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その1 「前世の記憶」

私には、二つの人生の記憶がある。


今、この世界で少女として生きる人生。

そして、令和の日本で、男として生きていた人生。


それは夢の断片のようでいて、指先に残る温度のように生々しく、けれど確かに、私の中に存在する“もう一つの現実”だった。


――令和という時代の日本。

戦争とは無縁で、法と秩序が保たれ、日常が当たり前のように続く国。


私はその中で、ごく普通の社会人として生きていた。


朝は目覚ましより少し早く起き、簡単な朝食をとり、満員電車に揺られて職場へ向かう。

特別に才能があるわけでもなかったが、与えられた仕事は手を抜かず、真面目にこなすタイプだった。


いわゆる“仕事人間”だったと思う。


だが、休日は違った。

子供たちと公園で走り回り、汗だくになりながらボールを追いかけ、帰りにアイスを買ってやる。

家族でショッピングモールへ行き、他愛もない会話を交わす。


その時間が、何よりも大切だった。


私は困っている人を見過ごせない性格だった。

駅の階段で重そうな荷物を抱えている人がいれば声をかけ、道に迷っている人がいれば足を止めて案内した。


「親切すぎる」

「お人好しだな」


そう言われることも多かった。


けれど、私にとってそれは特別なことではなく、“そうするのが当たり前”だと思っていた。


その価値観の根っこには、幼い頃の記憶がある。


私は幼少期、母方の祖母の家に預けられることが多かった。


古い木造の家。

縁側からは小さな庭が見え、夏になると風鈴の音が静かに鳴っていた。


祖母は、とにかく優しかった。


お菓子を欲しがれば買ってくれ、

おもちゃをねだれば「しょうがないねぇ」と笑って買ってくれる。


今思えば、かなり甘やかされていた。


祖父は私が産まれる前に亡くなっており、祖母は一人で一人娘の母を育て上げたと聞いている。


だが、たまの休みに私を迎えに来る母と祖母は、よく口論していた。


「幼い子供を置いて、危険な国へ行くなんてやめなさい」


祖母はそう言った。


だが、母は首を横に振った。


「誰かが行かなきゃいけないの」


「他人を助けるのは他人でもできる、でも自分の子供に愛情を与えるのは親にしかできん!」


祖母はよくそう言っていた。


両親は共に医師だった。

そして、国境なき医師団に所属していた。


紛争地帯。

疫病が蔓延する地域。

医療が届かない場所。


助けを求める人がいるなら、そこへ向かう。


私は、そんな両親を誇りに思っていた。


だが同時に、参観日や運動会に両親がいないことは、子供ながらに寂しかった。


クラスメイトにからかわれたこともある。


「お前の親、来ないの?」

「ばあちゃんが来るところじゃないぞ」

「捨てられたんじゃないの?」


私は怒りに任せて、その子を殴った。


問題になったが、両親は来なかった。

代わりに、祖母が深々と頭を下げた。


帰り道、私は泣きながら祖母に謝った。


祖母は、何も責めず、ただ頭を撫でて言った。


「あんたは気にしなくていいよ」


その手の温もりが、今でも忘れられない。

祖母の事が、私は大好きだった。


数年後、私は高校生の頃になった。

両親はある紛争地域で起きたテロに巻き込まれ、帰らぬ人となった。


悲しかった。

けれど、誇らしい気持ちもあった。


最後まで、人を助けようとしていたのだから。


ほどなくして、祖母も病で亡くなった。


両親の最期は看取れなかったが、祖母の最期は、看取る事ができた。


「◯◯◯が居てくれて楽しかったよ」


それが、祖母の最後の言葉だった。


親戚とは遺産を巡って少し揉めたが、祖母と両親が残していた遺言と弁護士のおかげで、大きな問題にはならなかった。


その時、親戚と縁を切った私は、天涯孤独になった。


それでも、生きるしかなかった。


祖母と両親の遺産のおかげで、程なくして高校を卒業し、私立大学へ進学した。


医師の道も考えた。

だが、祖母のように“家族のそばにいる生き方”を選びたかった。


だから、国内営業の商社に就職した。


そして、大学時代に知り合った女性と結婚した。


穏やかで、優しくて、よく笑う人だった。


結婚して数年後、子供が生まれ、

さらにもう一人、家族が増えた。


妻はいつも温かい眼差しで子供たちを慈しみ、育児の合間にはスーパーのパートで家計を支えながら、家事もこなすテキパキとした人だ。


