その14 「深海の谷での別れ」
赤龍の巨大な背にしがみつきながら、私は谷底を一望していた。
眼下に、レーナ、ラン、ドルガンが必死に魔人の群れと渡り合っているのが見えた。
「赤龍、あそこ……!」
『行くぞ、掴まっていろ』
赤龍の声と共に、空気が爆ぜる。
赤き翼が広がり、気流を巻き起こしながら急降下していった。
『ヴォォォォォ!』
谷底に響く轟音。次の瞬間、赤龍の口から迸った炎の奔流が、三十体の魔人を一瞬にして焼き尽くした。
炎は大地を這い、魔人たちは悲鳴すら上げる間もなく黒い塵と化して消える。
「は……?」
戦っていた三人は呆然と立ち尽くした。
レーナは水魔法で障壁を作っていたようだ。ランは双剣を構えたまま固まり、ドルガンは半開きの口で赤龍を見上げている。
「赤龍、すごいな!」
『我の炎は全てを焼き尽くす』
私は赤龍の背から飛び降り、仲間たちの元に着地した。
「ただいま!」
その笑みは、戦場に似つかわしくないほどあっけらかんとしていた。
「…エレ…」
ランが私の名前を呼ぶより先に、レーナが私に抱きついてきた。
「……ごめん」
普段強気な彼女が呟く。
「罠に気づけなかった私のせいで…エレナが落ちて……」
私は思わず笑みをこぼし、レーナの肩を軽く叩いた。
「私がそう簡単に死ぬわけないだろ。心配させて悪かったな」
その言葉にレーナの目が揺れる。
安堵と悔しさが入り混じった複雑な色。
そこへランとドルガンが割り込んできた。
「エレナさんが居なくなって、レーナさんが焦ってて大変だったんですから!」
「そうだぞ。冷静さを欠いて一人でブツブツ言っておったわ」
「ちょ、ちょっと!あんた達黙ってなさいよ!」
レーナが真っ赤になって怒鳴る。
その姿に、場の空気が少し和らいだ。
ランは息を整え、半獣神化を解いていつもの姿に戻る。体が小さくなり、伸びていた爪と牙が収まり、銀髪も落ち着きを取り戻した。
私はその変化を見届けて頷いた。
「ラン、さっきの姿もいいね!」
「……ありがとうございます!」
ランは照れながらも力強く答える。
ドルガンも腕を組みながら近づき、低い声で言った。
「勇者よ、お前なら無事だと思っていたぞ」
「……ありがとな、ドルガン。仲間を守ってくれて」
「礼を言うのは俺じゃなく、仲間にだ」
そんなやり取りを、赤龍は黙って眺めていた。
『ふむ……良い仲間に恵まれておるな、エレナ』
その一言に、私は少し誇らしげに微笑んだ。
「赤龍、レーナとランだ。この二人と旅をしている。ドワーフのドルガンはこの王国内での監視役だ。三人とも、この人――龍は赤龍さんだ」
「……初めまして、助けて頂いてありがとうございました」
ランが背筋を伸ばして礼をする。
「伝説の龍とこのような形でお会いできるとは思いませんでした。感謝申し上げる」
ドルガンも低く頭を下げた。
「は、初めまして……」
レーナだけは私の後ろに隠れたまま、小声で呟いた。
(蒼龍を撃退しているからバツが悪いのかな?)
『うむ、我は赤龍――貴様ら人族からは南方の守護者と呼ばれておる。エレナとは友人だ』
(え、友人なの!?)
