その10 「獣人族の恐怖」
風に混じって、重い足音が響いている。
砂塵を割って現れるのは、整然とした隊列――。
槍と剣を構え、鎧を陽光にきらめかせた獣人族の戦士たちだ。
先頭を行くのは、鍛え上げられた体躯と灰色のたてがみを持つ戦士――護衛隊長ガング。
その背中を、護衛隊の八名と更に後ろを戦士団三百名が続き、ウォーウルフを百匹以上引き連れている。
「……ラン、どこにいるかわからないが、無事でいてくれ」
ふと脳裏に、妹の笑顔がよぎる。
まだ幼かったランを背に乗せ、村の外れの川まで駆けた日。
「兄さん、もっと早く!」と、尻尾を揺らして笑う声。
冷たい水を浴びてはしゃいだあの日の感触が、砂漠の熱気の中でも鮮やかに蘇る。
「あの可愛かったランが父上と対等に喧嘩をするようになるとはな」
俺は、妹の成長に何故か笑ってしまった。
我々にとってこの進軍は、帝国との戦ではなく、妹の居所を探すため――そして奪われた“獣神の遺産”を取り返すための道でもあった。
護衛隊の中では、戦士たちが短く言葉を交わす。
「隊長、この先にオアシスの街が見えます」
「帝国軍が出る前に帝都に行かなければ」
私の視線は、揺らめく地平線の向こうに釘付けになっていた。
しかしーー視線の先に、異様な影が揺らめいた。
砂丘の岩場に立つ、一人の女。
陽光を吸い込むような漆黒のローブに身を包み、風に長い髪を靡かせ、杖を担いでいる。
砂漠のそこだけ、妙な威圧感を感じる。
(……人間か…ただの人間ではないな)
遠く離れていてもわかる。
こちらの進路を塞ぐために立っている――。
そんな確信めいた気配があった。
「……魔法使いか」
隣を歩く副官が低く呟く。
僅かに目を細めると、その女から感じる圧は、これまで戦場で幾度も見た強者のそれだった。
妹探しと遺産を取り戻す前に、まずはこの障害を排除しなければならない。
――そう悟った次の瞬間だった。
女の手がゆっくりと掲げられ、砂丘の向こう側が一気に影へと沈む。
瞬きする間に、空が……雲で覆われた。
「天候を操る魔法か!?」
「こんな一瞬で…」
「そんなバカな!」
戦士団からも驚きの声が上がる。
轟音と共に、頭上から巨大な水の奔流が降り注いだ。雨ではない、洪水だ。
砂漠の熱気を奪い去る冷たい水塊が、壁のように押し寄せる。
前衛の獣人たちは反射的に武器を地面に刺し、踏ん張ったが、その衝撃は肉体を易々と吹き飛ばす。
「ぐっ……!」
咄嗟に構えたものの、腕ごと痺れるような衝撃に膝をついた。
視界が揺れ、耳に残るのは水の奔流の轟きだけ。
それでも、肌を裂くような殺意は感じられない――狙いは殺すことではないのか。
だが、それでも十分だった。
一撃で隊列は乱れ、約三百人の戦士団がバラバラとなり、魔物は蜘蛛の子を散らすように森へ逃げていった。
砂塵と水飛沫の中、再びあの黒衣の女を見る。
黒色の帽子とローブに、青色の髪色が光り輝いているのが見えた。
冷たい水流が引き、砂漠の熱気が戻るよりも早く、ガングは濡れた鬣を振り払い声を張った。
「隊列を戻せ!護衛隊は全員前え!」
散り散りになった仲間たちが互いを探しながら砂の上を駆ける。
鎧の継ぎ目から水が滴り、武器を握る手は冷えきっていた。
「なんだ、あの魔法は…」
獣人族の寿命は、ヒューマンの倍以上で、俺も既に八十年は生きている。
「こんな大規模な魔法は見た事がない」
隊形が整う前に空気がざわめき、遠方の岩場から異様な気配が走った。
緊張が走るーーまた何かの魔法だ。
次の瞬間、風が唸りを上げて押し寄せる。
それは砂漠の嵐にも似ていたが、自然のものではない。熱風と冷気が入り混じった圧が、横殴りに全身を叩きつけてくる。
「なんだこれは!…全員踏ん張れ!」
声も風にかき消される。視界は砂煙に覆われ、耳には風の咆哮だけが響く。
立て直そうとした陣形は、容赦ない暴風に引き裂かれ、戦士団たちは更に後方へと散らされていった。
散り散りになった戦士たちは、水と風に押し潰され動けなくなり、前に進む体力が無くなった。
「なんだ…あれは…ヒューマンの魔法なのか…」
「あんなの…どうやって戦えばいいんだ…」
怯えた声が、砂漠の風よりも冷たく耳に残る。
