その1「懐かしの故郷」
私たちは、ドワーフ王国を出国し、岩山の谷を抜け、交易の街へ向かっていた。
そこには、長期預けている馬のブレイザーと馬車がある。
(長く預けてしまったけど……ブレイザー、元気にしているだろうか。私のことを忘れてないかな)
そんな不安が頭をよぎる中、街の門をくぐると、見慣れた宿屋の看板が目に入った。
宿へ入ると、主人は気さくに迎えてくれた。
「ちゃんと戻ってきたね。嬢ちゃんたちの馬と馬車は近くの馬小屋に預けてあるよ。なんせ忙しい馬でね。専門家に任せたほうがいいと思ってな。料金は前払いの分で問題なかった」
「ありがとうございます。助かります」
(かなり多めに銀貨渡していたけど、仕方ないか)
礼を告げ、私たちは馬小屋へ向かった。
馬小屋の柵が見えてくると――。
「ヒヒィンッ!」
ブレイザーが突然、勢いよく柵を乗り越え、まっすぐ私の方へ駆けてきた。
胸に顔を押しつけ、頬ずりしてくるその姿に、思わず笑みが漏れる。
「よしよし……かなり待たせちゃったね。ごめんな」
ブレイザーは上機嫌だったが、私の後ろから猫のマルが顔を出した瞬間――。
「ブフッ……!」
鼻息を鳴らし、不機嫌さを露わにした。
マルもマルで、じっと睨み返している。
「……仲良くしてくれよ」
レーナは笑い、ランは動物にも相性がありますからと至極真面目に頷いていた。
馬車は問題なく整備されており、私たちは荷物を積み替え、街を後にした。
出発前、馬小屋の亭主から情報を仕入れた。
「最近はこの周辺でも魔人や魔物が増えてるそうだ。街には騎士団と、バイエルン帝国の冒険者も常駐してるから、大きな被害は出てないらしいけど」
ドワーフ王国から一番近い街にも、少しずつ新生魔王軍の影がちらついているようだ。
交易の街から東へ抜けると、広大な平野が続く。
視界が開けているぶん、遠くの脅威にはすぐ気付ける。
そこから七日、私たちは平野を進み、戦いながら道を切り拓いた。
魔人も魔物も数は多いが、手強い相手はいない。
回復力を持つ魔人でさえ、今の私たち三人の敵ではなかった。
むしろ――。
ほとんどランが片付けてしまった。
「私が疲れたり危なくなりそうなら、エレナさんとレーナさんが出てきてください」
淡々とそう言うと、ランは戦場へ飛び込み、正確に敵を仕留めていく。
「いや〜、らくできていいわ〜」
レーナは馬車の荷台で伸びをしながら満足げに笑う。
「……楽できるのはいいけど、無茶しないでくれよ。命大事に、で頼む」
「はい。気をつけます!」
そう返し、再び敵の群れへ消えていった。
更に三日が経過した。
ようやく、イグニス王国内に辿り着き、王都とブレイジング領へ分かれる分岐に辿り着く。
ここからは森に入る。
この森は、私が勇者として旅立った頃、イグニス王国へ向かうために通った場所だ。
魔物は少なく、街道として整備され、動物の姿が多い……そんな穏やかな森だった。
だが、イグニス王国も私の故郷であるブレイジング領も滅びた。
森がどうなっているのか、想像もつかない。
私は二人へ振り返り、気を引き締めて言った。
「ここから先は、慎重に行こう。あの頃とは違うはずだ……気を抜くなよ」
レーナもランも、真剣に頷いた。
そして私たちは、闇が深くなった森の入り口へ、ゆっくりと足を踏み入れた。
森へ入ってしばらく進むと、かつて整備されていた石畳の街道が姿を見せた。
しかし――その光景は、私の知っているものとはまるで違っていた。
以前は、私の実家であるブレイジング伯爵家が管理し、イグニス王都まで馬車で行き来しやすいよう整備された街道だった。
だが今、その石畳は草に呑まれ、崩れ、木の根が浮き上がって道を割っていた。
誰も手入れをする者がいなくなってしまった結果が、そこにあった。
「……ひどい荒れようだな。昔はもっと綺麗だったのに」
思わず漏れた私の声に、レーナとランは静かに目を伏せた。
胸の奥が締め付けられるように痛む。
