その20 「三拠点同時襲撃〜港に潜む影〜」
潮の匂いが鼻孔をくすぐる。
天霧の港の倉庫街に、私は一人で潜入している。
目的は一つ――横領された硬貨を見つけ出すことだ。
ムサシ将軍の情報では、港の倉庫街の十区画に横領した硬貨が集積され、樽に詰められて運び込まれているらしい。樽は十本単位で動くという話だ。
自分の父が獣神で、育ちが王族や貴族に近い扱いを受けていた私は、義国の民が搾取される様を見過ごせない。
倉庫街は商人が抱える組織が管理している。外部者がちょろっと探したところで、見つかるものではない。
だが、私の鼻が嗅ぎ分ける。匂いは嘘をつかない。
十区画の中で陸地に一番近い三番倉庫――そこから、硬貨の冷たい金属臭が滲んでくる。
今回の作戦はムサシ将軍とエレナさんが立案した。
三拠点同時襲撃。
手っ取り早くていいからだそうだ。
大雑把すぎると思う。
「港の倉庫街に我の部下がうろつくと相手は警戒する。そこで申し訳ないが、ラン殿一人で探索してもらいたい。証拠が見つかればすぐに押さえてもらって構わない」
要は私が単独で匂いを辿り、現場を押さえたところで打ち上げる花火を合図に、将軍が選んだ約三十名の部下が一斉突入する段取りだ。
義国に入ってから、私は役に立てていない。
先日の魔族との抗争には絡めず、エレナさんとレーナさんの戦いも間近で見られなかった。エレナさんの仇敵である光の聖女リサにレーナさんが挑み負けに近い状況だったそうだ。そして、エレナさんが互角の戦いを繰り広げたらしい。赤龍さんの顔を立てて、リサはその場から去ったということだ。
私もあの場にいて、二人の役に立ちたかった。
『ランよ、気にする事はない。戦いもまた縁だ。いずれお前が役に立つ時が来る。それまで牙を磨け』
赤龍さんの言葉が、夜風に溶ける。
あの方は人族の心の機微をよく知っている。
異種族なのに不思議だ。
私は静かに呼吸を整え レーナさんに教わった霧の魔法を唱えた。
「女神アルカナよ、風と水の境界を曇らせ姿を消せ――《フォッグ・ヴェール》」
体を包むように、薄い靄が立ち上る。完全に見えなくなるわけではない。だが、人の視線から逃れやすくなるそうだ。ここでは「見えにくい」が十分な利点になる。
ちなみにレーナさんは、何か問題を起こして逃げる時に使うそうだ。
あの人は何をやっているのだろうか。
倉庫の入り口に二人の見張りが立っている。顔を深いフードで隠しているが、懐中に短剣を装備しているのがわかる。
私は裏手に回り、はしごを見つけて二階へ上がる。屋根伝いに回り込むと、掃除用の点検口がぽっかりと開いていた。鍵はかかっていない。チャンスだ。
慎重に降り、二階の格子の隙間から一階の様子を窺うと人の声が数人分聞こえてきた。
「今日の取引、うちらはいくらもらえるんだ?」
「商人どもはケチだからな。よくて一分だろ」
「一分じゃ少なすぎだよ。樽一本に数百万だって聞いたぜ?」
「ああ、ざっくりな話だが」
「これ、民の税金だって分かってるのかよ。奴らも悪党だな」
――はい、クロ確定。
こんなに簡単にわかるなんて……
心の中で、ため息と怒りが交差する。外に出て合図を上げるか、それともここで彼らを始末してしまうか。どちらがいいか、頭の中で天秤が揺れる。
しかし、何かの気配にばっと振り向く。
空気がほんの少しだけ冷たくなった。だが、目には何も映らない。倉庫の陰と木箱だけ。
だが、鼻が、耳が、身体が――無言で答えを出す。 霧の魔法の効果は続いている。
合図をあげるか悩み、私の手が、いつものように双剣の柄へ伸びた瞬間ーー。
冷たい刃先が首筋に当たる感触がした。黒い影が人の形をとり、私を纏うように寄り添った。小さな刀の刃先が喉元に吸い付くように立ち、息を呑む間も許さない。
