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その2 「悪夢」

 身バレするのを恐れて、にぎやかな場所を避け、目立たない宿を選ぶ事にした。


 ある程度離れた場所で商人と別れ、裏通を目指す。


 「ここにしよう」


 "宿屋ヒカゲ"

 ボロボロの看板に、くたびれた旗が揺れている。

 色褪せた木製の看板には、かつての店名が辛うじて読み取れる。


 ここが、この街で一番安い宿――おそらくだが…


 扉を押し開けると、薄暗い室内に油灯の明かりが揺れる。埃っぽい匂いと、古びた木材の軋む音。


 カウンターの奥に立つのは、無愛想な顔つきの亭主だった。肩幅が広く、年季の入ったエプロンを身につけている。大きな腕を組みながら、こちらを値踏みするような視線を向けてきた。


 「宿泊かい?」


 ぶっきらぼうな口調だが、面倒な態度ではない。ただ、慣れていない旅人なら、少し圧倒されるかもしれない。


 「うん、三泊。朝食と風呂付きの部屋はあるかな?」


 私は亭主が立っている机に向かいつつ、宿泊日数を答えた。


 「風呂ありで三泊朝飯付きなら銀貨三枚だ。部屋は空いてる」


 よかった、お風呂がある部屋が空いていた。懐から銀貨を三枚取り出し、カウンターに置いた。亭主は無造作にそれを掴み、ざらりと指先で確かめると頷いた。


 「部屋は二階の左奥だ」


 簡潔な言葉に、小さく息をつきながら階段へと向かった。


 「ありがとう……」


 ぼそりと呟き、ふと視線を横に向けると足が止まった。

 階段脇の壁。そこに、何枚もの手配書が貼られていた。


 剣を持った盗賊、凶悪な放火魔。

 その中に、見覚えのある顔があった。

 ――元勇者エレナ。


 全身の血の気が、さっと引いていく。


 『魔王討伐後に仲間を惨殺、国家転覆の疑いあり』


 視線を逸らし、何事もなかったかのように階段を登る。2階に上がると歩く度に少し軋む音が聞こえる。


 指定された扉の前に立ち、ドアノブを回して部屋に入ると、疲労が一気に押し寄せる。扉を閉め、施錠の魔法をかけた。


 部屋に入ると左端にお風呂とトイレの扉がある。

右端にようやく、ベッドが目に入る。


 (横になろう。何も考えずに眠りたい)


