その12 「魔人との遭遇」
「……エレナ、どこまで落ちたのよ」
レーナさんが普段の軽口をすっかり失い、落ち着きなく周囲を見回していた。
足音が響くたびに、谷底へと続く岩壁が鈍く反響する。
「レーナさん、そんなに歩き回ったら危ないです」
心配して声をかけるが、彼女は冷静さを欠いているように見えた。
「だって……あの罠を作動させたのは私なのよ……私のせいで……!」
唇を噛みしめ、か細い声が漏れる。
(珍しい……レーナさんがこんなに焦ってるなんて)
普段は喧嘩したり、呆れさせたりしているけれど、レーナさんにとって、エレナさんは大事な人なんだろう。そう感じる。
「蒼天よ、落ち着け」
ドルガンさんが低く、岩を砕くような声で言う。
「焦っても勇者は戻らん。足跡や痕跡を見逃せば、それこそ会えなくなるぞ」
「……そんなのわかってるわよ!」
レーナさんが声を荒げる。
「エレナは必ず生きてる」
「そうですよ。あのエレナさんがそう簡単に死んだりしません。きっと大丈夫です!」
「うむ、大丈夫だ。勇者を信じろ」
三人の言葉は不思議と同じ想いを宿していた。
高所が苦手なはずのレーナさんが、今は率先して前を歩いている。その背中は強がっているように見えた。
やがて、ドワーフが作った石階段は途切れ、絶壁のような岩壁が行く手を阻んだ。
「ここからは私が」
レーナさんがしゃがんで手を壁に触れると、岩壁に頑丈な足場が突き出すように形作られた。まるで大きな板を張り付けたような足場だ。
「蒼天、お前は便利な魔法が使えるな」
ドルガンさんが感嘆の声を漏らす。
「レーナさんは旅に慣れていますからね。いろんな魔法が使えるんですよ」
「別に…ただ必要だっただけよ」
私が補足すると、レーナさんは小さく呟いたが、それ以降は無言で進む彼女に、私もドルガンさんも声をかけられない。
(いつものレーナさんじゃないな……)
エレナさんが罠にかかってからというもの、ずっと落ち着きを失っているように見える。焦りと自責の念に押し潰されそうになっているのだろうか。
その時だった。
「ギィィィィィ!」
甲高い鳴き声とともに、岩陰からブラッドバッドが群れをなして襲いかかってきた。
鋭い牙を剥き、翼を広げて旋回する。
「くっ……!」
私もドルガンさんも剣を振るうが、素早い飛行相手には攻撃が届かない。
「…邪魔ね」
レーナさんが杖を突き上げ、氷の槍を放った。鋭い氷柱が群れを一掃し、魔物たちは壁に叩きつけられて消えていく。
だが、いつものお調子者の勝利宣言もなく、レーナさんはただ無言で先を進んだ。
私とドルガンさんは顔を見合わせる。
心配は募る一方だった。
それからも数度、ブラッドバッドやストーンバッドの群れに襲われたが、レーナさんの魔法でどうにか切り抜けた。無言で魔法を放ち魔物を討伐する姿は、少しだけ怖い。
やがて――私たちは谷底へと辿り着いた。
上を見上げると、遥か遠くに青空が小さく覗いている。
しかし、足元はすでに薄暗く、陽が少しでも傾けば闇に閉ざされるのは時間の問題だった。
(陽が沈む前に、エレナさんを見つけないと……)
焦燥と不安が胸を掴む。
谷底は不思議な場所だった。