「っく」
喉の奥が締め付けられる。
影の者の呼吸は静かだ。
「静かにしろ――貴様、誰の命令でここに来ている」
声は低く、抑えられていた。刃の冷たさが、私の脳裏を鋭くつついた。ここで無闇に動けば、首を斬られるかもしれない。
「……」
無言でいる私の耳に、影が囁く。
「答えるつもりはないか……捕まえて履かせてやる」
影の者の声に、暴力をちらつかせる余裕があるのを感じた。
だが次の瞬間、隙が生まれた。影が一瞬だけ刃の角度を変えたのだ。そこを私は見逃さなかった。
一瞬の隙に、私は影から離れ、二階の縁を蹴って一階へと飛び降りる。
「っだ、誰だ!」
床板を蹴りしめる私の着地の衝撃に、見張り達が一斉に声を上げた。だが、私は彼らに囲まれても気にしない。
「貴様!」
先ほどの男たちが四方から詰め寄る。手元の酒瓶を握りしめ、短剣をちらつかせる。だが私は彼らを無視して、低く声を張った。
「そこのあなた!姿を見せて下さい!」
暗がりから、影がゆっくりと姿を現す。闇から抜け出したのは、人の形をした一人の人物。黒い外套、顔は仮面で半分が覆われ、動きは音もなく滑らかだ。まるで影そのものが折り重なって人になったような佇まいだ。
「貴様、なかなかの手練れだ。ワシの隙をつくとは……」
低く笑う声。年齢は判らないが、その一言に達人の余裕が滲む。
「いえ、後ろを取られた時、気配すらなかったから、あなたもすごいです」
私は素直に返す。背中に走る緊張を押し殺し、双剣の柄に手を掛ける。
「この女、痛めつけてもいいですか?」
男たちの中でリーダーっぽい人が影の者に確認をする。
「あぁ、だが、その前にーー」
男たちが間合いを詰め、棍棒や短刀を振り上げる。だが本当の敵はあの影の者だ。
「誰から雇われた?」
影の者が問い返す。
刃先が微かに光る――合図か挑発か。それとも、本気で情報を欲しているのか。
「教えませんよ」
答えを冷たく伝える。
双剣を抜き、構えを取る。
倉庫の中は一瞬静寂に包まれた。男たちの足音が低く、短くなる。合図は出た——影がほんの少し身を翻しただけで、四方の男どもが一斉に襲いかかる。
(まずはーー!)
考えるより先に体が動いた。双剣を軽く引き抜く。
一人目は大柄な見張り。彼が拳を振りかぶる前に、私は横跳びで間合いを崩し、足の内側を斬りつける。呻き声を上げて膝を折ったところへ、柄で頚椎の付け根を軽く叩き、意識を奪う。倒れる音が床に吸い込まれる。
二人目は短剣の男。彼の刃筋は粗いから見切りやすい。斜め前へ踏み込み、小さな回転で刃を受け流し、空いた腕へ短い横薙ぎ。刃は弾かれ、男は手の感覚を失い伏せた。
三人目と四人目は連携を試みた。二人掛かりでこちらを押し潰そうとする。だが同時攻撃は隙でもある。私はまず片方の腕を膝で止め、内側から足払いで崩す。倒れる男の顔に短く視線を落とし、残る一人の正面に素早く踏み込み、左の鞘から短刀を取り出して腕の先を叩き落とす。刃が床に落ちる音が、合図のように倉庫に響いた。
四人すべてが床に伏せ、うめき声が漏れるだけになる。心拍が少し高まるが、呼吸は乱さない。短時間のうちに仕事を終えた。それだけのことだ。
「なかなかやるな。その動き、貴様、獣他人だな」
「いいえ、私は獣神の娘ラン」
「獣神?聞いた事がないな。だがーー」
影の者は動いた。速さが違う。私の双剣に対して、刃同士の交錯が数回、鋭く音を立てる。相手のクナイの太刀筋は流れるようで、無駄がない。まとわり付くような切り返し、こちらの切先をそらす細かな技、合間に放たれる投擲の小さな刃。すべてが計算されている。
(手強い……でも!)
