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その16 「家族への執着」

 宿屋の二階。

 

 昼下がりの柔らかな光が、古びたカーテンを透かして淡く部屋を満たしていた。

 埃の匂いと、木造の床がきしむ微かな音。

 外の喧騒はここまでは届かず、世界から切り離されたような静けさがあった。


 「戻りましたー」


 ベッドの上で、エレナさんは静かに眠っている。

 規則正しい寝息。

 あれほどの出来事を経た後だというのに、今は驚くほど穏やかな顔だった。

 剣を握っていた時の鋭さも、覚悟を語る時の強さも、すべて夢の底に沈めたような寝顔。


 「……完全に落ちてるね」


 最初に口を開いたのはレーナさんだった。

 椅子に腰掛け、テーブルに肘をついたまま、気の抜けた声でエレナさんを見つめている。


 「無理もないですよ」


 窓辺に立っていた私は、外の様子を眺めながら答えた。


 通りを歩く人影はまばらで、まだ街は目を覚ましきっていない。


 「この数日、大変なことが続きましたからね」


 レーナさんは小さく鼻で笑った。


 「勇者だの、連合だの、当主だの、姉妹だの、国家だの……エレナには肩が何個あっても足りないわよ」


 「それでも、全部背負おうとしますよね」


 私は振り返らずに言った。


 「投げ出せない、の間違いじゃない?」


 「うーん……何か違う気がするんですよね」


 静かに首を横に振る。


 「置いていけない、の方がしっくりきます」


 その言葉に、レーナさんは一瞬だけ黙り込んだ。


 そして、ふっと息を吐く。


 「……ほんと、クソ真面目な性格」


 ベッドに近づき、レーナさんはエレナさんの額にかかった髪をそっと払った。

 触れ方は雑なのに、指先は不思議と優しい。


 「私なら、あんな姉たち、さっさと切り捨ててる。国も、正直どうでもいい」


 「でもエレナさんが選んだのは……」


 「姉妹で一緒に償う、わかってるわ」


 「そうですね」


 私はゆっくりと言葉を選んだ。


 「家族を大事にしたい気持ちは、私にも分かります。でも……ここまでやる必要、ありますかね」


 レーナさんの柔らかな表情の奥に、どこか割り切れない悲しさが滲んでいる。


 「そんな性格だとわかってるから、何も言えないんだけどね」


 レーナさんは肩をすくめた。


 しばらく沈黙が流れる。

 外では、風に揺れる木々の葉音だけがかすかに聞こえた。


 王子からのおふれは出た。

 だが街はまだ、期待すること自体を忘れているようだった。


 「この国……」


 レーナさんが低い声で言う。


 「すぐには変われないわね」


 「ええ」


 私も同じ考えだ。


 「二年近い圧政で、人は良くなると信じることをやめてしまっている」


 「それを立て直す責任を、王族とあの姉妹だけじゃなく、難しいと思うわ」


 「……エレナさんは、それも分かってますよね」


 「分かっててやろうとしてるのが、また厄介」


 レーナさんは苦笑した。


 「ねえラン。前からずっと思ってたんだけど、私がエレナの立場だったら、とっくに勇者なんて肩書き捨ててる」


 「レーナさんは、そうでしょうね」


 「でも」


 レーナさんは再びエレナさんを見る。


 「エレナは、捨てない」


 「そんなエレナさんだから、私は一緒に旅をしています」


 私は迷いなく言った。


 その時、エレナさんが小さく身じろぎした。


 「……っ」


 眉がわずかに寄り、苦しそうな息が漏れる。


 「……大丈夫かしら」


 レーナさんが顔を近づける。


 エレナさんの唇が、かすかに動いた。


 「……父様……母様……すみません……」


 私達は何も言えなかった。


 やがて、エレナさんの呼吸は再び落ち着き、深い眠りへと戻っていく。


 「……これも前から思ってたんだけど……」


 レーナさんが続ける。


 「家族への執着、ちょっと異常じゃない?」


 レーナさんは小さな声で言った。


 「そうですね。私も少しそう思います」


 エレナさんは今回の姉二人の件もだけど、既に亡くなっているお父さんとお母さんを必要以上に気にかけている。

 まるで、どこかで見てくれていると感じているかのようにだ。


 「こだわる理由、何かあるのかしら」


 レーナさんは椅子に戻る。


 「分かりません。本人から聞いたことはないですから……」


 「……起きたら、また突っ走るんでしょうね」


 レーナさんがぽつりと言う。


 「止めたいんですか?」


 私は問い返した。


 「止めるんじゃない」


 即答だった。


 「背負ってる責任を、少しだけ下ろしてあげたい」


 「……それが出来ないから、転びそうになったら支えましょう」


 私は小さく笑った。


 「私もレーナさんと同じ気持ちです」


 夕方が近づき、部屋の影が少しずつ伸びていく。


 西へ向かう旅は、もうすぐ再開される。

 魔族の脅威も、世界の歪みも、何一つ終わってはいない。


 それでもエレナが眠っている、この短い時間だけは、戦いも、責任も、勇者という名も忘れて、ただ一人の少女として、静かに休んでほしい。


 私とレーナさんは、同じ思いを胸に、旅に同行する。


 「さて、旅支度の買い出し行きますよ」


 「はいはい、わかりました」


 「マルは……寝てますね」


