その24 「赤龍vs.蒼龍」
蒼龍の存在は、空気そのものを震わせていた。
天霧神社の本殿の上空を蒼い巨躯が旋回する。
『……久しいな、赤き同胞よ』
低く澄んだ声が響いた。
蒼い鱗は月光を吸い込み、氷のような光を返す。
『ふん、蒼龍か。相変わらず偉そうだな』
赤龍は境内の端で身を起こし、巨大な翼を広げた。
石畳がバキバキと音を立てる。
『我は女神アルカナの声を聞いた。「龍種は、これ以上、人の争いに介入するな」とな』
『あの女から我ら龍が指図される謂れはない』
赤龍は牙を剥き出しにし、蒼龍を睨む。
『あの女に尻尾を振って、我を止めに来たか?』
『違う。これは私の意思だ』
蒼龍の全身から、蒼白い光が立ちのぼる。
その光は、女神の魔力に似た気配をまとっていた。
『女神の力を借りて、同胞に牙を剥くか。貴様の誇りはどこにある!』
『我の誇りは、女神からの願いそのものだ』
『……くだらん。だが、我は世界の敵になったわけだ』
赤龍の口角が、嗤うようにわずかに吊り上がった。
『いつものように軽くあしらってやろう』
次の瞬間、二頭の龍が激突した。
蒼い光と紅の炎が、夜空で爆ぜる。
雷鳴のような衝撃音とともに、天霧神社の木々や建物が次々と崩れ落ちていく。
* * * * *
天霧神社の屋敷側ーー。
「うっ……!」
カエデは、頭上で炸裂する光景から目を逸らせなかった。
さっきまで自分たちが居た母の部屋の屋根や壁が跡形もない。
「失礼」
耳元で冷静な声がした。
黒装束の男――隠密集団"黒"の頭領カシラが、彼女の身体を抱き上げる。
「っ…放せ!」
「コウヨ様、ここは非常に危険です。巫女を連れて逃げましょう」
次の瞬間、視界が大きく揺れた。
カシラはカエデを抱えたまま、コウヨの方を見る。
「サエ、付いて来なさい」
「はい!」
サエが刀を納め、母コウヨを守りながらカシラの方へ向かう。
『むっ、巫女を置いてゆけ!』
赤龍が体をひねり、天霧神社から去ろうとする三人を追おうとした――そのとき。
『どこへ行く、赤龍』
蒼い尾が閃いた。
次の瞬間、赤龍の側頭部に一撃が打ち据える。
『がっ……!』
巨体がよろめき、弧を描いて神社から離れる。
『我から逃げるつもりか』
『邪魔をするな!』
赤龍が怒号と共に翼を打ち振る。
重い風圧が蒼龍を弾き返し、その勢いで二頭は再び空へと舞い上がった。
カエデはカシラの腕の中で見上げていた。
(ムサシ……エレナさん……)
視界には、蒼と紅の光が幾度も交錯し、激しい爆音が轟いていた。
* * * * *
同じ頃――。
大名エチゴが管理する土地。
天霧から離れた三つの場所で、それぞれの戦いを終えた者たちが、異様な魔力の高まりを感じていた。
「っ……この魔力……!」
私は捕縛した大名エチゴを、ムサシの部下に引き渡し、遠くの空を見上げた。
胸の奥がざわつく。
どこかで強者同士のぶつかり合いの感覚――。
(赤龍と、誰かが戦ってる?ーー龍同士……?)
「エレナ殿?」
ムサシが訝しげにこちらを見る。
「すみません将軍、ここはお任せしてもよろしいでしょうか?天霧神社の方角から、嫌な気配がします!」
「なに…!?」
ムサシの顔色が変わる。
「カエデがいます。行かないと!」
「……わかった!ここは我らに任せろ。行け!」
「ありがとうございます!」
私は膂力変換魔法を足だけに集中させ、一気に地を蹴った。風を切る音が耳元で悲鳴をあげる。
商人が管理する港ーー。
「……おっきい魔力。空が震えてる」
倒した忍びと横領の証拠である樽を囲んだまま、ランは耳と尻尾をぴくりと動かした。
「ラン殿?どうかなされたか」
「ごめんなさい、後はお願いしてもいいですか?」
「は、はい!こちらで処理いたします!」
「ありがとうございます!」
ランは天霧神社の方へ駆け出した。
獣人の脚力で屋根から屋根へ跳び移りながら、ランは風の中に混じる焦げた匂いと血の匂いを辿っていった。
商人街の地下街ーー。
「……激しい魔力の揺れ方ね」
地下倉庫から地上へ出たレーナは、穴の縁に腰を下ろして息を整えながら、空を睨んだ。
ただでさえ大魔法使いフソウを燃やして体力を使っているのに、今のこの圧は明らかに常軌を逸している。
(赤ちゃんだけじゃない……これは蒼龍?)
