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その22 「サエの真実」

 エレナたちが大名や商人を追い詰め始めた頃――。

 天霧神社で、私はサエとともに屋敷の母の一室に忍び込み帳簿を広げていた。

 

 母は、私が幼い頃から頑固で、融通の利かない人だった。

 それも、天霧家という祈りを血として受け継ぐ家に生まれた者の宿命だったのだろう。


 先代――お婆様はさらに厳しかった。


 「民のために三鶴城家と天霧家は尽くさねばならない」


 それは口癖のように私たちに言い聞かせていた。


 母は、その教えを守りながらも、どこか窮屈そうだった。結婚相手も進む道もすべて決められた人生。

 あの頃の母の横顔は、ほんの少しだけ諦めの色を帯びていたように思う。


 私もまた、天霧家の者として厳しく育てられた。

 ただ、お婆様ほどではなかった。

 母は、お婆様に反抗していたのかもしれない。


 だが、私は、この二千年以上続く三鶴城家と天霧家の関係、そしてその“役目”のあり方をいつか変えたいと思っていた。


 幼馴染のムサシとは、その話をよく共有した。

 いつしか彼の存在は、単なる友ではなく、特別なものになっていた。けれど――私は巫女で、彼は将軍。

 どちらの家も簡単に許すとは思えず、胸に秘めた想いは言葉にならないままだった。


 母が、民からの寄進を横領しているかもしれない。

 ムサシから告げられた事実は辛いものだった。


 信じたくない。


 けれど考えてみれば、出所の曖昧なお金が急に増えたこともあった。

 私は……なるべく見ないふりをしてきたのだ。


 亡くなった父の記憶は、今ではほとんど霞んでしまっている。

 それでも――ただ一つだけ、はっきりと覚えていることがある。

 大きな手で、何度も優しく頭を撫でてくれた感触だ。

 その温もりだけは、不思議と今も鮮明に残っている。


 母も、そんな父を深く愛していたのだと思う。

 父の話をするとき、母の表情はほんのわずかだけ柔らかくなった。

 あの人がもし生きていたなら……

 母も、天霧家も、そして私自身も――少しは違う未来を選べていたのだろうか。


 横領が事実なら、天霧家は私の代で終わらせる。

 その覚悟だけは、すでに胸の奥に沈んでいる。


 差し込む夕陽は赤く、静かな部屋の影をゆっくりと伸ばしていく。

 すでに日は傾き、紙をめくる音だけが、重い空気の中にぽつりと響いていた。

 帳簿、奉納柱の授受、寄進の伝票……表向きにはどれも整っている。


 だが、どこかに裏帳簿があるはずだ。


 「カエデ様、こちらの年度も確認できました。記録上は問題ないかと」


 サエはいつも通り丁寧に報告してくる。


 私はふと思い立ち、母が滅多に開けない衣装箪笥の裏へ手を伸ばす。


 ──指先に、薄い紙の感触。


「……これだ……」


 出てきたのは、古い皮表紙の帳面。

 先程までの帳簿と違い、走り書きのような雑な字で数字が列挙されている。


 不自然な字の流れーーこの字に見覚えがある。

 横領されている寄進金の一部が特定の人物に流れている。


 その帳簿には、見間違えようのない文字があった。


「……サエ。これは……あなたの字ですよね?」


 空気が、凍りついた。


 サエは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。


「気づかれてしまいましたか、カエデ様」


 鞘鳴りが、狭い部屋に響いた。

 サエの指が、自然な動作で刀の柄に触れている。


 「どうして……あなたが」


 「ええ。コウヨ様から信頼できる者に任せると言われまして…私、コウヨ様には恩があるんです。この天霧神社に拾っていただきましたから」


 その声音には恨みでも感謝でもない、乾いた諦念が混じっていた。


 「子供の頃……私は本当に貧しかったんですよ。飢えて、寒くて……生きるためには、嘘だって盗みだってやった。巫女見習いになれば救われると思ったのに……変わらなかった。質素な暮らしのまま」