 商人から買ったコート、靴、上着、スカートと乱雑に捨てて、頭からベッドに落ちて沈み込む。長年使われたことで弾力を失った薄い布団の感触、それすらも心地良い。


 瞼が重くなり、そのままゆっくりと閉じていく。

 身体はもう限界で、まるで水に沈むように、私は静かに眠りへと落ちていった。


 ベッドに横になった私は、夢を見た――。


 それは、この数日、何度も繰り返し見てきた悪夢。

 魔王を討伐した、あの瞬間の光景だった。


 記憶の奥底から、鮮やかすぎるほどの映像が浮かび上がる。


 魔王城は半壊し、通路は死屍累々。

 魔族達の遺体があちこちに散乱している。


 その先にある広間で私たちは魔王と戦った。


 そして、魔王は断末魔の叫びを上げ、纏っていた漆黒の甲冑が、ひび割れ、砕け散り、闇の支配に、確かに終止符が打たれた。


 爆ぜる魔力。

 渦巻く熱風。

 焼け焦げた臭いが鼻を刺す。


 崩れ落ちた天井の隙間から、白い光が差し込んだ。


 私は剣を握ったまま、大きく息を吐く。


 「……終わった……」


 ノンナとザインの歓声。

 勝利を叫ぶ声。

 レインの、堪えきれず零れる嗚咽。


 やっと終わったのだと、信じていた。

 これで、世界は救われるのだと。


 ――けれど。


 その光の中に、言葉にできない違和感が混じっていた。


 胸の奥に残る、ざらついた感覚。

 耳鳴りのように続く、不快な沈黙。


 風の音が止み、空気が、ぴたりと凍りつく。


 私は、ゆっくりと振り向く。


 そこにいたのは、光の聖女リサだった。


 彼女は、微笑んでいた。


 狂気を孕んだ瞳で。


 振り下ろされる刃。

 弾ける血飛沫。

 仲間たちの、悲鳴。


 それらが、次々と重なり、白い法衣を、鮮やかな紅に染め上げていく。


 光の聖女と呼ばれた彼女は、もはや、希望ではなかった。


 絶望そのものだった。


 「……なんで、こうなったかわかる?」


 囁く声は、甘美でありながら、喉元に突きつけられた刃のように鋭い。


 その声を聞いた瞬間、

 全身に、ぞわりと寒気が走る。


 「……貴方が、全部悪いの……」


 今まで見たことのない表情で、リサは、私へ剣を向ける。


 信じていたものが、一つ、また一つと、音を立てて崩れ落ちていく。


 「リサ……どうして……」


 震える声でそう言いながらも、

 私の手は、再び剣を握っていた。


 勇者としての本能なのか。

 それとも――逃げ場を失っただけなのか。


 向けた刃の先に映るのは、血に濡れた、自分自身。


 そこに立っていたのは、リサではなく――


 魔王の血に染まり、狂気に溺れた、もう一人の私だった。


 ピクッと、体が跳ねる。


 私は、バサッと布をはねのけた。


 「……っ、は……はぁ……」


 喉から、掠れた息が漏れた。

 肺がうまく膨らまず、何度も浅く呼吸を繰り返す。


 周囲は、しんと静まり返っている。

 ただ、窓の外をヒュウウ……と風が吹き抜け、遠くで犬の鳴く声が微かに聞こえた。


 重たい瞼を持ち上げると、窓の向こうには、すでに夜の帳が下りている。


 全身が、気持ち悪いほど湿っていた。

 下着とシーツが肌に張り付き、寝汗で冷えた身体に、ぶわりと鳥肌が立つ。


 心臓は、まだ早鐘のように打ち続けている。

 胸の奥がざわつき、嫌な余韻がこびりついて離れない。


 「……嫌な夢……」


 小さく呟き、一拍置いてから、続ける。


 「……いや……夢、だけじゃないか……」


 私はシーツを乱暴に払いのけ、ベッドから身を起こした。


 素足で床に降りると、冷たい感触が足裏から一気に伝わり、思わず肩が震える。


 胸の奥が締めつけられ、息を吸うたび、鈍い痛みが広がった。


 このまま、もう一度眠れる気がしない。


 私はふらつく足取りのまま、浴室へ向かった。


 下着を適当に脱ぎ捨て、湯船の縁に手をかざす。


 「――水流」


 淡い光とともに、透明な水が湯船の底から溜まっていく。


 溜まった水に指先を浸す。


 再び、淡い光が広がり、水面に小さな波紋が走った。


 冷たかった水は、みるみるうちに熱を帯び、白い湯気が静かに立ちのぼる。


 「……このくらいかな」


 そう呟き、私はそっと湯船へ身を沈めた。


 熱が、じわじわと身体の芯まで染み込み、こわばっていた筋肉が、ゆっくりと緩んでいく。


 普段なら、それだけで少しは落ち着けるはずだった。


 ――けれど。


 心の奥に巣食う寒さは、いくら温めても消えてくれない。


 ちゃぷん、と小さく湯の音が鳴る。


 その音に紛れて、仲間たちの笑い声が、脳裏に蘇った。


 もう、二度と聞けない声が。


 イグニス王国を出た時から旅に同行してくれた、双子の戦士ノンナと武道家ザイン。


 ノンナは私より五つ年上のお姉さんで、剣の振り方、野営の作法、街での立ち回り――“冒険者”としてのイロハを一から教えてくれた。口数は少ないけれど、なんだか落ち着く存在だった。


 ノンナの双子の弟ザインは姉とは正反対で、頭の回転が速くて冷静。戦いの腕前もさることながら、街で情報を集めるのが得意で、私たちの影の参謀だった。それなのに、料理がからきしダメで、こっそり焦がした鍋を川に流そうとして怒られたこともあった。


