その1 「空の上の戦い」
雲を突き抜ける風が、頬を打つ。
眼下には果てしない山脈、遥か彼方には蒼い海が見えていた。
赤龍の巨大な翼が音を立て、雲の海を裂く。
鋼鉄のカゴに乗った私たちは、その首から吊るされる形で空を進んでいた。
「速いな。雲がどんどん過ぎ去っていく」
『ふむ、これでも抑えておる。お前たちの乗る籠など、振り回せば吹き飛ぶぞ』
「ひぃぃぃ!辞めてぇぇぇ!!」
「レーナさん、しっかり掴まってください!大丈夫、赤龍様はそんな事しませんから!」
ランが必死にレーナの肩を押さえている。
青ざめたレーナは、ランの腕にしがみついたまま震えていた。
「その高いところが怖いの治そうな」
「む、無理!」
赤龍が喉を鳴らして笑う。
『それでも龍を倒した冒険者か。だが、愉快な旅路になりそうだな。これから海を越えるぞ、しっかり掴まっておけ』
風が一段と強くなり、雲の切れ間から蒼い大海が広がった。
ドワーフ王国の鉱山地帯を抜け、ブレイジング領の端を越えたのだ。
――義国までは、あと半日……?
「赤龍、もしかしてさ、本当はそこまで時間が…」
呟いたその時だった。
空の向こうで、いくつもの影が蠢いた。
『……ほう、これはこれは。』
次の瞬間、光の槍が大気を裂いた。
赤龍が反射的に翼を翻し、槍は私たちの籠のすぐ脇を掠めて爆ぜる。
「なっ……!?攻撃!?」
『――上空だ!』
その声に続いて、聞き覚えのある笑いが響いた。
「ふふふ、まさかあなた方が赤龍と接触しているとは思いませんでしたよ」
青髪を風に揺らす青年が、魔導杖を手に浮かんでいた。黒衣の裾を翻し、片目だけが妖しく光る。
「お前……魔導博士ゲール!」
「おや?覚えて頂き光栄ですね。勇者殿」
相変わらずバカにしたような台詞を吐く。
「ぅう、気持ち悪い……あの男には話がある……」
「レーナさん、無理しないで」
『して、何用だ?』
赤龍が低く唸る。
「いえ、たまたまです。私たちって結構忙しいんですよ。リサ様にこき使われておりましてね……」
「お前、リサはどこだ!」
「知ってて話すと思いますか? 勇者殿」
ゲールが指を鳴らす。
空が一瞬で陰り、百を超える翼竜達が雲間から現れた。
「ヒューマンには、ここで会ったが百年目、という言葉があるそうですね――赤龍共々、殺して差し上げます!」
雷鳴のような叫びと共に、無数の翼竜が突撃してきた。
赤龍が吠える。
『ふん、愚か者どもめ。抱えたままでは戦えぬが――見せてやろう、竜の咆哮を!』
赤龍の咆哮が空を震わせた。
雲が裂け、雷鳴が轟く。
だが、翼竜たちは怯まない。むしろ、赤い光に反応するように軌道を変え、陣形を組み直した。
「言い忘れておりましたが、彼らには“特殊な防音膜”を仕込んでおります。貴方の咆哮も、もはやただの風音ですよ、赤龍殿」
『……なに? そんなことが可能なのか』
「えぇ、“可能”にしました。私、魔族や魔物の改造が好きなんですよ。この翼竜たちは、私の最高傑作の"兵器”ですよ」
「待て!それじゃあ、回復したりブレスを使う魔人は…!?」
ゲールは穏やかな笑みを浮かべながら、杖の先を軽く掲げた。
百を超える翼竜が一斉に空気を吸い込み、
次の瞬間、青白い光線がこちらに放たれた。
『来るぞ!』
全身が震えるほどの轟音。
赤龍が身を捻り、急上昇する。
ズドォォォン――!
爆音が響き、赤龍の腹部に直撃した。
「赤龍っ!」
『このくらい、かすり傷よ……だが、面倒な』
ゲールの笑声が空に響く。
「貴方ほどの存在が、まさか“数”で押されるとは。
やってみるものですね」
「ゲール、お前……!また帝国の時と同じように、何か企んでるな!」
「企みですか?そんな大層なことではありませんよ。今はただ“観察”しているだけです」
「どういう事だ!」
「“裏切られた勇者”が、どんな終焉を迎えるのか――興味深い」
「ふざけるな!」
『エレナ、怒るな。そいつの挑発に乗るな。』
「……」
ゲールが目を細める。
「ふむ、随分落ち着きましたね。以前の貴方なら、剣を構えて何も考えずに突っ込んできたでしょうに。人は経験を経て、成長する……やはり、ヒューマンは興味深い」
『小癪な奴よ。貴様は人族も魔族も、自身の玩具としか思っていない。そこが我とは相容れん。だから追い返したのだ』
「光栄ね、赤龍殿。私たちは、相反する形で人族に興味を抱いている。対極に立つ者同士、こうして出会えたのも運命でしょう」
「くだらない理屈だ!」
『うむ、くだらんなーーっ』
赤龍が大きく息を吸い込み、体が赤く光を帯びる。
「ちょ、ちょっと待って!ブレスは、私たちも燃えちゃ――」
『心配無用だ、獣神の娘よ』
轟音と共に、紅蓮の炎が解き放たれた。
周囲の翼竜が一瞬で蒸発し、空に巨大な穴が穿たれる。
「……相変わらずすごいな……!」
私たちは息を呑む。
赤龍は燃え上がる空を突き抜け、一直線に雲間を駆け抜けた。
背後では、ゲールの声が遠ざかっていく。
「いいですねぇ……やはり貴方たちは“観察”し甲斐がある。勇者エレナ――また会いましょう」
空が遠ざかり、声が風に溶けた。
赤龍はさらに速度を上げ、東の海原へと向かう。
* * * * *
赤龍の翼がわずかに震えた。
「速度が落ちてるぞ、どうした?」
