その5 「義国での生活」
義国に来てから一週間。
赤龍は回復したのだろうか。
呼びつける用事もないので笛を使う事はないが、気になる。
(そろそろ会いに行ってみるか……)
ここでの生活は、午前に天霧神社の掃除や買い出し、午後は天心一神流の道場で稽古。
そんな規則正しい日々が、いつの間にか心地よくなっていた。
「エレナ殿、力を抜きなさい。意識を静かにする事で間合いが取れやすくなる。そして、剣を振るという意識を無くす事で最速の動きができる」
師範の声が静かに響く。
私は木刀を握る手を緩め、深呼吸をした。
“静”の剣。
それは、これまでの戦場で培ったいわゆる“動”の剣とはまるで違う。
こちらの剣術は、心を澄ませることで、最速の攻撃を行う。
しかし、性格なのか力を込めて剣を振ってしまう。
「……難しいな」
「私もです。でも……この静けさ、落ち着きますね」
隣のランが、額の汗を拭いながら微笑んだ。
彼女はこの“静”の剣に、意外なほど向いている。
私のように即考え勢いで動くタイプではなく、呼吸を合わせるのが上手い。
私は目を閉じた。
心を鎮める。
息を殺して間合いを計っていた。
風が止んだ瞬間ーー木刀をすっと動かした。
「なるほど……こういうことか」
その一瞬に、心が研ぎ澄まされた気がした。
「今の動き……悪くない」
師範が静かに言う。
「ありがとうございます。師範」
「エレナ殿とラン殿は元々筋が良い。すぐにできるようになる」
子供の頃に父様やリリサに褒められた時と同じように、修行に対してワクワクする感覚が蘇ってきた。
午後の稽古が終わると、神社ではカエデが子供たちに文字を教えていた。
縁側に腰を下ろして、その様子を眺める。
墨の匂い、畳の感触。
懐かしいようで、どこか落ち着く。
「お疲れ様です、エレナさん、ランさん。剣術は慣れましたか?」
「うん。力を抑えるって難しいね。でも、何か掴めそうな気がする」
「それはきっと、“心”が静まってきた証ですよ」
カエデは微笑みながら、湯飲みを差し出してくれた。温かいお茶の香りが、疲れた身体に染み渡る。
「義国では、剣と心は一つとされています。剣を学ぶことは、己の心を整えることなんです」
「なるほど……最近穏やかなのはそのせいか……」
「たしかに最近、レーナさんを怒鳴りませんね?」
「……そんなに怒鳴ってないと思うけど…」
「エレナさんの国では静という考えがないと仰っておりましたね」
「うーん……あるにはあるけど、力がすべてって感じかな。勝つために剣を振る。静かに戦うなんて考えたこともなかった」
「ですが、エレナさんの中には確かに“静”がありますよ」
「え?」
「時々、話していると……そんな風に感じます」
カエデの言葉は不思議と私の心を見透かす。
その日の夜。
風呂から上がり、三人で縁側に並んで夜風に当たった。
レーナは相変わらず食べ歩きの話ばかり。
「ねぇ聞いてよ! 今日、街で食べた串焼きが最高だったの!」
「……それ、昨日と同じ店だろ?」
「だって美味しかったのよ!」
「食べることに全力投球ですよね、レーナさん」
ランが呆れ顔で肩をすくめる。
「私の座右の銘は、生きる事は食べる事だもん!」
「はいはい、もう好きにして……」
私はそんな二人を見ながら、夜空を見上げた。
この義国の空も、アルファストの空も、そして前世で見た空も、どこか似ている。
「この空も誰かが見ているのかな……」
ふとそんな言葉が漏れた。
「なになに?遠い目で物思いに耽って?」
レーナがニタニタと笑っている。
正直その笑顔は気持ち悪い。
「その笑顔、気持ち悪いからやめた方がいいぞ」
「!?……キモチワルイですって…」
(言いすぎたかな?でも本当のことだし)
夜風が少し冷たく感じてきた。
カエデが廊下の向こうから静かに歩み寄ってきた。
「お三方にお話があります。2日後、都で“評議”が開かれる事になりました」
「評議?」
「ええ。三鶴城家と天霧家が集う会議です。……母が不在のため、私と準巫女の三人で参加します。エレナさんにお頼みしたいことがあります」
カエデは一呼吸おいて、私の方をまっすぐ見た。
「エレナさんには、国の内情を見て頂ければと思います。それと、護衛をお願いできますか?」
義国の政治と信仰を司る二つの家――三鶴城家と天霧家。その両者が直接顔を合わせるとなれば、国の未来を左右するほどの重要な会議になるのだろう。
そして、神託を受けた現巫女として、カエデが呼ばれるのも当然のことだった。
「もちろん。私でよければ、喜んで」
そう答えると、カエデはほっとしたように小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。形式上は“従者”という立場でお越しいただきます。ただ、もしもの時に護衛を一人だけ同行させるのが慣例なんです」
「なるほどね。だったら、ちょうどいい役目だ」
「……ひとつだけ。話し合いの流れ次第では、エレナさんが“異国の人”だと明かすかもしれません」
カエデの声音は静かだったが、その瞳の奥には決意の色があった。
「ヒヒイロカネの件で、何か情報が出るかもしれません。少しでも道を開くために」
