その15 「獣神ヴォルグの過去」
獣人族の都は、バイエルン帝国の南方、深淵の森の奥深くに築かれていた。
鬱蒼とした木々に囲まれたその都は、外敵からの侵入を防ぐ天然の要塞であり、同時に豊かな狩猟地として獣人族の暮らしを支えていた。
魔族との戦争が始まる以前より、バイエルン帝国の隣国として、交易や情報交換を行い栄えてきた経緯がある。
だが、その都の影には、光から零れ落ちる者たちの姿もあった。
ヴォルグはそんな影の一角、貧困街で生まれた。
彼の両親は、決して裕福ではなかったが、誇り高く温かな心を持っていた。
流行病に蝕まれながらも、幼い息子を腕に抱きながら父は母に語りかける。
「この子の名は……ヴォルグにしよう」
母が不思議そうに問い返す。
「初代獣神の……?」
父はうなずいた。
「そうだ。かつて我らの民を守った偉大な名だ。だが、この子が力を求めるのではなく、家族や仲間を大切に想う心の器を持ってほしいのだ」
母はやさしく微笑み、病に侵されて痩せ細った手で息子の頬を撫でる。
「ヴォルグ……。どうかこの子が、誰よりも優しい獣人になれますように」
両親の願いは、力ではなく“仲間を大切に想う心”にあった。
その想いを宿した名付けだったが、両親の想いとは裏腹に後に「獣神」と呼ばれる本来の力の象徴のような存在となる少年の誕生だ。
しかし、生まれつき体が弱く、腕力も無く足も遅い。耳や尾を引っ張られてからかわれるのは日常茶飯事で、同年代の子供たちからは「弱虫ヴォルグ」と揶揄された。幼いヴォルグは声を上げて抗うことすらできず、拳を握りしめて地面を見つめるしかなかった。
そんな折、幼いヴォルグを見守ってきた病弱な両親も、彼が七つの年を迎える頃、静かにこの世を去った。
皮肉にも両親の死が、心がバラバラとなり、最初に無くした心のカケラとなってしまった。
そんな彼にも唯一手を差し伸べてくれたのが、同じ貧困街に住む同い年で親友のフォロだった。フォロもまた小柄で、決して強いわけではなかったが、いつも笑ってこう言った。
「なぁヴォルグ。俺たち、いつか護衛隊に入って都を守ろうぜ」
「俺なんか弱いし……きっと無理だよ」
「何言ってんだ。俺たち二人でやればできない事はないよ!だから一緒に鍛えよう。俺たち二人なら最強の戦士になれる!」
その言葉にヴォルグは幾度も救われた。
二人は空腹を紛らわすように一緒に走り回り、石を投げ、錆びた木剣で打ち合った。血豆だらけの手を見せ合っては「これも強さの証だ」と笑った。
「ヴォルグは、力が強くなりそうな太い腕になってきたな!俺も鍛えて負けないようにしなきゃな」
「ヴォルグ、いつか家族を持つ時はお互いお祝いしような!」
「戦士団の仕事がある程度落ちついたら、二人で冒険者になるのもいいかもな」
フォロとは本当に多くの事を話し、一緒に多くの経験をした。彼がいたからこそ、弱い自分も前へ進んできた。
一緒に戦えば、きっと誰にも負けない。
ヴォルグはそう信じていた。
やがて二人は成人を迎え、戦士団へ入団する。
十五歳から大人と認められるこの世界において、戦士団に加わることは誇りであり、夢だった。胸を高鳴らしながら剣を握ったその日、ヴォルグはフォロと研鑽し合う未来を信じていた。
——しかし、初陣はあまりにも残酷だった。
深淵の森での巡回。
仲間と共に進んだはずのその任務で、彼らは魔族の中でも知能と魔力が高い魔将と出会ってしまう。
異形の体に冷たい瞳。
獣人を「半端者」と嘲るその声は、骨の髄を凍らせ、圧倒的な力に、戦士団の者たちは次々と倒れていった。
「ヴォルグ、逃げろ……!生きていつか……」
血に濡れたフォロは、それでも剣を握って立ちはだかった。震えるヴォルグの背を押し出すように。
だが次の瞬間、魔将の手が閃き、フォロの首が宙を舞った。
耳を劈く笑い声。滴る血を啜り、肉を食むその光景に、ヴォルグは声を上げることすらできなかった。全身が凍りつき、視界は赤く染まる。
「まだ一人、腑抜けが残ってたな」
魔将の嘲りが突き刺さる。
絶望に沈みかけたその時、護衛隊の増援が駆けつけ、魔将は森の奥へと姿を消した。
——ヴォルグは生き残った。
だが、心に深い傷が刻まれた。
親友を見殺しにした後悔、そして、あの圧倒的な強さへの憧憬に似た執着。
ヴォルグはここでも、心のカケラを一つ無くした。
「俺は……もっと強くならなければ」
まるで呪いのように力を追い求めるようになる。
二十年が経ち、ヴォルグは己を鍛え続けた。体格は膨れ上がり、仲間からは戦士団最強と称えられる存在へと成長した。
やがて団長となり、都を背負う者となった。
その頃には妻を迎え、三人の子に恵まれていた。
