その6 「評議」
ついに評議が始まった。
空気は張り詰め、誰一人無駄な言葉を発しない。
蝋燭の火が揺れるたびに、緊張がそのまま波紋のように広がっていく。
三鶴城家の出席者は合計五名。
ムサシ将軍、ガイ副将、クロ捕物隊長
リーン捕物副長、護衛ケイ
天霧家の出席者は合計四名。
巫女カエデ、準巫女サエ、準巫女ネネ、護衛の私
このメンバーに天霧家側は、カエデの母が参加予定だったらしい。
ムサシ将軍が重々しい声で口を開いた。
「今回の議題は三つ。
一つ、貧民街における民の増加と治安の悪化。
二つ、魔物と海獣の出現頻度の増加。
三つ、大海獣の封印の現状について――」
その声は鋼のように冷たく、威圧を帯びていた。
会議に集う者たちは、視線をカエデへ向ける。
「まず、貧民街の問題についての対策は?」
「……はい」
カエデは立ち上がり、静かに頭を下げた。
「貧民街の件は、私も心を痛めております。現在、天霧神社、大名方、そして商人組合と協議を重ね、失業者への救済策を進めております…」
「心を痛めている、か……」
ムサシ将軍の隣に座るガイ副将が、冷笑を浮かべた。
「だが、そもそも重税を民に課してきたのは、天霧家や大名達ではないか?その結果が、今の貧民街だ。我らの兵が暴徒を抑え込んでいるが、いつ暴動が起きてもおかしくはないぞ」
重く響く声に、場の空気がさらに沈んだ。
「民への税を減らす事が最大の解決策となるのではないか?」
ガイ副将がカエデに詰め寄る。
カエデは小さく唇を噛み、「はい」とだけ答えることしかできなかった。
私は今回見ていることしかできない。
異国の人間が口を出すのは、火に油を注ぐ。
けれど、過度な重税はたしかによくない。
(どの国でも民が苦しむ…ただその原因が天霧家にあるのには驚いた…)
「税については、カエデ殿の母上カナエ様が戻られてから詳しく話し合うとしよう。しかし、あまり猶予がないと思われよ」
ムサシ将軍が無理やり話を終わらせた風に感じた。
「次に、これは同じ内容だな。魔物と海獣の件だ」
ムサシ将軍の声が再び響く。
「ここ数ヶ月、魔物や海獣の出現が倍増している。そのため漁師組合から討伐依頼が多く届いている。祈りの効果が薄れているのではないか?」
「確かに、魔物と海獣が増えているのは事実です」
カエデは正直に答えた。
「原因は、古来より封じられている“大海獣の封印”が緩んでいる可能性が高いと考えています。そこから漏れ出る瘴気が原因と思われます。ただ……封印の地は危険地帯であり、容易には赴けません」
「祈りでは、もはや海は鎮まらぬというわけか」
クロ捕物隊長が、嘲るように言葉を放った。
「信仰という名の欺瞞だな。天創大神が本当に存在するのなら、なぜこの国は荒れる?」
ガイ副将の言葉に、カエデの肩が僅かに震えた。
彼女は必死に微笑みを保っていたが、その指先は膝の上で小さく震えている。
「祈りに頼る時代は終わったのかもしれん」
ムサシ将軍は冷静に言い放つ。
「海獣や魔物への対応策は、三鶴城家で検討する。神託よりも、行動が必要だ」
「……はい」
カエデの声は小さく、かすかに掠れていた。
私はただ立っていた。
天霧家にも落ち度はある。
けれど、三鶴城家の言葉には天霧家を“助けよう”という意志がまるで感じられなかった。
なんとかして協力関係に持っていけないものか。
だが、カエデが何も言い返さない事に、私は少し違和感を覚えた。まるで将軍に遠慮しているような。
この国の未来を左右するはずの評議。
けれど、その場に漂っていたのは――協調ではなく、天霧家の断絶だった。
誰も口を開かない。
空気が淀み、蝋燭の炎が細く揺れる音だけが聞こえていた。
その沈黙を破ったのは、一人の少女だった。
「お待ちください!」
声の主は、カエデの隣に座る準巫女のサエだった。
その瞳には真っ直ぐな光が宿っている。
「民への税については、カナエ様――カエデ様のお母上が戻られてからとしても、海獣や魔物への対策は急務です。我々巫女一同の総力を挙げて祈祷を行わせて頂けませんか?」
凛とした声が、広間の静寂を裂いた。
だが、ムサシ将軍がゆっくりと目を細める。
「……それを行い、もし祈祷が通じなければ、どうするつもりだ?天霧家ではその後を考えておるのか?」
その声音は、まるで刀で切りつけるように冷たかった。サエは一瞬言葉を詰まらせ、唇を噛む。
「……き、きっと……祈りが通じるはずです」
かすれた声が、部屋の隅まで響く。
その答えに、ムサシ将軍はわずかに目を伏せた。
「……うむ」
その一言だけで、会議の空気は再び支配された。
「カエデ殿はどう思う?」
ムサシの視線が、真正面からカエデに向かう。
「祈祷が通じなければ――どうする?」
カエデは手を強く握り、静かに答えた。
「……それは……全て、私の責任でございます」
「ふむ。……まあよい」