「わかった。判断は任せるよ」
「……ありがとうございます。なんとか手がかりを掴んでみせます」
そう言った時、カエデの横顔が一瞬だけ寂しげに見えた。
「じゃあ、レーナとランは留守番ね」
「はい、私は道場で鍛錬してます」
「私は、美味しいものを探す旅にでます」
レーナの即答に、思わず笑ってしまう。
「よろしくお願いします。エレナさん」
「任せて」
こうして、私はカエデの護衛として“評議”へ同行することになった。
* * * * *
評議の日が訪れた。
義国の政治と信仰を司る――三鶴城家と天霧家が、一堂に会する日だ。
評議は三鶴城家所有の屋敷で行われる。
神社のように厳かな佇まいの建物。
中へ入ると、中央には二十人ほどが座れそうな大きな円卓が据えられ、整然と座布団が並べられていた。
私はカエデのすぐそばに控え、護衛として立つ。
準巫女の二人はその両隣に座り、静かに息を整えていた。この二人は準巫女という役割だが、実際は護衛と兼ねているらしい。一人は道場で一緒に訓練している顔見知りだ。
「エレナさん、カエデ様をよろしくお願い致します」
「はい、任せてください!」
準巫女の一人である彼女の名前は、サエ。私と同い年で仲良くなった。たまに模擬戦もやるけど、彼女の居合の速さは師範並みだ。私も負けてないけど、静の動きでは完全に負けている。
「カエデ様、先日、エレナさんは師範と再び模擬戦をされました」
「え、それは聞いていませんね。どちらが勝たれましたか?」
「それが……エレナさんです」
「えっ!」
カエデが驚き、後ろを振り向いた。
「あ、いや、でも道場の基礎である"静"の動きを使わなかったし、ルール……規則違反だよ」
「道場の門下生みんなでびっくりしました」
「いえ、あの師範に勝てたんですね……エレナさん素晴らしいです」
「いや、本当、規則違反だから」
そう、規則違反というか卑怯な事をしてしまった。
師範の速い剣戟を交わすのが精一杯で、私はつい膂力変換魔法を発動させてしまった。
一瞬、私の速さが変わり、師範は驚いたのだろう。
(あれは、私の負けだよ)
やがて、廊下の向こうから足音が近づいてきた。
その気配だけで、場の空気が一気に張り詰めた。
「三鶴城家御一行、入場――」
襖が静かに開く。
先頭に立つのは、鋭い眼光を放つ一人の男――ムサシ将軍。
(…あれが、ムサシ将軍様か……)
その背筋はまるで刀身のようにまっすぐで、纏う気配が尋常ではない。
彼の後ろには、家臣三名と護衛一名。
合計で五人の一団が入室すると、場の空気がさらに重くなった。
「カエデ殿、久しいな」
席に着くや否や、低い声で言葉を投げる。
「お母上…カナエ様は今日は来られぬと聞いたが」
「ムサシ様、お久しぶりでございます。母は現在、天霧家所有の島にて祈祷のため外遊しております」
「そうか」
彼の鋭い視線が、こちらへと移った。
「……そちらの護衛は見慣れぬ顔だな?」
「はい。新しく雇いました。エレナと申します」
「エレナです。お見知りおきください」
私は軽く頭を下げた。
「雇われ間もなく護衛……相当な腕前と見えるが?
」
「仰る通りです。彼女は天心一神流の師範に模擬戦で勝ったことがございます」
カエデの言葉に、室内が一瞬ざわめいた。
扇子の音が小さく響く。
「待てカエデ殿、その娘が“あの師範”より強いと申すのか?」
ムサシ将軍の左隣に座る男が、鋭い目つきで私を指した。
「はい。模擬戦ではございますが、師範は彼女から一本を取られたと聞いております」
「俄かには信じがたいな……」
ムサシ将軍の背後に控えていた護衛が、一歩前に出て私を睨みつける。
その視線には、敵意と好奇心が入り混じっていた。
(……カエデ、あんまり目立たせないで…それとも何か考えがあるのかな…)
心の中でそう呟く。
「失礼。彼は天心一神流の門下生だった男でな。私が気に入り、道場を辞めさせて護衛にしている。腕は確かだ」
ムサシ将軍は静かに笑った。
「いずれ、一戦交えてみたいものだ」
「ムサシ様、お戯れを……」
カエデが柔らかく頭を下げる。
「わかっておる。だが、剣の道を行く者としては、気になる」
ムサシ将軍は扇子を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「では――評議を始めよう」
その一言で、室内の温度がわずかに下がった気がした。静寂が広がり、蝋燭の炎が小さく揺れる。
(始まった……)
私は姿勢を正し、カエデの背を見つめた。
いよいよ、義国の評議が始まる。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
天霧神社での日々を経て、エレナたちはついに義国の中枢へ。
三鶴城家と天霧家――二つの権力が交わる場で、巫女と将軍、そして異国の勇者エレナが出会いました。
次話は10/19日曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い致します。
エレナ達を暖かく見守って頂けますと幸いです。
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