その3 「エレナ逃亡」
ーー暗い意識の中で誰かの声が聞こえる。
「起きろ…勇者よ。」
人とは思えない声が静かに告げ、その声で私は目を覚ました。
手足は縄で縛られ自由がない。
視線を上げると、先刻、魔王が座っていた玉座に腰掛けるリサがいた。先程までと違い黒衣に身を包み、いつもの穏やかな微笑みは影を潜め、その眼差しは冷酷な氷のようだった。
そして、その傍には四人の魔族らしき者の姿が見える。
「……リサ…なんで…」
やっとの思いで、掠れた声を絞り出した。
しかし、リサは何も答えない。ただ静かに私に冷たい眼差しを向ける。
「…っ……なんで……」
床を這うようにして身を起こそうとした。
魔族たちはクスクスと笑った。
「分をわきまえよ。」
響く声が広間に満ちる。喋ったのは、リサの右隣に控える女魔族だった。彼女の瞳は緋色に輝き、どこか怒りの色を帯びている。
「我々が見たものは、お前が自身の仲間たちを切り伏せるものだった。お前の剣は魔王様の血に塗れ、狂気に染まっていた……違うか?」
「なっ……」
私は女魔族を睨みつける。
「バカなこ……!」
「では、これを見るがいい」
そう言った緋眼の女魔族が、指を弾いた。
瞬間、城の鏡に揺らめくような光が生まれ、そこに映し出されたのは――
自分自身が、仲間たちを剣で斬り裂く光景だった。
鏡に映る“私”は、たしかに私だった。
振り下ろした剣も、血に濡れた手も、仲間たちの驚愕の瞳も……あまりにも“現実”で。
信じたくない。でも、否定しきれない。
頭が悲鳴をあげ、心が千切れそうになる。
「嘘だ……!違う、こんなの……!」
鏡の中の自分は、血に濡れた剣を握りしめ、仲間を惨殺していた。
信じられない。こんなの、あり得ない。
だが、そこに映るのは紛れもなく自分だった。
「お前は仲間を殺した。魔王様を倒した後、その血に狂い、我を忘れたのだ」
緋眼の女魔族は続ける。
「そうだろう?勇者エレナ」
魔王を倒した後の違和感。剣に宿る深紅の闇。仲間たちの歓声が遠のく感覚。あの時、自分に何が起こっていた事はーー。
そしてーー何故、リサは何も言わない?
「お前はもはや勇者ではない。ただの仲間殺しだ。このまま我々が処刑してもいいが、人族に裁かせた方が面白い物が見られそうだな」
緋眼の女魔族の言葉に、鋭い痛みが胸に走る。
だが――違う。
真実を暴くために、生き延びなければならない。
私がここで処刑されれば、すべてが“裏切り者の末路”として語られる。
それだけは、絶対にさせない。
私の仲間は、私が殺したんじゃない。
…真実を見つけるまでは――死ねない。
「…違う……私は……仲間を殺してなど、いない……!」
たとえ何があろうと違う。仲間たちを殺すはずがない。
「…そもそも…なんでたかが魔族なんぞに問い詰められなければならない」
リサはまだ沈黙し、緋眼の女魔族は怒りの表情を出す。
ゆっくりと顔を上げ、二人を睨みつけた。
「…処刑されるつもりもない!」
残っていた力で縄を引きちぎった。
「!?」
魔族達が驚いている。
私は、スカートの左腰部分に左手を当てる。
幸いスカートの左腰付近に縫い付けていた魔法具がそのままだ。
勇者として旅に出る前に、腰のベルトに縫い付けていた希少な転移のアイテムだ。これを使えば、現在地から"私が行った事のある最も遠い場所"に転移して逃げることができる。
「奴を捕えろ!」
緋眼の女魔族が声を荒げると同時に、リサの側に使えていた女魔族以外の三体が私に襲いかかってきた。
私は体を捻って腰部分の魔法具に左拳をぶつけて衝撃を与える。魔石が眩い光となり周囲を包み込み、襲ってきた魔族は眩い光に怯んでいる。
そして、リサの無表情な顔が遠ざかる。
「……リサ…」
眩い光に包まれ、視界が一瞬白く染まり、次の瞬間には、森の中だった。
気がつくと、大きな大木の根元付近だった。
「……ここは…」
冷たい風が肌を撫でていたが、怒り、悲しみ、戸惑い、感情の嵐で自分がどこにいるのか考えるのを辞めた。
私は、仲間達の遺体も回収出来ず、リサに理由を問いただす事も出来ず、あの場から逃げ出してしまった。
冷たい夜風の中で座り込むしかなかった。
剣を握っていた右手のひらには、血が染みついている。
「……そんなわけ…ない…」
何度否定しても、あの鏡に映った光景がまぶたに焼き付いて離れない。
仲間たちの驚愕の顔、悲鳴ー。
「みんな……」
掠れた声で呼んでも、冷たい空気が返ってくるだけだった。
否定してほしかった。あの時、リサが一言「違う」と言ってくれていれば――でも、リサは何も答えてくれなかった。
ただ、私を冷たい眼差しで見ていただけ。
私はなにか彼女に恨まれるような事をしたのだろうか。
「……わからない……みんな…ごめんよ」
気がつけば震えていた。寒さのせいか、恐怖のせいか、それともーー
*****
あの日、私は現実から目を背け、逃げ出してしまった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
序章はこれで終わりとなります。
現実から逃げだしたエレナはこれからどうなるのかーー!?
お付き合いよろしくお願い致します。
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