その8 「和平のための分断」
護衛隊や戦士団よりも先に、獣神は帝国に出立してしまっていた。既に到着している可能性が高い。
どうする――そう考えていたとき、レーナが唐突に声をあげた。
「ねぇ、ラン。このあたりの地図、ないかしら?」
「え?地図ですか?」
慌ててランが周囲に目を向けると、控えていた虎耳のメイドがすぐに頷き、奥へと駆けていった。
私は思わずレーナを見る。
彼女は妙ににこやかで、何やら企んでいるような笑みを浮かべているが、アホ毛は出てこない。
(なんなんだ?)
「地図をお持ちしました」
「ありがとう」
レーナは、ランが広げた地図の上に手を置き、じっと眺める。しばし無言ののち、私と視線が合い、彼女は小さく頷いた。
「ラン、獣人族の移動速度だと、戦士団は今どの辺りだと思う?」
「えっと……恐らく、この辺りでしょうか」
「そう…だけど、迂回するなら都市の裏手も森よね?森に慣れてる獣人族でも、魔人や魔物と出くわしたら必ず足は止まるわ。隊列を組んでいるなら尚更ね。それを見込むと明日の昼くらいにはオアシスの街付近に来るわね」
「レーナ、何が言いたい?」
「私が一人で先回りして、ここで待ち伏せすれば、進軍を止められる」
レーナの指が示したのは、帝国南西部――砂漠の真ん中にあるオアシスの街だ。
「この砂漠を通るんだから、物資や水分補給で必ず立ち寄るわ。その手前で迎え撃つ」
「……え?」
その場にいた全員が固まった。
「ちょっと待て。レーナが一人で護衛隊と戦士団を相手にするってことか?」
「そうよ?」
「いやいや、それだけの数をどうやって――」
「ラン、人数は?」
「ラングリード、何人向かいました?」
「護衛隊は、ラン様以外の九名、戦士団は精鋭三百人、他に魔物を引き連れて…」
その数を聞いて、場の空気が一層張り詰めた。
獣人族一人を抑えるには、ヒューマン五人分の力が必要と言われている―その精鋭が三百。
単純計算でヒューマン千五百人に匹敵する戦力だ。 護衛隊も同格、いや、それ以上の猛者がいるとすればその計算は合わなくなる。
「三百超えを一人でやれる?」
私が眉をひそめると、レーナはそっと私の耳元で囁いた。
「エレナだって隠してる本気を出せばできるでしょ?私も同じよ」
(私?なんの話だ?でも、レーナに隠している力があるだろうとは薄々思っていた)
「……任せていいんだな?」
「誰に言ってるのよ。それに私にも思うところがあるの」
「?…わかった!レーナに任せた!」
「エレナさん!?」
「ラン、レーナは大丈夫。でも、どうやってそんな距離を――」
「それは問題ないわ。空を移動する」
「は?飛べるの?」
「あ、正確には、魔法で空中に足場を作って移動するの、土魔法の階段とか、木の枝に土魔法で足場を作るとかもできるわ」
「……それ、実際に使った事は?」
「昔、パーティーで何度かね」
「わかった。じゃあそっちは任せる」
「ラン、こうなったら仕方ない。予定を変更して、レーナは戦士団の足止めをしてもらう。私は帝都に向かいお父さんを止めに行く。それで、ランとユリウスは後から帝都に来てくれないかな?」
「エレナさん、レーナさん……よろしくお願いします」
ランは深々と頭を下げた。
その姿に、決意の重みを感じる。
しかしーー。
「お嬢様!我らの遺産を奪った帝国に力を貸すなど……!」
「初代獣神の遺産がどうしたのですか?」
ランの顔色が変わった。
「帝国に我らの初代獣神の遺産を奪われた為、ヴォルグ様以下戦士団が帝国に向かわれたのです」
「遺産は無いの!?」
「……はい」
「ラン、その遺産ってなに?」
「初代獣神の遺産です。それを身につければ大いなる力が手に入ると言われる…魔法具です…」
クラウベルク伯爵が戦争の理由がわからないと言っていたが、理由はこれかーー。
「ラングリード!それでも、私はヒューマンとの争いは許しません。それが父上の命令でも!」
鋭く言い切ったランに、執事の狐耳がわずかに伏せられる。
その瞬間、ユリウスが一歩前に出た。
「失礼。私はユリウス・アルノルト・クラウベルク。バイエルン帝国クラウベルク伯爵家の長男です。獣神ヴォルグ様の御令嬢ラン殿は、帝国との和平を望んでおられます。帝国内では意見が分かれておりますが、私の父も同じ想いです。どうか力をお貸しください。その遺産の件も父に話します」
……驚いた。あの小さな少年が、毅然と貴族の顔で意見を述べている。何かずっと考え事をしているなと感じてはいたが、ランの後押しをしたかったのか。
(私の七歳の頃より、よほど立派だ)
私とランは、ユリウスの成長が嬉しくて、自然と口角が上がる。
「帝国の御貴族様でいらっしゃいましたか。そのお姿は変化の魔法ですかな…クラウベルク家とは昔から懇意に……無礼をお許しください」
「問題ない。それで――森を抜けられる馬を貸して頂けないでしょうか。そして、エレナとレーナ……礼儀として、そろそろ正体を明かしましょうか?」
「わかりました。レーナ!」
「はいはーい!……えい!」
レーナが両手を掲げると、光が弾け、変化の魔法が解けた。
三人の姿が、ありのままのものへと戻る。
光が弾け、変化の魔法が解けていく。
私とレーナの姿――ヒューマンの冒険者。
「……やはり、ヒューマンの冒険者か」
ラングリードの声が低く沈む。
その金色の瞳は、一瞬だけ冷たく光った。
彼にとって、ユリウスがヒューマンであっても、それは帝国の貴族の子息――客人として受け入れられる存在。
しかし、私とレーナは違う。
どこから来たかもわからぬ流れ者、冒険者だ。
「……お嬢様。なぜヒューマンの冒険者などを……」
苛立ちを隠さぬ声音に、場の空気がわずかに張り詰める。だが、その視線がレーナに移った瞬間、ラングリードの耳がぴくりと動き、目が見開かれた。
「……蒼天の……魔法使い……?」
その名を知る者は驚愕を隠せない様子だった。青空のように澄んだ蒼髪が光を反射し、揺れる。
彼らの間に伝わる噂――蒼天を操る若き魔法使いが、蒼龍を撃退したという話。
さらに、その横に立つ私に視線が移った瞬間、ざわめきは一層大きくなった。
「……その“猛獣”を従えている冒険者……?」
(その二つ名…どうにかしたい)
私が心の中でぼやくと、レーナが横でニヤニヤしている。
(レーナは、心が読めるのか?)