風を切る音が弱まり、速度が目に見えて落ちていく。
『……エレナ、すまない。どうやら体を痛めたようだ』
「大丈夫か!?」
『うむ、思った以上に強化された翼竜のようだな』
空の果てに見えていた陸地が、じわりと近づいてくる。
『あの陸地から義国の領地だ。ゆっくり話でもしながら旅をしたかったが、奴らに邪魔をされたな』
「本当に私たちに気を遣って飛んでいたんだな」
『お前たちと語りながら旅をするのも悪くないと思ったのだが……』
「またいつか、ゆっくり旅をしよう」
『ふ……そうだな。では、あそこに降りるぞ』
赤龍はゆるやかに翼を傾け、
海風に乗って陸地の平地へと降り立った。
足が地を踏むと、震えるような衝撃が伝わる。
砂埃の中、エレナたちは鋼鉄のカゴを降ろしてもらい、地面へ足をつけた。
「……よかった。ちゃんと降りられたわね。わたし、もう一生飛行はいい……」
「レーナさん……地面にへばりついてキスしないで下さい。みっともないです」
「地面って、こんなに尊いものだったのねぇ……」
赤龍の巨大な影が、三人の頭上に覆いかぶさる。
「赤龍、傷は?」
見上げると、翼膜の一部が焦げ、背中に黒い痕が残っていた。
「レーナ! 早速だけど回復魔法を――」
『いや、回復魔法は我には通じぬ』
「えっ?」
『我ら龍種は、魔法を拒む体なのだ。そのため癒しの術は効かぬ』
「そんなことあるのね……」
『うむ、不思議だが事実だ。傷つけば休み、すぐに癒える』
「じゃあ、ここで休むか?」
『そうだな……蒼天よ、あの崖の辺りに我が入れるほどの穴を開けてくれぬか?そこで眠りたい』
「わかったわ。ラン、手伝ってちょうだい」
「わかりました!」
レーナとランが崖の方へ走っていく。
赤龍はその間、カゴの中に爪を伸ばし、何かを摘むように差し出した。
『エレナ、これを渡しておこう』
「これは……笛?」
『うむ。バレッタに頼んで作らせた“呼び笛”だ。吹けば我にしか聞こえぬ音が鳴る。困った時、我を呼べ。すぐに駆けつけよう』
「……ありがとう。そんな物まで用意してくれてたんだな」
『なに、気まぐれだ』
「ゆっくり休めよ」
『ああ、だが……あのゲールとか言う魔族は、いつか我が片付ける』
「その時は、私たちも手伝うさ」
『ふはは、共闘だな』
「できたわー!」
レーナの声が崖の向こうから響く。
見ると、岩肌に大きな洞窟が口を開けていた。
『うむ、上出来だ。では、しばしの別れだな。』
「ありがとう、赤龍」
『……うむ、我は眠りながらも風の声を聞いておる。お前らの旅路に幸あれ。』
赤龍は静かに身を伏せ、崖の洞窟へと消えていった。
炎のような眼がゆっくりと閉じると、辺りの空気が穏やかに戻った。やがて寝息のような風が吹いた。
「……寝たみたいだな」
「大丈夫そうですね」
私は鋼鉄製のカゴの中から荷物を取り出す。
金属が軋む音と、風が草を撫でる音だけが響く。
海の匂いがした。
義国――この未知の島国の風は、バイエルン帝国ともドワーフ王国とも違って、
どこか“懐かしさ”のようなものを含んでいた。
「この辺り、意外と静かね」
レーナが空を見上げながら言う。
「うん。魔物の気配も感じないです」
ランが耳を動かす。
「穏やかな風だな」
そう言ってカゴの中から最後の荷を取り出そうとした、その時――
「……ここで何をしておられるのでしょうか?」
女の声だった。
凛とした、それでいて澄んだ声。
驚いて振り返ると、そこに一人の少女が立っていた。
白と朱を基調とした装束。
長い黒髪を後ろで束ね、手には祓い棒のようなものを持っている。
その姿はまるで――この地の神を仕える者のようだった。
「えっと、貴方は……?」
私が問い返すと、少女は静かに一礼した。
「私は義国・天霧の巫女、カエデと申します。この地は、外の者が足を踏み入れることは禁じられております」
「……巫女?」
レーナが小声で呟く。
カエデはその言葉に小さく頷いた。
「“龍”の気配を感じました。もしや、この地に降りたのですか?」
「赤龍のことか?」
「やはり……どうか、この地での行いにはご注意されて下さい。義国は、龍を“災いの象徴”と恐れる民が多いのです」
「……あぁ、大丈夫だと思う。一応、赤龍と私は友人なんだ」
私は無意識に、赤龍が眠る崖の方を振り返った。
カエデの眼差しには、どこか哀しみのようなものが宿っていた。
「そうですか…赤龍が再び姿を現した――この国で、何か起こる予兆なのかもしれませんね」
風が一陣、草原を渡っていった。
その音が、まるで新たな旅の始まりを告げるようだった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
赤龍との旅は思わぬ形で幕を閉じましたが、東方の島国・義国での新たな物語が始まります。
彼女たちを待つのは、未知の文化、そして再び動き出す陰謀――。
次回、巫女カエデとの出会いがどんな運命を導くのか、どうぞお楽しみに。
次話は10/13月曜日22時に公開予定です。
三連休のため、3話投稿致します。
引き続き宜しくお願い致します。
エレナ達を暖かく見守って頂けますと幸いです。
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