その9 「開戦への影」
私達が和平交渉のため、獣神の屋敷を訪れた頃ーー。
帝都バイエルン。
二十万の人口を誇るこの大都市は、四方を高く厚い城壁に囲まれ、商業と軍事の中心として栄えてきた。
帝都バイエルン城――玉座の間。
重々しい扉が開かれ、宰相、軍務卿、そして東西南北の門を守る有力貴族たちが次々と入ってくる。
北門の守護・バナード侯爵、南門の守護・クラウベルク伯爵、さらに東門・西門の領主らも顔を揃えていた。
玉座には、現皇帝カール・フォン・バイエルン。冷徹な眼差しで臣下を見下ろしている。
「……では報告せよ。獣人族の軍勢はいかほどだ?」
低く響いた皇帝の声に、前へ進み出たのは情報官だった。
「はっ。南西方面より、獣人族の兵が帝国領内へ向け現在進軍中であります。数は確認中でありますが、およそ二百以上」
ざわめきで場内が揺れる。
「何故奴らの進軍がわからなかったのか!?」
「南西方面には見張りを置いていなかったのか!」
各方面から意見が飛ぶが、情報官は続けた。
「斥候によれば、兵は森を迂回し砂漠経由で帝都を目指す模様。明日、オアシスの街付近に到着する見込み……」
皇帝の眉間に深い皺が刻まれた。
「情けない。我が帝国は奴らの進軍すら感知できず、のんびりしておったという訳か。女神アルカナ様に認められないクズどもに先を取られたという訳か!」
吐き捨てるような声音に、場の空気がぴたりと凍りつく。
年配の宰相が口を開いた。
「陛下、先代――先帝の時代には獣人族との交易も盛んでございました。なんとかなりませぬものか」
「ふん。そんな時代は過去の汚点だ。近くにお互い都市を建設した弊害がこれだ」
皇帝は一蹴する。
「奴らと交流など不要。異種族はこの地から根絶やしにする。それが私の方針であり、これからの帝国の未来だ。さっさと兵の準備をしろ!」
重苦しい沈黙の中、再び情報官が進み出た。
「もう一件。クラウベルク伯爵邸にて働いていたメイド、ランは獣神ヴォルグの実子であることが判明いた件ですが…」
「……そうだったな」
皇帝の目が細められる。
「その娘を捕え、獣神への交渉材料として私に差し出せ」
命令が放たれた瞬間、場の空気がさらに重くなる。
バナード侯爵が進み出て頭を下げた。
「すでに数日前、我らからクラウベルク伯爵に引き渡しを求めておりました。伯爵も応じましたが、感が鋭い獣人族……ランは伯爵邸から逃亡。行方不明とのこと」
「使えんな……クラウベルクの責任は、戦の後に取らせる」
皇帝の言葉は冷酷そのものだった。
その直後、早馬の蹄音が城門に響き、息を切らした使者が玉座の間に駆け込む。
「報告!獣神ヴォルグを除く三百の戦士団が、帝国南西部へ進軍中!魔物の姿も確認されております!オアシスの街到達は明日二つ鐘の頃。獣神ヴォルグの姿は確認できず」
「獣神がいないのはどういう事か?だが、オアシスの街を開戦場所とするしかあるまい。奴らをそこで迎撃せよ!」
皇帝が即断すると、バナード侯爵とクラウベルク伯爵が同時に声を上げた。
「お待ちください!まずは使者を使い、意図を確かめるべきです。無益な戦を避けられるやもしれませぬ!」
「オアシスの街の避難はどうされますか!?市民に被害が出ます」
「避難はこれから行えば良い。それと、和平などしないと申しておろう」
軍務卿が進み出て、皇帝に一礼する。
「陛下、二つご報告がございます」
「申してみよ」
「一点目ですが、帝都常備兵は総勢三千、そのうち実際に戦場で剣を振るえる戦闘要員は二千二百。残りは兵站、医療、工兵、通信などの非戦闘員でございます。獣人族の精鋭三百の戦闘力は我ら一人の五倍以上…単純計算で千五百の兵をもっても拮抗しません。近くの都市から駐屯騎士を呼び寄せれば六千にはなりますが、間に合うか…しかも魔物もいるとなると…」
「うむ、だが、冒険者ギルドの力を借りるのだろう?」
「その件が二点目でございます。冒険者ギルドより通達が。魔族との戦ならばともかく、同じ人族との争いには関与しない方針とのこと」
皇帝は鼻で笑った。
「冒険者ギルド、奴らはヒューマンではなく落ちぶれたクズ共だったな。たしか他人種もいるようだが……いずれ無くさねばならぬな」
皇帝は一息つくと命令を下した。
「帝都騎士団だけで戦力が足りなくば、私の近衛兵と地方都市から駐屯騎士をすぐに呼び戻せ。そして、奴らを殲滅する。良いな」
冷たく言い放つと、皇帝は玉座から立ち上がり、帝国騎士長に迎撃を命じて退席した。
