その6 「連合」
魔人と魔物の群れを掃討した翌朝。
身体の奥にはまだ微かな疲労が残っていた。
「……帰ろうか、マル」
私のお腹の上で丸まっていた黒猫のマルが「にゃ」と短く鳴き、丸い尻尾で私の頬を軽く叩いた。
谷底の空気は湿り気を含み、足場へ戻る途中で何度も息が白く揺れた。
大亀の背中にまたがり、途中の中腹で一晩休み、翌日の昼過ぎにはようやく谷の入口に戻ることができた。
そこからドワーフ王国の街まで戻る頃には、空はすでに群青色に染まりかけていた。
街の灯りが一つ、また一つと灯る中、私はヒルダさんの工房へと足を向けた。
扉を開けると、暖炉の橙色の光に照らされながら、
ヒルダさんとドルガンが何やら深刻そうな声で話していた。
「エレナはいつ戻るのだろうか?」
「たぶん剣の修行だわさ。扱えるようになれば戻ると思うだわ」
ドルガンは腕組みをして難しい顔をしている。
「うむ、早く戻ってくれまいか。王から急かされている」
「ワタシャに言われてもわからん。気長にまってりゃいいだわ」
その声音は冗談めいていたが、表情は深刻そのものだった。
「あの……こんばんは、戻りましたよ」
声をかけると、二人は同時にこちらを振り向き、工房の空気がぱっと明るくなった。
「おぉ! お嬢ちゃん、お帰り!」
「エレナ、戻って来てくれたか」
二人の顔を見ると、不思議と胸の緊張がゆるんだ。
「なんか深刻な話してたみたいだけど?」
ドルガンが一歩近づき、低い声で言う。
「うむ、話は後だ。ドワーフ王がエレナと面会したいそうだ」
「王様が?なんで?ドルガンはレーナ達と帝国に行ったんじゃなかったっけ?」
「帝国からは昨晩戻ったところだ。急ぎで王宮に呼ばれた」
「あー……悪いんだけど、今日は疲れたから寝たいんだよね。明日の二つ鐘の後じゃだめ?」
「そうさね。ドルガン、休ませてやりなよ!」
「……うむ。大丈夫だ。王との謁見は夜間は無理だ。母の宿を取っている。俺が迎えにこよう」
「ありがとう、助かるよ!」
ドルガンは少し照れたように横を向き、それを見ていたヒルダさんがドルガンのお尻を軽く蹴って笑った。
「伯母よ、やめぬか!」
「いいじゃないか!」
何がいいのか、私にはわからなかったが、二人がいつものやりとりをしているのを眺めていると安心した。
「俺は王に明日二つ鐘ヶ江の後の面会を伝えてくる。エレナは宿で休め」
「わかった」
工房を出ると、夜風が心地よく肌を冷やした。
宿では女将のヘルダさんが柔らかく迎えてくれる。
温泉にゆっくり浸かり、体の芯まで疲労がほどけていくのを感じた。マルも桶に湯を溜めて浸かっている。
「マル、お前も今日はゆっくり寝なよ」
「にゃ!」
マルと布団に潜り込んだ瞬間、意識はゆっくり暗闇に沈んだ。
――翌朝。
のんびり朝食を食べ、そのまま二度寝。
鐘の音が鳴る少し前に目を覚まし、宿の広間でドルガンを待つ。
そして二つ鐘の音が鳴りきると同時に、ドルガンが宿に入ってきた。
「準備はいいか?」
「あ、一つ聞いてもいい? レーナとランはどこに?」
「二人とも、件の冒険者達と王城に泊まっておるぞ」
「えっ? まじで? 大丈夫なの?」
「ランが蒼天を見張ってくれているから問題ない」
「ああ、なるほど……それならいいのか。じゃ、行こうか」
「うむ。ついてこい」
「マル、出かけてくるから、部屋にいろよ」
私は宿を出て、街の石畳を踏みながら、ドルガンとともに王城へ向かった。
王城の石畳を踏みしめながら、私はドルガンの背に並んで客間へと向かった。
前回ここに来た時とは違い、兵士たちの目つきがどこか丁寧で、道を開ける動きも慎重だ。
(……勇者として扱われているってことか)
案内されたのは以前の謁見の間ではなく、豪奢だが落ち着いた客間だった。
「前回は勇者という事を隠していたが、今回は別だ。勇者として、ここに招かれている。そして、王から頼み事があるそうだ」
「私が勇者だって、ドルガンが王様に話したのか?」
「すまぬな……」
「いや、いいさ。気にしないでくれ。嘘をついていたのはこちらだからね」
真鍮の燭台が温かい光を投げかけ、落ち着いた赤の絨毯が足を柔らかく包む。
扉を閉めた直後ーー。
バタンッ!
