その16 「頑なな母」
夕食の時間を終え、境内には夜の静けさが戻っていた。
カエデをはじめとした巫女たちは、食器の片付けに忙しく動き回っている。
「疲れたから寝るわ」
そう、レーナは言い残し、部屋へ戻った。
ランは巫女たちの手伝いに回っていた。
「休んでていいですよ」
カエデにそう私は言われ、境内の一角で身を横たえる赤龍のそばに座っていた。
夜風が吹き、龍の鱗が淡く月光を反射する。
「なぁ、ゲールとレーナが戦った後に……何か話してなかったか?」
『見ておったか――そうだな、あまり無理はするなと忠告した』
「それって、前に言ってた“魔法を無理して使ってる”ってやつか?」
『うむ。あやつは自ら語るまいがな………エレナ、人族は体内で魔素を魔力に還元する時、使える魔力量は人それぞれ違うのは知っておろう?』
「あぁ、誰でも知ってる基本だよ」
『あやつはそれが高くない――恐らく、並の魔法使いよりも下だ』
「えぇ? でもレーナってAランク冒険者だろ? そんなはずないよね?」
『その謎は、あやつの杖と大気にある』
「杖と大気?」
『うむ。あの杖の青水晶石、あれは魔力を増幅する触媒なのは知っておろう。杖を通して魔力を高めつつ、さらに空気中の魔素を体内ではなく“外”で魔力に変換している』
「体内じゃなくて、空気中の魔素を……?そんな芸当、できるのか?」
『できる……のだろう。少なくとも、あやつは成功しておる。我も長く生きているが、あれほどの魔法の才は初めて見た。レーナは天才だ。誰も考えたことのない領域に手を伸ばしておるのだ』
「すごい…な」
『すごい、だけで終わらせられない。簡単なことではないぞ。空気中の魔素を操るには、集中力、精神力、想像力の全てを総動員せねばならんと思われるさ。あやつがいつも眠そうで、やたら食うのもその代償だ。単純に疲れだ』
「えぇ……それ、性格じゃなかったのか……」
『それもあるだろうがな……ふふ、我はあの魔法を“理外の魔法と呼ぶことにした』
「理の外か……。ぴったりだね」
『そのまんまだがな。だがあやつは、この世界の理を越えるために無理をしておる。』
「注意しておいた方がいいか?」
『前に話した通り、命を縮めるほどではない。だが、見守っておけ』
「注意した時なんて言われたんだ?」
『うむ「わかってるわ」と一言な』
「……わかったよ。なぁ、赤龍。なんでそこまで私たちに良くしてくれるんだ?」
『話したではないか?気に入ったと』
「そんなに私たちを気に入ってくれたのか?ありがたいけど……何かお礼でもできたらって思うんだ」
『む?気にせんでもよい。こうしてヒューマンと心を通わせ、語り合える――それだけで我には十分な礼だ。エレナ、お前がそれを運んできたのだ』
「そうか……うーん、なぁ?名前とかないのか?」
『うむ?名前……赤龍だな』
「じゃあ、私たちのように仲良くなった人にだけ、自分の名前を伝えられるように、私が名前を考えるよ。どうかな?」
『ほう、それは面白い……良いな!任せたぞ』
「良い名前考えるよ」
『礼を言う。ここからは――聖女リサのことだ』
赤龍の瞳が、月光の下で鋭く光った。
『なぜ聖女が魔王軍を率いねばならぬ?エレナを目の敵にする理由と、人族を滅ぼそうとする理は、同じなのか?我には解せぬ』
「うん……それは私にも、よくわからない」
少しだけ言葉を選び、私は息を吐いた。
「でも――」
『何かあるのか?』
「リサが私を憎むようになった本当の理由は、いまだにわからない。だけど……たぶん、私が悪いんだと思う。昼間、彼女と戦って、そう感じた」
『そうか……詳しくは聞くまい』
「助かる。いつか、ちゃんと話すよ。赤龍にだけ、ね」
『ふむ……覚えておこう』
夜空に雲が流れ、月の光が一瞬だけ赤龍の顔を覆う。私はその沈黙を破るように尋ねた。
「そういえば、レーナといつの間に仲良くなったんだ?」
『あやつが我のもとに来てな。様子を見にきたと言っておった。回復魔法の新しい使い方があるから、試してみないか――と』
「そんなことが……」
『我も興味を惹かれたので試してもらった。するとどうだ、あの傷がみるみるうちに癒えたのだ。魔法が効かぬこの身を回復させるとは、あやつの技量は見事よ』
「そんな方法あるなら、最初からやればいいのにな」
『うむ、それを問うたら――「友達を実験台にするのはエレナが嫌がる」と言っておった』
