その10 「レーナvs.ゲール」
砕けた仮面の下から現れたのは、青い髪をした、ヒューマンの男の顔だった。
その一瞬で、洞窟の時間が止まった気がした。
「……あの顔……」
私は思わず息を呑んだ。
そう、あの顔は――亡き姉、レインに瓜二つだった。
『どうだ、エレナ?あの顔に見覚えがないか?』
「あぁ、あれは……レーナの姉のレインに似てる」
『ほう、姉か……』
雷の残光が消え、ゲールの表情が怒りに歪む。
「貴様……我が主より賜った“仮面”を……!」
低く唸るような声。けれど、もうその顔には、先ほどまでの威厳も冷静さもなかった。
「そんな仮面どうでもいいのよ」
レーナの声は震えていた。怒りなのか、悲しみなのか――その境界が曖昧だった。
「私は初めて会った時から、あなたの“素顔”を見たかった……姉さんに、そっくりだわ」
「……そうか、この男の娘か……くっ」
ゲールが呻きながら顔を歪めた。
「知らないでその体、使ってたの?」
「知らないも何も、朽ちかけの肉体を見つけて……たまたま私が入り込んだだけのこと」
「じゃあ――魔族の“ゲール”はその体の中にいるのね?」
「そうだ。肉は死に、魂は抜けた。私はそこに“入り込んだ”。いや――“憑依させて頂いた”のだ」
「……誰に?」
「我が主に、だ」
レーナとゲールの言葉は、私には遠くてよく聞こえなかった。
だが、赤龍は静かに口を開く。
『……エレナ、あやつは精神体の魔族だ。死体を奪い、宿主として使う種族……昔は多くいた。ゆえに、浄化が使える者が不可欠だったのだ。殆ど絶滅したと思っておった』
「……つまり、魔族のゲールは、精神体であの体の中…」
『うむ。お前の仇敵リサの手によって憑依させられたのだろう。但し、倒すのは簡単だ』
(リサ――またお前か)
「光魔法の浄化か…」
私はゲールの方を見る。
ゲールの肩が一度だけ震えた。
「なるほど……この状況になって、懐かしさなのか父としての想いなのか、少し不思議な気分ですよ。この体のどこかに、まだ“父の記憶”が残ってるのかもしれませんね」
レーナは静かに目を細めた。
「エレナとの戦いで傷を負い、魔法でも勝ち目はないわよ。すんなりその体を返してくれるなら……見逃してあげてもいいわ」
「ふっ……ふふふ……」
ゲールの口角が吊り上がる。
「魔法使い如きが、我を“見逃す”だと……?」
その声が低く震え、洞窟の奥の岩肌まで響く。
「ナニサマダァァァァァ――ッ!!!」
獣のような咆哮と共に、ゲールは右腕を振りかぶった。
「女神アルカナよ、我が宿敵を滅ぼすために彼の者へ神罰を下したまえ――《黒閃撃》ッ!!」
空気が裂け、岩壁が弾け飛ぶ。
空間がねじれ、無数の黒い雷が蛇のように蠢きながら放たれる。
「すごい魔法だけど、私には!」
レーナの青髪がふわりと舞い上がる。
その瞳には、悲しみと怒りが宿っていた。
「《ファイア・ランス》!」
燃え上がる炎の槍が、いくつも並んで放たれた。
赤と黒の光が正面衝突し、洞窟の中に轟音が響き渡る。
「私には、父の記憶はない!」
レーナが叫ぶ。
「でも――その髪色と顔が、思い出を呼び覚ますの!」
再び詠唱。
「《アイス・ランス》!」
氷の槍が複数、光の残滓を描きながら一直線に飛ぶ。
ゲールは両手を掲げ、自身の体に黒い魔力の盾を纏った。
「女神アルカナよ、我が盾は最強の守りとならん!《ダーク・シェル》――!」
レーナの氷と炎の嵐を受け止め、砕けた破片が雨のように散る。
「この体を手に入れて、私は生まれ変わった!」
ゲールの声が洞窟に響く。
「やりたかった研究も、支えるべき主も見つけた!この体はもはや私のものだ!」
「そんなの、知らないわよ……!」
レーナの足元から空気が一瞬で凍りつき、青白い光が放射状に広がった。