思わず心の中で叫んだが、赤龍の満足げな表情に言葉を飲み込むしかなかった。
そして、赤龍の鋭い眼差しがレーナへと向けられた。
『蒼天の魔法使い……貴様は蒼龍と戦い、撃退したと聞くが?』
「そ、そうだけど……それがどうしたのかしら?」
レーナは私に更に隠れて身を引く。
赤龍は牙を覗かせ、笑みのように言葉を続けた。
『そう警戒するな。ただ、蒼龍を撃退した時の話を聞きたくてな。話してもらえぬだろうか?』
レーナは一瞬ためらったが、すぐに肩をすくめて答えた。
「……仕方ないわね。助けてもらったし、話してあげるわよ」
赤龍は満足げに頷き、その巨体を少し低く構えた。
エレナたちは見守るようにして、レーナを囲んだ。
* * * * *
「――そんなわけで、私の大魔法が蒼龍を退かせたのよ」
レーナは胸を張り、得意げに言った。
かなり誇張されているような気もする。
『おぉ!そんな大魔法を操れるのか?どれ、ここで使って見せよ』
「こ、ここじゃ狭すぎて無理よ!」
慌てて手を振るレーナ。
『ふむ、残念だ……蒼龍の奴は好き好んで人里を襲う血の気の多い龍でな。実を言えば、我もごく稀に一騎打ちをしておった。結果は毎度我の勝ちだ。だが、それをヒューマンの女がたった一人で撃退したと聞いた時は驚いたぞ』
「へぇ……でも、そんな噂や情報ってどうやって仕入れるんだ?」
思わず私は尋ねていた。
『なに、簡単なことよ。空を飛んでいる時に“集音魔法”を使い、空の上から人間どもの話に耳を澄ませているのだ』
「……赤龍、お前……結構楽しんでやってるんだな」
『ふはは! そうでもせねば退屈でならんからな。蒼龍の件も、そうやって調べたのだ。それとな、蒼龍の奴はどこかに引っ込んでしまって、姿を見なくなったぞ』
私たち四人は顔を見合わせ、この世間話好きな龍に、ただ呆気に取られるしかなかった。
『……エレナよ。少し二人で話がしたい』
「え?…あ…じゃあ、すまない三人とも、少し離れててくれないか」
レーナたちは顔を見合わせたが、素直に頷き、少し離れた崖の影へと移動していった。
赤龍の巨大な瞳が、私ひとりに向けられる。
「……赤龍、いいぞ」
『うむ、感謝する。蒼天――あの魔法使いのことだが、あれは魔法でかなり無茶をしておるな』
「無茶?」
『戦いの後や普段の生活で、よく眠っておらぬか?』
「あぁ……朝は弱いし、昼も寝てるし……正直、食べるか寝てるかのどっちかだな」
『ふむ……やはりそうか。恐らくその眠気は、魔法の使い方の副作用だ。蒼天は魔法で身体を酷使しておる。理に逆らうような魔力を絞り出してな』
「……体に良くないのか?」
『死を急ぐほどではない。だが、命を削るような戦い方を続ければ、いずれ寿命を縮める。ああいう才は珍しいからこそ、早く消えてしまうのは惜しい』
私はちらりとレーナの方を見やった。
彼女はランとドルガンと何やら言い合いながらも、楽しそうに笑っている。
「……わかった。ありがとう。気をつけて見ておくよ」
『うむ。お前も仲間も愚かではなさそうだがな、忠告はしておこう。――ああいう面白いヒューマンが早死にするのは、我にとってもつまらぬからな』
赤龍の声音には、嘲笑ではなく、どこか温かい響きがあった。
『……それともう一つ。覚えておけ。この谷に落ちている黒の水晶石、赤の水晶石を持ち帰り、蒼天の杖の強化に使え。それをすれば、あの魔法使いの体調も少しはマシになるだろう』
「本当か?実は赤の水晶石は私が持ってるんだ。黒の方はレーナが拾って持ってる」
『うむ。それならば忘れるなよ――命を削るより、力を研ぎ澄ませ』
赤龍の瞳が、ちらりとレーナの方を見やった。
彼女は仲間と談笑しているが、その無邪気さにどこか儚さを感じてしまう。
私は小さく頷き、三人にこちらへ戻るように手を振った。
赤龍はゆっくりと首を傾げ、低く問いかける。
『して、貴様らはこれからどうするのだ?』