脳裏に、以前一度だけ対峙した蒼龍の姿がよぎる。
「あーもう……嫌な予感しかしない」
「レーナ殿?」
ムサシ将軍の部下が駆け寄ってきた。
「悪いんだけど、ここから先は任せるわ。横領の証拠あったんでしょ?」
「は、はい! 後は我々で!」
「助かるわ」
レーナは杖をトン、と地面に突き立て、呟いた。
「ちょっと使ってみたい魔法があるのよね。女神アルカナよ、風の道を示し我を彼の地へ《ウィンドリフター》」
足元に風が巻き起こり、そのままレーナの身体を持ち上げる。軽く跳躍するように、彼女は天霧神社の方向へ飛翔した。
「えぇぇ、レーナ殿が飛んだ!!」
* * * * *
神社の上空は、もはや空とは呼べない有様だった。
紅と蒼の光が幾度も衝突し、そのたびに雷鳴よりも大きな音が響く。
風が逆巻き、瓦礫と折れた木々が竜巻のように巻き上げられていた。
参道は崩れ、階段は半分以上が砕け散っている。
民衆は悲鳴を上げながら逃げ惑い、大混乱の中にあった。
「なんだこれ……」
坂を駆け上がり、境内に飛び込んだ私は、思わず立ち尽くした。
天霧神社は全壊。
本殿は屋根が吹き飛び、社殿の柱し折れている。
そして、その上空――。
『ガアアアアアッ!!』
赤龍が吠えた。
炎の尾が空を裂き、蒼龍の翼をかすめる。
『ぬるいぞ、赤龍!』
蒼龍は身を翻し、蒼い光を凝縮した砲弾のようなブレスを吐き出した。
それを赤龍はギリギリのところで翼で弾き、防ぐ。
(…互角じゃない…赤龍は風の勢いを殺しながら戦っている)
足元の石畳が、二頭の余波だけでひび割れていく。
「エレナさん!」
横からランが飛び込んでくる。
「ラン、無事だったか!」
「はい!港は片付きました。横領の証拠も出てきました」
「こっちもエチゴは終わった。あとは……」
視線を巡らせたとき――。
「……レーナは?」
彼女の姿が見えない。
「エレナ!ラン!!」
風に乗る声が聞こえた。
見上げると、全壊した神社の端に生えている木の上にレーナが立っていた。
焦げた帽子。破れたスカート。
「レーナ!」
「いやぁ、派手ね。赤ちゃん」
わずかな瞬間――蒼龍の目が、レーナを捉えた。
『……その顔…その髪…』
蒼い瞳に、殺意が宿る。
『我の角を砕いた――魔法使いの小娘!』
「っち、覚えられてたか」
レーナが舌打ちした。
『ここで会ったが百年目!!』
蒼龍が顎を下げる。
蒼白い光が、喉奥に収束していく。
「ブレス!?」
「まずい!」
私とランは同時にレーナの元へ飛び出したが、距離が長い。
『消え失せーー』
蒼い光線が、雷鳴のような轟音とともに放たれた。
『させんぞ、蒼龍!』
赤龍が蒼龍の前に割り込んだ。
全身で、蒼のブレスを受け止める。
『ぐっ……おおおおお……!』
赤い鱗が、蒼白く焼け焦げる。
巨体がきしみ、空が悲鳴をあげた。
「赤龍!!」
「赤ちゃんっ!」
蒼龍のブレスを押し返しながら、赤龍が低く唸る。
『我の友には、指一本触れさせん』
そして、何かを決意したように、瞳を細めた。
『蒼龍よ――神の力に頼った貴様に、龍の誇りを思い出させてやる』
赤龍の口元に、焦げた血が滲む。
その身から、今までとは比べ物にならないほどの炎の気配が立ちのぼった。
《エレナ!》
私の名前を呼ぶ声が、頭の中に直接響いた気がした。
《よく見ておけ。これが――我の全てを懸けた炎だ》
次の瞬間、赤龍の口から、世界が塗り替わるような紅蓮が放たれた。
今までのブレスとは違う。
熱だけではなく魂そのものを焼き尽くすような炎。
空を炎が多い、太陽がこの地に近づいたかのようなブレスだ。
蒼龍の蒼いブレスを一瞬で飲み込み、その巨体を直撃した。
『ぐああああああああッ!!』
蒼龍の悲鳴が空を裂く。
蒼と紅が空中で膨れ上がり、巨大な爆発となって弾けた。
閃光。
そして、轟音。
耳が、世界の音を失う。
気づけば二頭の龍は、空から消えていた。
「……赤龍……?」
遅れてやってくる振動。
私たちは思わず膝をついた。
生の衝撃音が全身を駆け抜ける。
「エレナ、あれ!」
レーナが指さした方向。
神社から少し離れた山肌に、巨大なクレーターが二つ刻まれていた。
一つは、炎で黒く焦げた跡。
一つは、蒼く冷えた氷のような跡。
「赤龍は……こっちだな」
私の足が、自然と炎のクレーターへ向かって動き出していた。
「私は蒼い方、見てくるわ!」
レーナが即座に踵を返し、瓦礫の散らばる参道を駆け抜けた。
その背は焦げたマントを揺らしながら、蒼龍が落下した方角へ一直線に向かっていく。
「私は街を見てきます!」
ランも迷いなく別方向へ跳んだ。
爆風の余韻が残る境内から一歩飛び出すと、その身体は風を裂くように加速し、天霧の街へ消えていく。
「ああ、二人とも……気をつけろよ!」
叫びながら、私は拳を握った。
胸の奥がざわつく。
赤龍の落下地点は東側の山の麓。
蒼龍は西の森のほうへ沈んだ。
街も森も……火の手が上がっている。
それぞれが向かうべき場所へ向かったのだ。
レーナは――蒼龍。
ランは――天霧の民。
そして私は――赤龍。
「赤龍……待ってろ」
私は息を吸い込み、瓦礫を蹴った。
足場の悪い石段を飛び越え、木々の倒れた境内を駆け抜ける。
夕方の空気はもう冷たいのに、胸の奥は灼けるように熱い。
――あの赤龍が………。
信じられなかった。
でも、見た。
蒼龍の一撃を受け、反撃の大炎で蒼龍を倒し、そのまま魔力失調のように落下していく姿を。
赤龍が死ぬなんて、考えたくもない。
「……お願いだから、生きてくれ」
私は走った。
ただ、友の元へ辿り着くために。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は11/22土曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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