その6 「深淵の森を越えて」
深淵の森の手前で、レーナの変化魔法がどれくらい持続するのか、休憩しながら確認する事にした。
「さて、変化魔法がどれくらい保つか、しっかり観察しないとね」
レーナは、自分の青い猫耳を指先でつまみながら、得意げな顔で言った。
「三人とも、そのままね?」
「ちょ、待って…ずっとこの姿でいろってこと?」
「もちろんよ。観察対象なんだから」
「……いやいや」
「馬車の中で待機してればいいじゃない?誰も見てないから大丈夫よ。ほら、恥ずかしがらないで」
まったく……レーナのテンションに引きずられると疲れるんだけど、なんだかんだ言って場は明るくなるから役に立っているのか。
一方で、黒猫姿になったユリウス様は「にゃっ」と鳴いてみたり、しっぽをふりふりさせたりして、どう見ても楽しんでいる様子だった。
「ユリウス様、あまり遊んでちゃだめですよ。見た目は可愛いけど、旅の途中ですからね?」
「ラン、ユリウス様じゃなくて、ユリウスでいいよ!」
「あ、ユリウス。気をつけます」
「ありがとう」
「そういえば、ランの変化魔法はいつもどれくらいで解けるの?」
「私の場合は……時間だと鐘が2つ鳴るくらいは待ちますよ」
(それじゃあ半日は待つわけか)
「それじゃあいつもは屋敷のどこかで魔法を掛け直してたの?」
「はい、トイレで掛け直してました…」
聞くところによると、獣人族の一部だけ、変化の魔法が使えるらしい。
ヒューマンの文化を知るために、魔法を使うらしい。
「私の魔法も同じくらい待つわよ」
レーナは自信満々に言い放ち、青猫耳をぴんと立てて胸を張った。ユリウスがくすくすと笑う。
「御者さん、これから朝まで休憩したいと思います。先に休んで頂いて、夜は見張りはお願いします」
「わかりました、お任せください」
この御者はギルドから依頼を受けた冒険者で、なんと私と同じBランクの方らしい。
彼が夜の見張りをしてくれる。
「うぅん…もうお腹いっぱい…」
何故か既にレーナは寝ている。
ランが見守る中、ユリウスは馬車の側で剣の稽古をしている。
「そういえば、私達にメイド仕事を依頼した時、レーナが蒼天の魔法使いって知ってて依頼したんだよね?」
「はい、レーナさんの偉業を称えた紙絵が配布されたんですよ。それをたまたま見たことがあって、青い髪とか特徴が一致していた事と、雰囲気でただの魔法使いじゃないのがわかりましたから」
「すごい魔法使いねぇ…そうなんだよね……」
そんなこんなで馬車の中で、明日までの一夜を明かすことにした。
翌朝ーー
目を覚ましたとき、私達はすっかり元の姿に戻っていた。ランも元の獣人族の姿だ。
「……あれ?猫耳、ない」
「ぼくもしっぽ消えてる!」
「どうやら魔法が解けたみたいですね」
――でも、肝心の「いつ」解けたのかは、誰も覚えていなかった。
私の隣ですやすやと寝息を立てている青毛の女がいる。自分が魔法解けるのを見張ると昨晩張り切っていた女だ。
「……やっぱり寝落ちしてたのか」
どうしようかと悩んでいたところ、御者の男性が一言。
「皆さんが目覚めるほんの少し前、耳としっぽがすっと消えましたよ。おもしろいもんですねぇ」
……ああ、助かった。御者さん、本当にありがとう。
これで魔法の効果が、半日はある事がわかった。
馬車とはここでお別れだ。
これから先は、徒歩での移動になる。
私は荷物を整え、みんなと顔を見合わせる。
「さて、いよいよ深淵の森に入るよ。気を引き締めていこう。ランは戦えるんだよね?私と一緒に前衛お願いしてもいいかな?」
「うん、任せて!これでも都では護衛隊に入ってたから」
「いいね、頼もしい」
朝もやに包まれた森の入り口が、まるで私たちを試すかのように静かに口を開けていた。
私たち四人――猛獣使い、アホ毛女、獣人族の姫、そして勇気ある少年――少し不思議な組み合わせの冒険が始まる。
深淵の森に足を踏み入れると、空気の密度が変わった気がした。陽の光は枝葉に遮られ、昼間だというのに周囲は薄暗い。木々の間から時折聞こえる咆哮や唸り声が、ここがただの森ではないことを物語っていた。
すぐに、私たちはそれを実感することになる。
歩き始めて、すぐだった。
「来るよ、左から!」
私の声と同時に、赤黒い毛並みのレッドグリズリーが飛び出してきた。二メートルを超える巨体が唸りを上げて襲いかかる。
「ラン、お願い!」
「はいっ!」
前衛の私とランがすぐに対応し、鋭い爪をかわしながら攻撃を加える。しばらくしてグリズリーが崩れると、今度は腐臭を漂わせるデスオークが数体、木々の間から姿を現した。
「次、オーク!こっちは数が多い!」
「ちょっと、エレナ、あんまり先走らないでよ!」
レーナが呆れ声で言いながらも、すぐさま詠唱に入る。彼女の指先から放たれた氷の槍がレッドグリズリーの頭部を一気に貫いた。
こういう時のレーナは本当に頼りになる。
変化魔法で猫耳になってはしゃいでいた姿と、今の戦闘中の彼女のキレの良さとの差がすごい。
そういえば、森に入ってからはアホ毛も一度も跳ねてない気がする。
魔物との遭遇は二回で済んだ。
おかしい、こんなに少なくていいのだろうか。
何か嫌な予感がする。
「エレナ、霧が濃ゆくなってきたわ」
「みんな離れずに先を進もう。ラン、先頭を任せても大丈夫か?」
