第四話 小松奈美視点
「彼にチョコレート渡せたの!?」
バイトが終わったあと、奈美は千尋にそのことを伝えた。
正直、渡せるとは思わなかった。
彼が来るとは限らなかったし、来たとしてもタイミング的に渡せるかわからなかったからだ。
けれども、天は奈美に味方した。
その日も彼は現れ、そして無事に渡すことができた。
彼は驚いたような顔で奈美を見て、彼女が手を振るとはにかんだ笑顔で振り返してくれた。
それがたまらなく嬉しかった。
本当はすぐにでも千尋にそのことを報告したかったのだが、急に店が忙しくなり、伝えるのが遅くなってしまったのだ。
「悔しい~! その場ですぐに言ってくれたら奈美ちゃんの仕事も私が代わってあげたのに~!」
「無理言わないでよ」
千尋も千尋で大勢訪れる客をさばくので精一杯だった。
奈美の分も代わってやることなど不可能だったはずだ。
「でもありがとうね」
親友の言葉に、奈美は心から感謝した。
チョコレートを渡した彼は、奈美たちがカウンターで忙しくしている間にいなくなっていた。
袋ごとなくなっていたから、きっと持ち帰ったのだろう。
そう思うと嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。
けれども、それから数日。
彼からの連絡は一切なかった。
チョコレートを渡した日は、いつかかってくるかと待ち構えていたが、一向にかかってくる気配がない。
二日経ち、三日経ち、四日も経つとあきらめの色が強くなってくる。
(やっぱり、いきなりチョコレートを渡すなんて気持ち悪かったかな)
大学の中庭のベンチに座りながら一人でランチをとっていた奈美は少しばかり後悔し始めた。
彼は客であって、知り合いではない。
店員が客にチョコレートを渡すなど、本来あり得ないことなのだ。
あれ以来、彼は店にも姿を現わさない。
(……きっと嫌われちゃったな)
憂鬱になりかけた時、スマホが鳴った。
「──ッ!?」
奈美は慌てて頬張っていたサンドイッチを置き、スマホを取り出した。
表示されているのは見知らぬ番号だった。
奈美はあまり電話をするほうではない。
かかってくるとしても、いつも家族からだ。
だとすると、もしかしたら……。
淡い期待を込めながら通話ボタンを押す。
「も、もしもし……?」
震える声で通話に出ると、電話口の相手は答えた。
「もしもし。奈美?」
「お、お母さん!?」
奈美は思わず素っ頓狂な声をあげた。
電話の相手は遠く離れた故郷にいる母だったからだ。
「ど、どうしたの!? いきなり……」
「いやー、実は最近電話番号が変わっちゃってねえ。奈美に電話しなきゃと思って電話帳調べて連絡したんだよ」
「電話番号変えたって……。期待させないでよ、もう!」
まったく、なんてタイミングで電話番号を変えるのか。
いつもは温厚な奈美も、この時ばかりは頬を膨らませた。
「期待ってなんだい?」
「お、お母さんには関係ないよ」
「あらま、冷たい子ね。でも元気そうでよかったよ」
「……うん、そっちもね」
それからお互いに近況を報告し合い、電話を切った。
(本当にいつも突然なんだから……)
奈美は恨めしそうにスマホを見つめてぼやく。
やっぱりかかってくるわけがない。
彼から連絡が来るなんてあり得ないのだ。
はあ、とため息をつくと再びスマホが鳴った。
(……また、お母さんたら)
何か伝え忘れたことでもあったのだろうか。
奈美は番号も見ずに通話ボタンを押した。
「もしもし? 今度はなんの用?」
なかば突き放すような声で言うと、電話の相手が少し驚いた様子で答えた。
『も、もしもし? 小松さんの番号ですか?』
瞬間、奈美はベンチから立ち上がった。
「も、も、もしもし!?」
『どうも。いつも『ageha』でカフェラテを頼んでる新藤と言います……』
「カフェラテのお客様!?」
なんてことだ。
まさかこんなタイミングでかかってくるとは。
奈美はあわあわしながらスマホをギュッと握りしめた。
「ご、ごめんなさい。他の人の電話かと思って……」
「いえ、僕の方こそいきなりかけてしまって申し訳ないです」
やっぱりいい人だ、と奈美は思った。
しかし奈美はもう一つ謝らなければいけないことがあった。
「この間はすいませんでした。いきなりチョコレートなんてお渡しして……」
『い、いえ。すごく美味しかったです。ありがとうございました』
「実はあれ、店のキャンペーンでもなんでもなくて……」
『ええ。周りを見て僕も気づきました。すいません、連絡が遅くなって』
「いいえ! いいえ! そんな、私の方こそ電話してくれるなんて思ってもいなくて……」
『それで、何かお返しをと思いまして。あの、よろしければなんですが、今度食事でもどうですか? もちろん僕のおごりで』
奈美は有頂天に舞い上がった。
まさか電話だけでなく、食事にまで誘ってくれるなんて。
「はい! はい! それはもう、喜んで!」
スマホを片手にペコペコと頭を下げる奈美。
端から見ると異様な光景だったが、奈美は気にしなかった。
彼と食事に行ける。
それだけで嬉しさが爆発していた。
「はい! はい! 今度の土曜に駅前ですね? はい! 11時にお待ちしてます!」
何度も頭を下げた奈美は、すぐ近くのベンチで同じように頭を下げている青年に気づいた。
『はい。土曜の11時、楽しみにしています』
頭を下げるタイミングが今自分と話している彼と同じである。
通話を切ったタイミングで、頭を下げていた青年も通話を切った。
その瞬間、奈美は「あ!」と声をあげた。
青年も奈美に目を向けて「あ」と声をあげる。
そこにいたのは、新藤と名乗った例の彼だったからだ。
「し、新藤……さん?」
「小松さん?」
お互いに驚きすぎて声が出ない。
(まさか、同じ大学だったなんて……)
運命というものがあるとするならば、まさに今この瞬間であろう。
新藤は驚いた顔を見せたあと、ニッコリと奈美に微笑んだ。
奈美もまた、そんな彼を見て店員としてではなく小松奈美としてニッコリと微笑んだのだった。
二人の物語は、まだ始まったばかり──。
お読みいただきありがとうございました。
こちらは、香月よう子様から「いつか続きを書きたい」という要望があったリレー作品でした。
お互いに書けない状態が続き、そのままとなっておりましたが、
なんとか、なんとか続きを書くことができました。
でも香月様なら、きっともっと素敵な展開や終わり方を考えてくれたのではないかと思います。
本当に悔やまれます。
第一話では、香月様が書かれた文章を私が改稿しました。
香月様がそれを読んで「エクセレント!」と褒めてくださったのがすごく印象的で。
本当に褒め上手な方でした。
今回、バレンタイン企画に合わせて中身を少し変えてしまいましたが(本当は作中の季節が春だったので冬に変更)香月様なら笑って許してくれそうです。
第二話(前半)から引き継いで、香月様らしさを出したかったんですが、やはり香月様のようにはいきませんでした。本当にすごい人だと改めて感じました。
私なりに精一杯、頑張った作品です。
どうか香月様のもとへ届きますように。