その17 「怪物皇帝とリサの影」
私たちは、ただただ見上げるしかなかった。
ヒューマンの五倍はあろうかという巨躯――醜悪に歪んだ、もはや“皇帝”と呼ぶには程遠い化け物を。
ヴォルグとレーナは、もう動けない。
兵士たちは恐怖に足をすくませ、ただ槍を震わせて立ち尽くしていた。
(……私がやるしかないな)
そう決意した瞬間、怪物皇帝の腕が唸りを上げて伸びてきた。
黒い棘を生やした巨大な腕――狙いは、間違いなく私ひとり。
「くっ!」
私はクラウ・ソラを振り抜き、その腕を弾き返す。
火花が散り、石畳が砕ける。
「オノ…レ…ユウシャ…め…ジャ…ま…ヲ」
やはり、私狙いかーー。
「兵士は守りの陣形を組んで!伯爵様たちは下がってください!ここは、私がやります!」
叫んだ声が城内に響いた、そのとき――。
「おい……あれ、勇者エレナじゃないか?」
「本当だ……指名手配されてるよな……」
私の髪色を見てか、兵士たちがざわめいた。
(面倒なことになった…時間がないのに…)
そう思った矢先。
「兵士たちよ!」
響き渡る声に、場の空気が一変する。
「勇者指名手配は兄上――皇帝の仕組んだ事だ!見よ!皇帝は化け物と成り果てた!もはや人の理を失っておる。あんなものに従う必要はない!勇者よ、どうか奴を討ってくれ!」
バナード侯爵が、皇弟を伴ってその場へ現れたのだ。
「「「はっ! 皇弟様、仰せのままに!」」」
兵士たちが一斉に声を合わせ、陣形を組み直した。
私は再び怪物皇帝へと向き直った。
初撃こそ防げたが、その力はヴォルグと同等かそれ以上だ。
しかも私は全身傷だらけで、体力も残りわずか。
一撃でも受ければ終わりだ――そう悟りながら、必死にその攻撃をかわす。
(…厄介だなぁ!)
「エレナさん!」
駆け寄ってきたのはガルグだった。
「奴の弱点は額の宝石です!あれは封印していた魔法具の魔法石で、体の一部に組み込まれているそうです!そこに魔力を通せば再封印可能です!」
「ありがとう!」
私は頷き、怪物皇帝の振るう腕をすれすれで避けながら、輝く額の宝石へと狙いを定めた。
だが――。
(……やはり、近づけない!)
皇帝は自分でも弱点を理解しているのか、それとも怪物としての本能なのか。額を守るかのように棘の腕を振り回し、私は一歩も踏み込ませてもらえなかった。
その時だった。
怪物皇帝の口元が、鈍い光を帯び始める。
喉の奥から不気味な唸り声が響き、周囲の空気が焼け付くように震えた。
「……まずい!全員、盾を構えろ!」
私は咄嗟にクラウ・ソラを構え、盾代わりに身を固めた。
次の瞬間――。
「――ガァァアアアアッ!!」
怪物の口から放たれたのは、光の奔流。
灼熱の雷光が一直線に吐き出され、石畳を薙ぎ払った。
轟音と閃光に視界が白く染まる。
「くっ……!」
剣で受け止めたが、凄まじい衝撃が全身を貫いた。
クラウ・ソラを握る腕が痺れ、骨が軋む。
防いだはずだった――だが威力は桁違いだった。
「ぐああっ!」
私は光の奔流に弾き飛ばされ、背中から城の外壁へ叩きつけられた。分厚い石壁が砕け、さらに奥の建物へと吹き飛ばされる。
瓦礫が崩れ落ち、全身を押し潰した。
肺から空気が絞り出され、視界が暗転する。
(あ…これやば…)
「エレナ!大丈夫か!」
遠くで、クラウベルク伯爵の声がかすかに響いていた。
「勇者が……負けたぞ……」
「そんな馬鹿な、もう終わりだ!」
「全員退避しよう!」
兵士たちの絶望の声が、遠のいていく。
私は瓦礫の下で、意識を手放した。
怪物皇帝は咆哮を上げると、ゆっくりと歩みを進めた。
その巨体が城外の方へと向かっていく。
「いかん、奴が外へ出るぞ!」
バナード侯爵が声を張り上げた。
「外には避難民がいるんだ!」
「俺の家族も……!」
「俺もだ!」
兵士たちは恐怖に震えながらも、家族を思い出したのだろう。槍を握りしめ、互いに顔を見合わせる。
「立ち止まってる場合じゃねぇ!」
「怪物を城外へ出させるな!」
「「「おおーーーっ!」」」
雄叫びを上げ、兵士たちは一斉に怪物皇帝を追って走り出した。
バナード侯爵や他の貴族たちも後を追う。
「我らも行くぞ! 国民を守れ!」
その声に従い、ガルグも剣を握りしめ駆け出した。
残ったのは、クラウベルク伯爵と皇弟だけだった。
彼らは崩れた瓦礫の山の前に立ち尽くし、その下に埋もれた私を見下ろしていた。
「エレナ……!」
クラウベルク伯爵は拳を握り締める。
「クラウベルクよ、ここは我らがなんとか助けよう。兵を追うのは他の者たちに任せる」
皇弟が強い口調で言った。
「……承知しました。勇者をここで失うわけにはいきませんからな」
二人は力を合わせ、崩れ落ちた瓦礫を一つひとつ退け始めた。
遠くで怪物皇帝の咆哮が響き渡り、城全体が震えていた。
*****
ーー気絶した私は夢とも幻ともつかぬ光景を見た。
『エレナ、このまま終わりではありませんよ』
『ブレイジング家の戦士がこんなところで倒れるなんて許さんぞ』
『貴方は、真実を求める旅を続けるのでしょう?』
そこには、ありし日の父様と母様が立っていた。
「お父様……お母様……」