「あぁ、なるほど……言いたいことはわかる」
『ふむ。お前の性格をよくわかっておる仲間だな。礼を言うと、「赤龍さん私と友達になりましょう」とな。そして、「エレナをこれからもよろしく」ともな』
「そっか……優しいやつだな」
『ガハハ! 普段は傍若無人だがな』
「ははは、確かに」
赤龍は機嫌が良さそうに笑い、その笑い声が夜の森に低く響いた。
月が再び姿を見せ、境内の木々が白く照らされる。
「その、魔法ってどんなのだったんだ?」
『うむ、同じだ。理外のだ』
「そうか………じゃあ、そろそろ部屋に戻るよ。赤龍はここでいいの?」
『うむ。ここは風が気持ち良い。一晩だけ過ごすには惜しいほどの場所だ』
「そうか、じゃあ――おやすみ」
『うむ。エレナよ、ゆっくり休め』
赤龍の息づかいが夜風に混じり、その音を背に、私は社の奥へと歩き、部屋で休んだ。
(赤龍の名前考えないとな)
* * * * *
翌朝。
鳥の声が響く境内に、ざわめきが満ちていた。
ランにレーナを任せて、私が部屋から出ると、赤龍の周りに人だかりができている。
巫女たちが息を潜めるように見守り、その中央には、カエデと――年配の女性が立っていた。
サエが私を見つけ、駆けてくる。
「エレナさん、大変です!カエデ様のお母様が戻ってきてしまいました。今、赤龍様と話をされています」
「!大丈夫なのか?」
「カエデ様もご一緒です。エレナさんも来てください!」
私は胸騒ぎを覚え、駆け足で向かった。
境内の中央。
赤龍は悠然と身を横たえ、そしてその前に立つ女性は――カエデによく似た凛とした眼差しをしていた。
その場の空気は、張り詰めた糸のように重い。
「それで、カエデ。この龍は何事かしら?」
「お母様……この…赤龍様は――」
「…様……言い訳は無用です」
女性の声は冷たく、澄んでいた。
「あなたは誰であれ、外からの者をこの神社に招き入れた。これがどういうことかわかりますか?」
「……」
カエデは顔を伏せる。
『巫女の母よ。そう言うな。我は怪我をしてたまたまこちらで休んでおるだけだ。怪我が癒えればここを去る。だが、怪我の間、世話をしてくれた。その恩を返すために、もうしばらくは残るつもりだ。それを許せ』
(さすが、年の功。良い言い訳だ)
「……そのようなことですか。礼など無用です。去ることこそが礼と思いなさい」
赤龍の金の瞳がわずかに光る。
『むっ、そのような無礼を我に働けと申すのか』
低い声が境内に響き渡る。地面がわずかに震えた。
(――やばい。怒ってる)
カエデも巫女たちも青ざめている。
母上の顔色もすぐに変わった。
「お待ちください!」
私は一歩前に出て、声を上げた。
女性の鋭い視線が私に向けられる。
「貴方は何者ですか?」
「初めまして、カエデ様の母上様。私は先日、新たに雇われた護衛のエレナと申します」
深く頭を下げる。
「新しい護衛……カエデ、本当ですか?」
「あ、はい。彼女は南の島から来られました。腕の立つ女性でしたので、スカウトしました」
よし、ナイスアドリブ。
「南から……そうですか。南方の者はたしかに腕が立つ。雇ったのは正解でしょう」
彼女の声が、ほんのわずかに柔らいだ。
「それで、貴方は何を言いたいのでしょうか?」
「はい。この赤龍様は、なんと初代巫女様のご友人です。無下に扱うのは、初代様に対しての非礼となりますため、どうか、滞在をお許し頂けないでしょうか」
カエデの母は赤龍を一瞥し、そしてカエデを見た。
「……その話は本当なのですか?」
「はい、お母様。昨晩、初代様の御話を皆で伺いました」
『うむ、我は初代巫女と将軍の友であった。誓って虚言ではない』
長い沈黙ののち、カエデの母は小さく息を吐いた。
「……そうですか……良いでしょう。初代様のご友人の滞在を、特例として許可します」
『うむ、感謝する』
「お母様、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
私とカエデはそろって頭を下げた。
その背後で、巫女たちが小さく安堵の息を漏らす。
境内の空気が、少しだけやわらいだ。
だが私は、その母上の瞳の奥に――
まだ消えぬ警戒の光があるのを見逃さなかった。
「それでは赤龍様にはお休み頂き、カエデと貴方は私の部屋に来なさい」