戦場で傷つきながらも、家に帰れば子らの笑い声が迎えてくれる。小さな手で尾を掴まれ、妻の作る温かな食事に安らぐ。——これこそが自分の守るべきものだ、と心から思えた。
夜、戦士団の任務から戻った後。
静まり返った家の中で、妻と子どもたちが寝息を立てている。
ヴォルグは寝台の脇に腰を下ろし、娘の小さな手をそっと握った。温もりを確かめるように、しばらく離さない。息子達の寝顔を見て、胸の奥からこみ上げる感情に喉が詰まる。
(……家族も仲間も俺が守らなければ……)
炎に焼かれ、血に濡れた過去の光景が脳裏に蘇る。 フォロの断末魔、仲間を奪った魔将の冷たい瞳。
(あの日の後悔を、二度と繰り返さない。どんな代償を払っても、この子らの未来だけは……)
ヴォルグは強く拳を握りしめた。
だが、妻だけはヴォルグの事をよくわかっていた。
「また傷だらけで帰ってきて……。子どもたちが心配してるのよ」
「すまない。でも、あいつらの未来のために、俺は戦わなきゃならない」
ヴォルグの妻は、追い込むように強さを求める彼を心配していたが、彼をそばで支え続けた。
だがーー幸せはあまりにも脆かった。
ある日、情報交換で帝国の貴族と会合のため森の境界へ赴いた留守の間に、魔族の軍勢が都を襲ったのだ。
駆けつけたヴォルグが目にしたのは、黒煙に覆われた村、燃え落ちる家々、血に塗れた大地だった。
仲間の亡骸が散乱し、嗚咽と悲鳴が木霊する。
そして、そこに立っていたのは——あの魔将だった。
「…お前は………あの時の腑抜け小僧」
獰猛な笑みを浮かべながら、奴は妻と子の亡骸を足で蹴り飛ばした。
「……っ!」
ヴォルグの視界が揺れた。
二十年前の記憶が蘇る。
ーー血に濡れたフォロの姿。
まただ。また、自分は守れなかったのかーー。
剣を握る手が震え、力が抜け落ちていく。
部下の悲鳴が遠くで響く。
家族の死、都の守るべき人達の死、彼の器のカケラは、この時全て無くなってしまった。
「腑抜けのままか」
魔将が嘲るように剣を振り下ろした瞬間——
淡い光がヴォルグを包んだ。
時が止まったかのような静寂の中、彼は見知らぬ空間に立っていた。
「ここは……?」
「神の領域です」
振り向けば、そこに女神がいた。
白銀の髪に透き通る瞳と、どこか憂いを帯びた微笑み。
「女神……アルカナなのか?……」
「貴方は失いすぎた……だから、力を授けましょう」
その言葉と共に、熱が胸を満たす。
力が溢れ、血潮のように全身を駆け巡る。
「この力が貴方の心を埋めるとは限りません。でも、貴方はいずれーーー」
目を開けた時、ヴォルグの胸には炎のような魔力が宿っていた。
魔将の刃を受け止め、逆に叩き伏せる。
圧倒的な力が魔将を圧倒する。
「ひっ…た…助け……!」
恐怖に揺れる瞳を前に、ヴォルグは迷わずその首を刎ねた。
それから数日のうちに、ヴォルグによって森に巣食っていた魔族はすべて討ち滅ぼされた。
息子と娘の二人は生きていたが、妻と息子一人を失い、都の半分以上が灰となってしまった。
多くの獣人族、仲間も亡くなった。
ヴォルグは誓った。
もう二度と魔族を街の中に侵攻させないと…
必ず獣人族を守ると…
それから、多くの魔族を討ち取ったヴォルグに、魔族は恐怖し、都に再び魔族が踏み込むことはなくなった。
——こうして獣神ヴォルグの伝説が誕生した。
それから七十年、彼の名は獣人族の象徴として語られ続けた。新しい家族も得たが、彼の心の奥底に刻まれた傷は、決して癒えることはなかった。
家族、仲間達を守るために、獣人族の都はほぼ鎖国に近い政治をとるようになり、その中心、獣神ヴォルグが全ての決定権を待つ事になった。
ヴォルグが政治を行うようになって以降、獣人族が都と深淵の森より外の領域へ外出する事を禁じ、戦士団も森だけを守るようになった。
帝国との貿易も必要最小限まで減らし、余計な物の流れを無くした。
人族魔族関係なく「獣神」という栄光の名が多くの意味で語り継がれていった。
だが、ヴォルグの胸に残ったのは、家族、親友、仲間を守れなかった痛み、空虚になってしまった心だった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
獣神ヴォルグの過去話を投稿させて頂きました。
彼が何故宣戦布告したのかは、また後日語られます。
お付き合いよろしくお願い致します。
次話は8/21木曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い致します。
エレナ達を暖かく見守って頂けますと幸いです。
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