その5 「小国エスタ」
関所は無事に通過した。
だが、門をくぐった瞬間、胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。
関所の壁の蔦は茶色く、石は黒ずみ、地面には枯れ葉と砂埃が溜まったままになっている。
「……緑がないな」
警備兵の数も最低限で、誰もこちらに視線を向けようとしない。職務放棄というほどではないが、どこか投げやりな空気が漂っていた。
嫌な予感を胸に抱いたまま、私たちは馬車を進める。
そこから半日ほど走った頃、遠くに城壁が見えてきた。
エスタ国の首都――エスタだ。
本来なら、緑に囲まれ、自然と人の営みが調和した穏やかな国。
そう聞いていた。
だが、目に飛び込んできた光景は、私の想像とはまるで違っていた。
街の周囲にあるはずの木々は葉を落とし、幹だけが立ち並んでいる。
草地だったであろう場所は、乾ききった土が露出し、風が吹くたびに砂が舞った。
街へ入ると、その違和感は決定的なものになる。
石畳の道はひび割れ、所々が崩れ落ち、補修された形跡もほとんどない。
建物の壁は色褪せ、窓は閉じられたまま。
人影はあるにはあるが、往来はまばらで、誰もが俯き加減に歩いていた。
活気という言葉が、ここには存在していない。
「……なんだ、これ?」
思わず、言葉が零れた。
「自然豊かな国って話じゃなかった?」
レーナが辺りを見回し、露骨に顔をしかめる。
「……話とかなり違いますね」
ランも低く呟いた。
私は馬車の上から街を見渡し、胸の奥がじわりと重くなるのを感じていた。
この国は、何かを抱えている。
それも、表から見える以上に深刻な何かを。
そして直感的に思った。
このエスタ国は、きっと私たちを素通りさせてはくれない。
私とレーナは、そのまま冒険者ギルドへ向かうことにした。
目的は二つ。
ひとつは、私達の現在地とこれまでに得た新生魔王軍や各地の情勢を、バイエルン帝国とドワーフ王国へ共有してもらうため。
もうひとつは――この街の異様な空気の正体を探るためだ。
ランには別行動を頼んだ。
宿屋の確保と、街の様子の聞き込み。
こういう時、彼女の落ち着きと観察力は本当に頼りになる。
冒険者ギルドは、街の規模に対して驚くほど閑散としていた。
掲示板に貼られた依頼書も少なく、受付の周囲には冒険者の姿がほとんどない。
依頼として情報伝達を正式に受理してもらい、私たちは受付嬢にそれとなく街の状況を尋ねた。
彼女は一瞬周囲を気にするように視線を走らせ、それから小さくため息をついた。
「大きい声じゃ言えませんがーーー」
――場面が変わり、夕方。
宿屋の手配を終えたランと合流し、三人で簡単な食事をとりながら情報をすり合わせることにした。
「だいたい、同じ話を聞きました」
ランが静かに切り出す。
「数年前に、この国の第一王子と第二王子に、それぞれ他国の貴族の娘が嫁いできたそうです。その二人が……かなり派手に金を使っているとか」
レーナが眉をひそめる。
「贅沢三昧ってやつ?」
「はい。舞踏会、お茶会、装飾品、私兵の増強……そのせいで税がどんどん引き上げられているそうです」
受付嬢から聞いた話とも一致していた。
街の修繕や、かつて誇りだった緑地の維持には費用が回らない。
結果、国民は貧しくなり、商人は寄りつかず、冒険者も仕事がなくて離れていく。
悪循環だ。
「それだけじゃありません」
ランは少し声を落とした。
「噂では……王と王子二人は、もう公の場に姿を見せていないそうです。亡くなっているんじゃないか、なんて話も出ていました」
「……なかなか、ひどい状況ね」
レーナの言葉に、私は返事をしなかった。
胸の奥で、嫌な引っかかりが膨らんでいく。
貴族の娘が二人。
贅沢三昧。
自分勝手な振る舞いのためのお金。
いやがおうにも、あの双子の顔が脳裏をよぎる。
「……」
「どうしたの、エレナ?」
レーナに覗き込まれて、私はようやく現実に戻った。
「いや……なんでもない」
だが、嫌な予感は消えなかった。
そのとき、ランが思い出したように付け加える。
「それと、もう一つ。イグニス王国復興団が、この街にいるようです」
「……マジか?」
思わず声が出た。
「え?ええ。本当です。団員らしき人間を何人か見かけました」
なんということだ。
ロイが、この街にいる可能性がある。
「それ、ロイもいるってこと?」
「そこまではわかりません。団員だけかもしれません」
