その18 「民あっての国」
神社へ戻ると、ムサシ将軍は目の前の光景に立ちすくんでいる。
そう――彼の視線の先には、悠然と佇む赤龍の姿があった。
『貴殿がこの国の将軍か……話は聞いておったぞ。何やら面倒な事になっているようだな』
その声は地を這うように低く、しかしどこか誇り高い。
「な、なんと……龍が、言葉を……」
ムサシは息を呑む。
「驚くのも無理ないですよね」
私は苦笑して肩をすくめる。
『我も話を聞いておったぞ』
「……赤龍、話聞いてたのか?」
『うむ。前に話しただろう?人の声を聞くのが得意、とな』
(得意じゃなくて世間話を聞くとかなんとか…)
カエデがフォローに入る。
「あ、ムサシ。この方は赤龍様とおっしゃって、エレナさん達の――」
『友人だな』
「そ、そう。お友達……ということらしいです」
ムサシはようやく我に返える。
「なるほど……さきほど、エレナ殿たちは海の向こう、異国より来たと聞いたところだ。その御友人が龍とは……」
「すみません、細かい説明もせずに」
「いや、それより――赤龍様にご挨拶を」
ムサシは正座し、両手をついて軽く頭を垂れる。
「お初にお目にかかります。我、義国の軍と治安を預かる将軍、ムサシと申します」
『うむ、堅苦しいのは苦手でな。赤龍だ。ちなみに名をエレナが今、考え中だ』
「は、はぁ……」
ムサシは何のことやらといった感じだ。
「まだいいのが思いつかないんだ。もうちょっと待ってくれ」
『構わん。急がず良い名を考えてくれ』
場の空気が少しだけ和らぎ、カエデや巫女たちの表情にも笑みが戻る。
その後、私たちは社の庭で赤龍を交えて――再び、義国で起こった一連の事件についての話し合いを始めた。
集まったのは、ムサシ、カエデ、私、ラン、そして赤龍。レーナはどこかへ散歩中だそうだ。夕飯になれば戻るだろう。
夕暮れの光が林の隙間から差し込み、神聖な静けさが漂っていた。
「ムサシ将軍が調査をされたという税の使い道について――改めてお聞きしてもよろしいですか?」
私の問いに、将軍は重い息を吐いた。
「うむ……街は一見、賑わっておるように見える。だが、通りや橋は老朽化し、補修もままならぬ状況だ。物流も食材も商人の言い値となり、露店も客足が遠のき閉めるところも出てきた。そのため、失業者が増え、重税を払えず、家を失い、貧民街に落ちる者が続出しておる。中には家族揃って……という例もある」
「家族で……」
思わず声が漏れた。カエデは何も言わず、静かに俯いている。彼女の肩が、かすかに震えて見えた。
赤龍が低く唸った。
『ふむ、人が人を苦しめる事は昔からよくある事だ。我は驚かんが、愚かなことよ……人族は大きな権力を得ると、己を見失う』
「カエデの前で言うのは憚られるが……」
ムサシは言葉を選びながら続けた。
「天霧神社には大名や民からの多額の寄付が流れ込んでいる。だからここで働く者たちは飢えることはない。安全圏で生活ができておる。だがーー」
カエデは小さく頷く。
「民は違う。民は生きるために税を払い続け、その税を預かった大名の一部が横領という形で私腹を肥やしておる。税を街や民のために使っておらん……そのお金は、カエデの母上コウヨ殿の懐にも流れ込んでおる」
「そんな…お母様……」
カエデはがっくりと項垂れている。
「……商人達もだ。物価が上がるのは物資が足りぬからと言っておる。だが、実際にはどこか倉庫に物は余っておるはずだ。不足を装い、単価を釣り上げて利益を貪っておるのだ。すべての者がそうではないが――それがここ数十年、常態化しておる。」
「数十年……」
私が言葉を継ぐと、将軍は静かに頷いた。
「時期は……カエデの母上、コウヨ殿が巫女となった頃からだ」
ショックで項垂れたカエデの指が膝の上で強く握られた。表情は見えないが、何も言わず、ただ沈黙の中でその言葉を受け止めていた。
「これは……思っていた以上に根が深い問題ですね」
ランは呟くように言った。
『人の国とは、土台が歪めばいずれ崩れる。だが、腐った根も掘り返せば新たに芽が出るものだ』
赤龍の声は静かだったが、胸に響く重みがあった。
「恥ずかしながら、我らもこの仕組みに気がついたのは、つい最近だ。軍事と治安維持よりも目の前にもっと大きな問題があった。それに気がつかぬとは情けない……」
『だが、お前が自身の仕事をこなしたからこそ、見えた問題だろう?あまり自分を責めるものではないぞ』
「赤龍殿のお言葉、痛み入る……」
『いま直面している問題は、大きく分けると五つだな…』
赤龍が整理する。
一つ目、大海獣封印の再確認。
二つ目、重税による民の不満。
三つ目、税を横領、利益を貪る者の逮捕。
四つ目、本来の物価へと戻す。
五つ目、この国――義国の安寧を取り戻すこと。
私は深く頷いた。
封印が緩めば魔の力が溢れ、軍や治安維持に三鶴城家は奔走する。
心が乱れた者達は、その隙に政治を腐らせる。
腐敗が民の怒りを呼び起こす。
『エレナ、これらは全てひとつながりの災いだ一つでも見誤れば、この国は滅ぶ』
