その11 「穏やかな心」
アル=アガレスは、実に楽しそうに笑った。
「かははは……ヒューマンの怒りの感情は好きだぞ」
私の中の何かが完全に切れた。
アル=アガレスは、私の逆鱗に触れた。
胸の奥が、焼ける。
視界が、赤く染まる。
「……その剣」
私は、アル=アガレスを睨み据えた。
「その剣、カトリーナ姉様が持っていたのか?」
「ふふふ、そうだ。この女はな――」
白銀の豪奢な剣を振り、誇示するように構える。
「自身の肉体と、この剣を対価に、我をこの世界へ呼び寄せた」
「……っち」
歯噛みする。
「姉様……ブレイジング家にとって、どれほど大事な剣かも忘れて……」
あの剣は、銘すら知らない。
けれど――私は知っている。
子供の頃。
初めて魔物討伐に連れて行ってもらった日。
父様は、あの剣を握っていた。
大きく、頼もしい背中。
魔人討伐の褒賞として、イグニス王より賜った剣だと聞かされた。
「……父様」
アル=アガレスが、愉快そうに続ける。
「魔力との相性もいい。実に良い剣だ」
アル=アガレスは、剣を構え直す。
「さて、勇者一行よ。我の傷はまだ癒えてはおらんが……続けようか」
胸の深い裂傷。
そして、再生しきっていない左腕。
ランがつけた肩口だけは、治りかけている。
炎帝で切った切り傷の部分だけ治りが遅い。
これが龍炎の力なのだろうか。
だが、まだこいつは私たち三人を前に、余裕すら見せている。
「……お前を倒して」
私は、炎帝を低く構えた。
「その剣は、返してもらう」
「やれるものならな」
アル=アガレスの声が、冷たくなる。
「我が得たものだ。そう容易くは手放さんぞ」
沈黙。
空気が、張り詰める。
その沈黙を破ったのは、レーナだった。
「やっちゃえ!エレナ!」
その合図で、私は踏み込んだ。
剣と剣がぶつかる。
――キィンッ!!
高く、澄んだ金属音が、屋敷を震わせた。
重い。
想像以上に、重い一撃。
「……っ!」
私も力には自信がある。
押し負けることはない。
だが、簡単に斬れる相手でもない。
「エレナさん……」
背後で、ランが息を呑む。
「ほぉ……」
アル=アガレスが、笑った。
「その剣……炎帝の名は伊達ではないようだ」
「黙れ!!」
私は踏み込み、連撃を叩き込む。
上段、横薙ぎ、突き。
龍炎を纏った斬撃が、空気を裂く。
だが、アル=アガレスは、最小限の動きで受け流す。
「っ……!」
剣を弾かれ、体勢が崩れた瞬間。
私が立っていた場所を、白刃が薙ぎ払った。
床が、深く抉れる。
「……良い切れ味だ」
アル=アガレスは、愉悦を滲ませる。
「いい。実にいい。勇者よ」
再び、距離が詰まる。
剣と剣。
炎と闇。
互いに一歩も譲らず、刃を交える。
「ラン!油断しないで!」
レーナの声が飛ぶ。
「私たちも隙を見つけて援護するわよ!」
「はい!」
ランが双剣を構え、隙を探る。
だが、この場の中心は、私とアル=アガレス。
父の剣を奪った悪魔。
「……取り返す」
私は、炎帝を強く握り締めた。
「お前を倒す!」
怒りと悲しみを、すべて剣に込めて――。
刃が弾かれるたび、腕に鈍い衝撃が走る。
一撃一撃が重い。
技量も、膂力も、明らかに今までの相手とは違う。
アル=アガレスには、魔王に匹敵する力がある。
「ふふ……」
アル=アガレスが、一歩引いた。
「ここまで力を使えるとは思わなんだぞ」
白い剣を、ゆっくりと逆手に持ち替える。
その瞬間、空気が、沈んだ。
「……!?」
アル=アガレスの黒く粘つくような魔力が、剣と身体の両方から溢れ出す。
床の亀裂が、音を立てて広がった。
「我が悪魔族の剣技を見せてやろう」
アル=アガレスが、低く宣言する。
「これは魔界王剣。どんな剣も我の魔力で変質する」
白刃が、闇を吸い込むように黒く染まる。
装飾はそのままに、刃だけが深淵の色へと変貌した。
「っ……!」
思わず、息を呑んだ。
だが、剣が、泣いているように見える。
父様の剣が、あんなにも誇り高かったはずの剣が、悲鳴を上げている気がした。
「エレナ!」
レーナの声が飛ぶ。
「気をつけて!さっきまでとは違う!」
「……わかってる」
絶対に引かない。
剣を取り返す。
アル=アガレスが踏み込む。
――ガァンッ!!