レーナが即座に言った。
「じゃあ、さっさと素通りしたほうがいいんじゃない?」
その意見は、正しい。
正しいはずなのに。
私は街の外れへと視線を向けた。
荒れた石畳、枯れた緑、疲れ切った人々。
「……とりあえず、今日は宿屋に行こう」
私はそう告げた。
「何泊するかは、あとで考える」
この街を、ただ見過ごしていいのか。
ロイの影と、双子の姉たちの噂。
そして、ここまで荒れ果てた理由。
胸騒ぎは、はっきりとした形を取り始めていた。
宿屋に到着すると、私は亭主に向かって用件を告げた。
「とりあえず、二泊お願いします」
「………銀貨……枚」
「……え?もう一度、言ってもらっていいですか?」
嫌な予感がして聞き返すと、亭主は声小さく、しかし淡々と言い放った。
「二泊一人、銀貨二十枚だ」
「……高くないですか?」
この世界で、一般的な宿屋の相場は一泊一人銀貨一枚。
それが十倍。冗談にしても笑えない。
「すまねぇな。この街は税が高ぇんだ。客も少ねぇし、たまに来る客からこれくらいもらわねぇと、やっていけねぇ」
その言葉に、この街の現状が端的に表れていた。
「……わかりました。一泊でお願いします」
結局、一泊だけ払う事にした。
流石に高すぎる。
ふと横を見ると、レーナの頭から例のアホ毛が、ふわふわと自己主張するように揺れていた。
「エレナ様……」
「…様??」
私に笑顔で擦り寄ってきた。
嫌な予感しかしない。
「……なに?」
「私、財布なくて……貸して!」
「……」
一瞬、本気で野宿という選択肢が頭をよぎった。
「馬と馬車の預かりと猫は……まあ、まけといてやる」
猫からもお金を取ろうというのか?
ありがたいのか、ありがたくないのか分からない配慮だ。
結果、銀貨三十枚が、一瞬で消えた。
ドワーフ王から援助して頂いた旅費の大半がこれで消えた。
「にゃあ……」
支払いを終え、部屋へ案内される。
中は、ごく普通の宿屋の部屋だった。
高級でもなければ、特別ボロいわけでもない。
お風呂があるのは嬉しい限りだ。
「さて」
私はゆっくりと振り返り、満面の笑みでレーナを見る。
「レーナさんは、なぜ財布を持っていないのでしょうか?」
「あ、いや、その……ねえ?」
「まさか……使ったのか?」
「いや、無くしたというか、落としたというか……」
「……本気で殴っていいかな?」
「ごめんなさい!」
レーナは勢いよく土下座のような体勢になり、私の足にしがみついてきた。
「関所にいる時に、財布ごとどこかに落としたみたいで……」
「……なぜ、それを早く言わない?」
「気づいたの、ここに来てからだもん!」
ぴょんと出ているアホ毛を引っ張る。
「やめて!暴力反対!」
「レーナさん」
ランが冷たい声を出す。
「馬車で寝てもらえませんか?」
「ひどい!寒いのに!死んじゃうわ!」
「毛布はあげますよ」
「そんなーー!」
ひとしきり部屋の中で騒ぎ、言い合いをして、結局いつも通りに落ち着いた。
「にゃあにゃあ」
猫のマルは既に気に入った場所でくつろいでいる。
夕食は宿屋の一階で簡単に済ませた。
味は悪くないが、どこか元気のない料理だった。
その夜は、余計なことを考えないように、私たちは早めに床についた。
だが、この街の異常さと、ロイの影、そして貴族の女二人の噂が、頭の奥で静かに燻り続けていた。
翌朝、私が目を覚ます頃には、ランはすでに外に出ていた。
早起きの彼女は、馬のブレイザーに跨り、昨日通った関所まで行ってくれたらしい。
レーナの財布が落ちていないか、念のため確認しに。
結果は――無駄足だった。
「……見つかりませんでした」
戻ってきたランに、レーナは珍しくしおらしく頭を下げた。
「ごめんなさい」
どうやら本気で悪いと思っているらしく、ちゃんと早起きまでして謝っている。
その様子を横目で見ながら、私は宿の朝風呂に入った。
湯はぬるめで、少し濁っている。
魔法で少し温める。
昨日から溜まっていた疲れが、ゆっくりと溶けていくのが分かった。
朝食を済ませた後、私たちは早々に街を出ることにした。
イグニス王国復興団と、これ以上関わりたくない。
だからエスタ国を出国するため、西へ向かう。
馬車に乗り、街の西側へ進むにつれ、光景はさらに酷くなっていった。
前世の記憶にある言葉を使うなら――スラム街。
壁の崩れた家屋。
石畳は割れ、ところどころ土が露出している。