時には些細なことで口論になることもあったが、結局はお互いに微笑み合い、仲直りする。


また、私の"性格"を理解してくれる。

私は、目に見える人が困っていたら、助ける事を信条としていた。


彼女の存在は、私にとって安らぎそのものであり、家族の中心だった。


家族四人の生活は決して裕福ではなかったが、家の中にはいつも笑顔があふれ、確かな幸せがそこにあった。


ある日、休日出勤をしなければならなくなった。


「じゃあ、行ってきます」


いつものように、私は家の玄関でスーツを正しながら声をかける。


「パパ、いってらっしゃい!」


子供たちが小さな手を振りながら声を揃える。私はしゃがんで二人の頭をそっと撫でた。


「ママと留守番、頼んだぞ」


子供たちは笑顔で頷き、妻が玄関先まで出てくる。


「今日休みなのにね。帰りは遅いの?」


彼女が少し心配そうに尋ねると、軽く肩をすくめながら笑った。


「いや、終わり次第早く帰るよ。この仕事が終われば長い休みが取れるから、旅行にでもいこうか」


私と彼女は首を傾けて苦笑いをしあった。


「無理しないでね」


妻はそう言いながら、少し乱れていた私のスーツの袖口を直し、頭を撫でられた。


「忘れ物がないか、頭に手を当てて考えて」


「うん、大丈夫だ」


ふとした彼女の言葉や仕草に、また家族の大切さを実感する。


玄関のドアを開けると、冷たい冬の風が頬をかすめた。少しだけ雪がチラついている。

もう本格的に冬だ。


小さく深呼吸をしながら一歩踏み出す。


「行ってきます!」


声が響く家の中を振り返り、家族の笑顔を胸に刻みながら、男はいつも通り仕事に向かった。


祖母のように家族の側で愛情を注ぐ。

天国で祖母は喜んでくれているだろうか。


いつもの通勤路を歩いていた私は、今日も変わらない景色を眺めながら足を進めていた。


空はどんよりとした曇り空で、気温も低いことから今にも大雪が降り出しそうな雰囲気だ。


肌寒い風が吹き抜け、道行く人々はみな忙しそうに足早に通り過ぎていく。


そこまでは、いつもの景色だった。


ふと通りかかった交差点で、足を止めた。


信号が青に変わるのを待つためではない。


視線の先に、異変があったのだ。


道路の真ん中に、幼い子供がぽつんと立ち尽くしている。まだ幼稚園児くらいだろうか。


小さな体に金色の髪色が目立つが、その姿は心細げで、不安そうにきょろきょろと辺りを見回している。その横を車が勢いよく通り抜けていくたびに、子供は一歩も動けずに硬直していた。


周囲の大人たちは気づいていないのか、あるいは見て見ぬふりをしているのか、誰もその子に近寄ろうとしない。


そう思った時、私の心に緊張が走る。


「危ない!」


私は咄嗟に声を上げた。


手に持っていたカバンを路肩に放ると、迷わず道路に向かって駆け出す。


視界の端で、車のヘッドライトがぎらりと光った。エンジンとマフラーの唸る音が耳をつんざく。


だが、そんなことを考えている余裕はなかった。


幼い子供はその場に立ち尽くしたまま、涙に濡れた瞳で男を見つめている。震える小さな手がぎゅっと胸の前で握りしめられ、助けを求めるように口を開いたが、声にはならなかった。


強く地面を蹴る。肺が焼けるように熱くなり、心臓が喉までせり上がってくる。


「間に合え……!」


自分に言い聞かせるように呟いた。


そして、寸前のところで子供の腕を引き寄せ、その小さな体をしっかりと抱きしめる。


「大丈夫、もう大丈夫だからな……!」


安堵したそほ瞬間、背後から車のブレーキ音が悲鳴のように響いた。


轟音と衝撃が世界を揺るがす。鋭い痛みが体を貫き、宙に投げ出された感覚があった。


景色がぐるりと回転し、雪が頬に当たる冷たさだけが、はっきりと感じられた。


(…子供は…助けられたか……?)


ぼやけた視界の中で、助けた子供が立って泣いているのが見えた。


「大丈夫ですか!」

「おい、救急車呼べよ!」

「もしもし、事故です!」


周囲が騒がしいが、助けた子供の無事を確認し安堵すると、私の意識は家族に向いた。


真っ先に思い浮かんだのは、妻の顔だった。


「早く…仕事に行かなきゃ……」


次に子供たちの顔が脳裏に浮かぶ。


「このプロジェクトが終われば、家族と旅行に……」


私の意識は静かに闇へと沈んでいった。

読者の皆様、いつもありがとうございます。

少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。

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