「わかってる……」
静寂の中、赤龍の低い声が響く。
『……巫女よ。俯いている時間はないぞ。其方は、この“家”が大事なのか、それとも“民”が大事なのか。どちらだ?』
カエデははっと顔を上げた。
「赤龍……それは……」
『濁しても仕方あるまい。貴族だったお前ならわかるだろう?』
赤龍の黄金の眼がわずかに細められ、光を帯びる。
その眼光に、逃げ場はなかった。
「カエデ……」
ムサシが静かに名を呼ぶ。
彼の表情には心配の色が濃く出ていた。
「……私は……」
カエデは両の拳を膝の上で握りしめた。
社では、風鈴がかすかに鳴っている。
その小さな音が、彼女の迷いを振り払うように響いた。
「私は、この義国に再び安寧をもたらしたいです。
民が何の不安もなく、笑って暮らせるように――」
その言葉は震えていたが、確かな熱を帯びていた。
赤龍は満足げに頷く。
『うむ、良くぞ言った。民あっての国――その考え方が我は好きだ』
「我も同じ気持ちだ。」
ムサシの言葉に、赤龍が愉快そうに目を細める。
『ほう、貴殿とも気が合いそうだな。』
「カエデには助けられたし、ヒヒイロカネを手に入れられた。私もできる限り協力するよ。」
「私もです。」
ランがすかさず言葉を重ねた。
「エレナさん……ランさん……ありがとうございます……」
カエデの頬を伝って、ひとすじの涙が零れる。
それは悔しさでも悲しみでもない、決意の涙だった。
「そのためなら――お母様も、切ります。」
静まり返った広間の中、
その一言だけが、炎のように強く、真っ直ぐに響いた。
赤龍の眼が細められ、ムサシは目を閉じて頷く。私は拳を握りしめながら、カエデの心の奥にようやく“覚悟の炎”が灯ったのを感じた。
「では、横領の証拠を抑えるところから始めるのか?」
将軍は小さく息を吐いてから、広げた書類の端を指でなぞった。
「うむ。赤龍殿やエレナ殿達にも説明しよう。義国では、民が納税や寄進するたび、奉納柱と呼ばれる金属の小さな柱を受け取る。それが納税の証だ。柱には“いつ、誰が、いくら納めたか”が刻まれ、各家で代々保管される。紙ではなく金属に刻むのは、偽造を防ぐためでもあり、また義国への“奉納”という信仰の形でもある。」
そう、この国に入った頃に硬貨を見た瞬間、私の胸に驚きが走った。義国の貨幣が――私の前世で見たあの“円”に似た硬貨だった。
大陸側の金銀銅とは違い、数値が細かく刻まれている。義国の商いは一円単位で回っている。
「奉納柱の色は身分で違う。大きく分けると民は銅、商人は銀、大名は金、そして天霧家と三鶴城家は朱となる」
「なるほど」
私とランは頷く。
「ちなみに、税から三鶴城家と天霧家に支払われた金があれば、朱色の奉納柱が税管理の大名達へ渡される。実際に天霧神社に寄進された額と朱の奉納柱の数が合わなければ、奴らを逮捕可能となるが、ここは天霧神社で詳しく調べてもらう必要があ。」
「それだけでいいのか?」
「まぁまて、横領されている硬貨は重く、運ぶのも一苦労だ。横領した奴らは馬車や雇った民を使って、街外れの倉に隠しておる。これを見つけ出せば、一目で不正がわかる」
ムサシは顔を曇らせる。
「我々が突き止めたのは、少なくとも三箇所だ。だがな、問題は誰が動かしているかだ。表に出ている顔ぶれだけではない。大名や商人の下に複数の裾野組織が動いており、通報が入ればすぐに証拠隠滅される」
「だからこそ、正面切っての一網打尽は難しい?」
私は声を潜める。廊下の風鈴の音が遠くで鳴った。
「その通りだ。関係者全員を捕縛するのは容易ではない。だが証拠を押さえ、流出ルートを封鎖すれば、彼らの動きはずいぶん制限できる。肝心なのは“誰に見られずに”押さえるかだ」
赤龍が低く唸る。
『先手必勝だな。その三箇所を見張り、夜陰を使って押さえるのがよかろう』
まるで古い戦術書を引いているかのように助言する。カエデは震える唇を噛み、しかし瞳は決意で光っていた。
ムサシは指で数えながら答えた。
「一つは港の倉庫群だ。船荷と偽って運び出している。二つ目は、大名エチゴの私有地にある山道の隠し集積所。三つ目は商人街の地下倉庫──ここに食料や物資も隠されていると我は考えている」
「なるほど……港、山道、地下倉庫か」
私は短く頷いた。三つを同時に押さえるのは難しい。情報戦と時間差、そして人心掌握が必要だ。だが、放っておけば更に多くの民が貧民街へ落ちる。
「まずは、証拠を固める。可能なら内部告発者を確保し、一箇所ずつ潰していく。ムサシ将軍、誰か信頼できる追跡班はいますか?張り込みを手伝います」
ムサシはじっと私を見た。深い皺が額に寄る。やがてゆっくりと頷いた。
「よかろう。ただし慎重に、だ。公に動けば、趨勢は一晩で変わる」
私は拳を固めた。夜が来る。見えない綱が張られたこの街で、私たちはその一筋を手繰り寄せねばならない。
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