その17 「裏切り」
カエデの母コウヨ様との面談から一夜明け、私たちは昼食後、ムサシ将軍の屋敷へ向かった。
屋敷の前には衛兵が整列し、私たちの姿を見ると無言で門を開けた。
「ーーーなるほど、魔族……そのようなものが暗躍しておったか」
将軍は腕を組み、低く唸った。
「はい。ですが暗躍していた魔族は撤退し、封印の魔素も徐々に鎮まりつつあります。活性化もまもなく収まるかと」
「ふむ……そうか。エレナ殿は、よくやってくれたな。では――」
将軍の合図で従者が布に包まれた箱を運んでくる。
布をめくると、そこには赤みを帯びた金属が静かに光っていた。まるで炎の心臓のような、深紅の輝き。
「これが《ヒヒイロカネ》だ。現在、管理中の物で最も硬く最も美しい物を報酬としよう。エレナ殿に相応しいだろう」
私は思わず息を呑んだ。
指先に触れるだけで、その硬度がわかるようだ。
「……将軍、ありがとうございます」
「よい。これは私からの礼だ」
カエデも深く頭を下げる。
「ムサシ将軍、誠にありがとうございます」
「うむ。それと……二人に、相談がある」
将軍の声の調子がわずかに変わった。
部屋の空気が一瞬だけ張りつめる。
――次に来る話が、報酬よりも重いものであると直感した。
将軍は、私たちをまっすぐに見据えて言った。
「この天霧のことだ。……その後、母上のコウヨ殿に、税の件は確かめたか?」
「はい。母は、“大名や商人に任せているから知らない”と申しておりました」
「……なるほど。しかし、我らが行った調査結果とは違う」
カエデの瞳が揺れる。
「……どういうことでしょうか?」
「――あまり、カエデに話したくはないのだがな」
ムサシは一拍置き、重い声で続けた。
「先日の“外遊”……あれは、ただの観光だった。しかも、その費用は民から徴収した税金が使われておる」
「っ!?……そんな……」
カエデの声が震えた。手が膝の上で強く握られている。
「間違いない事実だ。密偵に調べさせたところ、反将軍派筆頭の大名――エチゴをはじめ、他数名と商人達が同行していたようだ」
ムサシの眼差しは、怒りが入り混じっていた。
「……お母様……」
カエデの唇がわずかに震える。
「反将軍派とは……どんな一派なのですか?」
私はたまらず口を挟んだ。
「うむ。この義国の政治と軍を、すべて“天霧家”に集約させようとする勢力だ。そして自分たちが軍を預かり、権を振るう。三鶴城家が治安と軍を統べているのが気に入らんのだ」
「天霧家……カエデの母上も、その考えに……?」
「一緒にいたところを見る限り……な」
「……ムサシ……ごめんなさい」
カエデはゆっくりと膝をつき、頭を下げた。
「カエデ、頭を上げろ!其方の罪ではない」
将軍の声が震えていた。
「いえ……母の悪事は、天霧家の罪……娘としての責を、逃れることはできません」
カエデの額が畳に触れた。
その姿に、将軍も言葉を失う。
沈黙――。
部屋の外から、庭の風鈴がかすかに鳴った。
その音が、空気をほんのわずかに和らげる。
「カエデ、ムサシ将軍が困っておられる。頭を上げて、今後のことを考えよう……それが巫女の務めだろ?」
私はカエデのそばに膝をつき、静かに声をかけた。
彼女の肩が小さく震えている。
「エレナさん……」
「私もできる限り手伝うから。一緒に、良い方向にこの国を向かわせよう」
「……ありがとうございます」
カエデの頬に、一筋の涙が落ちた。
ムサシ将軍がゆっくりと頷く。
「うむ。エレナ殿の言う通りだ。我からも改めて、協力を頼みたい」
「もちろんです」
「カエデ、今日のコウヨ殿の予定はわかるか?」
「母のですか?今日は隣の天照の街に行く予定です……二、三日は帰宅しないと思います」
「なるほど。それなら――ムサシ将軍、この後、天霧神社へ来ていただけませんか?」
「うむ、構わぬ。何をするつもりだ?」
「ありがとうございます……少し、相談したい“方”がいるんです」
「相談?」
カエデが目を瞬かせる。
「そう、重役中の重役。何か意見をもらおう」
「……まさか……」
カエデの顔が驚きに変わる。
私は頷いた。
「そのまさかだよ」
ムサシの目が細くなり、カエデは息を呑む。
(カエデは少し気が弱い……赤龍なら覚悟を持つように、うまく誘導して話してくれるかもしれない)
話を終え、屋敷を出ようとしたその時だった。
(――何か、おかしい)
廊下に、異様な静けさが漂っていた。
先ほどまで控えていた護衛たちの気配が、どこにもない。誰かが意図的に音を消し去ったかのように静かだ。
「……二人とも、止まって」
私は小さく囁き、足を止めた。
次の瞬間――鼻を刺すような血の匂いが、廊下の奥から漂ってくるのがわかった。
(……血の匂い?)
