その10 「十五歳/女神の啓示」
十五歳になった今日、私は“女神の啓示”を受ける。
化粧台の前、リリサの手つきはいつもより慎重で、肌に触れる筆先がこそばゆい。
「今日は特別ですから、少し華やかに仕上げますね」
頬にふわりと香る香水の匂い、唇に淡い桃色のルージュ。まるで自分が誰か別人になっていくようだった。
「ねぇ、リリサは十五歳のとき、どんな啓示を受けたの?」
「私ですか? ブレイジング家の三女付きのメイドになるよう、女神様から……最初は驚いて叫んでしまいました。暴れた記憶もあります」
「リリサが暴れた? はははっ……見たかったな!」
私は思わず笑ってしまった。いつも冷静で凛としたリリサにも、そんな過去があったとは。
「そういえば、リリサがうちに来る前のことって、聞いたことなかったね」
「お話ししたこと、ありませんでしたね。私は――」
そのとき、扉が静かにノックされる音がして会話が途切れた。入ってきたのは母様だった。
「エレナ、準備はできたかしら?」
母様は私の姿を鏡越しに見て、そっと微笑んだ。
「いいわね。ブレイジング家の女にふさわしい装いよ。リリサ、エレナは貴族の淑女として立派に育ちました。お転婆だったこの子がこうなれたのは、貴方のおかげです」
「勿体ないお言葉、身に余ります」
「お母様、ひどいなぁ。昔の私そんなにお転婆だった?」
「ええ。それはもう一人で魔族と戦うような…」
軽く扇で額をコツンとされて、私は笑った。
鏡の中の私と母様が並んでいる姿を見ると、瓜二つだ。
違うのは母様の金髪より私の方が少し暗めと言った感じかな。
母様は、私にホールに向かうように促し、リリサも一緒に同行するようにと指示され部屋から出て行かれた。
「リリサ……私、不安だよ。どんな啓示が出るか……」
「どんな結果でも、エレナ様はエレナ様です。私は応援しています」
その言葉に、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。
リリサには冒険者になりたい事は話していた。
彼女は「エレナ様は無茶をしそうなので私がずっとついていきます」とか言ってくれてた。
ホールに降りると、家族が揃っていた。
父様は私を見て、懐かしむような目で言った。
「若い頃のエレオノラにそっくりだ。行こう、エレナ」
「はい、お父様」
「ずいぶんと綺麗になったな。まさかうちの妹がこんなに淑女になるとは」
「うるさい、ギルバートお兄様。今日は揶揄うのは無しにして!」
「おお、怒った顔はあまり淑女じゃないぞ?」
「エドワードお兄様も変な事言わないで!」
兄たちは軽口を叩いて場を和ませてくれたが、姉たちは遠巻きに見るだけで何も言わなかった。
馬車に乗り込み、屋敷を出発した。
馬車の中で、私はそっと母様に尋ねた。
「ねぇ、私……どんな道を歩くのかな」
「どんな道でも、あなた自身の意志で歩きなさい。ブレイジング家の娘として、そして一人の人間として」
街を抜け、教会の尖塔が見えてくると、胸の奥が締めつけられるようだった。
馬車が教会前に到着すると、重厚な石造りの建物が目の前にそびえていた。荘厳な雰囲気に思わず息を呑む。尖塔の先が雲を突き刺すように高く見えた。
母様が私の心情を読み取ったかのように、私の手をそっと取る。その手が思った以上に強く、温かくて、心が少し落ち着いた。
「エレナ、堂々と胸を張って行こう。これはお前の道を決める大切な日だからな」
父様が低く穏やかに言った。私は小さく頷いた。
扉が開かれ、家族みんなで並んで石の階段を上がっていく。兄たちが私の後ろを歩き、リリサは私のすぐ横に寄り添っていた。姉たちは後方から静かに続いていた。
教会の入り口には神父たちが整列していて、私たち一人ひとりに敬意を込めて頭を下げた。
中に足を踏み入れた瞬間、ひんやりとした空気と、神聖な静けさが肌を撫でる。高い天井、彩色されたステンドグラスから差し込む光が、床に七色の模様を描いている。
祭壇の前までゆっくりと進んでいく間、教会内の視線が一斉にこちらに注がれる。貴族や騎士団、神殿関係者の面々も来賓席に座っていた。女神の啓示下る儀式は、それほどに重要で注目されるものだ。
家族と並び、私は指定された中央の位置に立つ。
私は目を閉じて、心の中で神に祈った。
(女神様……お願いです。冒険者か、せめて自由に生きられる何かにしてください……)
やがて、神父が前へ進み出ると、厳かに声を上げた。
「エレナ・フォン・ブレイジング。女神アルカナ様の導きにより、汝の未来を定めよう」
私は一歩前に出て、祈りの形をとりながら、水晶へと手を伸ばした――
瞬間、世界が止まった。
『ふふふ、ようやくここまで来た』
「誰!?」
問いかけたとたん、水晶が眩い光を放ち、再び時が動き出す。
頭皮に熱が走り、髪が白銀に染まっていくのが鏡のような床に映る。胸の奥に何かが芽吹く感覚。
「……っ、あ……!」
膝をついたその瞬間、神父の震える声が響いた。
「か、か……彼女は……勇者だ!」
驚きと歓声が教会内に満ちる中、私は立ち上がった。だが、振り返った先に見えた家族の表情は……祝福ではなかった。
父と母は深い悲しみを湛え、兄たちは涙を浮かべていた。リリサも、口元を震わせながら私を見つめていた。
(……私が、勇者……?)
胸の奥の熱とは裏腹に、心に冷たい不安が押し寄せてくる。
その夜、家族だけが集められたサロンは沈黙に包まれていた。
「エレナ、お前が貴族と結婚できないから悲しんでいるのではない。危険な旅に出さねばならぬことが、辛いのだ」
父様は、低く絞り出すように言った。
「勇者なんて……想像もしなかったわ」
母様はそっと顔を伏せ、扇で涙を隠した。
その中、ギルバート兄様が笑みを作りながら言う。
「俺は何となく分かってた。お前、昔から異常に強かったから」
エドワード兄様もうなずきながら、涙を拭った。
姉たちは相変わらず無言だった。
部屋に戻り、姿見に映る自分を見つめる。白銀の髪に、見慣れた顔が見慣れない色で染まっていた。
十五歳の誕生日。私はただ、自由になりたかっただけだった。けれど与えられた運命は、あまりにも重すぎる。
「……私、本当に勇者として生きていけるのかな……」
十五歳の誕生日は、不安しかない一日となった。
お読み頂き、ありがとうございます。
2話連続更新の2話目です。
明日の更新で過去編は完結です。
エレナがどうなって勇者となり、旅に出るのか、見届けて頂ければと思います。
第3章からは現代に戻ります。
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