「父の体――返してもらうわ!」
「ほざけ!私は不滅だ!!」
二人の魔力が衝突する。
蒼と黒――まるで天と地がぶつかり合うような轟音が響いた。
「悪いけど、魔族の改造だけが得意な貴方はここまで……最初から魔法で貴方に勝ち目はないのよ」
レーナは唇をかすかに動かす。
「……《フレイム・ゼロ》」
それは、数年前にある冒険者の魔法使いが使用しているのを見て、彼女が編み出した似たような魔法。
氷と炎、相反する二つの属性を同時に圧縮し、
敵に向かって一気に放出する――。
「なっ……!?」
ゲールの黒い防壁が、凍り音を立ててひび割れていく。割れた氷は溶け蒸気を上げ、蒼い炎となり、彼の腕を焼いた。
「があああああああっ!!!」
膝をつくゲール。
「……もう終わり…父の体は返してもらう」
レーナの目に、涙が一瞬見えた気がした。
「……女神アルカナよ、我が願いは彼の者の浄化。今こそ聖天の禊をここに《ホーリーレイン》」
レーナは浄化魔法の詠唱を呟いた。
魔法の光が静かに広がって行く。
「浄化なぞ…され…私はまだこんなとこーーー」
蒼い光がゲールの体を包み、割れた仮面が剥がれ、その輪郭がゆっくりとヒューマンの姿に戻っていった。
洞窟に残るのは、魔法の焦げた匂いと、ほんのわずかな静寂だけだった――。
「……お父さん……!」
レーナは倒れた男のもとへ駆け寄った。
魔族の面影を失ったその顔を見つめ、震える腕で抱きしめる。だが、レーナ自身も魔力を使い果たし、膝が崩れそうになっていた。
『うむ、いかんな!エレナ、行け!』
赤龍の声に、私はすぐに頷いた。
「わかった!」
飛び降りた瞬間、熱い風が頬を撫でる。私はレーナの背を支え、父親の体を抱きとめた。
残念ながら、父親の体は冷たい。
「レーナ、お疲れ様」
「……疲れたわ。早く帰って、ご飯食べたい……」
「そうだな。私も、お腹が空いた」
互いに小さく笑い合う。ほんの一瞬でも、戦いの緊張がほどけた気がした。
重々しい音を立てて、赤龍が地面に降り立つ。洞窟の中が再び明るく照らされた。
サエはその背から慎重に降りてくると、私たちのもとへ駆け寄る。
『うむ、蒼天よ、あっぱれだ』
赤龍の低い声に、レーナは薄く笑ってピースサインをした。
「へへへ……当然でしょ」
『父親は既に魂がない。残念だったな…』
「仕方ないわ。死んだのは十数年前だもの。それより遺体が綺麗なのでよかったわ」
『うむ、不思議だが、それもリサとやらの力だろう』
「お二人とも、本当にお強かったです!すごかったの一言です」
『うむ、それより巫女よ。封印はどうなっておる?』
「はっ、はいっ!す、すみません。すぐに調べます!」
サエは慌てて走り出し、ゲールが残した装置の前に膝をついた。
私はレーナと父親の遺体を赤龍のそばの平らな岩に横たえ、彼女の後を追う。
『蒼天よ、ーーーー』
赤龍がレーナに何か話しかけているが、私はサエの元へ向かう。
静寂の中、まだ熱を残した空気が肌を焦がす。
戦いの終わりを迎えたはずなのに――胸の奥では、何かがまだ燃えている気がした。
サエが装置の前に駆け寄った瞬間――金属が擦れるような音が響いた。
暗闇の中から、二つの影がゆらりと立ち上がる。
「っ!」
「油断するな、サエ!」
サエは身を翻し、素早く刀を構えた。
ひとりの魔族の胸を貫く。崩れ落ちたその体が、音を立てて倒れた。
だが――もう一体が、サエの背後に回り込んでいた。
振り返るより先に、鋭い爪が空を裂きそうになるが、私は剣を構え、間一髪で受け止めた。
「はぁっ!」
一閃。
魔族の腕が宙を舞い、洞窟の壁に叩きつけられる。
「ぐ……ッ…!」
倒れた魔族に剣を向けたまま、私は息を整える。
「……この装置は……何をしているんだ!?」