なぜか、私も指名された。
(……嫌な予感…)
「はい、お母様」
カエデは小さく息を呑み、私の方をちらりと見た。
「来てほしい」という視線だった。
――そうして、私たちは本殿の奥、巫女長の私室へ通された。
磨き上げられた床板に香の煙が漂い、緊張が肌にまとわりつく。
親子が正面に座り、私は護衛らしくカエデの背後に控えた。
「名乗っておきましょう。私はコウヨと申します。さて、私が不在の間はどのような事が起こりましたか」
母の声は穏やかだが、ひとつひとつの言葉が鋭い。
「はい、魔物や海獣の活性化が続きました。ムサシ将軍は、巫女家の力が弱まっているからではないかと話されています。ムサシ将軍の依頼で、大海獣の封印をこのエレナとサエが見に行きました」
「そうですか。それでは――エレナさん、封印は如何でしたか?」
急に話を振られ、背筋が伸びる。
「はい。封印の丸石に傷が入っておりました。そこから魔素が漏れ出しておりまして、それが活性化の原因と思われます。ですが、それも治りつつあるようでした」
「……丸石に使われていた魔素が、ほぼ無くなったという事でしょうか」
「その通りです、お母様」
「その丸石を傷つけたのは誰でしょう?」
「はい、海を渡ってきた魔族という男だったようです。残念ながら手加減ができない相手でした。私が倒してしまい、話を聞けませんでした」
「……そうですか……海の先にある大陸から来た魔族。それを討伐した貴方の実力はわかりました。もう、下がってもらって構いません」
ああ、もう用済みってわけか。
「……あ、でも――」
「エレナさん、大丈夫ですからお下がりください」
カエデが小さく微笑み、目で“ありがとう”と伝えてきた。
「はい、畏まりました」
私は一礼して部屋を下がった。
扉が静かに閉じる音が、やけに重く響いた。
外の廊下でしばらく待っていたが、何の話をしているのかは聞こえない。
――だが、カエデの母がただ封印の報告を聞くだけで済むとは思えなかった。
しばらくして、部屋から出てきたカエデはどこか沈んだ顔をしていた。
「おかえり。……どんな話をされたの?」
「一つ目は、ムサシ将軍に対して牽制をするです。巫女の存在を不可欠なものにとの事でした。二つ目は……早く後継を産むために結婚するようにと命令されました。三つ目は、封印の丸石の奥に地下は続く階段が会ったことを伝えました」
私は思わずため息をついた。
「一体、いつの時代なんだか……」
私はため息をついた。
「いえ、義国では当たり前です。相手を見つけない私が悪いのです」
「カエデは、ムサシのことが好きなんだろ?」
「!?えっ、エレナさん、い、いつ知ったのですか!?」
「この前の会合の時。ずっと見惚れてたよね」
「す、すみません……でも、内緒にしてください」
「なんで?もうお母さんにも話した方がいいんじゃない?」
「母は頑なな人です。天霧の血筋以外の人を選ぶことは許してくれません……」
「家を取るか、愛を取るか――選ぶのはカエデだけど、私は愛を選んで欲しいな」
私は肩をすくめて笑った。
「……考えます。ムサシと実は幼馴染なんです。子供の頃から知ってまして、一緒に遊んでました。あの頃は家の事は考えたこともなくて……結婚しようなって約束もしてくれました。彼は今もそのつもりのようです。天霧家を無くして、私を娶りたいと先日も話してくれました……」
彼女の声は小さく、その声は震えていた。
「遺跡の事と税のことはどうだった?」
私は話をすり替えた。
「…はい、遺跡については知らなかったそうです。税については、『大名や商人に任せているから知らない』と言われました」
「そうか……何か良い手はないもんかな」
私は空を見上げた。
朝の光は明るいのに、胸の奥に残るのは妙な重たさだった。
巫女家の中で、カエデが背負わされている“運命の重み”。
その下で彼女の笑顔が少しずつ曇っていくのが、どうしようもなく悔しかった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は11/6木曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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