『あの怪物を倒せるのはお前だけだ。行きなさい』
「……でも……私はもうボロボロで……」
『貴方、昔に比べて心が弱くなりましたのね』
『ブレイジング家最後の戦士が、ここで終わっていいのか!』
「……」
私は俯いて下を向くしかできなかった。
*****
クラウベルク伯爵は膝をつき、瓦礫の山に手をかけた。
「エレナ……どうか無事で……!」
砕けた石を抱え上げ、横へと投げ捨てる。
「私も手伝おう」
皇弟も隣に並び、上着を脱ぎ捨て、肩で息をしながら大岩を押しのける。
「兄上があのようになってしまった今、もはや帝国を救えるのは彼女しかおらぬ。ここで死なせるわけにはいかん」
「――どうか生きててくれ」
伯爵は歯を食いしばり、血の滲む手でなお瓦礫を掻き出す。
二人の額から汗が滴り、衣の袖は土と血にまみれていた。
遠くで怪物皇帝の咆哮が轟くたび、崩れた壁が震え、さらなる瓦礫が滑り落ちる。
それでも二人は止まらなかった。
「必ず……必ず助け出す!」
祈るように叫びながら、石を一つ、また一つと退けていった。
*****
俯いていると頭を撫でられた気がした。
パッと顔を上げると母様が頭を撫でていた。
『大丈夫だ、エレナ。お前に勝てる奴なんてそうそういない』
振り返ると、懐かしい兄たち――三男エドワードがそこにいた。
「エドワード兄様……!」
『お前は負けん気が強かっただろ?どうした!』
『魔王を倒したお前なら、あんな怪物一捻りだろ』
「ギルバート兄様…ヘンリース兄様…」
幻影の家族たちが笑顔で見守る。
その姿に胸が熱くなり、不思議と力が湧き上がってくる。
「……わかりました。ブレイジング家の名に恥じぬよう、絶対あいつを倒します!」
そう言った瞬間、彼らは優しい笑顔で淡い光の粒となって霧のように消えていった。
*****
――はっと目を開く。
瓦礫の下で、現実の息苦しさが戻ってくる。
だが心臓は力強く鼓動し、クラウ・ソラが微かに光を帯びていた。
皇弟と伯爵の声が響く。
「エレナ、大丈夫か!」
二人で瓦礫をどかしてくれている。
私は残りの瓦礫を払いのけ、立ち上がった。
「お二人ともご心配をおかけしました」
私は二人にお礼を伝えた。
「よい、気にするな。まだ戦ってくれるか?」
「はい!」
「兄はあんな姿では、もう人の心も無かろう。楽にしてやってくれ。」
「わかりました。引き受けます。」
私は剣を握り、怪物皇帝を追いかけた。
帝都北区の広場では、ガルグや兵士たちが必死に怪物皇帝に立ち向かっていた。
獣人族の戦士たちも混ざり、必死の攻防を繰り広げている。
だが、肥大化した腕が振るわれるたび、兵士が吹き飛ばされ、石畳が砕けた。
あちこちに血が飛び、呻き声が響いている。
それでも誰一人、逃げ出さなかった。
国民を守るために、彼らは最後の矜持をかけて戦っていた。
「ごめなさい、遅くなった!」
私が広場に飛び込むと、兵士や国民たちが一斉に振り向いた。
「勇者だ!」
「勇者が戻ってきたぞ!」
「勇者様だってさ!」
「勇者だ!」
戦場の空気が一変し、兵士たちや国民の瞳に再び光が宿る。
「頼む! 怪物を倒してくれ!」
「「「勇者!勇者!勇者」」」
私への応援大合唱が始まった。
「兵士たちは貴族と国民を守るように陣形を! ガルグは皇弟をお願い!」
「わかった!」
「「「全員、守りを固めろ!!」」」
私はクラウ・ソラを構え、怪物皇帝を真っ直ぐに見据えた。
「さて……これでまた1対1だ」
怪物皇帝の口が、ひび割れたようにゆっくりと動いた。そこから漏れ出したのは、濁った声だった。
「……ユウ……シャ……ヒカリの……セイジョ……サマ……」
「……!いま、なんて言った?」
私は聖女という言葉を耳にした瞬間、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。
クラウ・ソラを握る手に、自然と力がこもる。
「ユウシャ……コロセ……セイジョさマノ……ゴメイ……レイ……」
その言葉に、胸の奥がドクン、ドクンと激しく脈打つ。
耳の奥で自分の心臓の音が響き、呼吸が荒くなる。
(こいつ……今、たしかに聖女って言ったな……)
汗が背筋を伝い、喉がひりついた。
やっと掴んだ――リサの尻尾。
ここで吐かせる。
この怪物の口から、全てを。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
いよいよ帝国騒乱編のクライマックスです。
そして、やっと掴んだ光の聖女リサの尻尾。
エレナは怪物となった皇帝に勝つことはできるのでしょうかーー!?
次話は8/26火曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い致します。
エレナ達を暖かく見守って頂けますと幸いです。
少しでも「面白い」「続きが気になる」と思われましたら下の☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂けますと嬉しいです。
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