道の脇には、人が座り込み、あるいはそのまま横たわっている。
物乞いが馬車に寄ってきた。
「お願いします……」
だが、レーナが即座に魔法障壁を張る。
馬車はそのまま、彼らを避けるように進んだ。
「……これは、酷いですね」
ランの声は低かった。
「でも」
レーナが視線を前に向けたまま言う。
「私たちは慈善事業をしているわけじゃないわ。さっさと通り過ぎましょ」
冷たい言葉かもしれない。
けれど、それが現実だった。
困っている人は助けたいのが私の信条。
でも、一人一人に手を差し伸べることはできない。
私たちは救世主でも、神でもない。
(……すみません)
私は目を伏せ、心の中でそう呟いた。
しばらく進むと、周囲の荒廃とは明らかに異なる景色が現れた。
豪奢な外壁。
整えられた庭。
大きく、重厚な門。
「たぶん、この国の王様の邸宅ですね」
ランが言う。
「城じゃないのね?」
「小国で、自然と共存する国だそうです。大きな建物は建てないと聞きました」
「へぇ。よく調べてるね」
「今朝、宿の亭主に聞いたんです。でも…」
「ランの言いたいことはわかるよ」
そんな会話をしていると、門の前で見覚えのある人物をマルが見つけた。
「ニャア!」
「どうした、マル?」
マルが鳴く方を見ると、昨晩の吟遊詩人。
カゴの上に立ち、この邸宅の中を覗き見している。
レーナが馬車から身を乗り出す。
「あなた、こんなところで何やってるの?」
吟遊詩人は、びくりと肩を震わせて振り返った。
「あ、あ……レーナ様」
明らかに動揺している。
「奇遇ね。でも覗きは辞めた方がいいわよ」
「あ、いえ、その……違いまして」
怪しいーー。
私だけじゃない。
ランも同じような事を思っていそうな顔つきだ。
「そんなに狼狽えて、どうしたんだ?」
私がそう聞いた瞬間だった。
吟遊詩人は、後ろ手に持っていた何かを落とした。
「あっ――」
「それ、私の財布じゃない!?」
レーナの声が跳ね上がる。
「い、いえ、これは、その……」
「アンタが盗んだのね!!!」
レーナが杖を構える。
これはヤバいーー。
「あ、いや!落ちているのを見つけただけでして!」
「じゃあ、なんでこんなところにいるのよ!」
レーナの周囲に、魔力が渦巻き始める。
「レーナ、待て!落ち着け!」
「いやよ!昨日、二人から超怒られたんだから!」
「あ、あ、あ……」
「返すのか、返さないのか」
ファイアボールが、空中に出現した。
その瞬間――。
「そこまでだ!何をしている!!」
鋭い声が響き、魔法が霧散した。
「護衛隊長様……」
吟遊詩人は、心底ほっとした顔をする。
「恐れ多くも、ここはエスタ国王の邸宅前であるぞ!」
「何事も何もないわ!私の財布を返さないのよ!こいつが!」
「貴様……奥様方の客人の吟遊詩人…」
「い、いえ!拾っただけ…こちらに届けようと」
「拾得物を、ここで預かることはない」
護衛隊長が冷たく言い切る。
「貴様、やはり調査通りだな……おい!話してやれ」
護衛隊長が吟遊詩人に詰め寄る。
「隊長、再度ご報告させて頂きます。この男は冒険者や兵士から盗みを行い、その金品を奥様方に渡していたようです」
隊長の横にいた隊員の声がそう告げた。
「この数ヶ月、同様の被害が多数出ています。皆、この吟遊詩人の詩を関所で聞いています。この男は、奥様方に気に入られるために盗んだ金品を渡しております。吟遊詩人の稼ぎでは不自然なほどの額を…」
昨晩、勇者の歌を詠んでいた吟遊詩人。
その正体は、盗みを生業とする者だったらしい。
「捕えよ」
「ち、違う!私は本当に――」
「問答無用だ!」
「お、奥様方に会わせて頂ければ無実を……」
「黙れ!奥様方は外出されている」
吟遊詩人の男は護衛隊に連れて行かれた。
そして護衛隊長は、私たちを見た。
「君たちにも事情を聞きたい。すまないが、こちらへ来てもらえるか」
正直、関わりたくはなかった。
だが、財布を取り戻す必要もある。
「……仕方ない」
私は小さく息を吐く。
「二人とも、この方の言う通りにしよう。マルは待機な」
「にゃー」
こうして私たちは、望んでもいないのに、エスタ国王の邸宅へ足を踏み入れることになった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は1/11日曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。