足元は歩きやすいほど平坦で、ところどころに黒や紅の水晶石が散らばっている。地上から降りてきたはずなのに、下へ進むほど空間が広がっている。
まるで、何か巨大な魔物のために用意された舞台のように。
「谷底まで来たのはドワーフも含めて我々が初めてだろう。あの足場でさえ作るのにかなりの時間を要してきた」
ドルガンさんが低く呟いた声は、広い空洞に反響して不気味に響いた。
「エレナが落ちた付近まで戻るわよ」
「……そうですね」
私たちはレーナさんが作った階段を降りてきたが、そこは落下した穴から遠く離れてしまっていた。本当なら落ちた穴の岩場を利用して階段を作るはずだったが、ドルガンさんの忠告で断念したのだ。
「洞窟の中は不安定な岩場が多い。あの落盤がその証拠だ。外の足場の方がまだ安全だ」
その判断は正しい。
けれど……レーナさんが最初に無理をしようとしたのは、やはり冷静さを欠いていた証だろう。いつものレーナさんならそこまで無理をしようとしない。
歩き続けるうちに、さらに奇妙なことに気づいた。
あれほど執拗に襲ってきたコウモリ型の魔物が、一切現れなくなったのだ。
「……魔物がおらんな」
「はい。これは……他にもっと強いものがいる可能性が高いです」
「お前もそう思うか……だが…」
ドルガンさんが顎で前方を指す。
レーナさんは無言で杖を握りしめ、前だけを見据えて歩いている。冷静差を欠いて突き動かされているのは明らかだ。止めようとしても無駄だろう。
だからこそ、私とドルガンさんは警戒を強めるしかなかった。
「はい、私も耳を澄ませておきます」
索敵に関しては、私は誰よりも自信がある。
……けれど、不安は拭えなかった。
その時だった。
谷が緩やかにカーブしている先。
暗がり岩場の中で、確かに“何か”が動いた。
「レーナさん!そこ、何かいます!」
叫んだ瞬間、私とドルガンさんは反射的に駆け出していた。
暗がりの谷底で、岩肌がざわりと揺れた。
薄暗いカーテンのような魔法障壁が空に消えていく。
次の瞬間――三十体もの魔人が姿を現した。
全身を何かの魔法で覆い隠し、潜んでいたのだ。
「なっ……魔人!?」
ドルガンさんが思わず声を荒げる。
「なんでこんなところに……!」
レーナさんの額に冷や汗が浮かんだ。
谷底は狭く、大規模魔法は味方を巻き込む危険がある。魔力を絞り、小さなファイアボールをいくつも作り出すと、立て続けに撃ち放つ。
轟音と共に二体の魔人が吹き飛ぶ。だが、土煙の中から別の魔人がすぐさま飛び出してきた。
「……あれは……」
私は目を凝らす。
魔人たちが振るうのは、精緻な紋様が刻まれた剣や、重厚な鋼鉄のハンマー。
――間違いない。ドワーフ王国で鍛えられた武器だ。
「なぜ魔人がドワーフの武器を……!」
ドルガンさんが歯噛みする。
答える者などいるはずもなく、魔人たちは無言で殺意を剥き出しに襲いかかってきた。
「ぬんっ!」
ドルガンさんの大斧がうなり、迫り来る剣を弾き飛ばす。だが反撃のハンマーが肩を掠め、鮮血が散った。
「んっぬっ!」
「ドルガンさん!」
私は叫びながら双剣を構える。
修行で鍛えた双剣さばきで一気に飛び込み、連撃を浴びせた。
硬い皮膚が裂け、魔人が苦悶の声を上げる。
(やれる!修行の成果だ!)
