第三話 新藤隼視点
2月14日。
新藤は『ageha』の前でいつも以上にそわそわしていた。
今日は世の中的にはバレンタインデーだ。
生まれてから一度もチョコレートなどもらったことがない彼も、この日ばかりは緊張していた。
(もらえるとは思ってないけど……)
期待はしていない。
それでも万が一ということもある。
いつにも増して店の前で足踏みをする新藤は、多くの入店客に不審がられていた。
(ええい、ままよ!)
意を決して『ageha』に入った彼は、入店直後、例の女性店員と目が合った。
「あっ」
例の女性店員は新藤に気がつくと小さく声をあげた。
「いらっしゃいませ!」
心なしかいつもより弾んだような声に聞こえる。
「いつものホットカフェラテでよろしいですか?」
「は、はい。いつものホットカフェラテMサイズをお願いします」
「他に何かご注文はございますか?」
「い、いえ、ホットカフェラテだけで」
「かしこまりました」
女性店員のいつもと変わらない対応に、新藤は少しがっかりする。
(そりゃそうだよな。客と店員なんだから。変な期待なんかしなきゃよかった)
ガックリと肩を落とす新藤の前に、ホットカフェラテが差し出された。
「お待たせしました、ホットカフェラテです」
「ありがとうございます」
カップを受け取ろうとした時、新藤の手に小さな袋が渡された。
「あ、あと、こちら、本日限定の……チョコレートでございます」
「え?」
「本日はバレンタインデーですので……」
そう言う女性店員の顔は心なしか赤く見える。
おそらく、店の方針で今日訪れた客全員にチョコを渡すことになっているのだろう。
まさかのサービスに新藤は満面の笑みを浮かべながら
「ありがとうございます!」
と頭を下げた。
ここにきて大逆転の満塁ホームランだ。
本当にチョコレートをもらえるとは。
まさに店の特別キャンペーン様様だ。
ホクホク顔で席に着くと、新藤はホットカフェラテを口に含みながら袋を開けた。
中には、どこで買ったかわからない歪な形の丸いチョコが数個入っていた。
(へえ、手作りみたいなチョコだな)
一通り眺めたあと、チョコをひとつ口に入れる。
ほどよい甘さが口いっぱいに広がった。
「うん、おいしい」
きっと市販だろうけれども、彼女からもらったというのがより一層美味しく感じられた。
そのあともいくつもチョコレートを口に入れる新藤。
しかし、ふと気がつくと周りの客は誰一人チョコを頬張っていなかった。
「……?」
あれ? と思った。店の特別キャンペーンのはずなのに、チョコを食べているのは新藤だけだ。
なぜ誰ももらってないんだろう。
不思議に思ってカウンターにいる女性店員に顔を向けると、彼女はジッと新藤を見つめていた。
「んぐっ!」
思わず口の中で転がしていたチョコを飲み込む。
女性店員はハッとして目をそらした。
(ど、どういうこと?)
包みの中をまさぐると、中から小さなカードが飛び出した。
そこには「小松奈美」という名と電話番号が書かれていた。
「……小松?」
すかさずホットカフェラテを買った時のレシートを取り出す。
そこにはカードに書かれていた名前と同じ「コマツ」という店員名が記されているではないか。
「え?」
もう一度顔を向けると、女性店員は顔を赤く染めながら新藤に目線を向けた。
そして誰にも気づかれないくらい小さな素振りで手を振ったのだった。