反射的に剣へ手を伸ばした、その瞬間。
角の陰から、閃光のような影が飛び出した。
――ガキン!
火花が散る。
腰の剣を抜き、その刃を受け止めた。
金属の擦れる音が廊下に響き渡る。
暗闇の向こうで、男が口角を吊り上げた。
「……邪魔をするな。島国の田舎者」
低く、乾いた声。
血に濡れた足元、倒れ伏す護衛たちの体。
ただ一人――剣を抜き放った男が立っていた。
「ケイ……!」
喉の奥がかすれる。
「ケイ!其方、何をした!」
将軍の声が震えた。
「申し訳ございません、ムサシ様……ここで他の護衛共々死んで頂きます」
ケイはゆっくりと刀を構え、刃が鈍く光る。
「どういうことだ!」
「貴方は知りすぎたんですよ」
「……知りすぎた?」
「税の流れ、裏の金脈――全てを掴んでいたようですね。困るんですよ、余計な詮索が」
「それは、民から搾り取った金を貴族たちが豪遊に使っていたというあれか」
私は一歩踏み出し、ケイを睨んだ。
「田舎者は引っ込んでいろ」
「お前……奴らの手先だったのか」
「奴らと手を組んだのは、最近の話ですよ」
ケイはあっさりと言ってのけた。
「何故だ……なぜ我を裏切った」
ムサシ将軍の低い声が、怒りよりも悲しみに近かった。
「金ですよ……それと、こいつと戦えると思ったからです」
ケイの視線が、私を刺す。
氷のように冷たいその目に、執念が宿っている。
「その女が、天心一神流の師範を倒したなどとホラを吹くからだ」
「は?ホラじゃないぞ」
「黙れッ!!あの男は俺が倒すはずだったんだッ!それを貴様が――ぁあああああッ!!」
叫びと共に、ケイが刀を振りかぶる。
その踏み込みは獣のようだった。
私は反射的に剣を中段に構える。
床板を割るほどの踏み込み――狭い廊下が、一瞬にして戦場へ変わった。
――ギィンッ!!
刃と刃がぶつかる音が、屋敷全体に響き渡る。
金属が擦れる火花が散り、灯明の火がわずかに揺れた。
「お二人とも下がっててもらえますか?」
ムサシ将軍とカエデが後方に移動した。
ケイの剣速は、先日の模擬戦の比ではなかった。
でも――見える。
踏み込みの音、肩の動き、重心の傾き、刃の軌道、目線――すべてが。
静の意識。
心を鎮め、全身の感覚を一点に集める。
私は息を吐き、迎え撃つ。
「この前よりも早い剣筋だね!」
「この前は手加減してやったからだ!」
再び火花。
「あぁ、そう!」
私は一歩前に出て、剣の腹で彼の刃を受け止め、滑らせるように弾き返す。
金属音が壁に反響し、静寂が裂けた。
ケイは体勢を崩さず、すぐに斬り返してくる。
低く構え、足を払うように斜め下から斬り上げた。
私は跳び退きざま、壁を蹴って逆に踏み込む。
――ガキィン!