私は気合でさらに足を斬りつけた。魔人がよろめき、そこへレーナさんの氷槍が突き刺さる。黒い血が飛び散り、魔人は地に伏した。
「やった!」
……だが。
「……え?」
倒れた魔人の身体が淡く輝き始めた。裂けた皮膚が蠢き、みるみる傷が塞がっていく。砕けた骨が音を立てて繋がり、胸を貫かれたはずの魔人が、再び立ち上がった。
「馬鹿な……回復魔法だと!?」
ドルガンさんの顔色が変わる。
「し、深淵の森で見た……回復する魔人……!」
背筋が凍りつく。絶望感が押し寄せた。
「くっ…魔力が……上手く練れない……!」
レーナさんの魔法の炎は弱まり、焦りに震える。
ドルガンさんは息を荒げ、私の手も汗で濡れていた。
――勝ち目がない。
頭にそんな言葉がよぎる。
(でも……足手まといになりたくない。どうしたらいい…父上……)
私は父の姿を思い出した。
“初代獣神化"
エレナさん達の旅に同行すると決めた日に、父から教わった。だが、完全な変化はリスクがある。
完全に変化せずに力を途中で留める。
そうすれば――。
毎朝の修行を思い出す。
夜明け前の冷たい空気の中で双剣を振り続けた日々。汗で濡れた髪が頬に張り付き、手のひらは何度も豆だらけになった。
「焦らず、コツコツとやれば力はつく」
木陰で見守ってくれていたエレナさんの声が脳裏に響く。
「獣神の血が流れている貴方はいずれAランク冒険者になれるわ」
その言葉を笑顔で話してくれたレーナさんの顔が浮かんだ。
私は一歩下がり、息を大きく吸い込む。そして獣神の血が震えるように、喉の奥から咆哮を解き放った。
「ウォォォォォ!!」
「ラン!?」
「獣人族の娘…!?」
腕と脚が膨れ上がり、髪が逆立つ。牙と爪が伸び、尻尾が揺れた。肉体が熱を帯び、力が溢れる。
「成功した……!」
次の瞬間、私は魔人の群れに飛び込んでいた。
双剣が閃き、二体の首を同時に刎ね飛ばす。
黒い血飛沫が舞った。
「これなら……戦える!レーナさん、私とドルガンさんが前を抑えます!その隙に魔法を!
「蒼天、お前は魔力を整えろ!」
「……ラン、ドルガン……」
レーナが深呼吸し、かすかに震えていた手を構え直した。
再びいくつもの火弾が生まれ、轟音と共に魔人を吹き飛ばす。
「やった! 残り二十体……!」
だが、倒れたはずの魔人の身体がまたも輝き、立ち上がる。
黒い血が蒸発し、何事もなかったように武器を握る。
「嘘……!」
私は目を見開いた。
「これじゃ…キリがない!」
レーナの声が震える。
暗闇の谷底に、絶望の気配が濃く広がっていった。
前方の魔人数体が胸を大きく膨らませ、灼熱の息を吐き出そうとしている。
「やばい!ラン、ドルガン――私のそばに!」
私はドルガンさんと共にレーナさんの元へ駆け寄った。
次の瞬間、魔人たちの口から灼熱の炎が吐き出される。轟音と共に、炎の奔流が押し寄せた。
「ウォーターウォール!!」
レーナさんが必死に詠唱し、目の前に水の壁を展開する。蒸気が一瞬で立ち込め、視界が白く霞んだ。
――だが、水の壁は少しずつ削られていく。
ジリジリと迫る熱気。水の障壁が破られるのは時間の問題だった。
「くっ……これ以上は……!」
レーナさんの声が震える。額から滴る汗は、魔力の消耗を物語っていた。
その時だった。
『――グォォォォォォォォォォォッ!!!』
大地を震わせるほどの巨大な咆哮が谷底に轟いた。
それはただの音ではない。熱の嵐をまとった咆哮は、ブレスを掻き消し、魔人たちの動きを一瞬にして止めた。
視界の向こうに、紅き巨影と共に――。
「……エレナさん!?」
熱風を纏ったその姿は、私たちに希望の光をくれた。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
三十体もの魔人に囲まれ、窮地に追い込まれるランたち。
絶体絶命の中、ついにエレナと赤龍が姿を現します。
次回は、少し前に時間が戻って、勇者と古き龍との対話が始まります。どうぞお楽しみに!
次話は9/25木曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い致します。
エレナ達を暖かく見守って頂けますと幸いです。
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