その4 「吟遊詩人の詩」
イグニス王国復興団と再び会うこともなく、私たちはブレイジング領を離れた。
旧イグニス王都への分かれ道を越えると、そこからは見渡す限りの平原が広がり、風を切る音だけが耳に残る。
目指すのは、バイエルン帝国の北西、そのさらに先にある自然豊かな小国エスタ。
地図で見れば森と湖が点在する穏やかな国だ。
そして、そのエスタを越えた先に──かつての勇者が眠る地がある。
前回の魔王討伐の旅では立ち寄る機会はなかった。
けれど、ドワーフ王国の祠で見た手紙には、勇者が転生者である可能性が記されていた。
「たしか勇者って、義国の人でしたよね?」
ランが手綱を握りながら言う。
「あぁ。カエデたちはよく分からなかったみたいだけど……赤龍イグレイズによれば、そうらしいね」
「魔王を退けて平和を勝ち取った勇者……つまり、討伐できたエレナの方が強いってこと?」
レーナが悪戯っぽく笑う。なんだか期待されている気がして、頬がむず痒い。
「どうだろうね。私はレインとリサがいてくれたから倒せたと思ってるし」
「そうね! 姉さんたちの助けがあったからに違いないわ!」
レーナは胸を張ってふふんと笑う。
私はふと勇者の一行の話を思い出す。
「伝え聞く話だとね、勇者の仲間たちは、勇者を無傷で魔王のところへ送り届けたらしいよ。自分たちは魔族の相手をして、勇者は魔王と一対一で戦ったって」
「じゃあ、エレナより強い可能性だってあるわね」
「エレナさんより強いって……やばいですね……」
ランが真顔で言うものだから、私はじとっとにらんだ。
「人を化け物みたいに言わないでくれませんか? 最近のランはちょっと口が悪いよ?」
「す、すみません!」
「ニャア、ニャア」
「マルも私が化け物と言いたいのか!?」
笑い声が轟く、いつも通りのやり取りだ。
そんな軽口を叩きながら、私たちは平原を渡っていった。
――それから、二週間。
高く伸びる草の匂いにも、差し込む陽の色にも慣れた頃。
遠くに見えていた山脈が帝国の影へと変わり、やがてバイエルン帝国の領土を抜ける。
そして、緑に囲まれた小国──エスタの国境が見えてきた。
関所の前には頑丈な石壁と、兵士たちの鋭い視線。
通過するには冒険者証の提示が必要だ。
私はまだBランク、ランはCランク、レーナはAランク。
三人揃えば見栄えは悪くない……だけど、女性だけの高ランクパーティーというのは、妙な目で見られることもある。
夕陽が石壁の上を赤く染めながら沈みかけていた。
私たちは手綱を軽く引き、足を止める。
私たちは手綱を軽く引き、足を止めた。
夕陽はすでに山影の向こうへ沈みかけ、関所の石壁は赤紫の薄闇に包まれていく。
門兵に確認すると、門はもう閉じられており、次に開くのは明日の一つ鐘――夜明け後の早い時間らしい。
「この辺りは魔物がほとんど出ない。好きなところで野営するといい」
門番はそう言って、簡単な周辺状況まで教えてくれた。見張りもついているなら、今日は安心して眠れそうだ。
「じゃあ、この辺りに馬車を停めましょうか」
「うん。早めに休んで、明日は朝一で通過したいけど、レーナ起きろよ」
「私は二つ鐘まで寝たいわ」
私たちは道から少し外れた平地に馬車を停め、夕食の準備を始めることにした。
焚き火に薪を組もうとしたとき――ふと視界の端に、妙な人だかりが映る。
「……あそこ。人がすごく集まってるわよ」
レーナが指さし、眉をひそめる。
「なんでしょうね?」
ランも首をかしげている。
ささやき合いながら近づいていくと、関所近くの開けた場所に小さな輪ができていた。
旅人や商人、兵士らしき人まで混ざってざわざわしている。
その中心に立っていたのは――派手な羽飾りをつけた帽子、艶のある弦楽器を抱えた吟遊詩人。
灯されたランタンの光に照らされ、彼の衣の金糸がきらりと光った。
