第一話 新藤隼視点
こちらは、香月よう子様 楠結衣様主催『バレンタインの恋物語企画』参加作品です。
1話めは香月よう子様原作、たこす改稿。
2話め(前半)は香月よう子様執筆。
2話め(後半)以降はたこす執筆となっております。
そのため、中途半端なところで次話に移行しますが、ご了承くださいませ。
一つ星大学キャンパス付近のセルフカフェ『ageha』のドアの前で、新藤隼は大きく息を吸った。
(大丈夫、行ける。今日こそは行ける)
この冬、大学二年の彼は今、別の意味で春を迎えていた。
恋の「こ」の字も知らなかった彼に好きな子ができたのである。
高鳴る胸を抑えつつ、自らを鼓舞するように握りこぶしを作る。
「よしっ」
小さくつぶやいて自動ドアをタッチした。
「いらっしゃいませー」
店内に入ると同時に明るい声が響いた。
新藤の見つめる先、カウンターの真正面に目当ての彼女がいた。
茶色の長い巻き髪を後ろで一括りにスッキリまとめ、思わずキュン! となるような優しい笑みを浮かべている。
新藤は思わず立ち眩みしそうになった。
彼女は「あ!」と声をあげると
「いらっしゃいませ。いつものホットカフェラテ、Mサイズですね?」
と言った。
新藤はしばらくボーっとしていたが、店員の「お客様?」の言葉にハッと我に返る。
「……あ、はい! いつものホットカフェラテ、Mサイズでお願いします」
「他に何かご注文はございますか?」
「え、えーと……新作のケーキが入ってるみたいですが……」
事前リサーチしていた『ageha』の新作メニューを伝えると、彼女はにこやかに答えた。
「ええ! キャラメルプリンタルトですね。すごく美味しいです。お勧めですよ」
「じ、じゃあそれも」
「はい! ありがとうございます!」
差し出されたホットカフェラテとキャラメルプリンタルトを持って席についた新藤は、心の中でガッツポーズをしていた。
(よしっ、今日は少し会話をしたぞ)
会話というよりは店員と客のやりとりだけだったが、彼にはそれで満足であった。
普段は「はい」と「どうも」しか言えなかったのだからたいした進歩である。
女性店員は新藤のそんな心の機微には全然気づかず、にこにこと客の注文を受けている。
(ああ、今日も可愛いなぁ)
カウンター内でテキパキ働く彼女の姿をポーっと眺めつつ、新藤は入れたてのホットカフェラテを口に運んだ。
「あっっっづっ!!!!」
◇◆◇
一つ星大学は都内でも有数の偏差値の高い文化系の大学である。
過去にも多くの文豪や文部科学大臣を輩出している名門中の名門だ。
一昔前であれば、一つ星大学出身というだけでもてはやされ、就職先から引く手あまただったとも言われている。
個性やコミュニケーション力を重視し始めている現代では大学のブランド名はただのお飾りになっているが、それでも一つ星大学の学生というのは周りからは羨望の眼差しを向けられる存在であった。
かく言う新藤隼も、地元に戻れば「すごいね」ともてはやされ、「あんたは自慢の息子だよ」と両親からも褒められた。
ただひとつ難点をあげるなら、彼はこれまで恋という恋をしたことがなかった。
勉強一筋で生きてきたため、異性に対する興味がまったくなかったのである。
そのため、初めて『ageha』の女性店員を見た時、雷に打たれたような衝撃を受けた。
(か、可愛い)
それが新藤の最初の感想だった。
そもそも、新藤がセルフカフェ『ageha』に来たのは偶然だった。
たまたま大学の講義が休講になり、次の講義まで時間を持て余したために立ち寄ったにすぎない。
もともとセルフカフェというオシャレな場所とは無縁で過ごしてきた彼は、メニュー表を見て愕然とした。
(なんだこれは? これが飲み物なのか?)
メニュー表に書かれた名称からでは、どんな飲みものなのか想像もつかない。
『ブレンドコーヒー』とか『アメリカンコーヒー』とかならまだわかるが、『なんとかモカ』とか『なんとかフラペチーノ』と書かれていてもまったくわからない。
そして不幸なことに『ageha』では『ブレンドコーヒー』も『アメリカンコーヒー』も置いてなかった。
(これは困った)
メニュー表とにらめっこをしている間に「いらっしゃいませ」と声をかけてきたのが、彼女だった。
まさに一陣の風。
他の店員と同じごくシンプルな白シャツに黒いエプロン姿なのに、彼女の立ち姿は初々しく、彼女の笑顔だけがひときわ輝いて見える。
トクン、と胸が高鳴るのを覚えた。
「ご注文はお決まりですか?」
自分に向けられたつぶらな瞳。
小ぶりな唇から紡ぎ出される柔らかい声。
新藤は一気に体温が上昇した。
それは、十八年生きてきた新藤に初めて訪れた感情だった。
「あ、え、えーと……」
慌ててメニュー表に視線を戻して頼めそうなものを探す。
そして偶然見つけた『ホットカフェラテ』を瞬時に指さした。
「こ、これを……」
「ホットカフェラテですね? サイズはどうなさいますか?」
(さ、さいず?)
サイズの項目を探すと「S」「M」「L」とある。
よくわからない新藤は無難そうな「M」を答えた。
「かしこまりました。ホットカフェラテMサイズですね。他にご注文はございますか?」
「い、いいえ……」
そうして手際よく差し出されたホットカフェラテを、新藤はいつまでも口をつけられずにいたのだった。
それからというもの、彼はほぼ毎日のように『ageha』に通った。
お目当ての彼女に会いたい、その一心で。
もちろん彼女がいない時もあったが、新藤にとってその女性と会えるのはこの店だけだったため、他に方法はなかった。
そして、いたらいたでなかなか声をかけることもできず、いつも『ホットカフェラテMサイズ』としか言えず、もどかしい思いをしていた。
なんとか会話の糸口がつかめれば。
日々、そんなことを思っていた。