衝突音が、雷鳴のように響いた。
私は弾き飛ばされ、床を転がる。
「ぐっ……!」
立ち上がろうとした瞬間、刃が、首元を掠めた。
「反応が遅いぞ」
冷たい声。
「怒れ怒れ怒れ!勇者」
「……っ!」
「その感情を私にぶつけてみろ!」
次の一撃。
私は辛うじて受け止めたが、膝が沈む。
その力強さに一瞬気が遠くなる。
ふと、視界の端に、記憶がよぎった。
緑に揺れる草原。
低く構えた父様の背中。
「剣はな、エレナ」
幼い私に、父様は言った。
「怒りや悲しみだけで振るうと、必ず隙が生まれる」
魔物の爪を受け流し、一歩、前に出る。
「怖さも、悲しさも、怒りも、全部の感情を抱えたままでいい。だが、一つだけ。穏やかな心を忘れてはならんぞ」
最後に、振り返って笑った。
「ブレイジング家の戦士として、忘れるな」
「……は!」
私は、歯を食いしばった。
(こんな大事なことを今思い出すなんて)
私は怒りに振り回されている。
父様の剣を奪われた悲しみと怒り。
「……ふぅ」
深く、息を吸う。
義国で掴んだ私の新しい戦い方。
穏やかな心=静の意識だ。
危うく怒りに飲まれやられるところだった。
炎帝を、静かに構え直す。
龍炎が、荒れ狂うのをやめる。
代わりに、芯の通った熱だけが残った。
「ほぉ……」
アル=アガレスが、目を細める。
「空気が変わったな」
「……このまま戦うと父様に、怒られそうでね」
私は、一歩踏み出す。
「すぐに血が上る。私の悪い癖さ」
炎帝が、低く唸った。
私の意識に剣が、応えているようだ。
「来い、悪魔族の王」
「いいだろう」
剣と剣が、再び噛み合う。
――ギィィンッ!!
衝撃が走るが、今度は押し負けない。
(冷静に、穏やかに)
体内の魔力が筋肉へと行き渡る。
炎帝を握る腕に、先程までと違う重みが宿った。
アル=アガレスの剣が押し込んでくる。
だが、私は一歩も退かない。
「……ほう」
低く感心した声。
「力で我と互角以上……」
「……」
私は踏み込み、剣を押し返す。
床が砕け、瓦礫が跳ねる。
刃と刃が、悲鳴を上げた。
次の瞬間、アル=アガレスは力比べを捨てた。
剣を滑らせ、軌道を変える。
(来る!)
私は即座に剣を引き、回転。
横薙ぎ。
それを、アル=アガレスは半歩下がって回避。
「遅い!」
私は即座に踏み込む。
力で押し切る斬り下ろし。
――ガン!!
アル=アガレスは受け止めるが、足が沈む。
「……」
互いに距離を取る。
呼吸が重なる。
視線が外れない。
「その力は膂力変換魔法か……」
見抜かれた。
「そうだ。だから――」
私は構え直す。
「力勝負じゃ、負けない」
アル=アガレスは笑った。
「ならば、こうしよう」
一瞬、アル=アガレスがぶれて見えた。
視界が揺れ、剣が三本に見えた。
(錯覚!?)
私は迷わず中央を斬る。
当たったけれど、それは残像だった。
「こういう戦い方、ヒューマンはできまい」
本命は上。
「っ!」
私は上段に構え、剣で受ける。
衝撃が、骨に響く。
「バレバレだぞ」
私の声に、アル=アガレスが目を細める。
「さすが、魔王を倒した勇者だ」
再び、剣が交錯する。
一撃、二撃、三撃。
受け、流し、叩き、弾く。
技と力が、真正面からぶつかる。
「はは……!」
思わず、笑みがこぼれた。
「楽しいな」
アル=アガレスも、口角を上げる。
「同感だ、勇者」
互角。
決定打なし。
剣を交えるたび、火花が散る。
金属音だけが、鳴り響いた。
「どうした、勇者。これで終わりか!」
アル=アガレスの声が、耳障りに響く。
(冷静に…そろそろだ)
私はただ待つだけでいい。
次の瞬間、地面が隆起する。
アル=アガレスの右足がわずかに浮いた。
「っ!魔法か!?」
言い終える前に、影が走る。
「はぁぁぁぁ!」
ランの双剣が、視界を切り裂く。
ギリギリでランの攻撃を交わした。
だが、意識は完全に、そちらへ引き寄せられた。
(来た)
私は踏み込む。
膂力変換、限界まで引き上げる。
剣を振り上げた瞬間、炎帝が吼えた。
紅蓮の魔力が、刃を包む。
「終わりだぁぁぁ!」
振り下ろす。
アル=アガレスが父の剣で受けに来る。
だが、体勢が半拍遅い。
剣と剣が触れたところ、刃を刃で滑らせ、軌道を変えた。
「な――」
言葉は、途中で途切れた。
ずるりと重い音を立てて、アル=アガレスの右腕が床に落ちる。
血が噴き出し、父の剣が宙を舞った。
静寂。
次の瞬間、屋敷に、アル=アガレスの声が響いた。
「ぐぉぉ!」
私は、剣を構えたまま、動かなかった。
腕を失った悪魔を、ただ、見下ろしていた。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は1/22木曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。




