その27 「カエデ救出」
エレナさんが振り抜いた一撃は、まるで――龍が森を薙ぎ払ったかのような凄みを感じた。
数息前まで、獣道すら見えないほど鬱蒼としていた密林が、いまは炎の筋を描いて倒れ、黒煙と焦げた根だけが残っている。
その光景に、私はほんの少し胸がチクリと痛んだ。
獣人族の都の周りには“深淵の森”がある。
私たちは森とともに育ち、森とともに暮らしてきた種族。
木々が燃える音は、どうしても胸に刺さる。
――でも。
私は、こぶしをぎゅっと握る。
(ここは義国の無人島。そして今は、カエデさんを助けることが最優先……)
そう割り切って、この島に踏み込んだのは私だ。
焼け落ちた木々の向こうで、エレナさんがクラウ・ソラを肩に担ぎ、ゆっくりとこちらを振り返る。
「よーし、これで一気に進めるな!」
義国潜入用に染めた黒髪、真っ赤な着物を着た女性が炎の中で笑うその姿を見て、私はほんの少しだけ背筋が寒くなった。
その後ろ姿は――まるで悪役にしか見えない。
私は少し離れた場所から、その姿を目に焼き付ける。
――その時だった。
風を切る音が、まるで連続する針のように周囲へ散った。
私の耳が、反射的に反応する。
「……エレナさん!」
エレナさんも臨戦体制を取る。
木々が燃えたせいで隠れる場所が失われた原生林。
そこに、“黒い影”が次々とやってきた。
黒装束。
黒面。
無音の足取り。
隠密集団“黒”――二十人くらいだろうか。
「エレナさん、この人達が……」
「あぁ、お前達が隠密集団"黒"の忍びか!?」
全員同じ服装だ。
ムサシ将軍に聞いたカシラという男の姿は見えない。
普通の戦士なら、秒で終わるが、忍びはどのように戦うのだろうか。
「貴様達が森を焼いたのか!」
「少し、心が痛んだけれど、友人を助けるためだ。カエデはどこだ!?」
エレナさんが刀を構えようとしたその瞬間、私は一歩前に出て制した。
「エレナさん、ここは……私に任せて、カエデさんを救出に向かってください」
「二十人……任せてもいいのか?」
エレナさんの目に、一瞬だけ心配がよぎる。
けれど私は胸を張った。
「私にも……活躍させて下さい」
エレナさんは、一拍置いて笑った。
「……わかった!気をつけろよ、ラン!」
「はい……気をつけます。エレナさんも、カエデさんを頼みました!」
エレナさんと言葉を交わした瞬間、二十の影が、一斉に地を蹴った。
私は双剣を抜き、低く構える。
ーー全部倒す!
私と忍びたちの間で、火花が散った。
* * * * *
ランが忍び二十名を引き受けてくれたおかげで、私は島の中心へ一直線に踏み込むことができた。
焼き落ちた原生林を抜けると、空気が一変する。
森の奥にあるはずのない“人工的な空洞”――石を削って作られた地下へ続く急斜面の入口が、紅く染まった空に黒く口を開いていた。
(……ここが奴らのアジトだな)
階段は地下深くは続いていた。
所々に蝋燭が置いてある。
「蝋燭があるだけマシだけど、暗いな」
更に歩くと何かの気配がする。
心を沈めて研ぎ澄ました瞬間。
気配が、霧のように浮かび上がる。
地下へ降りていく階段の奥。
そこに鋭く尖った殺気を感じる。
私は迷わず走り出す。
石室に降り立った瞬間、壁の影から黒い気配が弾けた。
「巫女の護衛……来ると思っていましたよ」
影がゆらぎ、人影が姿を現す。
黒装束。面には獣の牙を模した銀の紋。
(こいつが頭領カシラか)
凛とした気配が、肌を刺した。
「お前が忍び達のボスだな。カエデはどこだっ」
「初めまして、護衛殿。私は隠密集団"黒"の頭領カシラです。ここで貴方達を仕留めさせて頂きます」
返答と同時に、男の姿が消えた。
(速い――!)