勇者として旅に出て……故郷へ戻ったのは、たった一度きり。しかも、すでに魔王軍がイグニス王国へ迫っていると知り、私は向かうが間に合わず、両親も、兄様たちも、屋敷の人たちも……皆亡くなってしまった。
メイドのリリサだけは行方不明のまま。
探したくても、当時の私には魔王討伐という大義があったため、余裕がなかった。
魔王討伐後に捜索したかったが、私も追われる身となりそれどころではなかった。
そんな記憶が、荒れ果てた道と重なって胸を締め付けてきた。
「……大丈夫、エレナ?」
レーナがそっと私を見る。
「うん、大丈夫。行こう」
気持ちを切り替え、私たちは進んだ。
整備されていない道ではあったが、レーナが前方の大きな石や倒木を魔法でどかしてくれるおかげで、馬車は思った以上にスムーズに進めた。
意外にも、森の中で魔物や魔人と出くわすことはなかった。
時々、猪やウサギが現れるくらいで、森自体が息を潜めているような、不気味な静けさが続く。
そして、半日もしないうちに、茂みの向こうに石造りのアーチが姿を現した。
蔦に覆われ、ところどころ崩れてはいるが、見覚えのある形。
「……ブレイジング伯爵領の門だ」
懐かしい入り口が、静かに私たちを迎えていた。
荒れ果てた門を越えた先に、私の視界に崩れ落ちた石壁と黒ずんだ瓦礫の山が広がった。
けれど、瓦礫の奥に、かつての面影は確かに残っている。
女神の啓示を受けた教会の尖塔。
騎士団の詰め所と、鍛錬の掛け声が響いていた練兵場の石柱。
子どもの頃によく通って、焼きたてのパンを頬張った店の木枠。
そして、街の中心にあった噴水の台座。
形は崩れてしまっても……転生した幼い私にとって世界そのものだった場所だ。
(懐かしいな…)
胸の奥がじんと熱くなる。
馬車を街の東へ向けると、瓦礫の隙間から屋敷が見えた。
ブレイジング伯爵家。
私の、そしてもう失われてしまった家族の住んでいた場所。
しばらく黙ったまま馬車に揺られていたが、やがて私は二人に話しかける。
「……ごめん。ここからは、私一人で行きたい」
レーナがすぐに表情を和らげて頷いた。
「わかったわ。変な魔物が来ないように、周辺の見回りしておくから」
ランも短く頷く。
「何かあれば呼んでください」
「ありがとう。すぐ戻るよ」
私は二人に背を向け、馬車に積んでいた袋をひとつ抱え上げた。
中には、アンデッドとなってしまった騎士たちの遺品が収められている。
(せめて……祖国の土に眠らせてやりたい)
深く息を吸い込み、私はゆっくりと歩き出した。
瓦礫と化した屋敷の門をくぐり、私はゆっくりと中庭へ向かった。
風が抜けるたび、崩れた壁の隙間から細かな砂が舞う。
けれど中庭だけは、奇跡のように――当時の面影をわずかに残していた。
雑草の間から、白く丸い墓石が五つ並んでいる。
父様、母様。そして三人の兄たちの墓だ。
私はその前に跪き、深く頭を垂れた。
「……お父様、お母様。お久しぶりです。こうして来るのが、ずいぶんと遅くなってしまい……申し訳ありません」
胸が苦しくなる。
優しかった父様と母様。
私の我儘や経験のために多くの事を許してくれた。
震えそうになる声をなんとか押しとどめて続けた。
「ヘンリース兄さん、エドワード兄さん、ギルバート兄さん。お久しぶりです」
幼い頃、兄様達が優しく接してくれたこと。
剣の稽古で私に多くのことを教えてくれたこと。
そんな思い出が、一胸の奥から込み上げてきた。
私はそっと立ち上がり、墓に向かって告げた。
「……先に、アンデッドとなってしまった騎士団の皆さんの遺品を埋めてきますね」
中庭の奥、小さな木立のそばには、簡素だが丁寧に整えられた区画がある。
以前、私が騎士団員のために作った墓地だ。
袋を開け、一つ一つの遺品を取り出し、静かに土の中へ埋めていく。
「皆さんの故郷が、イグニス王国内のどこだったのか私にはわかりません。だから、勝手かもしれませんが……ここに眠っていただきますね」