「任せてください。霧くらいじゃ迷ったりしませんから」
私達は霧の中を進む。
さらに進んだ森の奥で、私たちは“そいつら”に出会した。
――魔人。
かつて魔王軍に属していた敵。
肌は黒曜石のように硬く、双眸は赤く爛々と光っている。肩から腰までの筋肉は岩の塊のようで、背に生えた棘が不気味に蠢いていた。
新生魔王軍については、あれ以来何の情報も掴めていない。吸血族についても同様だ。何かが水面下で進んでいるのは確かだが、全貌はまるで見えない。
けれど今は、先に進まなければならない。
「レーナ、ユリウスは任せた」
「任されたわ!」
「……あれが、魔人……?」
ユリウスの声は、細く震えていた。
鞘に入った短剣を握っていたが、体が震えている。
「ユリウス、もっと下がって!」
レーナが素早くその前に立ち、杖を構える。
魔人は牙を剥き、咆哮を上げた。森の木々が振動し、枝の葉がざわざわと鳴る。
次の瞬間、巨腕が振り下ろされ、地面が爆ぜた。土煙が視界を覆い、衝撃で足元が揺れる。
「ラン、右に!」
私が叫び、ランが横に跳ぶ。
魔人の拳が地面を抉り、大穴が空く。
私は一気に懐へ――剣を脇腹に叩き込む。
金属を斬ったような鈍い衝撃が腕に走り、火花が散った。かすかに黒い血が滴るが、傷は浅い。
「くっ……硬い!」
魔人が振り返りざま、腕を横薙ぎに振る。
体が吹き飛ばされそうになるが、踏ん張って受け流す。
「アイスランス!」
レーナの鋭い氷の魔法が魔人の膝を貫く。
巨体が一瞬よろめき、膝が土にめり込む。
「今だ、ラン!」
ランは背後から跳び上がり、首筋に短剣を深く突き立てた。黒い血が飛び散り、魔人の咆哮が森を震わせる。
しかし――。
魔人の瞳がさらに紅く光り、全身から黒い靄が立ち上る。傷口が瞬く間に塞がっていく。
その光景に、背筋を冷たいものが這い上がった。
「っ!…こいつ回復したぞ!」
ふとレーナの方を見るが、彼女も驚いている。
傷が回復する魔人なんて聞いた事がない。
「ラン、一旦戻って!」
ランは私の側に戻り、私も剣を構え直し、息を整える。
魔人が大きく息を吸い口を開くと、灼熱の火炎が吐き出された。
「魔法障壁!」
レーナが咄嗟に魔法障壁を展開し、私たちを覆う。
炎が障壁に叩きつけられ、視界が真っ赤に染まる。熱風で肌が焼けるようだ。
「ぐっ…!炎を吐く魔人なんて聞いた事ないわ!」
珍しくレーナが慌てている。
障壁で守られているが、ここがチャンス。
私は魔人の右へ飛び出し、炎の源に向かって突っ込んだ。
跳躍し、ランの突き立てた短剣を足場にして、さらに高く――。
「はぁああっ!」
剣と体中に魔力を行き渡らせ、一気に振り下ろす。
刃は魔人の頭蓋を両断し、耳をつんざく断末魔と共に、巨体がゆっくりと地面へ崩れ落ちた。
ドン――。
地面が震え、森が再び静まり返る。
「はぁはぁはぁ」
「エレナ、大丈夫?」
「あぁ、大丈夫。でも…この魔人…」
「炎と回復、こんな魔人見た事ないわ」
「……そうだよな」
獣人族の都に向かうため、私達は回復しつつ、少しだけ休憩をする事にした。
ユリウスも初めての魔人との遭遇で興奮しているから、ランが落ち着かせている。
だが、レーナは魔人の亡骸を調べている。
「何かわかった?」
「いや、この亡骸だけ見ると只の魔人…でも回復したところが本当に綺麗に戻ってて、この回復魔法は皮膚まで綺麗にするヒューマンの魔法と同じなのよね」
「じゃあ、魔人がヒューマンの回復魔法を覚えたって事か?」
「なんとも言えないわね。言葉を話せないから詠唱も無しに使うなんて……」
今は時間が無いから、そのまま亡骸を放置して私達は先を進む事にした。
魔人を討伐し、魔物といくつかの小競り合いを経て、ようやく私たちは目的地にたどり着いた。
深淵の森に入って、二つ鐘が鳴るくらいの時間だ。
――それは、巨大な岩だった。
目の前にそびえ立つのは、馬車を縦に五台は並べられそうな高さと幅を持つ、苔むした灰色の岩。何の変哲もないように見えるが、ランがその一部にそっと手を触れると、静かな音を立てて岩が中央から割れていった。
「ここが……?」
「はい。ここが獣人族の都への入り口です」
私はごくりと唾を飲み込む。人族の目から隠された秘密の場所――そんな空気がひしひしと伝わってくる。
「レーナさん、変化魔法をお願いします」
「おっけー!任せなさーい!……よっと!」
レーナの軽い掛け声と共に、変化魔法が発動する。私たちの姿が、再び獣人族のものへと変わっていくのを感じた。
「よし、準備完了。じゃあ、行こうか」
岩の裂け目の向こうには、まるで別世界のような光がぼんやりと揺れていた。
私たちは静かにその中へ足を踏み入れる。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は明日8/10日曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い致します。
エレナを暖かく見守って頂けますと幸いです。
少しでも「面白い」「続きが気になる」と思われましたら下の☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂けますと嬉しいです。
"感想".ブックマーク"お気に入り"もよろしくお願い致します。




