その23 「母親との決別」
母――コウヨが部屋へ足を踏み入れた瞬間、
空気が張りつめた。
「……お母様、もうお戻りに?」
夕陽が差し込む部屋の中。
倒れたサエ、散乱した帳簿、私の握る刀。
その全てを、母は一瞥しただけで状況を把握した。
「カエデ、サエ。この騒ぎは何ですか?他の準巫女達の姿もない。それに……なぜ、私の部屋で勝手に帳簿を広げているのです?」
「……お母様」
私は裏帳簿を胸の前に掲げた。
「この裏帳簿……どう説明するつもりですか?」
「……」
母の表情は、まるで何の感情も浮かべていない能面のようだった。
「サエを使って、寄進のお金を横領するように指示していたのは……お母様ですよね」
「いいえ」
「えっ?」
一瞬、思考が止まった。
「何の事か知りませんが、寄進を横領したのですか?サエが?」
「この期に及んで、何を――!」
私が詰め寄ろうとしたその時、
「サエ。貴方、私の顔に泥を塗るおつもりですか?」
母は静かに、しかし決定的な声で告げた。
サエがぎゅっと唇を噛んだ。
そして――
「……はい。横領していたのは、私です」
「っサエ!?あなた……!」
「そう…サエ、どういうつもりかは知りませんが……裏切り者は処罰しなければなりませんね」
「お母様、何を言って……?」
母は、私の手に握られた刀を指差した。
「カエデ。その刀で、サエを殺しなさい」
「――は?」
頭が真っ白になった。
「『は?』ではありません。この国で天霧家に逆らう者がどうなるのか――貴方が“巫女”として示しなさい」
「お母様……サエ……」
こういう時のために二人間で既に物語が出来上がっていたのだろう。サエはそれ程までに母を……
私は刀を強く握り直した。
「お母……いえ、元巫女コウヨ。あなたは……本当に罪を認めないのですね!」
母の瞳が初めて揺れた。
「母親に向かって、なんですか……その口の利き方は」
「この裏帳簿はこの部屋から出てきたんですよ!お母様以外に主犯なんてあり得ません!」
「主犯だなんて……人聞きの悪い。貴方、実の母親によくも言えましたね」
冷たい声。
その言葉で私の中の何かが壊れた。
――母は、もう“正しい道”に戻れない。
私は静かに刀を構えた。
震えはない。
これは――母と決別するための刃。
「元巫女コウヨ。貴方を国家反逆罪、そして横領の罪で捕縛します!」
母は驚くどころか、微笑んだ。
「まぁ……なんて勇ましいこと。変わりましたね、カエデ」
「ええ。私は――この義国を守る“巫女”カエデです」
「そう。でもね、カエデ……貴方の後ろ…」
母が人差し指をこちらに向けた瞬間。
――ドスッ!
「く……はぁっ!」
背中に衝撃。
息が詰まり、膝が床に落ちる。
「サエ。カエデを捕らえなさい」
「……はい」
サエの気配が後ろから迫り――
冷たい刃が私の喉元に触れた。
「くっ……サエ……!」
「危ないところでしたな、コウヨ様」
聞いたことのない声。
黒い影が、私の背後から現れた。
「だから、証拠は我一族で預かりましょうと提案したじゃありませんか」
全身黒装束、気配すら掴めない。
その男は、深々と私に一礼する。
「初めまして、カエデ様。私は隠密集団"黒"(くろ)》を率いるカシラと言います」
「隠密集団《黒》……義国のどこかにあるという忍びの里……」
「そのとおり。巫女様はよくご存知だ」
「えぇ、知っています。ムサシから聞いておりました。貴方達が義国の裏で犯罪者や政治犯に力を貸していると……」
忍び。義国の裏に存在していた闇の組織。
「ほう、将軍はそんな事まで調べておられるのですね。彼もそのうち始末せねばなりませんね」
先先代のお祖母様の時代に、既に滅んぼされたと思っていた。
「元巫女コウヨ、貴方は彼らを使ってーー」
「カエデ、貴方の言う通りよ。主犯はこの私。この国に納められた“税”……“寄進”を横領していたのは、全部私。彼ら"黒"に依頼して、この国の犯罪者や政治犯に力を貸していたのも私」
母は悪びれもなく言った。
「……お母様……」
「また“母”と呼んでくれるの?さっきまで呼び捨てにしていたのに」
悪意のにじんだ笑みだった。
私は叫んだ。
「天霧家は……国民を祈りで守るための一族!民の信頼を裏切り、お金を横領して、犯罪者を手助けして、何をしようというのですか!」
「サエが言わなかったのかしら?この義国を――“天霧家”が支配する。そのために使うわ」
「そんな……馬鹿な……!」
「ふふ……真面目なカエデには、一生わからないわ」
母の瞳に宿るのは、怒りでも悲しみでもない。
――純粋な憎悪。
「私は……この国をどれだけ憎んでいるか。どれほど……滅ぼしてやりたいと思ったことか」
その声音は、私が知っていた“巫女コウヨ”のものではなかった。
「でもね、滅ぼせば暮らしは成り立たない。ふふ、だから――私の良いように支配するのよ。母や一族が愛したこの国を」
……母は、もう戻らない。
「良いように支配して……自分たちだけのために国を操ろうなんて、私は許しません」
「貴方が許さなくても関係ありません。私は私の望む形に国を作る。その時は――サエを巫女に据えて、私が政治を司るのです。カエデは地下深くに投獄してあげる」
横に控えるサエの肩が、僅かに揺れた。
「サエ……本当にそれでいいの?街の人々と楽しそうに話していたじゃない。道場の師範も、仲間たちも……どうするの?」
「……うるさい。何度も言ったでしょう。私はコウヨ様に救われた。だから――コウヨ様のために生きる。それだけよ」
「よく言いました、サエ」
母は満足そうに微笑む。
私の胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
「もう……本当に、ダメなのですね」
諦めかけた、その時だった。
――ごううん!!
