その11 「再会と怒り」
一旦、赤龍の背に乗り、遺跡の外へと出た。
岩盤の裂け目を突き抜けると、地の底に染みついた土の匂いが鼻を刺し、地上に出たとき、冷たい風が頬を撫でた。
焦げた匂いと熱気がようやく薄れ、代わりに夜の澄んだ空気が胸いっぱいに広がる。
戦いのあとに感じる、ほんのわずかな安堵の風だった。
「……エレナさん、わ、私……り、龍に乗るなんて初めてで……」
隣を見ると、サエの肩が小刻みに震えていた。
「あー……わかる。最初は誰でもそうなるよ。大丈夫、赤龍は良いやつだから」
『うむ、巫女よ、我が貴様らに危害を加えるつもりなど毛頭ないぞ』
重厚な声に、サエはびくりと背筋を伸ばした。
「あ、あの……あ、ありがとうございます!で、でも……私、巫女じゃなくて準巫女なんです……」
『なんと!それは無礼を申した!巫女と準巫女を間違えるとは、いまだ我は学が足らぬな』
「いえいえ!お気になさらないでくださいっ!」
サエは慌てて頭を下げ、手をぶんぶん振った。
その様子に思わず吹き出しそうになる。
「赤龍、あんまり脅かさないでやってよ」
『ふむ?我はただ丁寧に話しただけだが?』
「声が怖い、声が」
『む……それは困ったな。我が威厳とは時に恐怖と紙一重ということか』
「ふふっ……」
サエが小さく笑った。
さっきまで青ざめていた顔に、ほんの少しだけ血の気が戻っていた。
風がまた頬を撫でる。
夜空には雲が流れ、遠くで雷の名残が瞬いていた。
戦いのあと、ようやく、静けさが戻りつつあった。
赤龍は大地の上に降り立ち、土煙を巻き上げる。
そこは、大海獣の眷属と戦闘になった社近く。
「レーナ、この外套でお父様のご遺体を包んでいいぞ」
「いいの? 寒くない?」
「私は大丈夫だよ」
「……そう、じゃあ遠慮なく。ありがとう」
レーナは、私が差し出した外套で父の遺体を包み、そっと赤龍のそばに寝かせた。
その指先はかすかに震えていたけれど、表情にはどこか静かな覚悟が宿っていた。
彼女なりに――ようやく、けじめをつけようとしているのだろう。
私は少しでも空気を和らげようと、無理やり話題を変えた。
「さっきの《フレイムゼロ》って魔法、すごかったね。凍らせたあとに炎が立ち上がるなんて、初めて見たよ」
「……あぁ、あれね」
レーナは小さく息をついて、懐かしむように微笑んだ。
「昔、駆け出しの冒険者だった頃に助けてくれた魔法使いがいてね。その人の魔法を真似したの。でも、全然届かないわ……あの人の炎は、本当に“冷たかった”のよ」
「冷たい炎……?」
「そう。信じられないでしょ? でもね、この世界の魔法は“イメージ”がすべて。エレナもわかるでしょ?」
「うん。けど……冷たい炎なんて、さすがに無理」
「私も最初はそう思った。でも、その人に聞いたの。“どうやってそんな魔法を使えるの?”って。そしたら――『イメージを超えた先で、魂で感じる』だって」
「……なるほど。難しいな」
「そう。頭で描くんじゃなくて、魂で感じるって……今でも意味はよくわからないけどね」
レーナは小さく笑い、少しだけ肩を落とした。
「今の私じゃ、あれが限界だったの」
「それでもすごいよ。ゲールは反撃する暇もなかった」
「……ありがとう。でもね、あれは――本当は、エレナを殺すために編み出した魔法なのよ」
「え……マジ?」
「うん。姉さんの仇だと思ってた頃にね。ふふ、面白いでしょ?」
レーナは視線を逸らして、どこか寂しげに笑った。
「でも、私に使われなくてよかった」
「あら?残念。私もね、あの魔法を戦闘で使ったのは初めて。上手くいってよかったけど、3回に1回は失敗するの。……魂で感じる力が足りないのね」
「それでも十分だよ」
二人の間に、短い沈黙が流れる。
少し離れた場所では、サエが封魔の社の丸い石を覗き込んでいた。
淡い光を放つその石は、ひんやりとした気配を漂わせていた。
「この丸い石を壊したのはーー」
私はサエに近づき話しかけた。
