その2 「聖女の裏切り」
魔王は倒した。
確かに、この手で討ち果たしたはずだった。
それなのに、胸の奥に小さなざわめきが残っている。
歓声が上がるはずの場所で、私の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
私の周囲だけ、空気が重い。
血の匂いに混じって、焦げたような異質な臭いが漂っている。
炎の熱とも、魔王の瘴気とも違う――説明のつかない違和感。
私は深く息を吸い、乱れた呼吸を押さえ込んだ。
そして、確かめるように、ゆっくりと後ろを振り向く。
――その瞬間。
背筋を、氷でできた針が何本も貫いたかのような感覚が走った。
祈りの温度を失った瞳。
慈悲を宿すはずの表情に、感情の影はない。
その周囲に漂う魔力は、魔王のそれよりも静かで、冷たい。
私は、彼女の変わりように戦慄した――。
仲間たちはまだ気づいていない。
「ははっ、さすがエレナ!やっぱりお前は俺たちの誇りだ!」
戦士ザインが豪快に笑いながら剣を掲げる。
「やったなエレナ!これで暗黒時代も終わりだ!」
隣で武道家ノンナが拳を握りしめ、満面の笑みを浮かべて拳を作り両手を掲げる。
「……これで、ようやく平和に……レーナに会える」
魔法使いレインが深く息を吐き、杖を胸に抱くようにして呟く。
歓声と笑い声が、魔王城の中に広がっていく。
しかし、私には水の底から聞くように、世界が音を失い始めていた。
勝利の余韻の笑顔と安堵に満ちた声が、異様に遠く聞こえた。
そんな彼女達を他所に、私は剣を落とした。
硬い石畳にぶつかる甲高い音が、祝福の雰囲気を切り裂いた。
感じ取った違和感の正体、それはーー。
「うぅっ…」
短い呻き声が上がる。
そこには、信じられない光景があった。
仲間の戦士ノンナと武道家ザイン、その二人の後ろには、光の聖女――僧侶リサの姿がそこにはあった。
その手には見慣れている祝福の杖ではなく、漆黒の剣が2本握られ、2人の心臓を刺して刃に血が滴っている。
彼女は静かに二人の体を突き放し、まるでゴミでも捨てるかのように無造作に地面へ崩れさせた。
「最後まで役立たずだったわね……」
淡々と呟く声、感情もない。
光の象徴だったはずの彼女の手から、赤い血が滴り落ちている。
「リ……」
目の前の光景が理解できなかったのだろうか、判断力が高いレインでさえ、悲鳴をあげる間も無く一瞬で間合いを詰められた。
リサの動きには一切迷いがなく、冷酷そのものだった。
「っがは…」
レインは手を伸ばし魔法を唱えようとしたが、その喉を刃が貫いた。
彼女の身体が地面に崩れ落ちる音が、異様な静けさの中で響く。
「…サ……なん……」
喉を潰されなからもレインが問うが、リサは冷たく微笑むだけだった。
その微笑みは、これまで見てきた彼女のどの表情とも違う。
「貴方も殺したくて堪らなかったわ」
それはーー狂気に満ちた笑みだった。
光の聖女と呼ばれ、慈愛の象徴だった彼女。
その彼女が今、血に濡れた剣を手にして、冷たく笑っている。
「……なんでこうなったかわかる?」
リサが囁くように言った。
その声は甘美で、けれど底の見えない冷たさを孕んでいる。そして、彼女の瞳には光がない。
「……貴方が全部悪いの…」
過去に見たことのない狂気の顔つきで、リサは私に剣を向ける。
信じていた全てが、崩れ落ちていく。
仲間達との旅の思い出が、走馬灯のように思い起こされる。
魔法の話になると止まらなくなるレイン。
いつも小さな魔導書を肌身離さず持っていて、宿の夜は私に魔法理論を語ってくれたが、私がウトウトしてても、気にせず話し続けていたっけ。
「切るのが得意だから」と自分の武器で野菜を刻み始めるノンナ。けれど包丁の方が早いよ、と言われて拗ねていたっけ。「私の剣は万能なの!」と得意気に言いながら、焦がした料理を照れ笑いで押し付けてきた。
「力仕事は任せてくれ」と自信満々に荷物を背負ったザイン。でも途中で「ちょっと重すぎたかも…」と苦笑い。結局みんなで交代しながら運んだ日々。無口だけど、焚き火を黙って用意してくれたり、見張り番を多めにこなしてくらたり、その優しさに私は何度も救われていた。
そして、リサ――
いつも笑顔で私の悩みを聞いてくれて、時には手を握って「大丈夫」と言ってくれた。夜の星空の下、二人きりで語り合ったとき、「エレナがいるから、私は一緒に旅をしている」と言ってくれた。あの言葉は、嘘じゃなかったと信じたいのに――
気がついたとき、私は大粒の涙をこぼしていた。
頬を伝う感触に遅れて、胸の奥がきしむ。
この三年間、苦楽を共にしてきた仲間たち。
同じ鍋を囲み、同じ夜を越え、同じ死線を潜り抜けてきた存在――その一人に、無惨にも切り捨てられたのだ。
「……はっ、はっ、はっ……」
視界に転がる仲間たちの亡骸を見た瞬間、肺が勝手に痙攣する。空気を吸っているはずなのに足りない。 息を吐いても、次が来ない。