突風のような圧が、屋敷を震わせた。
『その話、我も加わってよいか?』
天井が吹き飛び、瓦礫と木片が周囲に降る。
そこから顔を出したのは――紅蓮の巨影。
「……赤龍様……!」
部屋の空気が一瞬で変わる。
「どけ!」
黒装束の男――“黒”の頭領カシラは、素早く私を抱え込み、クナイを喉元に押し当てた。
「動くな」
サエは後ろへ跳び、母を庇うように立つ。
『うむ、巫女の母よ。二度目だな』
母の顔が強ばった。
サエの肩も震えている。
「この国と何の関係もない貴方が……何のつもりです?」
『うむ、エレナにな。カエデが困っていたら助けてくれと頼まれてな。困っているようだったので助けに入った次第だ』
「……エレナさん……」
『我は地獄耳でな。話は全て聞いておった』
赤龍の声音は穏やかだが、柱のように重く響く。
『そこの黒い者。我が名は赤龍。貴様の忍びの術は見事だ。本気で気付かなかったぞ』
カシラは黙って私を締め上げる。
『だがな、その手を離してやれぬか?我は暴れて人を殺すのは好きではない。もちろん、貴様らに手は出さん。どこはなりと行くが良い。だが、我に害が及ぶなら容赦はせぬが』
「っ離すわけないだろう……!この女を離せば、我々の命はないのは明白」
「カシラ、カエデを離さないで」
「……承知」
母の怒号にも似た声が響く。
『うむ、信じてもらえんか。交渉不成立だな』
「赤龍さんでしたか。申し訳ありませんが――この国の事に、異国の者が口を出さないでいただける?」
『無論、我も本来は関わりとうない。だが――エレナの頼み。我が友の願いを断るわけにはいかぬ』
「……あの護衛と友……?」
母の顔に緊張が走る。
赤龍様が簡単には引くつもりがないのが分かったからだ。
赤龍様は悠然と、私と母を交互に見下ろした。
『さて――巫女よ。どうしたものか』
赤龍様の低い声が、瓦礫の散らばる屋敷に響く。
その声音には怒りも焦りもない。
ただ――私を“選ばせる”ような静かな圧があった。
まるで、私の覚悟を測るように。
私は息を吸い、震える喉を押し出すように叫んだ。
「赤龍様!私諸共、この者どもを殺して下さい!! ——っ!」
バッ!
「小娘、黙れ!」
後頭部に激痛。
カシラが髪を掴み、容赦なく後ろへ引き倒した。
「っ……く!」
「カエデ様!何を言っているのですか!!」
サエの声が震える。
母も目を見開き、言葉を失っている。
私は血の味を感じながら言った。
「ここで……この人たちが死ねば……後はムサシとエレナさんが動いてくれます。それが……この国の未来です……!」
叫びではない。
絞り出すような、祈りの声だった。
赤龍様の真紅の瞳が細められる。
『うむ……よく言った。巫女の覚悟、確かに見届けた。』
赤龍様がゆっくりと首を上げた。
『……だが、どうやらーー我が介入するのは、ここまでのようだ』
「……え?」
その瞬間、屋敷全体がざわりと揺れた。
風が巻き込み、天井を剥ぎ取った穴から何かが差し込む。
光――ではない。
“蒼い影”。
私も、サエも、黒のカシラも、そして母も。
全員が、同じ場所を凝視した。
「あ……れは……?」
ゆっくりと降りてくる、その巨躯。
赤龍とは異なる冷ややかな美しさをまとった蒼。
瓦礫が震え、空気が冷たく澄んでいく。
赤龍様が静かに告げた。
『……東方の守護者、“蒼龍”。奴がなぜここに…』
青い鱗が陽に照らされて煌めき、
長い鬣のような光が尾を引いて揺れる。
――言葉にならない威圧。
息を呑む音が、部屋に満ちた。
「な……何なの……」
サエの声が震えた。
母コウヨは後ずさり、膝が床に落ちる。
そして蒼龍が、澄んだ声で呟く。
『見つけたぞ赤龍』
その声は、冬の風のように冷たく、
それでいて透き通るほど美しかった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は11/20木曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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