「はい、これを壊した事で階段を見つけたのが――先ほどのゲールとかいう男、ということですね」
『うむ、おそらくそれで間違いなかろう。しかし、巫女ではなく準巫女であったとはな……あの遺跡の封印は、いつ解けるかわからぬのか?』
「はい。“巫女”の力でしか干渉できません。私は……その力を継承しておりませんので…申し訳ありません」
サエの声は少しだけ悔しそうだった。
彼女にしてみれば、自分の無力さを思い知らされる瞬間なのだろう。
『ふむ、気にするな。ならば“カエデ”とやらを連れてくるしかなさそうだな』
「……天霧まで飛んでくれるか、赤龍?」
『無論だ』
「ありがとう」
赤龍の大きな手を軽く撫でると、熱を帯びた鱗がわずかに脈動するのが伝わった。
『エレナ、龍でも照れる時はある…』
「え?どういうこと?」
『いや、忘れてくれ』
よくわからないが、この巨体の中に、どれだけの魔力と知恵が宿っているのだろう――そんなことをふと思った。
その時だった。
空気がぴん、と張り詰めた。
背筋を冷たいものが走る。重たい魔力の波動――まるで、地の底から湧き出ている。
『む……この気配、魔族だな』
「エレナ……」
レーナが顔を上げる。その瞳は疲労に濁っていたが、確かな光を取り戻していた。
私もすぐに感じ取る。
これは……魔力に覚えがある。
「……これは……まさか……」
熱気と焦げた煙の向こう――先ほどまでいた場所が、淡く赤い光に一瞬照らされた。
「レーナとサエは赤龍とここにいて!」
声が自然と鋭くなる。
私は振り返らずに光の方へ走り続けた。
「エレナ!ちょい待ちなさいよ!」
背後からレーナの声が響く。
だが足は止まらない。
(この気配、この魔力……間違いない。あのとき感じたものと同じだ)
膂力変換魔法を発動。
脚に魔力を集め、一気に地を蹴る。
視界が線になり、空気を裂く音だけが耳に残る。
一瞬で穴の縁にたどり着くと、私は息を呑んだ。
――そこにいたのは。
岩壁の中央、ゆらめく赤光の中に、三体の魔族。
そしてその中心に、金色の髪を揺らす女。
目を疑う。けれど、間違えるはずがなかった。
「……リサ……」
その名を口にした瞬間、胸の奥が痛んだ。
忘れられない声、笑い方、戦う時の背中。
なのに今、気配はあの頃とはまるで違う。
冷たく、鋭く、まるで神聖さと邪気が混ざったような――。
「っリサぁぁぁ!」
気づけば叫んでいた。
リサとその周囲の魔族が、一斉に私の方を振り返る。
私は右腕の小手に魔力を流し込み、クラウ・ソラを顕現させた。
眩い光の剣を掲げ、そのまま地の底へと飛び込む。
着地すると、三体の魔族が私を取り囲んだ。
「やっと会えたな、リサ………ここで会ったが百年目なんてもんじゃない…」
リサは何も言わない。
その代わり、彼女の傍にいた魔族が手を上げ、他の二体を制した。
その姿を見て、私は目を細める。
「……エルバラ」
紅い瞳。
あの時、戦った女魔族。
「久しぶりだな、勇者エレナ」
「お前に再会しても、何の感慨もない」
私は一歩前へ出る。
リサの顔を見つめる。
何かを言おうとしたけれど、言葉が出てこない。
ただ、彼女がそこに“いる”という現実だけが胸を締めつけた。
「リサ、話をしたい」
ようやく絞り出したその言葉に、彼女はゆっくりと視線を上げた。
しかし、その瞳はかつての優しさを持たない。
静かで、氷のような光だった。
「リサ様は貴様とは話さん」
「五月蝿い、お前には聞いていない」
私はエルバラを睨みつけた。
魔力の火花が空気を焦がす。エルバラは小さく鼻で笑った。
「ゲールは、どうしたの?」
リサの声――懐かしすぎて、心が一瞬揺らいだ。
けれど、その問いにこもる冷気で現実に引き戻される。
「は?ゲール?そんなことよ――」
「貴様!リサ様の問いに答えろ!」
「ッチ……」
私はクラウ・ソラを構えたまま、リサを見据えた。
「ゲールは殺した。私の仲間がな。」
その言葉に、リサの表情が僅かに動いた。
ほんの一瞬――痛みとも怒りともつかない影が、その瞳をよぎった。
