その18 「魔獣の森」
エステ国の西門からは、拍子抜けするほどあっけなく国の外へ出られた。
東門と比べると、厳重さがまるで違う。
だが、それは油断しているわけではない。
門の向こうには「魔獣の森」と呼ばれる、魔物が数多く棲息する広大な森林が広がっている。
そのため、西門自体は城塞のように堅牢で、エステ国護衛団の兵も多く配置されていた。
「行き先は?」
「西へ。ただの冒険者です」
それだけで、通された。
西門の入出国確認は、拍子抜けするほど簡素なものだった。
私たちは、勇者でも、ブレイジング家の当主でもなく、ただの一介の冒険者として、国境を越える。
門を抜けた瞬間、空気がわずかに変わった気がした。
私は振り返らず、胸の内で静かに姉達へ祈る。
朝の散歩中に屋敷へ手紙を置いてきた。
『カトリーナ姉様、マリアンヌ姉様へ。次に会うときは、普通に姉妹としてお会いしましょう。そして、その時はこの国の復興を手伝います。どうか、お元気で』
馬車は、ゆっくりと森へ続く街道を進み始めた。
門を抜けて、街道をまっすぐ三日間で通り抜けた。
舗装された道はここで終わり、目の前には鬱蒼とした森が広がっている。
「ここが魔獣の森ですね」
ランが目を輝かせながら、木々の間をじっと観察していた。
耳がわずかに動いているのを見ると、獣人族の血が騒いでいるのだろう。
「獣人族の都があった深淵の森に比べたら、普通の森じゃない?」
「そうだな。でも足場も悪いし、遠回りして森を抜けようか」
そう言った、その直後だった。
ぎしり。
どこからか、木が軋むような音がした。
「エレナさん!来ますよ!」
ランが叫ぶのと同時に、森の奥から巨木が一歩、前に出た。いや、木が動いた。
幹には人の顔のような節があり、枝は腕のようにうねっている。
足元では無数のツルが、地面を這うようにこちらへ伸びてきていた。
「トレント……か」
西側では珍しくないが、東側ではお目にかかれない魔物だ。
油断すると厄介な相手だ。
「ちっ、森に溶け込むとか」
枝が風を切り、横薙ぎに振るわれる。
私は一歩踏み込み、木の枝を両手で掴んだ。
「くっ!重い」
衝撃が腕に走る。
「ラン、足元に気をつけろ!」
「はいっ!」
ランは跳び退きながら、ツルを二刀で切り払う。
レーナは後ろで、ふと手を止めた。
「燃やしていい?」
「木が多いから却下!」
トレントは体に火がつくと暴れて手がつけられなくなる。他の木に引火して大変なことになる。
「わかったわ!」
枝とツルが一斉に襲いかかってくる。
レーナがアイスランスで牽制してくれる。
私は、間合いを詰め、腰に携えた父の剣に手をかける。
トレントの懐へ踏み込んだ瞬間ーー。
鞘から一気に剣を抜き、トレントを真っ二つに切った。
「グギャァァアアアア」
トレントの断末魔の叫びは、仲間を呼び寄せる。
ぎし、ぎし、ぎし。
父の剣はすごい切れ味だったが、それを想う暇も無く、周囲の木々が、まるで合図を受けたかのように一斉に軋み始める。
静まり返っていた森が、低く唸るような音で満たされていった。
「……エレナさん」
ランの声が、わずかに強張る。
視線を巡らせると、左右、背後――
森の奥から、同じような人面の節を持つ巨木が、ゆっくりと姿を現していた。
「三……いや、五体以上か」
地面を覆うツルの量も明らかに増えている。
足元を見誤れば、即座に絡め取られるだろう。
「囲まれてるじゃない」
レーナが肩をすくめるが、その目は完全に戦闘の色だった。
「長引かせるとまだ増えそうだな」
「じゃあ、短期決戦ですね」
ランが双剣を構え、低く身を沈める。
耳がぴんと立ち、全身が獣のように研ぎ澄まされていた。
最初のトレントが咆哮のような音を立てると、それを合図に、四方から枝とツルが一斉に襲いかかってくる。
「来るぞ!」
私は前に出て、正面の一体を引きつける。
「ラン、右側を頼む!」
「はい!」
「レーナはーー」
「わかってるわ!」
レーナは馬車の護衛。
枝が叩きつけられ、ツルが絡みつこうとする。
森全体が敵に回ったかのような圧迫感。
だが、私は剣を強く握り直した。
「ここで足止めを食らうわけにはいかないんだ」
私の言葉に、ランが短く頷いた。
周囲は木々の密集した一帯。
不用意に火属性魔法を使えば、トレントが暴走するだけでなく、森全体を燃やす可能性がある。
「馬車頼むよ!」
「了解。こっちは任せなさい」
レーナは即座に距離を取り、障壁魔法で馬車の周囲を固める。
残るのは前線の私とラン。
トレントの枝が、唸りを上げて振り下ろされた。