手を合わせながら、胸の奥に静かな痛みが走る。
「私が生きている限り、きちんと管理します。どうか……安らかに眠ってください」
最後のひとつを埋め終え、私は立ち上がった。
小さく深呼吸をし、歩みを家族の墓へ戻す。
再び跪き、そっと墓石に触れた。
「……お待たせしました」
手のひらに伝わる石の冷たさが、なぜか優しく感じた。
「何から話せばいいのか……あれから色々なことがありました。魔王は討伐しました。想像以上に強くて……お恥ずかしながら、本気で死を覚悟したほどです。でも、仲間に支えられて……なんとか討ち取ることができました」
墓石の苔を指で払いながら、ゆっくりと語り続ける。
「その後のことですが……私は、聖女リサに裏切られました。仲間を……殺されました。罪も……私になすりつけられて……」
そこまで言ったところで、声が震えた。
涙を止められない。
「情けないですが、世界の果てに逃げようと思ったんです…全部が嫌になって……もう何もしたくなくて……」
私は手の甲で涙を拭き、少しだけ笑った。
「でも……それでも、人を助けたい気持ちだけは捨てられませんでした。私は、どうしても……それを諦めきれなかったんです」
墓に向かって、穏やかな笑顔で語りかける。
「いまは冒険者として、新しい仲間と旅を続けています。旅は大変ですけど……楽しいです。喧嘩もしますけど、ちゃんと仲良くやっています」
父様と母様の墓石を見つめ、静かに言葉を結んだ。
「でも、世界にはまだ大きな脅威があります。私は……逃げません。私にできる限りの事をしてきます」
そして――
「すべてが終わったら……私はこの場所に帰ってきます。ここで暮らすつもりです。だから……その時まで、どうか見守っていてください」
私はゆっくり立ち上がった。
「また来ます。帝国での戦いの時に私を励ましてくれてありがとうございました。お父様、お母様、お兄様達に背中を押された事、忘れません。ブレイジング家の戦士として、これからも生きていきます」
深く礼をしてから、中庭を後にした。
ふと、屋敷の中を見たくなり、玄関に向かう。
玄関の扉を押し開けた瞬間、冷えた空気とともに、長年閉ざされていた匂いがふわりと鼻をくすぐった。
足を踏み入れると、床板がぎしりと軋む。
その音が屋敷全体に大きく響き渡る。
薄暗い廊下を進むと、木の柱に刻まれた細い線が目に入った。
幼い頃の私が、何度も測ってもらった身長の跡。
埃にまみれているはずなのに、線だけは妙にくっきりと残っている。
「…懐かしいな……13歳くらいで計るのをやめたっけ」
思わず独り言が漏れた。
二階に上がり、かつての自室を開けてみる。
屋根の一部が抜けていて、そこから差し込む光が床に淡く広がっていた。
その光の中に、古びた木箱が転がっている。
開けてみると、中には手作りの木剣が一本。
「これは、練習用に父様に買ってもらったやつだ」
手に取ってみるが、今の私には玩具のように軽い。
そっと元の場所に戻した。
ベッドだったところには、私よりも大きな熊のぬいぐるみが、埃まみれで鎮座していた。
「こいつによくパンチの練習に付き合ってもらったよな」
熊のぬいぐるみを撫でて、部屋を後にした。
一階の物置の扉を開くと、積み上げられた箱の隙間に、幼い日の落書きが貼り付けられていた。
下手くそなドラゴン。大きすぎる目。
母様に見せて褒めてもらった日のことを、ふと鮮明に思い出す。
廊下を進むと、階段の途中だけ埃が薄く、まるで風が通り抜けたように綺麗だった。
誰の足跡でもない。時間だけがここを流れたのだと分かる。
私は深く息を吸い、屋敷を後にする決心をつけた。
「全部終わらせて帰ってきたら、屋敷も綺麗にしなきゃね」
空は少し曇っていたけれど、
私の心は、どこかすっきりしていた。
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