その2 「宿屋と悪夢」
ベッドに横になった私は、夢を見たーー
魔王を討伐した瞬間の光景――
それが、記憶の中から浮かび上がる。魔王は倒れ、闇の支配に終止符が打たれた。
光が差し込むその場で仲間達の勝利の歓声を聞いた時、やっと世界が平和になるんだと確信したが、妙な違和感が同時に纏わりついてきた。
私が後ろを振り向くと彼女――僧侶リサは、狂気を孕んだ瞳で微笑みながら仲間たちを切り刻んだ。
光の聖女と言われた彼女が、絶望を与える存在に見える。
「なぜこうなったのか、わかる?」
囁く声は甘美でありながら、鋭利な刃のようだった。
「リサ……どうして……」
私の声は、震えている。
しかし、勇者としての本能なのか、その手には再び剣が握られていた。
リサに向けた剣の先にいるのは、そこにはリサではなく、魔王の血の狂気に溺れた私が立っていたーーー
ピクッと手が動き、バサッと布をはねのけた。
「……っは……はぁ……」
息が荒く、喉が乾いている。
周囲は静まり返っていて、窓の外をヒュウウ…と風が吹き抜けるだけだった。
全身が湿っているのに気がついた。寝汗で下着とシーツがべったりと肌に張り付いている。
不快な悪夢を見たから、胸の奥がざわついている。
「……嫌な夢…いや、現実にあった事か…いや…」
シーツを乱暴に払い、ベッドから立ち上がる。背中を伝う汗が冷えて肌に張り付き、さらに不快感を募らせる。
窓の外を見ると、すでに夜の帳が下りていた。
このままでは気持ち悪くて眠れそうにない。
汗を流そうと決め、お風呂場へ向かった。
浴槽の脇にある椅子に着ていた下着を大雑把に脱ぎ散らかした。
湯船に手をかざし、魔法で湯船に水を溜めた。次に浴槽に手を入れて水に熱を加える。淡い光が灯り、冷え切った水がたちまち熱を帯び、白い湯気が立ちのぼる。
静かに湯船へ身を沈めると、熱がじわじわと身体に染み込み、硬くなっていた筋肉がゆっくりとほぐれていくのを感じた。
普段なら大いにリラックスする場所なのだがーー
仲間たちの顔が、次々に浮かんでくる。
イグニス王国を出た時から旅に同行してくれた、双子の戦士ノンナと武道家ザイン。
ノンナは私より五つ年上のお姉さんで、剣の振り方、野営の作法、街での立ち回り――“冒険者”としてのすべてを一から教えてくれた。口数は少ないけれど、なんだか落ち着く存在だった。
ノンナの双子の弟ザインは姉とは正反対で、頭の回転が速くて冷静。戦いの腕前もさることながら、街で情報を集めるのが得意で、私たちの影の参謀だった。それなのに、料理がからきしダメで、こっそり焦がした鍋を川に流そうとして怒られたこともあった。
同い歳の魔法使いレイン。一番気が合う子だった。初対面からなぜか空気が合って、いつの間にか親友のようになっていた。魔法の話を始めると止まらなくなって、毎晩寝不足になるまで語り合っていたっけ。一度だけ、満天の星の下で「この旅が終わってもどこか旅を続けたいね」って笑い合った夜を、私は今でも忘れられない。彼女には歳下の妹がいる。
そして――光の聖女リサ。一つ年上の僧侶で、彼女といるときだけ、不思議な安堵感があった。前世の記憶のどこかで知っていたような、懐かしい感覚。「私が守ります」と笑ってくれたあの瞬間、本当に心の奥まで預けてしまった気がする。
……なのに、どうしてこんなことに。
ともに旅をした、大切な仲間たち。皆強く、頼れる者たちだった。三年の旅路は決して短くはなかった。彼らと過ごした日々は苦しくもあり、楽しくもあり、確かにそこには家族のような「絆」があったはずだった。
それがすべて、リサの手によって断ち切られた。
今、私が仲間殺しの罪人として追われている。
リサが何を考えているのかも分からない。
倒した魔王とリサの側にいた魔族は何か関係があるのだろうか。まさか、魔王の意識がリサに移ったなどあり得るのだろうか。あの圧倒的な魔力を放つ魔王ならそのくらいできるのかもしれない。
「これから、どうしようか……」
湯の中で握った拳に、無意識に力がこもる。
このまま姿を隠せば、きっと誰にも見つからずに生きられる。人目を避け、このまま世界の果てまで逃げて、誰にも知られずに――
(それで、本当にいいのだろうか)
仲間たちが命を懸けて共に歩んできた旅。私たちが成し遂げたこと。そのすべてが歴史の闇に葬られてしまう。
脳裏に浮かぶのは、王座に座る冷たい眼差しのリサ。リサだったのは間違いない。
胸の奥がきしむように痛む。
「もう一度リサに会って、話をしたい…」
呟いた瞬間、湯の表面がふっと波打った。
まるで、自分の決意に呼応するように。
まだ迷いがあるエレナは、この先どうするのかーー
次話更新は2025/7/2水曜日となります。
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