私は、アル=アガレスから取り返した、父の形見の剣で戦う。軽く、そして不思議なほど手に馴染む。
「右から来る!」
ランの声と同時に、双剣が閃く。
枝を切り落とし、絡みつくツルを断ち、トレントの動きを削いでいく。
私は一歩踏み込み、剣を横一文字に振るった。
正確に捉え、トレントを倒す。
「次、奥だ!」
ランが前に出すぎないよう、私は位置を調整しながら敵を引きつける。
二人で一体ずつ。
確実に数を減らす。
背後では、レーナの魔法が低く唸り、馬車へ伸びるツルを次々と叩き落としていた。
「……しぶといわね!」
最後の一体が倒れたとき、森は不気味なほど静かになった。
「終わった……?」
ランが息を整えながら周囲を見渡す。
「もう、大丈夫そうですね」
私は剣を納めた。
倒れたトレントの残骸を越え、私たちは再び馬車へ戻る。魔獣の森はまだ続く。
「慎重に進もうか」
私の言葉に、レーナとランが無言で頷く。
馬車が通れる安全な地面を探しつつ、森の奥へ進むにつれ、空気が明らかに変わっていった。
獣の唸り声、枝を踏みしめる音、そして魔力の濁り。
それから、遭遇した魔物は一種類ではなかった。
シルバーウルフの群れ。
粘性の高いスライム。
地面から這い出てくるアンデッドゾンビ。
さらには、トレントの亜種や、粗末な武器を振り回すゴブリンまで。
休む暇もない。
小規模な戦闘を繰り返しながら、私たちは確実に森を進んだ。
連携は自然だった。私が前に出て道を切り開き、ランが側面と背後を制し、レーナが魔法で全体を支える。
だが、暗くなる。
「……日が落ちるな」
木々の間から差し込む光が、次第に赤みを帯びていく。
夜の魔獣の森は、さすがに危険すぎる。
「野営するしかないわね」
そう判断した矢先、崖沿いに口を開けた洞窟を見つけた。
「……使えそうだな」
内部を慎重に確認し、魔物の気配がないことを確かめる。
完全に安全とは言えないが、開けた場所で眠るよりは遥かにましだった。
簡単に結界を張り、焚き火を大きめに燃やした。
少しでも魔物が近寄らない事を祈って?
「就寝中は見張りを交代で立てよう」
「私が最初にやるわ!」
レーナが即座に名乗り出る。
移動と戦闘の連続で、三人とも疲労は隠せなかった。
身体だけでなく、神経がすり減っているのが分かる。
それでも――。
この森を越えなければ、先はない。
洞窟の奥で、静かに夜が更けていった。
洞窟の入口付近。
レーナと交代したランは一人、木々の影に視線を走らせていた。
夜の森は静かだ。
だが、静かすぎる。
何かいる。
そう感じた瞬間、背中の毛が逆立つ。
風でも、獣でもない。
何かが、こちらを見ていた。
ランは息を殺し、双剣の柄にそっと手を添える。
(……来る?)
だが――。
次の瞬間、その気配は、霧が晴れるように消えた。
「……?」
周囲を見渡すが、森は何事もなかったかのように静まり返っている。
葉擦れの音、遠くの虫の声。
異常は、どこにもない。
(……気のせい、ですかね)
緊張を解ききれないまま、ランはゆっくりと息を吐いた。
夜明けまでは、まだ少し時間がある。
それから何も起こることはなかった。
洞窟の奥に、淡い光が差し込み始める。
「……レーナ、朝だぞ」
返事がない。
「……レーナ?」
近づいてみると、レーナは毛布にくるまったまま、微動だにしていなかった。
「……起きろ」
それでも起きない。
私はため息をつき、肩を掴んで揺さぶる。
「起きろって言ってるだろ」
「……んん……あと少し……」
「もう朝だ」
「……無理……」
「ほら」
軽く、ではあるが遠慮なく叩く。
「いった!?なにすんのよ!」
「見張りも交代して、ちゃんと寝てただろ」
「それと起きるかどうかは別問題でしょ……」
ぶつぶつ言いながらも、レーナはようやく上体を起こした。
食事を簡単に済ませ、荷物をまとめ、馬車に積み込む。
「じゃ、行こうか」
私は御者台に乗り、手綱を取った。
馬車が動き出し、再び魔獣の森を進んでいく。
昨夜の気配のことを、ランから聞いた。
気のせいかもしれないとランは言う。
私もそう思うことにした。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は2/3火曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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