ムサシはあっさりと話を打ち切った。
「この場で詰問しても仕方あるまい。祈祷については少し考えよう。その後の対応は――また改めて話そう」
沈黙。
この評議が、ただ“対話の場”ではなく“裁きの場”に近い事を痛感した。
だが、ムサシの視線がふと私の方へと向けられた。
その目は鋭く、試すような色を帯びている。
「……その、護衛のエレナと申したな?」
「はい」
姿勢を正し、軽く頭を下げる。
「あの師範に勝利するのは難儀だ。相応の腕前なのだろう……先程も申したが、一度、見てみたい」
(……そこまで見たいのか…)
隣のカエデがわずかにこちらを見る。
その瞳が静かに頷いていた。
――受けろ。
「ムサシ様」
私は一歩前へ出て、頭を下げた。
「お受けいたします」
ムサシの口元に、満足げな笑みが浮かんだ。
「その心意気、あっぱれだ!……ケイよ」
背後に控える護衛に声が飛ぶ。
「貴様が相手をしろ」
「仰せのままに」
男――ケイは静かに頷くと、一歩前へ出た。
黒髪を後ろで束ね、義国特有の軽鎧を纏った青年。
ただ立っているだけで、剣士特有の圧を感じた。
(この国の剣……“静”を極める者たち。なるほど、相手には不足はない。楽しみだ)
私は深く息を吸い、胸の奥にわずかな火が灯るのを感じた。
「……では、庭に出るか」
ムサシ将軍の声が、静寂の中に響いた。
障子が開かれ、澄んだ陽光が差し込む。
白砂が敷かれた庭はよく整えられ、中央には一本の松が凛として立っていた。
その静謐さが、まるで戦いの場であることを忘れさせるほどだ。
私とケイは、それぞれ木刀を受け取った。
ムサシ将軍とカエデ、そして評議の面々は縁側に腰を下ろし、じっとこちらを見ている。
空気が張りつめた。
「よし、木刀を受け取ったな。開始の合図はガイ副将に任せよう」
「かしこまりました」
「うむ、ではカエデ殿、それでよいな?」
「大丈夫でございます」
「ケイも、エレナも、心してかかれ」
「はい」
私は木刀を両手で握り、構えを取る。
この数日、天心一神流で学んだ“静”の呼吸。
力で押し切るのではなく、間合いを読む剣術。
それを、私の“動”の戦い方と合わせてみよう。
ケイもまた、深く腰を落とし、視線を私に定めた。
迷いがない――完全に実戦の構えだ。
「それでは、初め!」
ガイ副将の声が響くと同時に、私とケイはほぼ同時に駆け出した。
砂を蹴る音が交錯し、次の瞬間、
カンッ!
木と木が激しくぶつかり合う高い音が庭に響いた。
「……っ!」
腕に伝わる衝撃。
ケイの打ち込みは重く速い。
ただの試合ではないーー本気だ。
近づいた瞬間、彼の瞳が見えた。
そこには、はっきりとした“殺意”が宿っていた。
(……なんで、殺気を?)
私は受けた木刀を斜めに滑らせ、力をいなす。
その反動で相手の肩口に軽く木刀を当てた。
だがケイは怯まず、即座に後退。体勢を立て直して再び踏み込んでくる。
「速い……けど、単調だね」
私の呟きが風に消える。
ケイは低く構え、間合いを詰めながら何度も斬り込む。
斬撃の軌道は洗練され、流れるように美しい――だが読める。
静の剣は、読み合いと呼吸の世界。
私はその流れに身を委ねるように受け、捌き、時にかわした。
木刀がぶつかるたび、乾いた音が重なっていく。
やがて、私たちの動きが速すぎて、周囲の目には残像しか映らなくなっていた。
(この程度なら……まだ余裕がある)
私は魔力を使わない。
ただの肉体――勇者でも、魔法使いでもなく、“一人の剣士”として立っている。
「くっ……!」
ケイが焦りを見せた瞬間、私は木刀の先で彼の構えを軽く押し上げた。
その隙に一歩踏み込み、首筋すれすれに木刀を止める。
だが――止めた瞬間、ケイの反撃が来た。
反射的に体をひねり、頬をかすめる風を感じる。
紙一重の距離。
(しつこいな……)
何合打ち合ったのか、もうわからない。
砂が舞い、木刀が火花のように閃く。
時間の感覚が消え、ただ剣と剣の音だけが響いていた。
やがて――。
「……そこまで!」
ムサシ将軍の声が響いた。
ケイが息を荒くし、私も木刀を下ろす。
ケイの額には汗が滲んでいた。
「見事だ、エレナ殿」
ムサシの声には、皮肉ではなく、純粋な賞賛が滲んでいた。
「なるほど……力に頼らず、静の剣を掴んでいる」
私は軽く頭を下げた。
「過分なお言葉です」
縁側で見守っていたカエデが、ほっと胸を撫で下ろしているのが見えた。
彼女の視線に、私は小さく頷く。
(模擬戦は終わった――でも、将軍に気に入られたのは良い傾向かもしれない)
静かな庭に、蝉の声が響く。
義国の“静の剣”と、異国の“動の剣”が交わったこの瞬間。
この国の運命が、少しだけ動き出したような気がした。
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