汗なのか血なのかもわからない液体が、服と体の隙間を伝っていく。
指先の感覚が薄れ、身体の熱が急速に奪われていくのがわかった。
膝が折れそうになる。
それでも――倒れなかった。
勇者としての使命感なのか。
仲間を奪われた怒りなのか。
あるいは、目の前の現実を否定したいだけなのか。
理由はわからない。
ただ私は、足元に落ちていた剣を拾い上げ、震える手で柄を握り締めた。冷たいはずの金属が、なぜか焼けるように熱い。
「リサァァァ……!!」
悲鳴に近い声を絞り出すと、喉の奥が裂けたように痛んだ。
胸の内で、怒りと悲しみと裏切りが絡み合い、形にならないまま暴れ回る。
剣を振り上げる。
足が勝手に前へ出る。
かつて背中を預けた相手へ。
かつて祈りで私を支えてくれた相手へ。
私は、叫びを引き裂くようにして、リサへと斬りかかった。
リサの表情が一瞬だけ揺らぐ。
けれど次の瞬間、冷笑に変わる。
「っなんで…なんで皆を!!」
何度問いかけても、リサは答えない。
淡々と剣を振るい続ける。
私は怒りのままに剣を振り下ろした。
だが、リサはそれを軽くいなす。
斬撃を受け止めたかと思えば、次の瞬間には刃を滑らせて反撃してくる。
反応が一拍遅れる。
頬を掠めた風圧が痛い。
リサの剣筋は正確無比で、隙がない。
「……くっ!」
私は剣に力を込めた。
剣と剣が再びぶつかり合い、火花が弾け、衝撃で互いの髪が舞う。
それでもリサは一歩も退かない。
むしろ余裕があり、楽しんでいるように見えた。
鈍い音と火花を散らし、激しい剣戟が続く。
だが、私の剣は、徐々にその勢いを失っていく。
鍔迫り合い。
息が焼ける。
リサの一撃一撃が重く鋭い。
剣が弾かれ、足がもつれる。
体中の骨が軋み、剣を握る手が痺れる。
心に絶望が広がる。リサの動きは淀みなく、明らかに余裕すら感じさせる。
信じていたリサに裏切られ、仲間を目の前で惨殺され、動揺と消耗しきった体では彼女には敵わない。
信頼しきっていたーー。
共に旅をしてきた仲間。
魔王との戦い前も誰よりも私を気遣ってくれた。
その手で、私の傷を癒やしてくれた。
あの温もりが、今は憎悪の冷たさに変わっている。
「……くそ!…体が……」
魔王との戦いの後で体が思うように動かない。
戸惑いと悲しさで涙が溢れる。
声が震え、息が詰まる。
それでもリサの剣は止まらない。
横たわる仲間たちの遺体に一瞬視界を向けた。
その隙を逃さず、リサの剣が肩を貫いた。
「…いっ……!」
熱い痛みが体中に走り、鮮血が宙に散り、床を濡らした。
「……みんな……ごめんな…」
涙が頬を伝う。
世界が音を失い、光が滲んでいく。
崩れ落ちる意識の中で、リサの声が聞こえた。
「馬鹿な人……」
それは、冷たくも優しい声。
――まるで、あの頃の“光の聖女”そのままだった。
「…リ……サ」
絞り出すような声と共に涙が頬を伝った。
石畳が頬に触れる。
冷たい感触とともに、意識が闇に沈んでいく。
私はーー光の聖女リサに敗れた。
夢を見た。
それは、ひどく懐かしい夢だった。
幼い頃の記憶。
両親は医師だった。
国境なき医師団に所属し、いつも遠い国や紛争地帯で働いていた。
幼い私には、その仕事の意味など分からない。
両親はしばしば、私を母の実家に預けて出て行った。
幼稚園のお遊戯会。
小学校の運動会。
どちらも、私の両親だけが来てくれなかった。
その事実だけが、妙に鮮明に残っている。
私だけ何故、両親が来てくれないのか。
悲しくて祖母に泣きついていた。
だが、両親に愛がなかったわけではないのだと思う。
両親が帰国すると、私は学校を休ませてもらい、三人で過ごす時間を与えられた。
両親は世界の現状や、自分たちの仕事の話をしてくれた。
命を救うこと。
助けを必要としている人がいること。
両親は放っておけなかったそうだ。
祖母以外の大人たちは、皆その仕事を「立派だ」と言った。
テレビに出たこともあるらしい。
けれど祖母だけは違った。
小さな息子のそばにいてやるのが、親の仕事だよ。
そう言って、母とよく口論になっていた。
私は祖母が好きだった。
それでも同時に、両親の仕事を、どこか誇らしく思っていた。
寂しさと誇り。
相反する感情を抱えたまま、私は成長していく。
そして――高校生になる。
そこで、夢は唐突に途切れた。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
勇者と聖女、かつての仲間同士の決別。
序章はあと一話で完結となります。
序章以降もお付き合い頂けましたら幸いです。
少しでも「面白い」「続きが気になる」と思われましたら下の☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂けますと嬉しいです。
"感想"ブックマーク"お気に入り"もよろしくお願い致します。