刃が頭部に迫る。
私は即座にバック転し、それをかわした。
(こいつ……只者じゃないな)
カシラの動きは速く、これまで戦った敵の中でも上位に入る。静の意識を使わなければ、本気で危ない。
「どうしましたか?巫女の護衛殿」
「…言ってくれるじゃん」
再び姿が消え、壁から天井へ反射するように動く。
まるで刃の軌跡だけが空を走っているようだった。
私は呼吸を整える。
「すぅ――」
心の奥が水面のように静まり返る。
世界が、ゆっくりと見える。
影が動く音。
小石が転がる音。
衣擦れのわずかな気配。
すべてが、私の視界へ落ちてくる。
「そこだ!」
瞬間、私は踏み込みクラウ・ソラを振るう。
男の動きが止まって見えた。
私の攻撃にカシラが後ろに跳んだが、私はそこへ追撃の左拳で一撃を放つ。
「くぅ……バカな!!」
男は壁に叩きつけられ、呼吸が乱れる。
「はい、捕まえた。カエデはどこだ」
「……く、くく……この私が簡単に教えると思いますか?」
「…じゃあ痛めつけーー」
私は男の胸倉を掴み、床に叩きつけた。
「――エ…ナ…さん」
地下奥から、弱々しい声。
その声を、私は知っている。
「カエデ!!」
奥の鉄格子の中。
鎖で縛られ、身じろぎする姿。
私は膂力変換魔法を使い、鉄格子を力任せに引きちぎった。
「カエデ!」
「……エレナ……さん……?無事で……よかった……」
その細い声だけで、胸がいっぱいになった。
「もう大丈夫だ。ここから連れ出す!」
私はカエデの鎖を断ち切り、肩に抱え上げた。
「あっ!頭領がいない」
カエデを助ける間に、カシラが消えた。
(……とりあえずカエデを連れ出そう)
私はカエデを抱え、石室を駆け上がり地上に出た。
「ラン!カエデは助けたぞ!」
遠くで忍び達と戦っているランに大声で伝えた。
獣人族の耳なら聞こえただろう。
* * * * *
私はカエデさんを抱えたエレナさんの声を聞きながら、最後の五人を前に双剣を構えた。
「今の声、聞こえたか?」
「巫女が救出されたってことは……頭領が負けた……ってことか?」
「そんな馬鹿な……頭領が、あの女に……?」
忍びたちは動揺している。
私は口元をわずかに吊り上げ、双剣を軽く振った。
「あなた達のリーダーは、エレナさんに倒されたみたいですね。どうします?今なら――見逃してあげてもいいですよ?」
「……っ!小娘が……五人でかかるぞ!!」
隊長格の怒号で、忍びたちが一斉に飛び込んできた。
彼らの動きは速い。
私の四方八方から、影のように刃が迫る。
だが――
(静の意識……)
私は深く息を吸い、胸の奥を澄ませた。
身体の輪郭が透明になったような感覚。
筋肉の無駄な緊張がすっと抜け、足元から力が均等に満ちる。
エレナさんが名付けたこの義国の剣術“静の意識”。
この戦いで、ようやく自分のものにできた気がする。
私は獣人族だ。
父も兄も私も、本能が先走る“獣の血”を持つ。
だが、この静けさの中では――
(120%の力が出せる……!)
「はぁッ!!」
双剣が疾る。
一人。
二人。
三人。
斜めから飛び掛かってきた四人目の腕を弾き、背後へ回って峰打ち。
最後の一人の影走りを見切り、逆手の剣で足を払う。
五人の男たちが地面に倒れ込んだ。
「……ふぅ」
息を整えながら周囲を見る。
二十人。
全員が気絶している。
殺してはいない。
私は双剣を納め、小さく空を仰いだ。
(義国に来て……何もできなかったと思っていたけど)
胸の奥に、熱いものがこみ上げた。
(……ようやく、役に立てた)
嬉しい。
本当に、嬉しい。
「ラン!忍び達を倒したのか?」
私は笑みを浮かべ、二十人の忍びたちを背に――
エレナさんとカエデさんのもとへ駆け出した。
* * * * *
――ランは、本当に強くなった。
昔のランなら、あれほど多人数に囲まれれば間違いなく苦戦していた。
だが今の彼女は違う。
静の意識を完全に自分のものにし、二十人を圧倒してみせた。
誇らしく、心強い。
「ラン、お疲れ!」
私は駆け寄って声をかけた。
汗は流れているが、その瞳には余裕すら宿っている。
「はい! レーナさんじゃないですけど、余裕です。それよりカエデさんは?」
「大丈夫だ……今は寝かせている。ラン、花火を打ち上げて船を呼んでくれないか?」
「わかりました。行ってきますね!」
ランは軽やかに駆けていき、森の切れ間の向こうへ消えた。
その背をしばらく見送ったあと、私は焼け残った木の根元にカエデをそっと横たえる。
彼女の顔色は悪いが、呼吸は穏やかだ。
「……よし」
私は立ち上がり、周囲の気配に全神経を向けた。
――その時だった。
「そこにいるのはわかってるぞ」
私は静かに振り返った。
地下へ続く石室の入口。
先ほど消えたはずの“黒のカシラ”が、闇の底から這い上がるように姿を現した。
血と泥にまみれ、呼吸も荒い。
だが、その目だけは燃えている。
「……先ほどは不覚を取りました。私はまだ……やれますよ」
「よせ。仲間もそこに倒れているだろう?お前たちの負けだ」
「……ふ、ふふふ」
カシラの口元が歪んだ。
「我ら“黒”に……負けはありません。私が生きていればいいのです。ここで貴方と巫女を殺し、そして――先ほどの娘も殺す」
瞳の奥に、狂気が宿っていた。
「……あまり私を怒らせない方がいいぞ」
「――これを見なさい!」
カシラが懐から何かを取り出し、私の前に突きつけた。
それを見た瞬間、私は思わず目を見開いた。
黒い布に包まれた、小さな魔法具。
「それは、魔法具だな!」
その瞬間、誰かの叫び声でも、地面の揺れでもなく、嫌な気配が空気を震わせた。
「そう!貴方達が倒した魔族に貰った物です!」
森がざわりと揺れ、カシラとの再戦の幕を上げた。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は12/4木曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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