その1 「全ての始まり」
戦王歴1026年3月31日ーー。
崩れ落ちたイグニス王国の城壁が、夜空に赤黒い火の粉を散らしていた。
石が裂ける悲鳴ーー。
燃える木材の破裂音ーー。
瓦礫が砕ける轟音ーー。
熱風は焼けた鉄と血の匂いを運び、舞い上がった灰が雪のように降る。
焦土のただ中で、この世界……アルファストの女神アルカナに選ばれた"勇者エレナ"とーー"光の聖女リサ"が向かい合っていた。
かつての魔王討伐の旅で、肩を並べて戦った仲間。
今は、刃を交える敵。
なぜそうなってしまったのかーー。
「……リサ、もうやめろ。私達の勝手な都合にこの世界を巻き込むな」
私の手には片刃の紅い剣が握られ、光の聖女リサの手にあるのは、光を吸い込むように黒く濁った漆黒の剣。
お互い二十歩の距離で相対しているが、その距離は共に過ごした年月よりも遠く感じる。
「…その顔……その声……その外見、本当に気持ちが悪い。貴方を地獄に落とすまで、私はやめたりしない」
私を睨みつける瞳ーー。
涙に濡れた頬ーー。
瞳は祈りを捨て、怒りと憎悪だけを灯している。
胸の奥がざわめく。
「……私が憎くても、この世界を巻き込むなよ…」
私は下を向き、涙が頬を伝うのを隠した。
幼い頃の記憶より、もっともっと遠くに、別の光景が揺らめいている。
灰色のビル群ーー。
鉄の箱に揺られて通った日々ーー。
取引先や書類に埋もれる日々ーー。
笑い合う家族の声ーー。
もう二度と戻れない“前の世界"の記憶。
「……リサ、全て私が悪いと思っているよ」
「……」
でもーー。
「……でも、私がこの世界で過ごし事実。家族、仲間、お世話になった人々、この世界を『よそ事』で終わらせることはできない。失った人も多いけれど…守りたいものがここにもある」
黒煙と灰が風に払われ、視界が開く。
私は剣を鞘に収める。
同時に、リサが低く祈りを編む。
「……いいわ、そんなにこの世界が大切なら、私がこの世界共々殺してあげるーーー女神アルカナよ。彼の者への裁きをここに。光、沈め『蝕光聖裁』」
リサの頭上に光輪が咲く。
見た事もない"神級の魔法"だ。
「……私はどうなっても、この世界は壊させない」
三、五、七――数を増しながら、黄金の光輪が咲く。
「…死ねぇえええ!!」
リサが私を指差した次の瞬間、世界そのものが断罪の矢を放ったかのように、幾重もの光線が一斉に奔る。
空気が裂ける高い悲鳴が聞こえた。
光線が掠めた石畳が、紙のように抉り取られて崩れ落ちる。熱風が背を叩き、皮膚を焦がす。
私は左腰の鞘に左手を添え、半身に構えた。
左足を半歩引き、重心を落とし半身のまま構える。
「っ!」
踵で瓦礫の縁を蹴り、光線と光線の隙間へ身を落とし込みリサに突進する。
無数の光線が、空を裂いて降り注いだ。
もはや避ける余地などない。
左腕をかばう間もなく、肩口を掠めた光が肉を焼き、鈍い痛みが走る。
「あはははっ」
続けざまに脇腹を光弾が掠め、焦げた布と血の匂いが鼻を刺した。頬をかすめた熱が皮膚を刺し、髪が焼ける匂いがする。
「ぐっ……!」
膝が折れそうになる。
だが止まれない。
"あの日"から、私は何度も傷つき、それでも立ち続けてきた。
痛みなど、もう恐くはない。
親指で鯉口を切る。
カチ、と乾いた音。
光線を避け、間合いが二歩に縮んだ刹那、私は踏み込み、抜き打ちを放つ。
「はぁぁぁ!!」
鞘がわずかに押し出す力を受けて、刃は音もなく走った。
だがーー。
金属が悲鳴を上げだ。
刃と刃が噛み合い、火花が爆ぜる。
リサは漆黒の剣を逆さに構え、正面から受け止めた
お互い衝撃で腕を痺れさせる。
至近なのに、互いの瞳だけが遠かったーー。
「その気持ちが悪い顔を、私に近づけるな!」
「そんな事、知るかぁぁ!!」
次の瞬間――剣に宿った魔力が暴発し、夜の闇を照らし、昼間のような青空が一瞬姿を見せた。
勇者エレナと光の聖女リサ。
灼ける空気の中、二人の心が魔力と同調し交わる。
その先に待つのは、和解か、あるいは破滅か――。
夜空に走った閃光が、世界を白く焼いた。
「…リサ!私は………」
勇者エレナと光の聖女リサの姿が見えなくなる。
私の意識は、二年前の戦いへと遡っていった。
ーー魔王を倒せば、すべてが終わると信じていた。
けれど、あの日こそが、すべての始まりだった。
* * * * *
ちょうど二年前ーー。
血と炎に呑まれた魔王城の最奥。
私は勇者として剣を握り、魔王と最後の死闘を続けていた。
魔王は六本の太い腕を持ち、漆黒の甲冑に包まれた巨体。立っているだけで空気が重くなる。剣が振り下ろされるたび床がひび割れ、石柱が粉々に砕け散った。
私は身を捻って致命を避け、そのたび反撃を叩き込む。だが、急所は漆黒の甲冑に阻まれ、刃が鈍くはじかれるだけだ。
「無駄だ、勇者。汝らの足掻きは、我が前では塵に等しい」
低い声とともに、黒い魔力の奔流が放たれる。
空気が裂け、床石を噛み砕きながら迫ってきた。
私は愛剣を盾のように掲げ、魔力を注ぎ込んで受け止める。衝撃が骨に突き刺さり、視界が白く跳ねた。
「……っぐ」
私の限界が近い。
視界の隅には、傷だらけの仲間たち。
魔法使いレイン。
戦士ノンナ。
武道家ザイン。
そして――光の聖女リサ。
みんな、もう体力は底をついている。
「それでも、私は――」
私の独り言を断ち切るように、魔王が嗤う。
「愚か者よ」
漆黒の巨大な刃が、稲妻のような速さで頭上から落ちた。
ガキィィィン!