 同い歳の魔法使いレイン。一番気が合う子だった。初対面からなぜか空気が合って、いつの間にか親友のようになっていた。魔法の話を始めると止まらなくなって、毎晩寝不足になるまで語り合っていたっけ。一度だけ、満天の星の下で「この旅が終わってもどこか旅を続けたいね」って笑い合った夜を、私は今でも忘れられない。彼女には歳下の妹がいる。


 そして――光の聖女リサ。一つ歳下の僧侶で、彼女といるときだけ、不思議な安堵感があった。前世の記憶のどこかで知っていたような、懐かしい感覚。「私が守ります」と笑ってくれたあの瞬間、本当に心の奥まで預けてしまった気がする。


 ともに旅をした、大切な仲間たち。皆強く、頼れる者たちだった。三年の旅路は決して短くはなかった。彼らと過ごした日々は苦しくもあり、楽しくもあり、確かにそこには家族のような「絆」があったはずだった。


 彼らの姿が次々と浮かび、湯面に映っては消える。


 「…これも夢なら覚めないかな……」


 声が震えた。

 熱い湯が頬を伝うのは、涙か、湯気か、自分でもわからない。


 絆は全て断ち切られてしまった。

 魔王の残滓が、彼女を蝕んでしまったのだろうか。

 それとも、最初から――私たちは彼女の掌の上で踊らされていたのだろうか。


 「これから、どうしようか……」


 湯の中で拳を握る。

 皮膚の下で血が脈打ち、鼓動が響く。


 このまま姿を隠せば、きっと誰にも見つからずに生きられる。人目を避け、このまま世界の果てまで逃げて、誰にも知られずに――


 (それで、本当にいいのだろうか)


 仲間たちが命を懸けて共に歩んできた旅。私たちが成し遂げたこと。そのすべてが歴史の闇に葬られてしまう。


 胸の奥がきしむように痛む。


 「このまま逃げても、何も変わらないな」


 けれど、真実を探す旅路は、困難な物となる。

 それでも――。


 脳裏に浮かぶのは、玉座に座る漆黒のドレスを纏ったリサの冷たい眼差し。


 「もう一度リサに会って、真実を見極めたい……」


 呟いた瞬間、湯の表面がふっと波打った。

 まるで、自分の決意に呼応するように。


 湯の中の熱が、もう十分に身体へ染み渡っていた。

 私は静かに立ち上がり、滴る湯を手で払う。

 白い湯気が立ちこめ、視界がぼやける。

 その霞の向こうで、遠くの世界の景色をふと思い出した。


 タオルで身体を拭きながら、鏡を見る。

 そこには疲れ果てた一人の女の顔が映っていた。

 “勇者”という言葉とは似ても似つかない。

 けれど、その瞳の奥だけは、まだ消えていなかった。


 「……明日から、やる事を考えなきゃな」


 誰に聞かせるでもなく、呟く。

 声はかすれていたが、不思議と胸の奥が少しだけ軽くなった。


 服を畳み、髪を軽くまとめる。

 窓の外はまだ夜のままで、森の木々が風に揺れている。虫の音もなく、ただ、静まり返っていた。


 ランプを灯すと、柔らかな橙色の光が部屋を包み込んだ。

 その明かりの中で、私はベッドへと向かう。

 軋む音を立てて腰を下ろし、掛け布を軽く引き寄せる。

 瞼を閉じると、まぶたの裏に仲間たちの笑顔が浮かんだ。


 ノンナ。

 ザイン。

 レイン。

 そして、リサ。


 あの旅の夜のように、みんなで焚き火を囲んでいる光景が一瞬よぎる。


 “きっとまた、いつか会える”

 

 ――そんな根拠のない想いを胸に、私は息を整えた。


 「そういえば、レインには妹がいたはずーー」


 静かな夜。

 窓の外で木の葉が揺れる音が、まるで子守唄のように優しく響いていた。

 次第に意識が遠のいて、深い眠りについた。

夢と現実の狭間で、エレナは再び仲間たちの記憶と向き合いました。

彼女にとってそれは“夢”ではなく、“忘れられない現実”。

傷を抱えながらも、また歩き出そうとする。

――そんな彼女の姿を描きました。


次話更新は2025/7/2水曜日となります。


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