残された臣下たちは互いに視線を交わすが、誰一人として逆らう者はいない。
*****
――会議後。
人払いされた廊下で、クラウベルク伯爵が声を潜める。
「……屋敷で雇った冒険者たちが、ランを連れて獣人族の都へ向かったが、間に合わなかったか……」
バナード侯爵は深く頷き、遠く西の空を見つめた。
「あとは神頼みだな……」
二人の思惑は上手くいかず、帝国は戦争の準備を始める事となった。
*****
――同じ頃。
玉座の間を出た皇帝は、無言のまま人払いされた回廊を渡り、奥まった螺旋階段を下りていく。
その先にあるのは、選ばれた者しか入れぬ皇族専用の宝物庫。重厚な扉を衛兵が開くと、冷たい空気が吹き出し、灯りに照らされた無数の宝物が姿を現した。
皇帝は迷わず奥へ進み、一際目を引く台座の前で足を止める。
そこに鎮座していたのは、黒と金に彩られた腕輪――初代獣神の力を宿すと伝わる、伝説の魔法具。
『初代獣神の遺産』
「……愚かな獣どもめ。まんまと罠にかかったわ」
指先がそれに触れた瞬間、淡い光が腕輪の紋様を走り、獣の遠吠えのような低い音が室内に響いた。
「……順調のようですな、陛下」
闇の中から、仮面をかぶった男が現れる。
魔族特有の赤い瞳が、不気味に輝いた。
「獣人族は怒りに燃え、戦を避けられぬ。帝国と獣人族……争えばどちらも疲弊しましょう」
「よい。ヒューマン以外の血は、この大地から消えるべきだ。そのためならば帝国も疲弊しても構わん」
皇帝は満足げに笑い、腕輪を元の台座に戻す。
その笑みの奥で、男の赤い瞳がわずかに細まった。
*****
緊急会議の報が帝都にも広まるのに、さほど時間はかからなかった。
数日中に戦争になる。
城門を守る兵たちは鎧を鳴らしながら配置につき、街路には武装兵と軍馬の姿が目立ち始める。
商人たちは慌てて店を畳み、母親が子の手を引いて路地裏へ駆け込む。すれ違いざま、誰もが同じ噂を囁き合っていた。
「獣人族が攻めてくるらしい」
「戦になるのか…」
兵士の中には青ざめた顔の者も多い。
獣人族の戦士は、一人でヒューマン五人を相手取れると言われるほどの膂力と技を持つ。しかも今回の進軍には魔人も混じっているらしい。魔人となれば獣人二人、ヒューマン十人に匹敵する化け物だ。
帝国の兵たちは、訓練では知っていたその数値を、今まさに現実の恐怖として噛みしめていた。
帝都南門を預かるクラウベルク伯爵邸も慌ただしい。
伯爵は防備を固めるよう配下に命じながらも、その瞳の奥には戦を避けたいという色が滲んでいる。
一方、屋敷の奥では伯爵夫人や侍女たちが、右往左往していた。
冒険者ギルドもまた、騒然としていた。
この地の冒険者ギルドのマスターが「冒険者はこの戦に参加しない」と通達を読み上げると、場内からは不満と安堵が入り混じった声が上がる。
「儲けにならん戦だ」「助かったぜ」「帝国からさっさと出立するか」——そんな声が響いた。
帝国騎士団の本部では、迎撃部隊の編成が急ピッチで進められ、鉄靴の音と軍馬の嘶きが響く。
「三百相手では分が悪い」
若い騎士が漏らした小声は、誰にも拾われることなく消えていった。
*****
馬の背で、私は帝都への道を駆け抜けていた。
この馬は、特別な軍用馬。
深い森も足を取られる砂漠も走破できるよう訓練され、筋肉量、持久力と跳躍力は常馬の比ではない。
蹄は厚く削られ、靴鉄には砂の熱を逃がす加工が施されている。鼻先は真っ直ぐ前だけを見据え、耳は風切り音にも揺れない。
(すごい……この速度なら、明日の朝には帝都に帰れるな)
土煙が後方に流れ、頬を叩く風が痛いほど冷たい。
街道の先に、遠く霞む城壁の影が見える。それでも、手綱を緩めるつもりはなかった。
「何としても間に合わせないと…」
*****
その頃ーー
森の縁に立つ、黒いローブに身を包んだ一人の女性が軽く足元を踏みしめていた。
すると、地面の土がふわりと盛り上がり、硬く固まって空中へと伸びていく。
まるで見えない階段が枝の上まで繋がるように、土の足場が次々と形成されていった。
彼女は軽やかに一歩を踏み出し、梢の上を渡り、枝の影を跳び越えて進んでいく。
「オアシスの街で、派手に止めてあげるわ」
唇の端が不敵に上がり、その瞳には高揚の光が宿っていた。
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