「ラングリード、馬を貸していただけますか?」
ランが一歩前に出る。その瞳は真剣で、圧を感じるほどだった。
「……お嬢様、それは――」
「ラングリード様、お願いします。これは帝国と獣人族、両方の未来に関わることです。戦を起こる前に止めなければなりません。秘宝はその後に私達が責任を持って探します」
ユリウスも続けてお願いをする。
ラングリードが口ごもる中、静かに声が上がった。
「……でしたら、私の馬をお使いください」
声の主は、先ほど地図を取りに行った虎耳のメイドだった。
しなやかな尾が揺れ、毅然とした表情で私を見る。
「我が家の馬は森も砂漠も駆け抜けられます。どうか、お役立てください」
「助かります」
私は軽く頷き、レーナに指示を出す。
「じゃあ、私は帝都へ向かう。レーナは――」
「わかってるわ。私は森を抜けて、オアシスの街の手前で護衛隊と戦士団を止める」
「よし!やれる事をやろう!」
変化の魔法を解いた私たちは、ラングリードや使用人たちに見送られ、都の中心通りを歩き始めた。
ラングリードがあれ以上邪魔をしなかったのが意外だ。
「ラングリードさんはあれ以上何も言わなかったね?」
「ラングリードは、父上からの命令には逆らえないんです。屋敷の馬を貸したら叱責を受けかねません。でも、戦争は反対なのでしょう。これ以上の邪魔はしないと思います」
「なるほど」
「それより、父上はかなり強いです…エレナさんが心配です…」
「あ、あぁ、きっとなんとかなるよ」
(私が勇者とは、ランは知らないんだな)
ヒューマンの姿を晒して歩く私たちに、行き交う獣人族たちの視線が一斉に集まる。
耳や尻尾がぴんと立ち、驚きや好奇の色が混じったざわめきが広がっていく。
「……本当に珍しいんだな、ヒューマンって」
思わず小声で呟くと、隣で歩くランに向けられた視線が一変した。
「あっ、ラン様だ!」
「お帰りなさいませ!」
「ご無事で何よりです!」
通りのあちこちから声が上がり、子どもたちが笑顔で手を振る。年配の者は深々と頭を下げ、若い戦士たちは敬礼のような仕草を見せる。
その光景を見て、私は改めて知った。――ランは、この都でどれほど慕われているのかを。
ふと視線をやると、ランの隣を歩くユリウスが、真っ赤になって俯いていた。
(……ああ、そういうことか)
ランの笑顔に当てられているのが、ありありとわかる。年齢の割に落ち着いているユリウスも、こういうところは年相応だ。
そんな事を考えていると、レーナとランがコソコソと何か話している。何か良からぬ事をレーナが考えてないから心配だが、アホ毛は出ていない。
(大丈夫かなぁ?)
やがて私たちは都の門へと辿り着いた。
そこで、先ほどの虎耳のメイドが馬を引いてきた。艶やかな銀色の毛並みと引き締まった肢体を持つ、美しい獣人族の軍馬だ。
「どうかお気をつけて」
手綱を受け取り、私は鞍に跨った。
革の感触と、馬の背中に伝わる鼓動が心地よい。
視線を前に向け、息を整える。
「じゃあ、私は帝都に一気に向かう!ランとユリウスは後で合流してくれ」
「私はオアシスの街ね」
レーナが指を鳴らすと、階段上に硬質な土の足場が次々と出現する。
彼女は軽やかに一歩目を踏み出し、まるで森の上を飛ぶように進んでいった。
「終わらせたら、帝都で合流するわよ!」
「……ああ。待ってる」
「エレナさん!よろしくお願いします!」
「エレナ!頑張ってー!」
私はランとユリウスに手を振る。
胸の奥で、鼓動が早まる。
――獣神を止め、初代獣神の遺産を彼らに返すため。
そして、帝国に戦争をさせないために。
私とレーナ、それぞれ久しぶりの単独行動だ。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
お盆休みなのに天気が悪くて困りますね。
そんな時、私は部屋で小説、漫画、アマプラ。
そんな過ごし方をしています。
次話は8/12火曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い致します。
エレナを暖かく見守って頂けますと幸いです。
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