 サエはあっさりと言う。


 「手を伸ばした先に金がある。なら、使わない方が愚かです」


 「サエ……」


 「カエデ様は立派ですよ。民のために、自分を削って祈る。でもね――そんな生き方、私はまっぴらなんです」


 冷たい瞳が、まっすぐに私を射抜く。


 「だからコウヨ様に協力しました。いずれ天霧家が“義国の頂点”になる」


 さらりと語るその口調に、罪悪感はまるでない。


 「……民の平穏のために祈る者が、民の苦しみを踏みにじってどうしますか」


 「覚えておいて下さい。理想でお腹は膨れません」


 サエは刀を完全に抜いた。

 その動きは巫女としてのものではなく、完全に剣士のそれだった。


 「コウヨ様にはカエデ様が気がつかれたら捕らえて地下に投獄するように言われております。わかりますよね?カエデ様と私、剣で戦えばどちらが勝つか」


 私は震える手で母から授かった巫女刀を握る。

 心臓が痛い。けれど――逃げられない。


 「や、やってみなければ、わかりません」


 静かに、しかし確実に、サエと私の距離が縮まっていく。


 天霧神社の影に潜んでいた裏切りは、最も身近な姉妹のような存在だった。


* * * * *


 私が物心ついた頃には、もう両親はいなかった。

 住んでいたのは、貧民街の中でも最も端にある、雨露が辛うじてしのげるだけの崩れた家。

 草を噛み、泥水をすすり、時には老人の食べ残しを盗んで――ただ生き延びるためだけに、毎日を必死に過ごしていた。


 そんな生活では栄養など足りるはずもなく、私はある日ついに道端で倒れ込んだ。

 その時、なぜか“巫女であるはずの”コウヨ様が、貧民街に足を踏み入れていた。


 「貴方のお名前は?」


 理由なんてわからない。

 けれど、あの時差し出された手だけは、今でも鮮明に思い出せる。


 「…サ…エ……」


 その日から私は天霧神社の準巫女として雇われた。

 言葉を覚え、文字を覚え、計算を覚え……ようやく人として扱われるようになった。


 救われた日から一緒に育ったカエデは、まるで姉妹のようだった――表向きは。

 あの子はこの国で最も恵まれた家の娘で、何も知らず、何も欠けず、民のために祈るのが務めなどと綺麗な言葉ばかり言っていた。


 平和を知る者の言葉は、時として残酷だ。

 私は心の奥で、あの子をずっと憎んでいた。


 成人した頃、コウヨ様からある頼み事を受けた。

 寄進の一部を管理し、天霧家のための裏帳簿を管理しなさいと。

 そして、天霧家の将来の展望も聞かされた。

 口止料として渡された金は、私が人生で初めて手にした大金だった。


 「あぁ、ようやく私は選ばれたんだ。実の娘ではない私が――天霧家に必要とされているんだ」


 それから私は表ではカエデ様の護衛。

 裏では天霧家の裏金庫番となった。


 そして十日ほど前。

 島国から来たという女三人が、義国の均衡を崩しかねない存在になるとコウヨ様は思われた。

 コウヨ様から下った命は明確だった。


 ――金についてカエデや彼女達が捜査をする事になった場合、カエデは地下へ投獄。

 異国の女三人は殺せと。


 今ごろ、大名や商人が雇ったゴロツキたちが処理している頃だろう。

 そうなれば、すべての罪はムサシとカエデの命令だという事で三鶴城家を断罪できる。

 ムサシを失脚させ、この国の主導権を天霧家へ。

 

 この義国を天霧家が支配する。


 その目的のために、目の前にいるカエデを地下に落とすだけだ。


* * * * *


 「サエ、やめませんか? 罪を認めて、剣を納めてください」


 「本当に反吐が出る甘ちゃんね……」


 サエは口角を歪めた。

 瞳には後悔も迷いもなかった。

 ただ、冷たい憎しみだけがある。


 「私、あなたのことずっと嫌いだったの」


 「……なぜですか」


 「あなたが平和ボケしたお嬢さんだからよ!」


 サエが飛び込んできた。

 速い。重心の落とし方も、間合いの詰め方も、剣士として鍛え上げられた動きだ。


 私は間一髪で受け止める。

 甲高い金属音が響く。

 腕に衝撃が走り、足元が僅かに滑る


 「いつも、いつも! 民のため、民のため……本当に目障りだったわ!!」


 怒りに任せた連撃が降り注ぐ。

 剣速は荒いが、力は重い。

 受けるたびに手が痺れる。


 私は必死に耐えながら、サエの瞳の奥を見た。


 (これは……積もりに積もった、黒い想い。)


 「民たちは、三鶴城家も天霧家も信じてくれています。だから、こんな事は……私の代で終わらせます!」


 「平和ボケした女がぁぁ!!」


 サエが大上段から斬り下ろしてきた瞬間、私は横へ滑り、刃を打ち上げた。


――キンッ!


 火花が弾け、サエの剣先がわずかに上へ跳ねる。


「ちっ……!」


「サエ……あなたは、本当は優しい人のはずです!」


「黙れッ!!」


 サエは体勢を崩しながらも無理やり踏み込み、

 刃を逆手に持ち替えて喉元を狙ってくる。


(鋭い……けど、速さに執着している分、隙が多い!エレナさんに教えてもらった通りだ)


 私は両手で握った剣をぐっと前に押し出し、

 サエの攻撃線を外へと弾き飛ばした。


「くっ……!」


「ごめんなさい、サエ。私は負けられませんし、この国の全ての民には平和に暮らしてほしい」


 私は前へ一歩踏み込み、静かに剣を薙いだ。


 ――ザッ


 サエの手から剣が跳ね飛び、床に転がった。

 彼女は片膝をつき、肩で息をしている。


 「っ……」


 「サエ……どうか、話を――」


 「まだ……終わってな……」


 サエが震える手で隠し刀に触れようとした――その時。


 ーーコン……コン……


 廊下の奥から、規則正しい音が響いてきた。

 母の足音だ。


 「……カエデ。そこにいるのね?」


 母の声だった。

 その声は静かで、冷たく、全てを見通しているかのようだった。


 サエはその声に反応し、震えるように顔を上げた。


 「コウヨ……様……」


 私は母の気配に背筋が凍るのを感じた。

 サエを倒したはずなのに胸の奥が締め付けられた。


 ギィ……と、古い扉が軋んだ。


「サエ。何をしているのかしら?」


 母、コウヨが入ってきた。

 その眼差しは、倒れたサエにも、剣を握る私にも、

何一つ動揺を見せない。


 ただ静かに、しかし圧し掛かるような威厳で部屋を支配する。


「……説明してもらえるかしら、カエデ」


 夕陽が差し込み、コウヨの影が長く伸びる。

 私は背筋が凍る感覚を覚えた。

読者の皆様、いつもありがとうございます。

次話は11/18火曜日22時に公開予定です。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。

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