戦士団全員が、あの魔法使いに"恐怖"している。
このままでは全軍壊滅する。
「護衛隊、前へ!」
返事はない。
だが、八つの影が砂を蹴って集まる。
九人の護衛隊は、獣神の遺産奪還の使命を抱き、突風の中を駆けた。
「全員聞け!なんとか私だけでも、あそこに行かせてくれ」
目指すはただ一つ、岩場に立つ黒衣の魔法使い。
その存在を、戦場から排除する。
護衛隊の八人は、無言で相槌を打った。
足元の砂が削られ、不安定さが増し、走りにくい。
風はまだ止まないが、距離は確実に詰まっていた。
あとわずかで斬撃が届く――そう思った瞬間、魔法使いの足元に淡い光が広がった。
「隊長!あいつ何かしてます!」
魔法使いが杖を掲げて何かしているのが見えた。
その瞬間、耳を裂くような風鳴りが襲った。
前方から押し寄せるは、炎と暴風が渦を巻いた壁。
竜巻にはならずとも、台風の眼の縁にいるかのような暴力的な風圧だ。
熱と砂が視界を奪ってい、武器を握る手が滑り、足場が砂ごと削ぎ落とされるようだった。
後方に吹き飛ばされた五人の護衛隊員の中に、恐怖が伝染している。
「近づけるわけがない…」
「化け物だ…」
握った槍の穂先が、震えでカチャカチャと音を立てる。それは戦意を削ぎ落とす音だった。
もはや前に出られるのは、ガングと護衛隊の三人だけ。砂の中を蹴り飛ばすように走り、黒衣の魔法使いを目指す。
その時、地面に鋭い音を立てて氷柱が突き立った。一本、また一本――我々の周囲を囲うように現れた氷は、陽光を反射して青白く輝く。
次の瞬間、雷鳴が大地を割った。
氷柱を伝って落ちた雷が、光と衝撃音を同時に叩きつける。
避雷針のように氷柱に蓄積された電力が、火花を散らしながら互いの間を行き来する。
やがて、その電流が弧を描いて護衛隊を襲った。
「――!」
盾を構えたガングの腕に、雷の奔流が直撃する。
全身が痺れ、筋肉が思うように動かない。
それでも足を止めれば、恐怖に飲み込まれる。
雷撃に耐えられず、護衛隊員三人が脱落した。
戦意が無くなり、底のない怯えた表情をしている。
俺は雷撃の余韻で痺れる身体を引きずりながらも、黒衣の魔法使いへと突き進んだ。
距離が縮まる。
熱も、風も、雷の残響も、もはや意識の外だった。
残ったのは、眼前の敵を斬るという衝動だけ。
「――はっ!」
ガングは渾身の踏み込みで剣を振り抜いたが、刃は見えない壁に弾かれた。
甲高い衝撃音と共に、金属が軋み、剣先が押し返される。
「……魔法障壁か」
低く吐き捨てるような声が漏れる。
魔法使いからも冷ややかな声が耳に届く。
「隊長っぽい貴方に提案があるんだけど?」
「なんだ、言ってみろ?ここまでされて最後の攻撃を弾かれた。我らの負けだ」
「とりあえず、帝国に進軍するのをやめて、後は私たちに任せて貰えないかしら?」
「どういう事だ? お前は何者だ?」
「え、私? 冒険者ーー蒼天の魔法使いレーナ」
蒼天――その二つ名を聞いた瞬間、ガングの中で何かが腑に落ちた。
「なるほど……負けて当たり前か」
蒼天の魔法使いーー東方の蒼龍を仲間を失いながらも撃退したと言われる女魔法使い。
「もしかして、貴方はランのお兄さん?」
「そうだ、ランを知っているのか?」
「ランは無事よ。安心して」
苦笑のような息を吐き、剣を捨てた。
恐怖と畏怖が入り混じったその空気の中、ガングは答えた。
「我々の負けだ、撤退する。」
「全部解決したらランに会えるから、貴方は私についてきて、その前にお仲間の怪我人は治しましょう」
その一言のあと、蒼天の魔法使いは俺に手を差し伸べてくれた。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
獣人族目線からのレーナを描いてみました。
次は主人公の方になります。
次話は8/14木曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い致します。
エレナ達を暖かく見守って頂けますと幸いです。
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