その魔族は、私を見上げ、口の端を吊り上げた。
「クックック…知らん…」
言葉を話す魔族――つまり、ただの雑兵じゃない。
「…魔将か」
「そうだ。だが、もう意味はない。ゲール様が死んだ今、我々では装置を動かせぬ」
「……動かせないだと!」
「ふふふ……お前たちの勝ちだ。だがな――」
魔将は、地を這うように後退した。
逃げる気だ。
「逃がすと思う?」
剣を振り抜き、足元を切り裂く。
「ウギャァァッ!!」
血飛沫が飛び散り、魔族は呻き声を上げた。
「逃がん。この装置がどんなものなのか、説明しろ!」
「だ、だから……よくわからない。ゲール様の命令で……動かしてただけだ!」
「……何だと?」
そのときだった。
装置の中央部――黒い魔石が埋め込まれた核が、赤く脈打ち始めた。
ゴウッ……と低い音が洞窟に響く。
「おい!これはなんだ!」
私が叫ぶと、魔将の顔が蒼ざめる。
「お……おそらく、ゲール様が死んだからだ。装置が――自爆を始めた!」
「自爆!? なんのためにだ!」
「ゲール様は……失敗したときのために、封印施設を壊して大海獣を復活させると……そう話していた!」
「アルファスト大陸に持ち帰れないからって……義国の人々を犠牲にするつもりだったの!?」
「俺たちは何も知らされていない!すべて……ゲール様の、考えだ……!」
魔族の声が途切れると同時に、装置全体が赤く光を放ち始めた。
熱気が空気を震わせ、洞窟の奥から何かが目覚めるような音が聞こえてくる――。
「赤龍、まずいぞ!この装置は爆発する!大海獣が出てくる!」
私は叫びながら駆け戻った。
赤く光る封印装置の核が、今にも弾けそうに震えている。
『お前たちもどれ――我に任せろ』
赤龍の声は低く、しかしどこか落ち着いていた。
私はサエの腕を引き、急いで赤龍の背へ飛び乗る。
「策って……何をする気!?」
『見ておれ。飛ぶぞ、しっかり捕まれ!』
赤龍が翼を広げた瞬間、熱風が巻き起こり、洞窟の瓦礫が舞い上がった。
私とサエは必死に鱗にしがみつく。
「赤龍、まさか――!」
『そのまさかだ!』
天井すれすれまで上昇した赤龍が、巨大な口を開いた。
胸の奥で眩い紅蓮の光が漏れ出す。
――ゴォォォォォッ!!!
轟音とともに、炎の奔流が洞窟を埋め尽くした。
赤龍のブレスが封印装置を直撃し、赤い閃光が一瞬で白に変わる。
灼熱の風が押し寄せ、私は思わず目を閉じた。
「っ……すごい……!」
炎に包まれた装置は、悲鳴を上げるように軋み、やがて崩れ落ちていった。
赤黒い魔力の光が霧散し、洞窟の奥にあった魔法陣も次々と消えていく。
『ふむ、これで爆発は防げたな』
「荒っぽいにも程があるな……でも、助かった」
『ふはは、我が炎は浄化の力をも帯びておる。邪なるものを焼き尽くすのに、これほど適した方法はあるまい』
そう言って、赤龍は鼻を鳴らす。
洞窟の空気が静まり返り、あの不気味な振動も止んでいた。
サエが胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「赤龍様、ありがとうございました」
赤龍は炎に照らされた瞳を細め、低く呟いた。
『だが……まだ終わってはおらぬ。封印の一部は破損しておる。あれではいずれ出てくる。一旦、外に出るぞ、巫女、勇者』
私は頷き、レーナとその父のもとへと視線を向けた。レーナは安心したような表情に少しだけ安心した。
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次話は10/28火曜日22時に公開予定です。
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