間合いの中で刃が交錯する。
火花が走り、二人の影が壁に映る。
ケイは、力任せだが研ぎ澄まされている剣。
対して、私の剣は、冷静と経験で研がれた剣。
「田舎者!その剣技は自己流だな!」
「田舎者、田舎者って失礼だな!悪いけど――大都会の生まれだ、よ!」
私は体を回転させ、ケイの腹に蹴りを叩き込む。
「ぐっ……!」
衝撃で彼の体が後方へ吹き飛ぶ。
「お前だって、その剣技は自己流だろ?天心一神流じゃないよな」
「くっ……そうだ。俺の剣術は――無形無敵流。最強の自己流剣だ!」
「無敵って自分で言ってて恥ずかしくないのか?厨二だな……」
「だまれぇぇぇえええ!」
ケイの目が血走り、喉から唸り声が漏れる。
その叫びは、怒りというよりも、痛みに近かった。
彼の刃が再び閃き、頬をかすめ鋭い痛みが走る。
舞い散る髪が、一筋、宙を走る。
「…ただ力任せに突っ込んでーー」
私はケイの言葉に呆れた。
ケイの目が細くなり、床を蹴った。
一瞬で間合いを詰め、真横から斬り払ってくる。
その太刀筋は重く、速い――まるで風そのものだった。
「……粗い!」
私は彼の一瞬の態勢の狂いを見逃さず、その懐へ踏 み込んだ。剣の柄を握り込んで、腹へ撃ち込む。
「ぐっ……!」
ケイが苦悶の声を上げ、後ろへ数歩よろめいた。
だが、まだ倒れない。血を吐きながら、彼は力を振り絞って構え直す。
「まだだ!俺の剣は!」
私は中段に剣を構え、息を整える。
静の意識を保ちながら、次の挙動を待つ。
「言っておくが、自分勝手な剣では私には勝てない!」
構えた剣を鞘に納めた。
「俺の剣は無敵だぁぁぁ!」
再び二つの影が交差する。
ケイの渾身の突きが放たれた――その刃筋を、私は一瞬で見切った。
鞘からの抜刀のタイミングをずらす。
重心を落とし、体当たりの勢いで側面から刃を叩き折った。金属の悲鳴が廊下にこだました。
「なっ……!?」
「これで終わり!」
反射で出した左拳が、そのままケイの顔面を打ち抜いた。彼は壁にめり込み、ぐらりと倒れ伏す。
(少し、膂力変換魔法を使ってしまった……まだ修行が足りないなぁ)
「見事だ、エレナ殿」
「エレナさん、すごい」
カエデやムサシ将軍が駆け寄る。私は息を整えながら、倒れた男を確かめる。ケイは血まみれで動かないが、まだ息はある。
将軍が唇を噛んだ。
「こいつ、どうしましょうか?」
「うむ。本来ならば極刑に処すところだが、まずは訊き取りと証拠の確保が先だ」
ムサシ将軍が冷静に言う。
だがその瞬間、ケイが隠し持っていた短剣をぎりぎりの力で取り出し、カエデの方へ投げつけた。
「!」
反射で私は飛び出し、力を込めてケイの投擲を左の手刀で叩き落とした。そのまま右拳を叩き込み、ケイを外の壁へ叩きつける。短剣は床に跳ね返り、カエデには当たらなかった。
「カエデ、大丈夫か!?」
「はい、大丈夫です。エレナさん、すごい力ですね……」
二人とも少し引いた目で私を見るが、言葉はない。 私は俯いて、馬鹿力を使ったこと――油断と判断の齟齬があったことを反省した。
「そ、それよりケイを確保しましょう」
私は縄を取り、冷静に彼の手足を縛り上げた。今度は完全に気絶しているから抵抗はなかった。
残った将軍の従者たちが部屋で倒れている護衛の者たちを確認し、急ぎ応援が呼ばれる。
残念ながら数名が既に息絶えていた。
ケイを担ぎ、我々は将軍と共に天霧神社へ戻ることになった。歩きながら、ムサシ将軍がぽつりと言った。
「護衛たちにはすまない事をした。我の人を見る目がなかったばかりに裏切り者を……」
カエデは静かに俯き、私は拳を軽く握った。
外にはまだ問題が横たわっている――税のこと、貧民街のこと、そして天霧家の中の腐敗。
今日の暗殺未遂はその一端に過ぎないのだ。
夜風が廊の隙間から入り、血の匂いを冷ましていく。まだまだ問題が山積みだ。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は11/8土曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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