「さぁ、皆様お待ちかね……」
吟遊詩人は柔らかな笑みを浮かべ、弦を軽く弾いた。澄んだ音が夜気に溶ける。
「今日は、世界創造と勇者物語を詠わせてもらいます」
その言葉に、周囲の人々が一斉に息をのむ。
私たちも、思わず足を止めていた。
胸の奥で、何かが小さく跳ねた。
吟遊詩人は弦をひとつ鳴らし、夜風を吸い込む。
そして――静かに、語るように歌い出した。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
遥かむかし――世界はいまだ、静けさの中にあった……」
大地は眠り、空にはただ淡き光が漂うばかり。
そのとき天に座す女神は、ひとつの願いを抱かれた。
“この世界に、愛すべき命を”。
女神は地の土をこね、人を、獣を、鳥を、草木をつくられた。
人は知恵を与えられ、優しさを胸に、国を興し、地を楽園とした。
しかし、深淵にもひとつの影があった。
魔神。
女神の創造を見つめ、彼もまた暗き魔力で命を生む。
魔族、魔物――。
深い闇に育まれし者たち。
彼らは地の底、広き魔界に都を築いた。
長き時……人と魔は互いを侵さず、ただ遠くの存在として平和は続いた。
だが――
魔界にひとり、強大なる意志を持つ者が現れる。
「我は魔王――」
その心に生まれたのは、地上への憧れ。
太陽の、眩しき光への渇望。
「魔族にも陽の光を!」
魔王の叫びが号令、闇の軍勢は地上へと押し寄せた。
剣と血が交わり、歴史は初めて裂かれる。
【第一次人魔大戦】
魔族の力は強く、地上の半ばを覆い尽くしたその時。
天は人の中に、ひとりの英雄を選んだ。
勇者。
彼は人をまとめ、ただひとり魔王と相対した。
地を震わせる戦いの果てに、魔王を深く傷つけ、闇の軍勢を魔界へと退けた。
地は救われ、六十六年の平穏が降り注ぐ。
だが、英雄が天に召されると同時に、闇は再びうごめき始めた。
そして炎は燃え上がる。
【第二次人魔大戦】
魔族は再び地を奪い、戦は果てもなく続き、女神も魔神も嘆かれた。
「何故、争いは終わらぬのか……」
そんな時――再び人の中より光が立ち上がる。
二人目の勇者。
長き旅路を越え、仲間を背に、幾多の闇を切り裂き、ついに魔王を討ち果たした。
しかし……
魔王亡き後の世界に、新たな“魔の影”が蠢き始める。
勇者は剣を掲げ、その闇へと再び立ち向かう。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
吟遊詩人は静かに弦を止め、夜の風が最後の言葉をさらっていく。
そこにいた全員が、しばし息をするのも忘れていた。
しばし――
誰も言葉を発せず、焚き火の爆ぜる音だけが夜に響いていた。
だが、その沈黙を破る声が上がる。
「おい!今の聞いたか!?魔神ってなんだよ!」
「そんな存在、初めて聞いたぞ!」
「神は女神だけじゃないのか!」
ざわめきは一気に広がり、吟遊詩人は明らかに狼狽えた様子で、慌てて手を振った。
「い、いえ、その……これは私がエルフの国で耳にした伝承でして……! 世界創生から、勇者による魔王討伐までを詠った物語で――」
「じゃあ何か!?魔族も神が作ったって言うのか!」
「そんな馬鹿な話、あるか!」
「いこうぜ!真面目に聞いて馬鹿馬鹿しい」
不満と不信が入り混じった声が飛び交い、人々は肩をすくめながら、それぞれの野営場へと戻っていった。
夜は再び静かになる。
私は、その場に取り残された吟遊詩人へ歩み寄った。
「あのさ」
声をかけると、彼はびくりと肩を跳ねさせた。
「さっき言ってた話。エルフの国で聞いたって言ってたよね」
「は、はい……」
「魔神とか、創造の話。もう少し詳しく教えてもらえないかな?」
吟遊詩人は困ったように首を振る。