「とりあえず、鍛冶屋でレーナの杖を強化してもらってから、旧ブレイジング領に向かうつもり——その後で東方の島国へ行けたら行きたいって感じかな」
私は簡潔に答えた。
赤龍の目が一瞬、鋭く揺れた。洞窟の暗がりに、鱗の反射が小さく光る。
『旧ブレイジング領か……貴様の故郷だな。墓参りか?』
「あぁ、そうだね」
赤龍は鼻を鳴らすように短く息を吐いた。熱風が私たちの周囲の塵を揺らし、岩肌が赤く染まる。
『ならば一つ言っておく。ここ数日、あの辺りから嫌な気配を感じている。正直、我は近寄りたくない。気をつけるがよい』
「嫌な気配って……魔族とか?」
『わからん。だが関わりたくない種の気配だ』
私は言葉を詰まらせた。故郷の名を口にするだけで胸に痛みがあるのに、赤龍の忠告は単なる脅しではない、古き者の直感だ。
「……わかったよ、赤龍。ありがとう。」
『うむ。では四人共、我が谷の上へ連れて行ってやろうか』
赤龍はゆっくりと翼を広げた。
洞窟内に重低音が波紋のように広がり、翼の影が私たちを覆い、岩場の輪郭が一瞬暗く沈んだ。
『乗れ』
声は低く優しく、まるで古い友人を誘うかのようだった。
私達はためらわずに頷いた。
赤龍が飛んだ時、洞窟の空気が一斉に変わった。振動が骨の奥まで響き渡り、谷の静けさが一瞬にして遠ざかる。
一瞬で谷の入り口に着地した。
赤龍は翼をゆったりと広げ、私たちを見下ろした。
『エレナよ、またいつでも来い。話をしようではないか。貴様の話は我を飽きさせぬ』
「……あぁ、わかった。また来るよ」
私は軽く笑って応える。
『餞別だが、我の鱗を一枚やろう。剣や防具の強化に使え』
赤龍は私に一枚の鱗を差し出してきた。
「いいのか?
『うむ、使え』
私は赤龍の鱗を手に入れた。
そして、赤龍の鋭い眼差しがドルガンへ向けられる。
『そして、ドワーフよ。王国は近い、ひと月に一度でよい、我のもとへ来て話をせぬか』
「なっ……お、俺がか?」
頑固者のドルガンが珍しく目を丸くする。
『うむ。こうやって顔見知りになったのだ。酒の話でも、鍛冶の話でも構わぬ。我は長く生きすぎて、少々退屈しておるのだ』
「……わかった。お邪魔しよう。」
耳まで赤くしながら、ドルガンは短く答えた。
赤龍は満足そうに喉を鳴らす。
『よい、ならば今日のところはここまでだ……気をつけて行け。ではまたな、すぐ会うことになるだろう。エレナ。そして仲間たちよ』
赤龍が大きく翼を広げた。瞬間、烈風が巻き起こり、谷底の砂利や水晶の欠片が宙に舞い上がる。
その巨体が空へと躍り上がると、洞窟の闇は一瞬、紅蓮の光で染め抜かれた。
――轟音と共に、赤龍は深海の谷へと帰っていった。
残された静寂の中、私たちは互いの顔を見合わる。
「さてと、ヒルダさんのところに戻っていろいろ話そうか…」
胸に残る熱と余韻を抱えたまま、私たちは帰路に着くのだった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
深海の谷でレーナ達が絶体絶命の中、現れたのは南方の守護者・赤龍。そして、魔人を全て焼き払った龍の背中から現れたのはエレナでした。
エレナは仲間達と再会を経ますが、伝説の龍から託されたのは「警告」でした。
彼女達の旅は、新たな局面へと入っていきます。
次話は9/28日曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い致します。
エレナ達を暖かく見守って頂けますと幸いです。
少しでも「面白い」「続きが気になる」と思われましたら下の☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂けますと嬉しいです。
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