けれど、それはすぐに消え、代わりに狂気の光が灯る。
「……もち……い……」
かすれた声で、リサが何かを呟いた。
「え……?」
私が聞き返す間もなく――
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いッ!!」
その叫びは、洞窟全体を震わせた。
リサは頭を抱え、爪で自分の髪を掻きむしる。
その仕草があまりに痛々しくて、私は思わず一歩、踏み出していた。
「……っリサ?」
「リサ様……?」
エルバラの声にも、リサは反応しない。
いや、反応している――だが、それは怒りというより“拒絶”だった。
「エルバラッ!」
リサが叫ぶ。血走った瞳がこちらを睨みつける。
「その女を……私の前から消して……今すぐに!」
「は、はっ! 直ちに!」
エルバラが身を翻し、部下の魔族たちに怒鳴る。
「お前ら!その女を殺れッ!」
二体の魔族が一斉に跳びかかってくる。
私は反射的に剣を構えようとしたが、胸の奥のざわめきが邪魔をした。
――“リサが、あんな顔をするなんて”
ほんの一瞬、躊躇した。
その瞬間だった。
轟音と共に、紅蓮の火球が飛び込んできた。
ファイアボールが魔族二体を直撃し、爆ぜる。
熱風が頬を焼き、灰が舞い上がる。
リサもエルバラも、同時に天井を仰いだ。
崩れた岩壁の上――そこにはレーナが立っていた。
その髪を熱風がなびかせ、燃え残る炎が彼女の影を揺らす。
「私を置いていくなんて、酷くない?」
彼女は片手に炎をまとわせ、にやりと笑った。
レーナは魔法で土の階段を紡ぎ、私のそばへと降りてきた。
「レーナ、すまない」
「いいわよ。私もその人に話がしたいの」
レーナは私の前に立つと、きちんと裾を取って貴族風の挨拶をした。
「お初にお目にかかります。光の聖女リサ様。私は蒼天の魔法使い、レーナ・バンシュタルト。貴方が殺した多彩の魔法使いレインの妹です」
そう告げると、レーナは静かにリサを睨みつけた。
リサは黙っている。
「教えていただきたいことがあります。姉のレインを殺したのは貴方ですよね?理由を尋ねても?」
レーナの裾を握る手は震えている。
だがその瞳には揺るがぬ意志が宿っていた。
「…四魔将でしたか、ゲールは私が殺しました。ゲールが入っていた体は、私の父のものです。それも回収しました……返答次第では、私が――エレナに代わって、貴方を葬ります」
「くっ、貴様がゲールを――」
エルバラが割って入るが、レーナは冷たく言い放す。
「エルバラ――私とリサさんの会話に口を挟まないで。先に貴方を片付けるわよ」
レーナの迫力に、エルバラの表情がわずかに揺れた。
レーナの魔力が冷たい空気となり場を支配し、皆の呼吸がわずかに止まる。
「さぁ、答えてください」
レーナの声は低く、怒りに満ちていた。
リサはふっと笑い、視線をこちらへ向ける。
「貴方は、その女をどう思っているの?」
「その女?エレナの事?仲間ですよ。大事な……ね」
私は息を飲む。胸の奥が細く締められるようだ。
リサは眉ひとつ動かさずに続けた。
「そう、貴方の姉を殺したのは私。貴方の姉は、そこの女の一番の親友だった……だから殺した。気持ち悪いから…」
真偽が確かめられた。
場の緊張は瞬時に臨界へ達した。
「《ファイアランス》!」
声は短く、魔法の閃きは目にも止まらぬ速さだった。
一瞬にしてたくさんの炎の槍が飛ぶ。
私は動けずにいた。
エルバラがリサの前に出て庇おうとした。
「っく!」
炎はエルバラとリサを、そして周囲の魔族たちを直撃した。
爆炎がリサたちを飲み込んでしまった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は10/30木曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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