「エレナ!!助けて!!」
レーナが勢いよく飛び込み、そのまま私に抱きついてきた。
「なんだ?また何かしたのか?」
「ランが!私と、あの魔法使いを!交代させようって言うのよ!」
“あの魔法使い”とは、ガルクたち三人組のヒューマンの魔法使いのことだろう。
まだ話したことはないが、昨晩、ドルガンからどんな魔法使いなのかは聞いていた。
部屋の隅から、ランが呆れた顔で腕を組んで近づいてきた。
「エレナさん、彼女はノノさんっていうんですけど、レーナさんみたいに問題は起こしませんし、お金の管理もしっかりしてます。知らない人に喧嘩を売ることもしない。そんな魔法使い、貴重じゃないですか?」
私は少しだけ真剣に考えた。
そしてーー。
「うん、レーナ交代してくれ」
「エレナまでそんなこと言うの!?ひどいわ!悪魔だわ!!」
悪魔でもなんでもいいから、とりあえず離れてほしい。肩に抱きついたままなのが暑苦しい。
ランは眉間に皺を寄せ、低い声で続けた。
「レーナさん……最近のあなた、ほんとうに問題ばかり起こしてます。しかも私を小姑とか言うんですよ。かなり不快です」
「ふん!小姑に小姑って言って何が悪いの?小姑ランに言われたくないわ!」
「……まだ言いますか!!」
今にも双剣を抜きそうな雰囲気になり、私は反射的に距離を取った。
その瞬間、間に小柄な魔法使い――ノノが慌てて割り込んでくる。
「あ、あ、あ、ランさん……レ、レーナさんに悪気はないと思います……たぶん」
「ノノさんはこの人に甘いです」
ランが呆れ気味につぶやくと、ノノは目をそらして「うぅ……」と小さく声を漏らした。
このままでは本当に剣が抜かれそうな空気だ。
そこへドルガンが、いつもの重い声で一喝した。
「レーナとランよ、王が来る前に喧嘩を止めてくれぬか?」
「私は何もしてないわよ?」
「ドルガンさん、すみません……」
ランが素直に謝り、レーナは胸を張ってそっぽを向く。
「うむ。ここからは重要な話がある。静かにせよ」
ドルガンがそう言い終えるのとほぼ同時にガチャリ、と重い扉が開いた。
「すまぬな。待たせた」
ドワーフ王バラガンが入室してきた。
部屋の空気が一瞬で引き締まる。
「王よ、皆揃っております」
「うむ……勇者エレナよ。よく戻って来てくれた」
「お久しぶりです、王様」
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。まずはこれだ」
王の部下が大きな筒を抱えて前に進み、
テーブルに世界地図を広げた。
「慌ただしくてすまぬな。まずは、この地図を見てほしい」
「はい」
私は地図へ視線を落とした。
ドワーフ王は地図の端を押さえ、私の方へぐっと向き直った。
その表情は、前に会ったときよりもさらに険しい。
「勇者エレナよ。まず伝えておかねばならぬことがある」
「……はい」
「ここ一ヶ月程だが、魔人の出現頻度が急激に増している。地図でいうとこことこことここだ」
「魔人ですか……」
「うむ。しかも、これまで見た事もない回復や炎の息吹を扱う魔人だ」
王は指で地図のいくつかの地点を叩く。
「それはーー」
「そう、魔人を改造手術した魔将は、そこの蒼天の魔法使いが討伐したと聞いた。だが、あちこちに溢れておるところを見ると、かなりの数を改造していたようだな」
「そうですね。私も深海の谷で見かけました」
その話をすると、ノノは小さく震えていた。
「この三日でドワーフ王国付近で確認された魔人は、数十にものぼる」
「そんな数、現れるなんて」
「通常ではありえぬ。だが、現実だ。そしてもう一つ問題がある」
王は目を細め、声を落とした。
「新たな魔王……光の聖女リサについてだ」
空気が一気に冷えた気がした。
レーナはぎゅっと私の袖を掴み、ランでさえ真剣な表情を崩さなかった。ドルガンは腕を組み、険しい顔で地図を睨む。
「先日、ヒルダさんに聞きましたけど、リサに情報を渡す人族が大勢だとか……」
「断定はできぬ。だが、魔人たちの動きが異常すぎる。各国にこれまで以上の数が現れ、人手が少ない地域から襲われておる。これはこちらの情報が筒抜けと考えていいだろう」
私は無意識に、左腕の防具をさすった。
「あの、魔王城がある死海は?」
「そちらはエルフが監視しておるが、特にこれと言って気配はないようだ」
私は王の話を聞いて間髪入れずに質問した。
「で、私は何を?」
ドワーフ王は静かに、しかし重く告げた。
「勇者エレナよ。我々人族で世界連合を作り、魔王軍を討とうと思う。その中心として動いてほしい」
レーナが息を呑み、ランがわずかに眉を上げる。
ノノは「ひっ……」と声にならない声を漏らし、ドルガンは無言で私の背を押すように視線を向けた。
「世界連合……って、実現するんですか?失礼ですが、エルフ族はドワーフ族と険悪ですよね?エルフは、ヒューマンも獣人族も毛嫌いしている」
「うむ。その通りだが、勇者エレナを筆頭に、各国から戦士、冒険者が集まる事が確定した。エルフもそこに加わる事で話がついてとる……お前の力は既に諸国に知れ渡っておるから、拒まないでほしい」
……そう来たか。
魔人が増え、光の聖女リサ。連合軍、その中心に私。
「…急な申し出なので少し考えさせて貰えませんか?」
私は真っ直ぐ王を見返した。
「そうか……だが、人族の危機だ。勇者には必ず参加してもらいたい。もちろん君たち仲間も含めてだ」
王が目を細める。
「……前向きに検討します」
部屋の全員が私の顔色を伺っている。
レーナの表情が曇り、ランは鋭い目をした。
ドルガンは小さく息を飲む。
ドワーフ王は数秒黙し、地図を指でなぞった。
そして、低い声で告げた。
「……頼んだぞ。勇者よ」
私の胸が強く脈打った。
これまでない各国の動きだ。
「王よ。世界連合でも、魔王でもなんでもいい。ただ、勇者エレナにだけ重荷を背負わすのは辞めてくれないか?」
ドルガンが私の方を見て、ドワーフ王に意見をした。
「……無論だ。我々各国の王が責任を取る。そんな薄情な王でないのは、お前も知っておるだろう?」
ドワーフ王は頷いた。
「勇者エレナよ。世界は今、お前の力を必要としておる――頼んだぞ」
ドワーフ王は静かに席を立ち、私に一礼して部屋から退出した。
世界連合ーー果たして、うまくいくだろうか。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は12/27土曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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