私は、重心を落とし、静の意識を使う。
風のような動きに、目には目をだ。
これまでの修行と、獣としての直感を融合させる。
義国に来て、エレナさんが静の意識と名付けたそれは、義国の伝統でもある剣術の中から編み出した。
アルファスト大陸では、力任せな剣技が多い中、この義国の剣技を取り入れる事で、私たちは更なる強さを手に入れられる。そう考えた。
影の者の刃が私の顔面をかすめた瞬間、鞘ごと柄を跳ねさせて相手の腕を捕らえる。だが相手も一枚上手で、軽く身体をひねり、私の袖を引き裂いて距離を作る。暗がりの中で影の者の口元がわずかに上がる。
「くっやるな」
相手が一歩下がると、私は追いかける事なくその場で双剣を構え直した。
影の者の剣筋は速く、この一戦は技と経験のぶつかり合いになる——単純な力勝負ではない。闇の中で、私と影の者はじりじりと距離を詰めたりかわしたりする。
「貴方、すごい強いですね。驚きました」
「お前もな…降参して投降しろ」
私は双剣を高く掲げ、次の一手を選ぶ。相手も同じく身構える。互いの呼吸が合図のように重なる。
「それは、無理なお話です」
そこから影の者と私は、幾度となく刃を交わした。奴の動きは風のように速く、切っ先の軌道は常に一枚先を読んでいる――だが、正確さではこちらが勝る。防御の厚み、受けの確かさ、その差がじわじわと効いてきた。細かな擦り傷が相手の腕や外套を切り裂き、奴の呼吸にほんの少しの乱れが生じる。
「っく!忍者の末裔であるこの私が……」
影の者の声が、乾いた怒りで倉庫に響く。
「あぁ、そうですか!」
私はにやりと笑って返す。口先で相手の集中を揺さぶるのも戦のうちだ。エレナさんがよくやっている。
互いに一歩、距離を取り、次の一手を伺う緊張が続く。
私は双剣を逆手に構え直した。逆手のまま突進すれば、相手の刃を掻い潜ってから刃の向きがそのまま突きに転じる――その発想で、短い距離を加速する。影の者はクナイを両手に握りしめ、刃の雨のような連打で迎え撃つつもりらしい。だが、そのリーチの短さが逆に隙を作る。
──今だ。
逆手の柄を力強くこね上げるように振り抜き、私は相手の懐へ滑り込んだ。金属と金属が一瞬火花を散らす。影の者の片手がクナイを押し当ててくる。だが私の双剣は二本、同時に相手の手首と肩を挟むように当たり、刃の間に圧力をかける。相手の指先がしなる。次の瞬間、私は腰の捻りを一つ入れて、逆手のまま鋭く前へ突いた。
刃先が浅く肩口を穿ち、相手は僅かに呻く。怯んだその隙に、もう片方の剣で相手の腿を深くえぐるように斜めに切り上げた。クナイは床へ飛び散り、影の者はゆっくりと膝をつき倒れた。
床に散った血と、消えかけた燈明の揺らめきがしばし静寂を呼んだ。
五人の見張りは既に動けず、影の者と倒した。
刃を鞘に納め、私は膝をついて相手の胸元を確かめる。生きてはいるがもう戦えまい。
倉庫の奥、樽に詰められた硬貨の匂いが強く鼻を刺した。仕事は終わったわけではない。
樽の元へ近づくと、木の蓋は固く締まっている。指先で蓋の継ぎ目を撫で、蓋をこじ開けると――金属の匂いが一気に鼻を突いた。
木片をどけ、中を覗き込む。ぎっしりと詰まった銀色と銅色の硬貨だ。表面に刻まれた紋や年号が灯明の光にきらきらと反射する。想像していたよりも遥かに量は多い。
「これで一つ証拠が手に入った……」
誰に言うでもなく呟く。怒りより先に、安堵が来る。これで証拠は確保できる。ただし、運び出しはムサシ将軍の部下が来てからだ。ここの樽を動かすには人手が要る。私一人では到底無理だ。
私は慎重に蓋を戻し、外へ出る。
ポケットに忍ばせておいた小さな筒を取り出す。火薬は少量だが、遠くまで音が届く花火らしい。
「よし、ここで打ち上げよう」
筒の紐を引くと、夜空に小さな火花が上がり、ぱちぱちと赤い花火が弧を描いて散った。音は静かな港町にもはっきり届く。
「合図だ!出動準備!」
足音が遠くから近づいてくる。ムサシの選んだ部下たちだ。彼らの松明の列が波のように港を進み、倉庫街へと向かってくる。
とりあえず、私の仕事はひと段落だ。
「そういえば、忍者ってなんだろう?」
* * * * *
倉庫の片隅で、レーナは呼吸を乱しながら両膝を抱えて座り込んでいた。
着物には焦げ跡と魔力の裂け目が走り、いつもの余裕は少しだけ崩れている。
それでも瞳は鋭く、何かを狙っているかのようだ。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は11/13木曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。