「いえ……私はあくまで物語として聞いただけで……詳しいことは……」
横からレーナが鼻を鳴らした。
「エルフがヒューマンの吟遊詩人に、そんな大事な話を教えるって?正直、信じにくいわね」
「お、おっしゃる通りです……」
吟遊詩人は苦笑しながら続ける。
「そのエルフも、少し変わり者のようで……歴史や地層を調べている研究者だと名乗っていました」
エルフの研究者。
その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。
(ドワーフ王国で、ドルガンが言っていたエルフも……確か研究者だった)
偶然にしては、妙に重なる。
私が考え込んでいると、吟遊詩人の方から声をかけられた。
「……あなた方は、冒険者様ですか?」
「そうだけど?」
「おお、それは!もしよろしければ、何か冒険者様の体験談を詠わせていただければと!」
私は一瞬考え、すぐに横へ視線を投げた。
「ああ、それなら――この蒼天の魔法使い様に聞くといい」
「えっ?」
吟遊詩人が驚いて目を向けた先で、
レーナが満面の笑みを浮かべ、胸を張る。
「あら、気づいた?そうよ!私こそが――
蒼天の魔法使いレーナ!世界に数人しかいないAランク冒険者にして、蒼龍を撃退した女よ!」
「おお……! な、なんという幸運……!」
「じゃあレーナ、面白い話を聞かせてあげな」
「任せなさい!」
久々にアホ毛が飛び出していた。
何も問題起こさなければいいが、私はそれどころではなかった。
そうしてレーナが高らかに語り始めるのを確認し、私はランと目を合わせて、そっとその場を離れた。
「……エレナさん」
ランが小声で言う。
「めんどくさかったから、押し付けましたよね?」
「うん」
私は素直に頷いた。
「少し……考えたいことがあってね」
姉二人のこと。
魔神という存在と創造の話。
義国で聞いた創造神の話。
エルフの研究者など。
点と点が、まだ線にならない。
私とランは焚き火の残る野営地へ戻る。
夜は静かだが、確実に何かが動き始めている気がしていた。
翌朝、柔らかな朝の光で目を覚ました。
馬車の中を見回すと、レーナは毛布にくるまったまま、気持ちよさそうに眠っている。
「……いつ帰ってきたんだ?」
レーナは吟遊詩人とかなり話し込んでいたようで、私とランが寝る頃にはまだ帰ってきてなかった。
「にゃあ」
「おはよう、マル」
外から、風を切る音が聞こえた。
馬車を降りると、ランが既に起きていて、双剣を構え稽古をしているところだった。
動きは静かで無駄がなく、朝の澄んだ空気に溶け込むようだった。
「おはよう、ラン」
「おはようございます、エレナさん。そろそろ起こしに行こうかと」
私は苦笑して馬車に戻り、レーナの肩を軽く揺する。
「レーナ、朝だよ」
「ん……もう少し……」
「入国手続きがある」
その一言で、レーナは跳ね起きた。
「早く!エスタ国へ行きましょう!」
(どうしたんだ急に?)
「にゃあ?」
マルも「なんだこいつ?」と言った感じだ。
準備を整え、私たちは関所へ向かった。
朝の関所は静かで、夜とは違い穏やかな空気に包まれている。
冒険者証を提示すると、門番は一枚ずつ確認し、頷いた。
「よし、問題ない。三人とも入国して構わないぞ」
その言葉を合図に、重々しい門がゆっくりと開いていく。
「ありがとう」
私は短く礼を告げ、馬車を進めた。
こうして私たちは、自然に囲まれた小国、エスタ国の地へと足を踏み入れた。
この先に何が待つのか、まだその時の私は、知る由もなかった。
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次話は1/10土曜日22時に公開予定です。
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