私は渾身で受け止め、膝が砕けそうになるのを歯を噛んで耐える。
「くぅぅっ!」
魔王の力は、本気で膂力変換魔法を使っている私以上だ。
受け止めてもギリギリ耐えられるだけ――一瞬でも力を抜けば、やられる。
金属が悲鳴を上げるような音を立て、剣と剣が噛み合う。
魔王の黒剣から放たれる闇の瘴気が腕を這い上がり、皮膚を焼く。
視界が揺らぐーー。
鼻をつく血と鉄の匂いーー。
それでも、私は剣を押し返す。
「まだっ…まだだ!」
魔王の瞳がわずかに細められた。
地面が悲鳴を上げるように沈む。
私は滑るように半歩引き、魔王の剣を弾き上げて体勢を崩す。息を吐く暇もなく、反撃のために踏み込む――が、魔王はすぐに体勢を戻す。
吹き荒れる衝撃波が砂塵を巻き上げ、私の体を後方へ吹き飛ばす。
「ぐっ……!」
背中を石壁に叩きつけられ、肺の空気が抜けた。
それでも私は剣を離さない。
(……体力が限界だ…この一撃が、最後…)
隙をつくために、倒れたフリをしていた二人が目を覚ます。
「今よ!」
「女神アルカナよ――我が願いは王の顕現。奴を焼き尽くす炎をここに……『豪炎王』召喚!」
リサの祈りと共に、赤黒い魔力が魔王に向かう。
次の瞬間、灼熱が爆ぜる。炎の奔流から姿を現したのは、鎧を纏った巨人――炎を王冠とした王の化身。その咆哮は、空気を焼き尽くすように戦場を揺るがした。
同時に、鋭い詠唱の声がかぶさる。
「――来たれ『暴風の王』!」
レインが杖を突き出すと、大気が悲鳴を上げ、黒い竜巻が魔王を飲み込むように立ち昇った。
渦は天と地を繋ぎ、石畳をえぐり、砕けた城壁を巻き上げる。
そして――豪炎王がその暴風に取り憑いた。
竜巻はたちまち炎を纏い、燃え盛る竜のごとき姿へと変貌する。
二つの王級魔法、炎と風の力が融合し、凄絶な「炎の竜巻」となって魔王を包み込んだ。
「おのれ…小癪な…ッ!」
魔王の咆哮が渦の奥で木霊し、轟音と熱が城砦を揺さぶる。視界は紅蓮に閉ざされ、巨体の輪郭すら炎に呑み込まれていく。
「エレナ!」
渦の向こうからレインの声が響いた。
その叫びが、背を押す。
二人が作ってくれた、これが本当に、最後のチャンスだ。
残った魔力のすべてを、クラウ・ソラに注ぎむ。
刃が淡く鳴り、手の震えが収束していく。
「この一撃に……すべてを賭ける!」
考えるより先に、私は炎の竜巻へ踏み込んだ。
「――ハァァァァァッ!」
振り下ろした刃に、炎と風の力が絡み合い、火柱ごと漆黒の甲冑を割る。
硬い感触の向こうで、肉が断たれる手応えがあった。
「……ば、かな」
赤黒い飛沫。
魔王の断末魔が広間を満たし、巨体が膝をついて崩れ落ちる。握っていた大剣が滑り、鈍い音を立てて転がった。
「……勝った」
五百年以上に及ぶ闇の支配者を、ついに――。
崩れた天井の隙間から光が差し、私の肩を温める。倒れていた仲間たちのほうから安堵の声が上がり、レインは杖を支えに立ち上がろうとして、そのまま膝をついた。
「これで……やっと……平和に……」
涙に震える声。私は目を閉じ、亡くした人々の顔を一人ずつ呼び戻す。
「お父様、お母様、お兄様達、私は仇を討ちました……」
――その時だった。
歓声に混じるはずのない、冷たいざわめきが皮膚の下を走る。
終わっていない。
どこかで誰かが、まだ何かを始めている。
(……何?)
私は刃を見た。
魔王の血で濡れたはずのクラウ・ソラが、深紅ではなく、どこか不吉な闇色を帯びている。刃に映る自分の瞳は、底の見えない暗さを湛えていた。
背筋を鋭い寒気が駆け抜ける。
祈るはずの手が、剣を構えている。
私が見たのは、祈りの杖ではなく漆黒の剣を持つ光の聖女――リサの横顔だった。
(リサ……?)
彼女の瞳から、祈りの色が消えている。
私は、彼女の変わりように戦慄した――。
読者の皆様、初めまして。
作者のWAKUTAKUと申します。
序章は全3話構成となっております。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
もし少しでも興味を持って頂けましたら、以降のお話もお付き合い頂けると嬉しいです。
引き続き、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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