 「その猫、エレナと行動が似てるのよね。不思議だわ」


 宿屋を出ると、夕方前の街はまだどこか静かだった。

 人の数は増えてきてはいるが、活気というほどの熱はない。

 表情のない顔、無言の通行人、開いてはいるが客の少ない店。


 「値段はまだ高いわよね」


 レーナさんが腕を組んで通りを見回す。


 「そうですよね……」


 実際、露店に並ぶ野菜や肉の値札は、他国の感覚だとかなり強気で、数倍するものもチラホラ。


 二年近い圧政と流通の混乱。

 物が足りない国は、値段から歪む。


 「節約しながらいきましょう」


 「了解。でも値切るわよ」


 「レーナさん、交渉とか得意でしたっけ?」


 ……嫌な予感しかしない。


 最初に入ったのは青果店だった。

 干し野菜、根菜、少量の果物。


 「これとこれとこれ」


 レーナさんは迷いなく指差す。


 「……全部高いですね」


 「だから交渉するのよ」


 店主の前に進み出て、クネクネしながら、レーナさんは満面の笑顔で言った。


 「ねえおじさん、この国、立て直し中でしょ?」


 「……そうだが」


 「未来ある若者冒険者たちが旅を続けるための食糧支援ってことで、少し安くならない?」


 「なんだ?その理屈は……」


 店主は無理だと言わんばかりの態度だ。


 「まぁいいわ。私達、この国の王子の知り合いです」


 私は即座に止めようとした。


 「ちょっ!」


 店主はため息をついた後、値段を少し下げた。


 「……端数だけだ」


 「ありがとうおじさん!」


 次は肉屋。


 「この干し肉、まとめ買いなら安くなる?」


 「ならん」


 「じゃあ今後この店贔屓にするように王子様にお願いするから!」


 「保証がない」


 「私はこの国の問題を解決した勇者の仲間ですけど?」


 「…………」


 私はレーナさんの好きにさせる事にした。


 「端数だけなら」


 結果、やっぱり少しだけ値引き。


 (……交渉というか、微力な圧力をかける……)


 市場を回るごとに、私は精神的に削られていった。

 私たちが解決に尽力してあげたのよと言わんばかりのやり方だ。


 「ラン、交渉って楽しいわよ?」


 「レーナさんのやり方は楽しくないです……」


 「相手の反応見るのがいいのよ」


 「それは交渉じゃないです……」


 それでも結果的に、


 干し野菜、根菜類、干し肉、保存パン、香草


 必要最低限は揃った。


 「予算内だし、まあ上出来ね」


 「……勇者の威光に物を言わせるとか、ほぼ恐喝に近いです」


 「問題起きてないでしょ?」


 「まぁ…そうですけど」


 最後に小さな菓子屋の前で、レーナさんが立ち止まった。


 「……これ」


 砂糖菓子。


 子供向けの、素朴な菓子。


 「買うんですか?」


 「一個だけ」


 「……誰用ですか?」


 「決まってるでしょ」


 「ああ、自分のおやつですね。好きにして下さい」


 「違うってば!」


 宿屋へ戻る道すがら、袋の中の食材がかすかに触れ合って音を立てる。


 街はまだ静かだった。

 でも、朝よりは少しだけ、人の声が増えている。


 「ねえラン」


 「はい」


 「この国、変わればいいわね?」


 「……そうですね。生きていれば良いことがあると、皆さんに知ってもらいたいです」


 「ポジティブね」


 「はい、私は暗くならないように旅をしたいです。それに変わろうとしている人もいますから、大丈夫ですよ」


 「例えば?」


 「王子たちもそうですし……」


 少し考えてから言った。


 「エレナさんのお姉さん二人も、です」


 レーナさんは、少しだけ目を細めた。


 「私はポジティブでもネガティブでもなくて、現実的だから、そう簡単にはいかないと思うわ」


 珍しく真っ当な自分の意見を言うレーナさんに、私は少しだけ感心した。


 「今度、エレナさんに聞いてみましょうか?」


 「何を?」


 レーナさんが首を傾げる。


 「エレナさんにとって家族って何ですかと」

 

 そんな話をしつつ宿屋に戻ってきた。


 二階の部屋へ。


 扉を開けると、部屋は静かだった。


 ベッドの上で、エレナさんはまだ眠っている。

 昼間と同じ、穏やかな寝顔のまま。


 「……まだ寝てる」


 レーナさんが小さく言った。


 「よほど疲れてたんですね」


 「起こす?」


 「……起こしません」


 私は首を振った。


 「夕飯、先に作っておきましょう」


 「そうね」


 私たちは音を立てないように部屋に入り、そっと荷物を置いた。


 眠るエレナさんの横顔は、勇者でも、当主でもなく、ただの少女の顔に見えた。


 今はまだ、ゆっくり休んでほしい。


 この静かな時間が、少しでも長く続けばいいと、私は思った。


 その後、エレナさんとマルは起きないので、私とレーナさんは夕食を食べて、お風呂に入って、就寝した。


 私にも兄弟姉妹がいる。

 少しだけ会いたい気持ちになってしまった。

 そんな日だった。

読者の皆様、いつもありがとうございます。

次話は1/31土曜日22時に公開予定です。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。

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