強烈な光。
通常、人を見るとその適性色がぼんやり見える程度なのに、この男性からは直視できないほどの『黄金の輝き』が溢れ出している。
そして、脳内に情報が奔流となって流れ込んでくる。
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【対象:グレイ・サイラス】
適性職業:
事務処理:SSSS(神域)
危機管理:SSS
家事全般:SS
隠密行動:SSS
戦闘能力:測定不能(ERROR)
精神傾向:
【秩序・中立】【疲労困憊】【他害の意思なし】
現在状態:
極度の空腹、慢性的な腰痛
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(……え?)
私は呆然と呟いた。
事務処理、SSSS?
聞いたことがないランクだ。王宮の筆頭書記官だってAランク止まりなのに。
それに、【他害の意思なし】。
この人は、少なくとも私を襲うつもりはない。悪人ではなさそうだ。
しかし、戦闘能力が『測定不能(ERROR)』?
腰痛で動けないくらいだから、弱すぎて測定できないということだろうか。
つまりこの人は……。
「……身体は弱いけど、究極のデスクワーカー……?」
私の呟きに、男性――グレイさんが薄く目を開けた。
銀色の、鋭い瞳。
けれどすぐに焦点が合わなくなり、ガクリと頭を垂れる。
「……腹が、減った……あと、腰が……」
「腰!?」
「腰が……限界だ……」
死にそうな理由、腰痛!?
いや、空腹も限界なのだろう。
私は警戒を解き、トランクから硬いパンと水筒を取り出した。
危険はない。私の目がそう言っている。
それどころか、この出会いは――。
「これしかありませんけど……!」
水を飲ませると、彼は震える手でパンを受け取り、貪るように食べた。
しばらくして、ようやく呼吸が落ち着く。
「……恩に着る」
彼は低く、渋いバリトンボイスで呟いた。
起き上がろうとして、顔をしかめ、腰をさする。
「あー……駄目だ。動けん」
「無理しないでください。あの、お医者様を呼びましょうか?」
「金がない。それに、医者は嫌いだ」
偏屈そうな人だ。
でも、放っておけない。
何より、私の胸は今、期待で高鳴っていた。
これからギルドを立ち上げるにあたって、一番の懸念は「事務作業」と「防犯」だった。
私は計算が苦手だし、女手一つでは舐められる。
でも、目の前のこの人は「事務の神様」だ。
危機管理もSSS。
戦闘力は皆無(ERROR)かもしれないけど、安全管理の知識はあるはず。
しかも今、職がなく、住む場所もない。
これは運命だ。
私の「適材適所」理論を証明する、最初のチャンス!
私は彼の手を、ガシッと両手で握りしめた。
「おじさま!」
「……おじさま?」
「いえ、グレイさん! あなた、職をお探しではありませんか!?」
グレイさんは面倒くさそうに片眉を上げた。
気だるげな雰囲気だが、整った顔立ちをしている。髭を剃れば紳士に見えそうだ。
「……俺は、もう働きたくないんだが」
「衣食住、保証します! 私の持てる全力で!」
「……住?」
「はい、この倉庫ですけど! 二階に空き部屋があります!」
「……食?」
「今みたいなパンだけじゃなく、温かいスープも作ります!」
グレイさんの喉がごくりと鳴った。
銀色の瞳が、スープという単語に揺らいでいる。
「仕事は?」
「座り仕事です! 腰に優しい、事務作業メイン!」
その言葉が決定打だった。
彼は深いため息をつくと、諦めたように肩の力を抜いた。
「……事務員、か。悪くない響きだ」
彼はよっこらしょ、と音が出そうな動作で立ち上がった。
背が高い。
見下ろされると少し怖いくらいの威圧感があるけれど、その背中は猫背で、やっぱり覇気がない。
「契約成立だ、雇い主。俺の名はグレイ。……期待はするなよ、俺はただの役立たずだ」
「いいえ、期待してます!」
私は満面の笑みで答えた。
彼の手は大きく、ゴツゴツしていて、不思議な安心感があった。
「私の目は節穴じゃないんです。あなたはきっと、最高の事務員になります!」
グレイさんは一瞬、きょとんとして。
それから、ふっと微かに笑った気がした。
「……変な嬢ちゃんだ」
こうして。
無能と捨てられた私と、腰痛持ちの窓際おじさん。
世間からはじき出された二人の、奇妙な共同生活と「お仕事」が始まったのだ。




